なんで最近、シューベルトの絃楽四重奏に凝ってるのか、話そうか?
大学に入って学生オケに入部したオレは、毎日ヴィオラの練習に明け暮れた。飲みに行く以外は楽器に触ってたな。だけど周囲は、幼少の頃からヴァイオリンを習ってたやつとか、ブラスバンドで鍛えた猛者だとか。そんなのが上や横を固めてたので、コンプレックスはまあ、半端なかった。オレは精々ロックのケツを齧ってやってきた人間だったから。
それで、どういう機会だったか忘れたが、まだよちよちのビギナーも含めて、アンサンブルを披露する機会がやって来たのだ。その時、オレに四重奏をやらないか?と打診してきたのが、音大生崩れのNだった。ヴァイオリンの腕はかなり達者で、初心者のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを同学年内から搔き集め、絃楽クワルテットをやろうと云うわけだ。その選曲が(後から考えればだが)凄まじい、シューベルトのD 804「ロザムンデ」の第二楽章、そしてベートーベンの13番 変ロ長調 の第四楽章(その冒頭が下の写真)。譜読みも覚束かずようやく弓が使えるか使えないかという初心者を騙すとは、何と云う仕打ちであろう。
まあ結果は推して知るべしなのであるが、今以って悔やんでるのは其の時全力でこれに取り組めなかった、自分である。あの時Nは、技術的な部分は全く度外視して我々の音楽(この場合は特に室内楽)に対する眼を開かせてくれようとしてたのが、今だからこそ痛いほど判る、様な気がするのだ。
もう少し‘判る’ようになった時期の自分なら、スコア(総譜)で全体を把握したり、文献で楽曲分析を読んだり、アンサンブルで他人のパートに口を出したり、と突っ込むポイントはそれこそ幾らでもあるのだ。だが結局その時、何をやったのかと云えば、何もやらなかったのである。それが習いとなってオレはその後段々蝕まれて行くのだ。
ところがNは此れに懲りず、その後もオファーを出し続けた。二挺の独奏ヴィオラが活躍するJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲6番、ベートーベンの七重奏曲、etc. 結局、オレがアンサンブルの面白さに開眼するのはずっと後のことで、ところが一旦そうなったからには其れがこの世の至上原理であるかのように振舞って現在に至る、この為体(ていたらく、ですよー)
ただ技術がテッテイ的に不足しており、その一方で全てを好き嫌いで判断してしまう(これは今でもそうだが)性格が仇となって練習を怠り、結果として機会ある毎にNの温情を裏切り続けた事実は、いまも心にわだかまっているのだった。(Nが湘南の生れだって判りました?w)
それでも別れ際に(それって何時の事だったんだ?)Nは、‘アメリカ’(ドボルザークの絃楽四重奏曲12番ヘ長調、新世界の旋律が随所に織り込まれている)の2ndヴァイオリンだったら、かなり付けられるぜ(他パートのいろんなバックアップが出来る、の意)とオレに云ったのだ。この期に及んでも奴は未だ、誘っているのである、この弾けないオレを。
ま、この辺りで心を入れ替え、きちんと基礎固めしてまっとおなヴィオラ弾きを目指せば良かったものを、この後オレは古楽奏法と云うモノに惹かれ、あろうことか楽器を改造し通常のアンサンブルが難しい状況に入り込んで行ってしまうのである。so it goes.
それはまた別の話として、シューベルトのイ短調四重奏曲、とりわけその2楽章を聞くと、心が疼くのだ。ヴィオラにもよい出番のある、あの優し気な緩徐楽章、あれはほんとうは一体、どんな心持ちのする響きだったのか、と。
大学に入って学生オケに入部したオレは、毎日ヴィオラの練習に明け暮れた。飲みに行く以外は楽器に触ってたな。だけど周囲は、幼少の頃からヴァイオリンを習ってたやつとか、ブラスバンドで鍛えた猛者だとか。そんなのが上や横を固めてたので、コンプレックスはまあ、半端なかった。オレは精々ロックのケツを齧ってやってきた人間だったから。
それで、どういう機会だったか忘れたが、まだよちよちのビギナーも含めて、アンサンブルを披露する機会がやって来たのだ。その時、オレに四重奏をやらないか?と打診してきたのが、音大生崩れのNだった。ヴァイオリンの腕はかなり達者で、初心者のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを同学年内から搔き集め、絃楽クワルテットをやろうと云うわけだ。その選曲が(後から考えればだが)凄まじい、シューベルトのD 804「ロザムンデ」の第二楽章、そしてベートーベンの13番 変ロ長調 の第四楽章(その冒頭が下の写真)。譜読みも覚束かずようやく弓が使えるか使えないかという初心者を騙すとは、何と云う仕打ちであろう。
まあ結果は推して知るべしなのであるが、今以って悔やんでるのは其の時全力でこれに取り組めなかった、自分である。あの時Nは、技術的な部分は全く度外視して我々の音楽(この場合は特に室内楽)に対する眼を開かせてくれようとしてたのが、今だからこそ痛いほど判る、様な気がするのだ。
もう少し‘判る’ようになった時期の自分なら、スコア(総譜)で全体を把握したり、文献で楽曲分析を読んだり、アンサンブルで他人のパートに口を出したり、と突っ込むポイントはそれこそ幾らでもあるのだ。だが結局その時、何をやったのかと云えば、何もやらなかったのである。それが習いとなってオレはその後段々蝕まれて行くのだ。
ところがNは此れに懲りず、その後もオファーを出し続けた。二挺の独奏ヴィオラが活躍するJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲6番、ベートーベンの七重奏曲、etc. 結局、オレがアンサンブルの面白さに開眼するのはずっと後のことで、ところが一旦そうなったからには其れがこの世の至上原理であるかのように振舞って現在に至る、この為体(ていたらく、ですよー)
ただ技術がテッテイ的に不足しており、その一方で全てを好き嫌いで判断してしまう(これは今でもそうだが)性格が仇となって練習を怠り、結果として機会ある毎にNの温情を裏切り続けた事実は、いまも心にわだかまっているのだった。(Nが湘南の生れだって判りました?w)
それでも別れ際に(それって何時の事だったんだ?)Nは、‘アメリカ’(ドボルザークの絃楽四重奏曲12番ヘ長調、新世界の旋律が随所に織り込まれている)の2ndヴァイオリンだったら、かなり付けられるぜ(他パートのいろんなバックアップが出来る、の意)とオレに云ったのだ。この期に及んでも奴は未だ、誘っているのである、この弾けないオレを。
ま、この辺りで心を入れ替え、きちんと基礎固めしてまっとおなヴィオラ弾きを目指せば良かったものを、この後オレは古楽奏法と云うモノに惹かれ、あろうことか楽器を改造し通常のアンサンブルが難しい状況に入り込んで行ってしまうのである。so it goes.
それはまた別の話として、シューベルトのイ短調四重奏曲、とりわけその2楽章を聞くと、心が疼くのだ。ヴィオラにもよい出番のある、あの優し気な緩徐楽章、あれはほんとうは一体、どんな心持ちのする響きだったのか、と。
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