ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

飯山灯篭まつりも夕べ

2011-08-07 02:40:45 | Weblog

被災地の復興願ふ夏まつり

夏の灯の揺れる灯篭恋ごころ

 夏の灯に古希の男のたのみあり

 

              はせがわりょういち                                           はせがわゆうや

 昨夜は祈り・絆・灯り・をテーマに「東日本大震災」の復興への願いを込めて「飯山灯篭まつり」が行われた。このお祭りは市民総参加の祭りで、市民の手によって、市民が盛り上げるお祭りです。家の孫達も、幼稚園で「灯篭」とつくり、灯がついて明るくなるのを楽しみにしていた様子。パパが二人の灯篭を写真に撮って来てくれた。本町のメイン通りを歩行者天国にして10、000本の灯篭に灯がつくと、街が幻想的になり両歩道に詰めかけた市民の感喜が伝わった。来年は30,000本が目標だそうです。ネットを駆使して全国から「復興の願いを込めた灯篭の絵」を募集して集めたようでした。蝋燭を灯す陶器皿は飯山市在住の陶芸家が作り。絵を張る作業も高校生初め市民の参加で仕上げたようです。メイン会場は子供たちを中心にリズムの早い創作ダンスに感激と声援を送った。


スーパーの西瓜売り場

2011-08-06 02:30:13 | Weblog

肌かげん越後美人の西瓜かな

ピアノ弾く一指一指に西瓜の音

スーパーの 入り口に「新潟西瓜」が大量に陳列してあった。殆どのお客さんは叩いて買わずに去っていく。中にはその触り方が滑稽で、ピアノを弾くように指で丁寧に感触されているお客さんがいた。多分この方は、ピアノ弾きの方だだろうと、勝手に想像した。家内が買い物している間、閑人は、西瓜売り場を通り、西瓜を軽く叩くお客さんの叩き方が、それぞれ多様なことに気が付き、その叩き型を鑑賞しているのがたのしかった。西瓜の響きで美味しいか、まずいか判断するものだ。響きの悪いドスンとするような音の西瓜は不味い。一玉1580円の正札。まだまだ一般庶民には買えるお値段ではないのか、ただ、叩いて素通りするお客さんが多かった。西瓜見ると叩きたくなるのは私だけではないようだ。

 

 

 


初雪草

2011-08-05 06:24:50 | Weblog

 初雪草大暑なりともなを白く

   

初雪草ちいさな花にもチョウの蜜

 

 今、「初雪草」が最盛期のようで綺麗に咲いています。、私の歩く道筋では一件だけ育てています。恥ずかしながらこの花の名前も知らず、写真を撮って調べたのですが、たよりの「花の事典」に乗っていなかった。また役に立たなかったことに、少し腹が立った。今朝、偶然に「初雪草」の咲いている家のおばさんに会いましたので思い切って「この白い小さな綺麗な花は何と言う名前ですか」と聞くと「初雪草」と言うんだよ、沢山咲いているから持って行ってお仏壇に飾りなさい。仏壇に似合う花だよ、私は毎年、必ずお仏壇とお墓に供えますよとほほ笑んでおられた。早速10本ほど切ってくださったので遠慮なく戴いてきた。帰宅してすぐグーグルで「初雪草」で検索すると、間違いなく同じ花の写真が乗っていた。もしかして季語にもと思い、歳時記に目を通すと夏の季語で乗っていた。俳句の季語としてある花なのになんで「花の事典」に乗っていないのか、またまた腹がたった。


