ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

サルバドール・ダリ

2006年11月09日 | 季節の話題
 サルバドール・ダリの生誕100周年記念展が、東京上野の「上野の森美術館」で「ダリ回顧展」として開催されている。

 そのPRポスターは、細い髭を鼻の下から両頬にはねた様なダリの顔が大きく描写されていて、小さく「私はダリでしょう?」と呼びかけている。

 私はたぶん中学生の頃に始めてダリの絵に出会って、強烈な印象を抱いて以来、何となく「気になる西洋画家」のひとりであり、大好きな「絵描きさん」の一人となった。

 彼の絵画の特徴は、構図が突拍子もなく面白く、また心象現象が同じキャンパスに自由に描かれていて、いわゆるシュールレアリズムと呼ばれる画家の一人なのだが、私が出会った最初の作品のタイトルは不明だが、奇妙なチーズの様な穴の開いた顔にいろんな心象風景が描かれた作品だったと記憶している。

 彼の作品は、いつも奇妙な「夢」を見ているような心象風景が得意であり、作品だけではなく、数々の奇行を行う画家としても有名であったらしい。

 スペインのカタルーニャ地方の裕福な中流階級の役人の息子として1904年5月に生まれたのだが、ダリ家では先に生まれた長男を幼くして亡くした後だったので、同じ名前の「サルバドール」と彼は名づけられた。

 少年時代から絵画に興味を持ち、父の所有する別荘の近くの別荘にいた「パブロ・ピカソ」の友人の画家から才能を認められて、マドリードの美術学校に通うようになったらしい。

 その後パリへ出てピカソらとも知り合い、25歳の時に後に最愛の妻となるのだが詩人の妻ガラと出会い、ダリの父の反対を押し切って3年後にガラは離婚し、ダリの妻になったのである。

 ダリは自分の絵画手法を「偏執狂的批判的方法」と称して、写実的描写を用いながら多重イメージを駆使した独特のシュールレアリズム、超現実の世界を描き続けたのである。

 妻ガラは彼の創作意欲に多大な貢献をしただけでなく、宗教画の聖母のイメージもガラであり、ガラはダリの支配者でありマネージャーでもあった。

 1982年にガラが先立って死去してからは、「自分の人生の舵を失った」と激しくダリは落胆し創作意欲を失い、1989年に生地の「ダリ劇場美術館」に隣接するガラテアの塔にて、心不全により85歳の生涯を閉じた。

 ダリの奇抜な言動や行動は、ダリ自身が芸術そのものだとの認識に達するほど有名で、スペイン内戦の予測とされる1936年に発表された「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」は有名である。

 またダリの晩年の写真の顔は、「ゾウの牙のように」ポマードで細く固めて逆立てた独特の口髭とギョロ目が特徴であり、ナルシズムを感じさせる奇人ぶりは、天才画家の一人として、全くうなづける人格だったようである。

 来春まで開催されている「回顧展」を是非、東京に行く機会に観賞したいものである。
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