明日は参議院議員選挙の投票日である。
テレビマスコミも、新聞も盛んに各党首、代表の最後の遊説を取材して、公平な報道を一応心がけている風情には見える。
しかし、前にも述べた様に、「公平」などありえないのである。
選挙区に立候補は300万円の供託金がいるし、比例代表候補はひとり何と600万円もの供託金が必要なのである。
ふつうの庶民が、世直しや何とかせねばと立候補すること自体が大変なリスクがあるのである。
たぶん選挙資金だけのことではなく、例えば選挙区候補が京都府だけでも1千箇所以上あるであろう、公営ポスター掲示板に自分のポスターを貼るだけでも政党や組織のない候補者は不可能に近い。
現に、京都府選挙区に立候補しているも、民主党、自民党、共産党の公認候補のポスターは間違いなく全て貼ってあるが、四人目の新風という名の政党の候補者のポスターは貼りきれていない。
そんな中、天下の自民党の総裁であり、現首相である「安倍晋三」の顔がやや右上を見ている「政党ポスター」がやたら目につくのである。
この「安倍晋三」の顔がどうも「変」なのだ。
たぶん、大手の広告代理店が関与して制作されたであろうポスターなのだろうけれど、どうも「目」の部分が修正されているのか、不自然に思えてならないのであった。
そんな時に、「何かに似ているのでは」と思っていたら、何と、あの信楽の「お狸さん」の陶器の置物の「目」とそっくりであることに気づいたのである。
失礼かもしれないが、どうも作られた表情で、たぶん首相である自民党総裁の「安倍晋三」氏が国民に訴えているのだろうけれど、私には「信楽の狸」に何処と無く似ていると思って以来、町中に貼られた「安倍」のポスターが「狸」に見えて仕方が無くなったのである。
美しい国づくりのために、「憲法を変えよう!」、「成長を実感に!」「年金は社保庁を解体してちゃんと保障します」「公務員制度改革で天下りを根絶します」「教育基本法を改正して教育現場を正します」などのスローガンが、全て「狸」の戯言のようにしか聞こえなくなってしまったのである。
一方、民主党代表の小沢一郎氏も、元自民党幹事長だった頃のぎらぎらした権力欲や田中角栄一派の雰囲気は影を潜めてはいるが、「生活が第一」なんていうキャッチフレーズとは、似ても似つかぬ御仁であることは百も承知であり、全くこちらも「お狸」様である。
あと続くは、公明党大田代表、共産党志位委員長、福島社民党党首だが、綿貫国民新党代表に至っては、まるで「水戸黄門」の様な「狸」の代表に見えてきた。
最後に取材され、報道されている田中前長野県知事率いる新党日本も、党内分裂の中での一人舞台を演じている役者のようである。
全ての党首、代表が「信楽の狸様」の如く見えてしまう、今回の「参議院選挙」に、真面目な真実がひそんでいるのだろうか。
明日の投票結果が待たれる。マスコミ報道の公平?さが、どの様な国民の審判として表れるのかが気がかりである。
テレビマスコミも、新聞も盛んに各党首、代表の最後の遊説を取材して、公平な報道を一応心がけている風情には見える。
しかし、前にも述べた様に、「公平」などありえないのである。
選挙区に立候補は300万円の供託金がいるし、比例代表候補はひとり何と600万円もの供託金が必要なのである。
ふつうの庶民が、世直しや何とかせねばと立候補すること自体が大変なリスクがあるのである。
たぶん選挙資金だけのことではなく、例えば選挙区候補が京都府だけでも1千箇所以上あるであろう、公営ポスター掲示板に自分のポスターを貼るだけでも政党や組織のない候補者は不可能に近い。
現に、京都府選挙区に立候補しているも、民主党、自民党、共産党の公認候補のポスターは間違いなく全て貼ってあるが、四人目の新風という名の政党の候補者のポスターは貼りきれていない。
そんな中、天下の自民党の総裁であり、現首相である「安倍晋三」の顔がやや右上を見ている「政党ポスター」がやたら目につくのである。
この「安倍晋三」の顔がどうも「変」なのだ。
たぶん、大手の広告代理店が関与して制作されたであろうポスターなのだろうけれど、どうも「目」の部分が修正されているのか、不自然に思えてならないのであった。
そんな時に、「何かに似ているのでは」と思っていたら、何と、あの信楽の「お狸さん」の陶器の置物の「目」とそっくりであることに気づいたのである。
失礼かもしれないが、どうも作られた表情で、たぶん首相である自民党総裁の「安倍晋三」氏が国民に訴えているのだろうけれど、私には「信楽の狸」に何処と無く似ていると思って以来、町中に貼られた「安倍」のポスターが「狸」に見えて仕方が無くなったのである。
美しい国づくりのために、「憲法を変えよう!」、「成長を実感に!」「年金は社保庁を解体してちゃんと保障します」「公務員制度改革で天下りを根絶します」「教育基本法を改正して教育現場を正します」などのスローガンが、全て「狸」の戯言のようにしか聞こえなくなってしまったのである。
一方、民主党代表の小沢一郎氏も、元自民党幹事長だった頃のぎらぎらした権力欲や田中角栄一派の雰囲気は影を潜めてはいるが、「生活が第一」なんていうキャッチフレーズとは、似ても似つかぬ御仁であることは百も承知であり、全くこちらも「お狸」様である。
あと続くは、公明党大田代表、共産党志位委員長、福島社民党党首だが、綿貫国民新党代表に至っては、まるで「水戸黄門」の様な「狸」の代表に見えてきた。
最後に取材され、報道されている田中前長野県知事率いる新党日本も、党内分裂の中での一人舞台を演じている役者のようである。
全ての党首、代表が「信楽の狸様」の如く見えてしまう、今回の「参議院選挙」に、真面目な真実がひそんでいるのだろうか。
明日の投票結果が待たれる。マスコミ報道の公平?さが、どの様な国民の審判として表れるのかが気がかりである。