秋麗や日々のなりあい詠となり
この歌碑の裏に下記のように記されていた。
柳沢文恋(竹内久治)翁は、若い頃から短歌の道に親しまれ。趣味として励んで来られた六十有余年の永い間続けてこられました終戦後は知名の歌人斎藤史先生に帰事され、いよいよ詠草に磨きをかけられ郷里のよき指導者として公民館短歌会を創設され、郷覚の指導にあたられ短歌の道の伝承に務められてま参りました。この度六十有余年の短歌にいそしんだ心を刻まれて歌碑として永遠に故郷の一過に建立されることは大変すばらしいことであり。子子孫孫に伝わり残る記念像でもあります。
昭和62年度5月吉日 元公民館長 高森曽平
この歌碑は木島平村の「泉龍寺」の迎門の左側に静かに座っていた。「柳沢文恋」は、奥信濃のシンボル「高社山」を眺めながら、木島平をこよなく愛したのだと思う。