まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

天聴に達した「郷学」の淡交録   07,6 あの頃

2023-04-29 02:33:10 | 郷学

 

人はその力を数値評価に置き換えることがある。たかだか努力すれば上下したり、ときに嫉妬や怨嗟の対象になったり、まことに気の抜けない問題である。

しかし、たとえ2世であっても、あるいは独特の出自を以って恬淡に生き、その姿をして安心と鎮まりのある雰囲気を醸し出す人物が存在する。

写真の三方はいたって洒脱な粋人ではあるが、信念と目標の明確さは人後に落ちない。左は平凡社の邦さんこと下中邦彦氏、出版会の大立者であった父弥三郎の意を受け、あの東京裁判のインド判事パル博士と義兄弟であった縁でパル・下中記念館を運営している。隣は安岡正明氏 碩学と謳われた父正篤氏の意を継承して郷学作興に意志を添えている。一人置いて皇太后御用掛の卜部亮吾氏。入江侍従亡き後、皇室の語り部として、゛奥゛を切り盛りしている。つねに郷学に留意して、社会の真の力の涵養に心を砕いている。

古い言葉だが「天聴に達する」という。
天皇陛下にお伝えしているということだ。
小会の安岡講頭が園遊会の折、『かわらず勉強しておられますか』と、お声を掛けられた。もちろん侍従は「奥」を支える卜部氏である。
その卜部氏は横浜から拙宅に来訪されたり、節目には小会「郷学」の激励と期待を書簡にて御送達していただいた。

余談だが、御尊父正篤氏も園遊会で先帝陛下に『勉強されていますか・・』との御下問があった。親子二代にわたって「勉強していますか・・」とは昭和、平成二世にわたる稀有な期待でもある。


一時、鉄は国家なりと悲壮な国家観を抱いて経営に邁進した経済人は多かったが、近頃では流通、金融、通信、あるいはベンチャーといわれるような拙速とも見える経営は、市場の絶え間ぬ欲求から、一時の風雅を漂わすことの無い経営者が持て囃され、お上御用の委員に選任され御政道にも口ばしを入れている。

また大衆の人物観も一昔前の、゛大きいものはいいことだ゛から、゛目立つもの゛゛カッコいいもの゛と変化してより人間の流動性を高めているようだ。

郷学も三氏を始めとして多くの先輩に督励助力を戴いておりましたが、その出自や背景を口の端の看板にする政治家、経済人の輩の侵入に一時の休息を余儀なくされたことがあった。

君子の交わりは淡交とはいうが、利交、術交、詐交、熱交、の余りにも多いことか。『ゆっくり鎮まりを以って・・』言葉を同じくした三氏の意志を懐かしむ次第。






佐藤慎一郎先生




以下は発足時の「郷学研修会」の構成である
セミナーや人脈作り、はたまた看板知学の類ではない。
参会者は自由参加で、高校生、商店主、政治家志望、官僚、外国人など呉越同船の集いだった。

https://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/home 

※ 上記は更新されていませんが・・・

事務所 東京都港区元赤坂1-1-7-1103
    tel 03-3933-3475 fzx 03-5922-6400

 

郷学研修会 創立時構成

[顧問](発起督励)
     安 岡 正 篤    漢学者
     ト 部 亮 吾    皇太后御用掛り
     佐 藤 慎一郎     中国問題研究家
     安 倍 源 基     元内相
     五十嵐 八 郎     吉林興亜塾

[相談役]    下 中 邦 彦    平凡社相談役
        中 村 武 彦   古事記研究家
        岡 本 義 雄   思想家
       一 水 伝         環太平洋協会主宰

[講頭]     安 岡 正 明   長野銀行会長 郷学研修所理事長

[代表世話人]  寶 田 時 雄   (財)国際平和協会主任研究員 

主な講師、上記構成員(附属名称略)ほか

柳橋良雄 (安岡正篤記念館館長)   小関哲也  (時事通信内外情勢調査会)
ニック・エドワーズ (ジャーデンフレミング証券)  稲葉修  (憲法学者 法相)

ほか内外有識者


[規約等] それぞれの良識に任せる

[費用]  当日の必要経費の参加者分担 講師料は3万円を限度とする

[予算]  当日限りとして残金留保しない

「会場]  憲政記念館 渋沢別邸 瀬田大山クラプほか

[研修]  定例は毎月一回 一泊研修年1回

[会議]  総会等の組織会議は行わず運営は篤志世話人によって随時企画構成する



【郷学】きょうがく とは

〈 監修 安岡正篤〉


明治以来の富国強兵政策のための知識、技術のみに偏る官制学ではなく、地域、職域に基づく人間教育といった方が分かりやすいとおもいます。

 たとえば、学問や体験習得を生涯のことと考えた場合、官制大学へ入学する18歳までの知識修得で人生が決定され、しかも錯覚された地位、名誉、学校歴、それによる財力によって自動的に指導的立場におかれた場合、社会に妙な弊害を生じます。  

何のために知識が必要なのか、どのような場面で発揮すべきかが分からないまま、組織の一部分に安住していては、「何のために生まれたのか」「何を行おうとしているのか」「自分は社会(世界)のどの部分なのか」といった「自分」(全体の一部分の存在)が解らなくなり、ついつい地位や物によっての表現しかできない人間になってしまいます。

肩書のなくした退職後や、狭い組織や地域でしか通用しない地位、学校歴では世界に通用することもなければ、人生そのものを固定観念に置いてしまい、夢や希望といった爽やかで無垢な自分を発見することなく人生を終えてしまいます。

 偉人と称され、当時の列強の植民地化から日本を救った明治の賢人たちは今流の学校歴もなければ地位は下級武士、財もなければ肩書もありませんでした。

加えて、時代を見抜く見識と利他に貢献する勇気、そして何よりも日本および日本人として、またアジアと欧米の調和といった全体を考える許客と包容力を養い、そのために死をも恐れない献身がありました。

その根本は単に知識、技術の習得だけではなく感動、感激をつうじた人間教育の浸透的体験がありました。

それは、人と比較するものでなければ、中央に寄り添う迎合もなければ、財のみを日的にする行動ではありません。つまり修得の前提となる「本」となる精神の涵養でした。

そんな入間を育てた郷士の環境、歴史の恩恵にもう一度、価値を見いだす相互学習の場、それが「郷学」の楯唱でもあります。

                          



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