雪が恋しい季節です。
゛雪は大変ですね゛と問うと、゛雪は汚れたものを覆い隠してくれる゛と。
その汚れた?ものが顔を出すと、引っ込み思案の津軽衆も元気に動き回り、オンナ衆はそれに輪をかけて、春の到来に冬と異なった解放感を見せてくれます。
津軽にも足かけ三十年になると季節の変化とともに、人のうつろいも様々な姿を見せてくれます。
寒気が肌を刺すころの岩木山は鉛色の雲に覆われますが、ときおり見せる青空は下界の銀雪とほどよくマッチングして黎明な景色を作りだします。
明治の言論人陸羯南は、「名山のもとに名士あり」と詠み、この地は多くの賢人を育んでいます。
最近、三沢の航空自衛隊で幹部指揮官の講話に度々訪れる。津軽には縁があるのでよく足を延ばす。
北部航空警戒管制団 幹部指揮官講話
平時から有事へ、緊張の度合いが増した隊員のための講話は事前教授案の作成から講話まで、普段にない緊張がある。その期間が過ぎると妙に人恋しくなるのか、はたまた温泉と酒と人情に誘われるのか、近郷の津軽に心がせく。このまま都会の雑踏に入るもったいなさが頭をもたげる。
本州の端にある津軽は、まさに「名も無く貧しく美しく」と、浮き俗の巷でうごめく人間に己を知る機会を提供する。米国の財閥モルガンの縁者も津軽に魅了された。世俗でうごめく人間は、そのモルガンの持つ財と暇を自由に使い謳歌できることを目標の価値として、日々、競争に明け暮れて、津軽などは仕事も希望もないと、都会に出ては還ってきません。しかし、モルガンはそこに生活更新の価値を見出しているのです。
なかには狭い範囲の沈滞した環境に措いても、人間の附属性価値である、地位や名誉、肩書や財力に、人格と何ら関係のない部分に人の価値をおく陋習があるようです。
まさに津軽コンプライアンスという自縛のようなもので、人々の風評も、゛思い込み゛として根深いものが生まれてきます。象徴的なのは役所(官吏)への依頼心です。
もちろん津軽選挙と揶揄される排他的選挙も功利的峻別を激しくさせます。
ときに寒季に諦観を懐きながら、夏に熱狂する祭も激しい気質を映し、男女問わず色恋や酒には醇な愉しさを醸し出している。
木村ヨシ作 津軽子守っ子人形
醇は欲望のリアルさとしても人情に垣間見えることがある。
「逢場作戯」は人間関係の妙手として中国の倣いだが、都会人は器用に隠すようだ。津軽は醇で激しい情なのか、戸惑うことがある。普段は鷹揚な雰囲気がある女性だが、人づてに「あの人、金がある人?」と聞いてくる。オンナは真の親友はいないとは言うが、聞かれた人が「聞いてきたよ」と、そっと教えてくれる。情も深いが、情はリアルな欲だった。
だが、江戸っ子には判りやすい姿だ。義理と人情とヤセ我慢の江戸っ子も、大風呂敷と見栄は負けてはいない。
津軽黒石 郷学の館
惚れたといおうか、参った女性もいる。
後妻さんだが歳も離れた、いまだ女性を滲ませている方だ。
不思議な縁なのか、ときおり遭遇し縁を重ねているが、高齢だが問わぬ魅力がある。
嘘もなく、素直で、情を察するしぐさと語りが潤いとなる。
和服の袖をささえて般若湯をさされても意味をうかがわせる。
゛久しぶり゛、゛変わりないかね゛、言葉はなくとも注ぎ方で分かる。
門口ではこっそりと「変な人に気を付けて」と忠告される
東京では門口を出て「変な女に引っかかるなよ」と大声で送り出す女将も有り難いが、津軽の年の功は酒と一緒に沁みとおる厳しさと潤いがある。
「何しに津軽まで・・・」、『縁をもった人の墓参り』
まさに、玄関口の弘前につくと恩師をはじめ数件の墓参が恒例だが、このところ後妻さんの墓参も加わった。
はじめのころは野暮な酔い話はなかった。
「金持ちのメイドより、貧しくとも自由が欲しい」とキザなつぶやきも吐いたが、不思議と頷き返された。
普段はもの静かな女性たちだが、人慣れすると多弁になる。その津軽言葉は何とも言えない心地がする。
太宰のことも聞いた。「津軽の女性は太宰のような男が好き?」
『本も読んだことはないけど、金持ちの倅が巷のバーの片隅でニヒルに呑んでいれば東京ではモテルでしょうが、津軽ではハンカクサイ。何度自殺をしても、みな女連れ。分からん男です』
唄は玄人はだし、踊れば躍動感があり、酒も豪快、それもいいが、だからこそ仕草が愛しく、鎮まりのただよう女性が引き立つところのようだ。やはり門松のくぐりが多い方が練れた潤いがあるし、欲もしなやかなようだ。
己の出来が悪かったのだろう、三十年前は遠目に眺めて寄り付かなかった。
異郷の来たれ者は、ときおり物欲しげと猜疑心に晒されるが、もともとは墓参が目的の旅だったゆえ、こちらから従順に馴染めることができた。
今では、津軽の泉下の賢人たちに背中を押されているかのように、愉しみが増えてきた。
今年の夏はことのほか暑さが厳しいようだ。