ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「太鼓持ち」って感じです。

2011年11月21日 | 感じたこと
 「太鼓持ち」って、人にヘツライ機嫌をとる者のことですが、特に宴会などでは、主賓だけではありませんがお偉いお客さんの機嫌をとって、その席を盛り上げることを職業としている男性のことを意味し、語源的には「幇間(ほうかん)」と呼ばれる者なのです。

 突然、何故に「太鼓持ち」のことを記す気になったかと言えば、言わずもがなですが、最近の民主党の首相たち、特に野田佳彦首相の姿と言動をメディアを通じて見聞きするたびに、まるで「太鼓持ち」でしかあり得ないと感じる様になったからなのです。

 一番最近では、ハワイで開催されたASEANの首脳会議に出席した野田首相が、講演の中で米国がイラン、アフガンなどの中東諸国との戦争に著しく関与した時期から脱却しつつあり、環太平洋の諸国間でのTPP交渉だけでなく、東南アジアを取り巻くASEAN諸国に大変な関心を持ち出していて、オバマ大統領が最重要地域として名指しして関与を強調しだしているので、その姿勢に対しての協力、理解を示すだけでなく、積極的に日米が積極的に関わっていくことを言明したからなのです。

 まるで、東南アジアのいろんな国が利害を一にするために集まっている会合とは言え、日本はオブザーバー的立場であるにも関わらず、大国アメリカ合衆国の威光思いを代弁する様に、わが国もアメリカの同様な考え方を持っていて、これからの日本は東南アジア諸国を大切にアメリカと共に歩みますと宣言している感じなのであった。

 これらの言動を見聞きしていると、まるで東南アジアという宴会場に、まさに「男芸者」の如く、同盟関係にある大国アメリカを持ち上げて、米国の利害と野望、すなわち東アジアにおける、台頭する世界第二位にのし上がった経済大国、中華人民共和国、「中国」をけん制しつつ、まだまだアメリカの経済力と軍事力を持って、世界を制する力はアメリカにありと、場を取り持って、結局は自分を良く見せようとしている「太鼓持ち」、そのものの姿の様にしか感じなかったのでした。

 確かに、昨今の中国の台頭は、経済面だけでなく軍事面でも「南沙諸島」を巡る海中資源などを目論んでの覇権主義的行動に出ている実態をはじめとして、周辺のアジア諸国には脅威と与えていて、中国特有の既成事実化という力の行動を伴った戦略に、徐々に押し切られ兼ねない勢いを感じている国があり、日本も黙って入られないという立場ではあります。

 しかし、日本が本当の東南アジア連合や東アジアでの政治的外交や経済的交流の中での優位に立ったり、指導的立場に立とうとするのであれば、アメリカの名や力を借りたり頼らずに、正々堂々と中国をはじめとする関係諸国への発言や発信をすればいいのですが、いつもまともには口が聞けない様な弱腰であり、直接的な言動は刺激し過ぎるとの思いもあってか、アメリカを持ち上げての代弁者という影で、「本音を語る」といった風情の、いわゆる「太鼓持ち」的姿になっているとしか思えないのです。

 民主党への政権交代以降、鳩山由紀夫首相の「普天間基地の移設問題」をしかりでしたし、菅直人首相の「TPPへの交渉参加問題」もアメリカ訪問の際に、オバマ大統領から受け取った依頼が基で、積極的な検討を約束してきたとの過去があったわけですし、野田首相の今回のTPP交渉参加への決定に至った過程も、まさに「オバマ」を主人とする「太鼓持ち」的役割を演じつつ、「私も参加します」と言ったという形ではなかったのでしょうか。

 そもそも、「太鼓持ち」とは、「幇間」という歴史的な宴会での男性の職業であったそうですが、「男芸者」や「太夫衆」とも呼ばれ、豊臣秀吉の御伽衆を務めたと言われる曽呂利新左衛門という、大変機知に富んだ武士を祖とすると伝えられているらしく、秀吉の側に居て、秀吉の機嫌が悪い時は「太閤、如何で、太閤いかがで」と太閤を持ち上げて機嫌をとっていたため、「機嫌取りが上手な人」を、「太閤持ち」と言うようになって、「太鼓持ち」と言われる様になったのだと言われている。

 「幇間」と言われる、「幇」は、助けるという意味で、「間」は、人と人の間、すなわち人間関係を表していて、このふたつの言葉で「人間関係を助ける」というのが「幇間」なので、宴会なのでは接待される側と接待する側の間に立って、客同士や芸者と客の間の雰囲気などを楽しく盛り上げる「遊びの助っ人」的役割が「幇間」、「太鼓持ち」の真の意味なのだ。

 しかし、この「太鼓持ち」という職業は、江戸時代の元禄の頃(1688~1704)に始まって、賑やかな花柳界や宴席では、吉原の幇間が一流とされていたらしいが、現在では東京に数名と関西には1名しかおらず、絶滅寸前の職業とまで言われていて、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」と共に、失伝されつつあり、古典落語の世界に「噺」として雰囲気が残るだけといった感じで、男性の職業としては「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあったという。

 いずれにせよ、野田首相のアメリカの「太鼓持ち」の様な言動もケシカランが、首相の風貌や物腰まで、お笑いグループ「ダチョーくらぶ」の上島竜平さんに良く似た顔立ちや体格のこともあってか、ほんとうに「男芸者」や「太鼓持ち」に思える昨今ではないだろうか。

 一国の首相は、もっと堂々と自国が主体の「わが国の国益」を第一に、アジアの真のリーダーシップを感じられる発言と行動を旨として、地味でも安全運転でも、ドジョウでもいいから、アメリカの太鼓持ちをする役割だけは止めてほしいものである。
コメント (1)
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