先日、紅葉の京都を訪れる観光客で賑わう、京都駅構内を久しぶりに歩いていると、献血車がとめてあって、その前で「献血」を誘う「献血キャンペーン」をやっていた。
「只今、A.AB.O型血液が不足しています」と係りの人が叫んでいた。
毎年、特に暮れが近づくと、何故か「献血キャンペーン」が目につくのであるが、私自身はB型なので、なんか「不必要」と言われているような気がして、少し妙な気分であった。
実は学生時代の数年間、私は毎年末に年に一回は「献血」をしていた時期があり、その年を無事健康で暮らせたという感謝の気持ちを、お礼の形で献血していたのだが、この献血された血が赤十字や病院の関係者間で取引されている事実を知って、それからは「献血」をしなくなったのである。
現在の「献血事情」は全く詳しくは知らないのだが、何事にも裏事情がある場合が多くて、せっかくの善意やボランティアが、売買やビジネスの対象に化けている場合を知ると興ざめしてしまうこともある。
小学生の頃、やはり「血」に関して、ラジオで強烈に印象に残ることを聞いたことがあった。
それは、ある小学生の女の子のお父さんが、日雇いの労働者をしていたらしく、我が子の運動会に、新しいブルーマーを買ってやりたいと、仕事がない時に、「売血」で得た「金銭」で、子どものための買い物をする話を聴いたのである。
その当時の私は、とってもショックを受けて、自分の血を売って、子どものパンツやブルーマーを買ってあげるお父さんの現実を知って、そんなことをしなくても衣服が買えるお給料のでる社会、世の中にしなければならないと、幼いなりの正義感と社会観を抱いたことがあった。
そのことを書いた、私の作文に対して、その当時の担任の先生は赤ペンで、「そんな世の中をなくすためには、しっかり勉強してください」と書かれていた。
どうも子どもとしては、トンチンカンなコメントの様に感じていた記憶があるが、ともかく「売血」という事実にはビックリしたのである。
今、現代社会に生きていて、この「献血」という形がどの様に、しっかりと病人や病院に役立っているのか、定かには分からないのだが、先日問題化していた「不法?な臓器移植」問題とリンクするのである。
貧困や経済的目的のために、「血」も売買されている現実が、まだまだあると思われる。
アジア、アフリカの発展途上国では、そういった現実が裏社会だけでなく、日常的に見え隠れしていると思われるが、日本社会は一応表面的には、「善意の献血」という制度でが成立している。
本当に必要な大切な「輸血用」の血を、全て献血によって得られない現状では、やはり、せっかくの善意の「血」が取引されたり、売買されたり、現在もされているののではないだろうか。
「只今、A.AB.O型血液が不足しています」と係りの人が叫んでいた。
毎年、特に暮れが近づくと、何故か「献血キャンペーン」が目につくのであるが、私自身はB型なので、なんか「不必要」と言われているような気がして、少し妙な気分であった。
実は学生時代の数年間、私は毎年末に年に一回は「献血」をしていた時期があり、その年を無事健康で暮らせたという感謝の気持ちを、お礼の形で献血していたのだが、この献血された血が赤十字や病院の関係者間で取引されている事実を知って、それからは「献血」をしなくなったのである。
現在の「献血事情」は全く詳しくは知らないのだが、何事にも裏事情がある場合が多くて、せっかくの善意やボランティアが、売買やビジネスの対象に化けている場合を知ると興ざめしてしまうこともある。
小学生の頃、やはり「血」に関して、ラジオで強烈に印象に残ることを聞いたことがあった。
それは、ある小学生の女の子のお父さんが、日雇いの労働者をしていたらしく、我が子の運動会に、新しいブルーマーを買ってやりたいと、仕事がない時に、「売血」で得た「金銭」で、子どものための買い物をする話を聴いたのである。
その当時の私は、とってもショックを受けて、自分の血を売って、子どものパンツやブルーマーを買ってあげるお父さんの現実を知って、そんなことをしなくても衣服が買えるお給料のでる社会、世の中にしなければならないと、幼いなりの正義感と社会観を抱いたことがあった。
そのことを書いた、私の作文に対して、その当時の担任の先生は赤ペンで、「そんな世の中をなくすためには、しっかり勉強してください」と書かれていた。
どうも子どもとしては、トンチンカンなコメントの様に感じていた記憶があるが、ともかく「売血」という事実にはビックリしたのである。
今、現代社会に生きていて、この「献血」という形がどの様に、しっかりと病人や病院に役立っているのか、定かには分からないのだが、先日問題化していた「不法?な臓器移植」問題とリンクするのである。
貧困や経済的目的のために、「血」も売買されている現実が、まだまだあると思われる。
アジア、アフリカの発展途上国では、そういった現実が裏社会だけでなく、日常的に見え隠れしていると思われるが、日本社会は一応表面的には、「善意の献血」という制度でが成立している。
本当に必要な大切な「輸血用」の血を、全て献血によって得られない現状では、やはり、せっかくの善意の「血」が取引されたり、売買されたり、現在もされているののではないだろうか。