11月初旬。文化の日の休日と金曜日を休んだ人にとっては4連休という秋のホリデイ。
全国各地で秋のお祭り、文化祭や学園祭が盛んに開催され、多くの人たちが集い、食べて買って騒いで楽しんでおられることと思うのだが、静かに「秋を愉しむ」ことを心得た人たちも多くおられたことだろうとお察し致します。
なにやら、秋だというのにとても暑さを感じる一週間でもありましたが、気温の変化が多くて体調をこわされた方も多くあったと思われますが、皇太子家のお子様が肺炎になられて東大病院に入院されていたとか、西岡参議院議長が肺炎でお亡くなりになったとか、やはり秋から冬にかけての気象の変化、特に気温の変化には特に子どもたちや高齢者は気をつけないといけませんね。
ところで、私の住む京田辺市でも京都府が今年「国民文化祭」とやらの開催府県となっていることもあって、昨日と今日を中心に市民文化祭と併行して、人形劇の上演がたくさんなされ、市内にある同志社大学のキャンパスも含めて多くの市民、特に子供連れのご家族がホリデイを愉しんでおられる様子を、あちこちで見聞きしました。
私も昨日の仕事の合間と今日の昼下がりに、二会場を少し見て回ったのですが、久しぶりに出会う人たちもいて、あちこちで立ち話をしながら、展示や舞台、そして特別ブースの食べ物コーナーなどを見て回りました。
そんな中、駐車場に車を停めて歩き出した時に、若い家族連れの中のハンチングを被ったお父さんから笑顔で呼び止められました。
にこやかな笑顔だったので、たぶん知っている方だとは思いましたが、瞬間的には誰だとか名前が浮かんでくるまでにはいたりませんでした。
彼は親しげに私に近寄ってきて、「二十年ほど前に○○でお世話になった●●です」と自己紹介してくれたので、すぐにその名前は覚えていたので、びっくりしつつも近くにご一緒におられた奥さんと小さなお子さんと言葉を交わしながら、懐かしさと共に、彼が世帯を持って今何処で何をしているのかを矢継ぎ早に聞いたのでした。
すると何と私の住む住宅地のすぐそばで整骨院を三年ほど前からやっているということで、二度びっくりしつつも、昔の面影を感じる笑顔で話す彼の姿とお子さんと奥さんには初めてお目にかかったわけなのですが、とっても嬉しい気持ちに見満たされた感じて、ついついしばらくの立ち話を愉しんでしまいました。
それ以外にも、「お久しぶりですね!お元気ですか?」というありふれた挨拶を、文化祭の会場になっている至るところで、顔見知りの友人、知人たちとしながらの数時間は、まるで文化祭というよりも、ちょっとした同窓会といった感じてもありました。
近くの図書館で手にとって借りる書籍のページをめくっていると、仕事中の知人がすぐそばを通ったので、「久しぶりですね」と声をかけたら、向こうからは「腰痛、もう大丈夫ですか?」という挨拶が返ってきて、何とも苦笑したと言うべきか、私のこのガリバー通信をちょいちょい見ていただいているそうで、何とも恥ずかしいとでも言うべきか、長いこと会ったこともない友人たちにも私の日常が伝わっていることを改めて感じて、うれしいやらびっくりするやらの出会いもありました。
いろんな人たちとの出会いは、やはり直接言葉を交わしてこそ喜びは倍増するのは当たり前なのですが、現代社会の進歩か発展の象徴の様な「携帯メール」や「フェイスブック」などのSNSなどで、多くの人たちとの関わりや情報交換が容易く出来ていると思ってしまっているのですが、本当のコュニケーションとは言い難い面があることを改めて感じたものでした。
昨日伺ったいつもの八百屋のお客様の玄関先では、なんと「秋の風情」をとてもささやかではあるが、強く感じる風景と出会いました。
それは、玄関先の土間の一角に置いてある履物を脱いだり履いたりする年季の入った木の板の上に、色とりどりの秋の枯れ葉で作られた、「小さな葉草履」が並んでいたのでした。
それはそれは、とってもメルヘンチックとでも言うべき、自然の落し物でもある黄色や橙色のグラテーションの枯れ葉の数枚に、誰かがちょっと手を加えて、鼻緒の様な折込返しを作って「かわいい葉草履」を何気ない姿で置かれていたのに過ぎないのですが、私はこの光景に偉く感激し、その家の方と「数人の小人さんがお邪魔されているたいだ」と玄関先でお話していたら、何とその風情を創作された張本人が訪ねて来られたので、感動した気持ちを素直に伝えたら、彼女もとっても喜んで下さって、玄関先で強く握手をするに至ってしまいました。
秋を感じる季節になったことは間違いないのですが、食欲の秋や読書の秋、芸術、スポーツの秋などという、ありふれた秋以外にも日常生活のあちこちで、秋を感じる素敵な出会いや風情があることに改めて喜びを感じる日々です。