つばめの子育

2011-08-04 07:16:15 | Weblog

 開業の整骨院に燕来る

子燕や病気の男むなしかり

何時も歩く、開業して三年位の整骨院のつばめは、毎年2回、子育てをします。6月半ばの1回目の巣立ちよりまもなく、別の巣をつくり、6月末より卵を温め初め。もうじき二回目の巣立ちの時期が来ます。まだ小さな雛が4羽ですが。食欲が旺盛です。この分だと私の予想ではお盆過ぎに巣立ち。9月末頃までは、付近で飛行訓練やえさ捕り訓練をした後、南方へ渡る。顔より大きな口を開けて親燕が運んでくる餌を待つ、食欲旺盛な子燕の姿はなんとも可愛いものです。この整骨院は開業以来毎年燕が巣をつくる。駐車場の上の蛍光灯に作るのですが、この整骨院の先生はいろいろ大変だと思いますが、開店以来だから縁起を担いでいるのだろう。こんな元気な子燕を見ると、逆に私見たいの病持ちは、むなしさが湧いてくる。

甲斐甲斐の燕みている無職かな

 

 


俳句教室特選句

2011-08-03 08:30:29 | Weblog

万緑や烏にもある団欒の木  忠男

 

とめどなく切子グラスの結露かな     すみ子

アイスチィー猫のごとくに居場所変ふ  すみ子

 父の日や父在る如く酒を注ぐ         正義(準特選)

やはり忠男さんは、特選句に選ばれる常連さんだ。烏は嫌われ、追われるばかりではない。夏の万緑の最中に鳥が集まりおしゃべりする木があると言う。この木だけは鳥も木も宥しあい次々と集まって来る、そんな木を見つけた作者の喜びが伝わってくる。他の人が気付かないことに気付く第六感の持ち主であると思う。下の「すみ子」さんも、この頃メキメキと良い句を詠むようになり、上達していることに感心しています。かなり勉強なさっていると思う。三句掲出して二く特選句に選ばれることは珍しい。しかも特選句五句の中からであるからあっ晴れと言って過言でない。私はこのところ全然である。


飯山市赤く色づくヒペリカム

2011-08-02 10:23:16 | Weblog

 夕立のやさしき赤のピペリカム

新聞に珍しく「飯山市」の文字が目に入る。「赤くいろづくヒペリカム」という見出しで大きな写真付きで乗っていた。私は地元にいながら初めて聞く「ヒペリカム」という花の名前だ。しかも、一昔前は、肥よくな土地で優良農地だった千曲川河川敷、後継者不足で荒廃が進んでいて心配していましたが、その河川敷で育て、鑑賞用として注目し始めているヒペリカムの実とあった。40年前から各種花き栽培を続けている丸山孝さんが中心に作っているという。春は「シャクヤク」夏から「ワレモコウ」「ヒペリカム」と10月いっぱいまで忙しい日が続くという。荒廃した河川敷が「ヒペリカム」でいっぱいになれば良いなと改めて思う。


句友の暑気払い

2011-08-01 19:09:49 | Weblog

暑気払いお酒飲みても句は飲めず

強吟の句友揃ふや暑気払い

今日は俳句教室の後、恒例の暑気払いとなる。私と、リツ子さんの当番で、初めての私は、リツ子さんに色々お世話になって和やかに無事暑気払いが出来た。俳句の世界は個人の世界、互いに個人的な仕事などは詮索し合わない。大きな会社の社長さん、お医者さんはじめ 、どんなに社会的な地位の高い方でも教室ではみな平等である。長く一緒の教室で勉強していると、そこは、お互いになんとなく分かり合えるものなのですが、お互いに仕事のこと、個人的な生活のことは知らない振りをしている。そこがまた私には気に入っているところです。平均すると70の半ば位の句友ですが、皆さんはハツラツとして若い。中には88歳の藤吉さんなどは、教室は勿論、暑気払い、忘年会、吟行会、など殆ど休むことはないと聞く、歩き方などはシャキシャキとしていなさる。また、奥の深い句をお詠みになる。私などは感心するのみで足元にも及ばないが、戦争を経験している藤吉さんは、どこか肝が据わっておられると会う度に思う。俳句をたしなむ方は常に考えることが多く頭を使うせいか、平均に長生するようだ。私などは脳梗塞の為、ボケては困ると始めたが、どこか不純なところがあるような気がしている。