社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

将来を見据えてフェミニズムとの闘いに挑め

2017-09-27 18:16:18 | 特集:今後のフェミニズム批判

 フェミニズムとの闘いは地味で長期である。傍目には何もしてないかのように見えることもある。武器を使った戦争は目立つが、フェミニズムとの戦争は武器を使うわけでもなく、思想戦争であり目立たない。

 しかし、フェミと闘うために特段何らかの資格や能力が必要というわけではない。誰でも出来るのだ。そこが武器戦争とは違う点だ。つまり闘うかどうかは全て各個人の意思に委ねられることになる。

 ところが現状を見渡すと、フェミと闘っている人はどのくらいいるだろうか。勿論何をもって闘うとするのかによって変ってくるが、恐らく全体のごく僅かな比率でしかないのではないだろうか。現状ではあまりにフェミに無頓着な層が多いのではないかと思う。

 もっとも、本ブログでも他所でも以前から指摘しているように、生活で精一杯、仕事が忙しい、どうせ1人や2人が活動しても何にもならない、自分が生きているうちには変らない、など、活動出来ない理由は幾らでも聞いている。しかしそういう人達は本当に全く活動できないのか。スマホやPCをいじる時間くらいはあるというのなら、その時に少しでもフェミ批判活動をしてみてもいいのではないだろうか。ネットのコメント欄でも、ツイッターやFBなどのSNSでも何でもいい。とにかくネット上を見回せばすぐにでもフェミ批判の意見が見つかるという状況が作れるなら、それだけでも大きな違いだと思う。

 では、具体的にどんな言動がフェミ批判になるのか。これはフェミの企みや目的を理解しなければ判らないのだが、例えばマスコミの報道というのは全てフェミ主導で行われていると考えていい。従ってそこで敢えて報道内容のどこかを疑うような意見を言ってみるといい。ヤフーのコメント欄や2chなどは既に工作員で溢れかえっているのだから、それら偽装された多数意見に反する意見を投稿すればたいていフェミ批判に通じる。勿論的外れになってしまうかも知れないが、それは何度かやっていうくうちにコツが判ってくると思う。何もしないというのはフェミを黙認してしまっているのと同じで、反対、批判をしない限り全てフェミ支持とみなされるということを忘れてはならない。

 どんな活動も、実を結ぶのは遠い先の話である。恐らくここを読んでいる人達が生きている間には成し遂げられないと思う。しかしそれでは無駄だと思って何もしなければ、事態は更に悪化し、その被害を受けることになる。近い将来、フェミの作り上げた法律によって我々が投獄される可能性もあるのだ。そうならないように普段から暴走するフェミに対してブレーキをかける行動をしていかなければならない。

<ご挨拶>
 皆様、これまで拙い本ブログに今までお付き合いくださいましてありがとうございました。今後更新が全く止まってしまうわけではありませんが、本日をもって1つの区切りとしたいと思います。私自身本ブログを通じて様々なことを学ばせていただけたと思います。またコメント欄に投稿してくださった皆様にも厚く御礼申し上げたいと思います。今後も何らかの形で活動は続けようと思いますが、どうなるかはまだ判りません。ここで知り合った同志の皆様とまたどこかでお会いできることを楽しみにしています。