全国各地で秋のお祭り、文化祭や学園祭が盛んに開催され、多くの人たちが集い、食べて買って騒いで楽しんでおられることと思うのだが、静かに「秋を愉しむ」ことを心得た人たちも多くおられたことだろうとお察し致します。
なにやら、秋だというのにとても暑さを感じる一週間でもありましたが、気温の変化が多くて体調をこわされた方も多くあったと思われますが、皇太子家のお子様が肺炎になられて東大病院に入院されていたとか、西岡参議院議長が肺炎でお亡くなりになったとか、やはり秋から冬にかけての気象の変化、特に気温の変化には特に子どもたちや高齢者は気をつけないといけませんね。
ところで、私の住む京田辺市でも京都府が今年「国民文化祭」とやらの開催府県となっていることもあって、昨日と今日を中心に市民文化祭と併行して、人形劇の上演がたくさんなされ、市内にある同志社大学のキャンパスも含めて多くの市民、特に子供連れのご家族がホリデイを愉しんでおられる様子を、あちこちで見聞きしました。
私も昨日の仕事の合間と今日の昼下がりに、二会場を少し見て回ったのですが、久しぶりに出会う人たちもいて、あちこちで立ち話をしながら、展示や舞台、そして特別ブースの食べ物コーナーなどを見て回りました。
そんな中、駐車場に車を停めて歩き出した時に、若い家族連れの中のハンチングを被ったお父さんから笑顔で呼び止められました。
にこやかな笑顔だったので、たぶん知っている方だとは思いましたが、瞬間的には誰だとか名前が浮かんでくるまでにはいたりませんでした。
彼は親しげに私に近寄ってきて、「二十年ほど前に○○でお世話になった●●です」と自己紹介してくれたので、すぐにその名前は覚えていたので、びっくりしつつも近くにご一緒におられた奥さんと小さなお子さんと言葉を交わしながら、懐かしさと共に、彼が世帯を持って今何処で何をしているのかを矢継ぎ早に聞いたのでした。
すると何と私の住む住宅地のすぐそばで整骨院を三年ほど前からやっているということで、二度びっくりしつつも、昔の面影を感じる笑顔で話す彼の姿とお子さんと奥さんには初めてお目にかかったわけなのですが、とっても嬉しい気持ちに見満たされた感じて、ついついしばらくの立ち話を愉しんでしまいました。
それ以外にも、「お久しぶりですね!お元気ですか?」というありふれた挨拶を、文化祭の会場になっている至るところで、顔見知りの友人、知人たちとしながらの数時間は、まるで文化祭というよりも、ちょっとした同窓会といった感じてもありました。
近くの図書館で手にとって借りる書籍のページをめくっていると、仕事中の知人がすぐそばを通ったので、「久しぶりですね」と声をかけたら、向こうからは「腰痛、もう大丈夫ですか?」という挨拶が返ってきて、何とも苦笑したと言うべきか、私のこのガリバー通信をちょいちょい見ていただいているそうで、何とも恥ずかしいとでも言うべきか、長いこと会ったこともない友人たちにも私の日常が伝わっていることを改めて感じて、うれしいやらびっくりするやらの出会いもありました。
いろんな人たちとの出会いは、やはり直接言葉を交わしてこそ喜びは倍増するのは当たり前なのですが、現代社会の進歩か発展の象徴の様な「携帯メール」や「フェイスブック」などのSNSなどで、多くの人たちとの関わりや情報交換が容易く出来ていると思ってしまっているのですが、本当のコュニケーションとは言い難い面があることを改めて感じたものでした。
昨日伺ったいつもの八百屋のお客様の玄関先では、なんと「秋の風情」をとてもささやかではあるが、強く感じる風景と出会いました。
それは、玄関先の土間の一角に置いてある履物を脱いだり履いたりする年季の入った木の板の上に、色とりどりの秋の枯れ葉で作られた、「小さな葉草履」が並んでいたのでした。
それはそれは、とってもメルヘンチックとでも言うべき、自然の落し物でもある黄色や橙色のグラテーションの枯れ葉の数枚に、誰かがちょっと手を加えて、鼻緒の様な折込返しを作って「かわいい葉草履」を何気ない姿で置かれていたのに過ぎないのですが、私はこの光景に偉く感激し、その家の方と「数人の小人さんがお邪魔されているたいだ」と玄関先でお話していたら、何とその風情を創作された張本人が訪ねて来られたので、感動した気持ちを素直に伝えたら、彼女もとっても喜んで下さって、玄関先で強く握手をするに至ってしまいました。
秋を感じる季節になったことは間違いないのですが、食欲の秋や読書の秋、芸術、スポーツの秋などという、ありふれた秋以外にも日常生活のあちこちで、秋を感じる素敵な出会いや風情があることに改めて喜びを感じる日々です。