ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「喪中ハガキ」は要らない。

2011年11月10日 | 季節の話題
 毎年、年の暮れとなると喪中ハガキなるものが届き出して、私の家にも年々増えて、昨年だけでも30枚以上の「喪中」を知らせるハガキが舞い込んでいる。

 今日は11月10日、今年もまだ50余日もあるのに、早々と「喪中ハガキ」が届いたのである。

 確かにご家族のお身内の方が亡くなられたことを知らせることには意味があると思うのだが、だからと言って「喪中につき新年のご挨拶を欠礼致します」なんていう挨拶状は要らないのではないだろうか。

 ご家族による「喪に服する」というお気持ちは大切かも知れないが、自分の友人、知人宛てに毎年なら出している年賀状を欠礼し、その代わりに年内に「喪中ハガキ」を出すという習慣が何時頃から始まったのかは知らないが、多くの場合は直接存じ上げない方の訃報を知らされるだけなら仕方がないと思うのだが、なにやら寂しすぎる感じであり、いつもの明るく元気なお付き合いが急にしぼんでしまうみたいで、私は好きになれないのである。

 数年前に、私の友人でもあったI君が突然に亡くなったのだったが、よく知っている奥さんから年末に、喪中に代わる形での、例年の如き「賑やかな?」年賀状と同様のデザインの「喪中ハガキ」らしからぬ葉書をいただいたことがあった。

 亡くなった彼はまだ若かったこともあって、故人となってしまった彼の人柄や仕事、行動力、ご家族の状況などもある程度知っていたためもあるが、とても爽やかとでも言うべき、気持ちのいい「お知らせ」と「近況報告」として、こういった感じのお知らせもいいもんだなと、素直に感じたのであった。

 また、十年近くになったと思われるが、私の幼い頃からの友人の父上が95歳で年末に亡くなられたのだったが、私宛てにはその年の元旦にいつもの様に年賀状が届いていたので、まさかその差出人である張本人が亡くなられていたことは全く知らなかったのであった。

 年が明けてしばらく経った頃に、私に昔からの友人が電話をかけてきて、「久しぶり!」と電話口から聞こえてくる懐かしい声に嬉しそうに応えていたら、実は暮れに「おやじが亡くなって!」との訃報を知らされたのであった。

 この様に、人の死はいつどの様に訪れるかは予想できない場合が多いのだが、決して死者を冒涜したり喜んだりするのではなく、遺族となったご家族にとっても、大切なのは死者を見送ってからの、これからの人生、日常生活なのだけから、「喪中に服する」という気持ちは大切であっても、仕事や日常生活は継続しているのが当然なのだから、特別に今までの友人、知人との関係を一時でも絶つなんてことにならない様に、「おめでとう!」とは記さないまでも、普通の「新年の挨拶」はあってもいいのではないだろうか。

 どうせ、一枚50円の年賀状という、日本的新年の挨拶状なのだから、年の暮れの忙しさの中で急いで「喪中葉書」を出すのではなく、年賀状交換の時期が過ぎてしばらくした頃に「寒中お見舞い」のお便りでも構わないし、いつもどうりの年賀状に、ちょっと書き添える程度で、故人と親しかった方々にはお知らせするといった感じで、何も問題はないのではないかと思うのである。

 確かに長く続いている伝統か習慣ではあると思うのだが、最近は携帯電話やメール、そしてツイッターやSNSなどのインターネット関連で、友人や知人との情報交換がすばやく容易く出来る時代になっているのだから、特にあえて喪中葉書なる形、すなわち習慣的儀礼を継続するのではなくて、新た挨拶の仕方、すなわち「喪中葉書」ではない形で、機会がある時に知らせる形で十分なのではないかと思うのである。

 今日、届いた「喪中葉書」の一番乗りはご自分か奥様の親である母親の死を知らせつつ、私もよく知っているお子さん方の近況を知らせるという文章が添えられてあったので、まだ喪中葉書の儀礼だけでない情報が添えられていて、私にとっては嬉しい知らせの部分もあったのだが、大抵は「誰が亡くなられたのか?」が分からないままであったり、自分のよく知る方の祖父母や中には姪や甥といった親戚関係ではあるが、私たちの全く知らない方の喪中に関連しての「欠礼葉書」である場合もあって、そこまでは必要がないのではないかとさえ思っているのである。

 いずれにせよ、今年は三月の大震災をはじめとする大災害も含めて、高齢者だけではないが多くの方が、残念ながらこの世を去ってしまわれたという事実はあると思うのだが、あらゆる人の人生には死と言う結末はつき物なのだから、決して「喪中」という形だけで死者を弔うことは出来ないのだし、もっと違った形で故人となられた方々のご冥福を祈ると共に、残された?ご遺族や私たちの、これからの人生を励ましたり明るくしたいとの思いの方が強いので、私は「喪中葉書」は不要だとあえて言いたいのである。
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