ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

いじめは成長の糧である。

2006年11月11日 | 世界の問題
 児童、生徒からと思われる「いじめ自殺予告」が文部科学省に届き、その「決行予告日」が今日だったため、手紙の消印にあった「豊」がつく郵便局管内の小中学校とその周辺では緊張した警戒と巡回が行われた模様である。

 特に東京都豊島区の小中学校は一日中明かりをつけて、先生たちが待機し、多種多様な「子どもの自殺防止」への対策を緊急に講じて、予告された「自殺」の回避のために大人たちは必死になったらしい。

 一枚の手紙で大騒ぎするくらいだったら、もっと日常の学校、家庭、地域で「子どもたちの見守り」をしっかりとすべきだったのだが、一過性のマスコミと同様で、この時だけ大騒ぎである。

 昔から学校だけでなく、人間関係の中には「いじめ」はあり、幼い子供たちもよく見ていると「自分の意思通り」にならない場合、周辺の子どもや大人たちに、自分の意思を伝えるために、言葉や行動によって「いじわる」な表現や「いじめ」的行動をとるものである。

 人間のエゴ、性としての自己主張は、本来の人間としての成長には欠かせない要素であり、自分が自分の思い通りにしたいと思い、兄弟、友達、親たち、周辺の人たちが邪魔だったり、抵抗する相手と見えたりして、「自分の意思」を通すためには、相手を避けるか罵るか、大阪弁だと「いけず」するのである。

大人たちはすぐ「いじめたらアカン」、「いじめは人権侵害」と言うが、誰もが自分よりも弱いもの、自分の方が強いと思うと、相手に対して存在をアッピールして、「いじめ」を実行した経験があるはずだ。

 物心がつくかつかない幼い時から、子ども達は「おもちゃ」や「人形」等で遊びながら、気に入らなくなれば玩具や人形を投げたり、叩いたり、ゴミ箱に捨てたりもする。

 またハエや蝶、蟻やクモなどの小動物、昆虫などは常にすぐに「いじめ」の対象となっていた。

 近所の子ども達や保育園や幼稚園でも、周囲の子ども達の遊ぶ姿の中に、たくさんの「いじめ」が存在するのである。

 しかし、この「いじめ」がエスカレートすると、子供の心に傷がつき、取り返しのつかない精神的ダメージや負担となりだすのである。

 だから、「いじめ」を失くそうというのではなく、お互いが人として成長するためには不可欠な「いじめ」について、家庭内や学校のクラスやグループで話し合って、「自分がされたら嫌なことは他人にもしない」という、自他共に認める「気持ちよく過ごせる」ための「ルールづくり」が必要なのである。

 人間の心の奥底には、すぐに「妬み」や「嫉妬」が生じやすいし、また一方で、自分の意のままに過ごしたいという「自己顕示欲」などもあり、お互いの気持ちを話しながら、理性とモラルで「他人に嫌な思い」をさせないコミュニケーションの手法を経験的に身につければいいのである。

 「いじめ」のメカニズムを自らの心の中にも発見し、「自分がされたくないことは他人にしない」という気持ちを育むことが大切なので、「いじめ」は成長の糧なのである。
 
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