ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「来たれ、野球部」

2011年11月22日 | 感じたこと
 図書館で、その日に返却された本棚に載っていた本の中に、ちょっと目を引くカバーとタイトルの「来たれ、野球部」という、鹿島田真希さんの単行本を見つけて、他の借り出した本と共に二週間の借用期間に読むこととなりました。

 いつもは、まず手にとって読むこともなかった類の本と言ってもいい感じの本なのですが、「もしも高校野球部の女子マネージャーが、ドラッガーのマネジメントを読んだら」という、映画化までされたベストセラー本と装丁の漫画絵がそっくりだったために、野球好きの自分の興味も重なって、軽い気持ちで手にし読むこととなったのです。

 鹿島田真希さんと言えば、まだ30代半ばの若い女流作家で、高校時代からドストエフスキーなどのロシア文学に傾倒し、フランス文学を大学では専攻し、大学在学中に友人の勧めで1999年に応募した自作の「二匹」で、第35回文藝賞を受賞し、作家としてのデビューを飾った人なのです。

 その後、2004年に「白バラ四姉妹殺人事件」で、三島由紀夫賞候補となり、翌年2005年に長崎の原爆を主題にした「六○○○度の愛」で、三島由紀夫賞を受賞した作家で、2006年には「ナンバーワン・コンストラクション」で第135回の芥川賞候補となった他、2007年「ピカルディーの三度」で野間文芸新人賞、2009年には「女の庭」、2010年「その暁のぬるさ」でも芥川賞候補となった、純文学の期待の新人作家だったのです。

 そんな純文学作家が描く、高校生の恋と青春ドラマとはどんなものだろうかという興味もあって、読み出した「来たれ、野球部」でしたが、内容、あらすじは期待した世界とはイメージの違う、少し奇妙な青春のドラマに高校教師や友人たちが関わるという展開で、現代の普通の高校生たちの日常生活や恋やクラブ活動といった想像とは異なる世界でした。

 頭脳、容姿、運動神経の三拍子揃った「選ばれし・喜多義孝」という青年と、彼の幼馴染みの目立たない「普通の女の子・宮村奈緒」が主人公で、10年前に自殺した同じ高校の女子学生の残された日記に、学園の野球部のエースである喜多が影響を受け、織り成す彼女、奈緒との日々が綴られてく行くのであった。

 そこに、小説では絡んでくる二人の担任でもある高校教師で、野球部顧問・浅田太介と音楽教師の小百合先生が登場し、二人の日常生活の中で、野球部顧問の浅田は喜多に、また音楽教師の小百合先生は、ピアノを弾くことが大好きな奈緒に、いろんな場面で絡んでくるのであった。

 この小説は、マンガ調の表紙やタイトルが青春物と一目でわかる様な装丁なのだが、作家は純文学の鹿島田真希ということで、そのギャップは何かと疑問に感じる読者に対して、帯の案内で著者は「私は文学を高尚なものにはしたくなくて、ドストエフスキーやバルザックのように三面記事を読んでネタにするような娯楽読み物でありたいと、この小説を書きました」との言葉を記していて、なるほど彼女の書く「娯楽物」とは、こういうものなのかと自問自答しながら読んだのでした。

 しかし、物語は決して高校野球のエースが颯爽と活躍し、甲子園に駒を進めるといった感じの「野球部ドラマ」ではなくて、喜多と奈緒の屈折した恋愛感情とでもいうべき、すれ違いの感情や行動、言動がちりばめられていて、何とも理解しがたい部分もあって、これも青春の不可解さかなと、妙な気持ちで納得しなければならない場面も多くありました。

 相手を愛するからして、相手を尊敬するからこそ、自分が相手にはふさわしくないと感じる様な女心があったり、好きだけど消極的になってしまう自分が居ることを知りつつ、なかなか近寄れないという複雑な心境などが、度重なって、挙句は喜多が奈緒にプレゼントがあるからグランドに先に行ってくれと要望し、その数分後に「どさっと」した大きな物音と共に、校舎の窓から喜多自身が飛び降りて来る、すなわち「自殺を図った喜多」、なんてシーンが描かれていて、何とも理解に苦しむ内容もあった。

 特にこうでなければと言った小説のストーリーや演出を期待していたわけではないのだが、小説とて読者に対するエンターテーメントとしての側面を強く感じるとすれば、このような娯楽性やパフォーマンスも、いずれ「もしドラ」と同じ様に映画化やテレビドラマ化されるかどうかは定かではないが、たぶん映像化した時のシチュエーションとしては想像できる展開だとは思ったのである。

 つまり、やはりフィクションの世界であり、いくら高校生だとしても、同じ様に感じたり行動したりする学生ばっかりがいるわけはないので、少し刺激的であり、少し変わったキャラクターの人物、その上付加価値的魅力を感じることの出来る様な、人物設定やストーリー展開が、小説には必要なのだろうと、妙に納得したりもしたものであった。

 いずれにせよ、「来たれ、野球部」という鹿島田真希さんの大衆小説は、純文学とは言いがたいが、それなりに青春、高校生という、今の時代に生きる若者たちの心の中や生き様、そして希望や恋や現実の葛藤を、少し違った切り口で、作家がフィクションとして創作した作品として、面白いと感じることが出来たのであった。

 

 

 
コメント
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