まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

文教利権 得意な分野で緩み挫折すること. 17. 6/21再

2024-04-06 02:00:50 | Weblog

 

数年以上前の掲載ですが・・・。 

やはりボロがでたようだ。

 

このところ国会の争論は教育行政の緩みに集中している。

あの頃はみな純真だった。嘘や隠し事は恥だと教えられ、国家社会のために理想を掲げて政治家や官吏に志願した。

それが煩いごとが露呈した途端、鬱になったり躁になったり、鎮まりもない人間に成り下がっている。

智は大偽を生ず」のたとえあり。彼らの学びは自己の陶冶には向かず、己を欺き、他に偽善を働くための智になってしまった。

他の貪官や陣笠は解っていても口をつぐみ、人の失敗を陰に悦び、勇気のかけらもない。

相変わらず「お願いします」と平身低頭の嬌態で有権者を惑わせ、票(委託権利)を騙し取る。

黙々とご精励する国父(陛下)の苦衷、如何ばかりかと・・・

               

                

                1989 北京

                

文部科学省といえば公私問わず教育に関する許認可や科学技術に関する行政省だが、各省天下りの受け皿仲介も担っている。文科出身のみならず、退官後の充て職に講師や教授に押し込むことは当然なこととして行われ、あの萩生田副長官は落選中に加計関係の学校の腰掛教員として雇われ食い扶持を得ている。お仲間は与野党問わず教育を食い扶持の種にしている状況がある。その原資は補助金という税金だ。

以前、コラムに記したが、筆者が講義を依頼された女子大で行儀の悪い生徒を注意したら、「叱らないでください。生徒は大事なお客さんですから・・」といわれたが、公私ともども教育機関の堕落は蔓延している。前川前次官とて熟知していたと思うが、みな食い扶持と地位保全で口をつぐんでいるのが現状だ。

 

 

                      

                   陸奥湾    

 

俗話だが、東北の辺々では津軽の「足、引っぱり」南部の「にぎり」秋田の「火つけ」などそれぞれの郷が陰で言い合っている。

足、引っぱり」は、妬みが主な因だが、たしかに津軽はその風がある。うまく表現できないのか、それとも宿命感は怠惰のもとといわれるような、その厳しい環境なのかは論を譲るが、江戸っ子には、゛じれったい゛気分がする。逆に元気な女性は、゛銭っこあるのか゛と異郷の男を金で量るリアルさはある。かえってその方が分かりやすい。ゆえに同郷の太宰は、゛はんかくさい゛と敬遠され、似たような男は敬遠されるが、都会の女にはニヒルさが好いらしい。

 

にぎり」は、しっかり者だが握ったら離さないことだが、津軽では南部をこう言う。

火つけ」は、上京した人間に言わせれば、無責任なところがある、という。

就職事情もあるが、それらの郷から上京するとなかなか帰らない。一つの理由は、親がいなくなれば兄嫁の天下になる。帰れば都落ちの落伍者のように見られるし、慣れた標準語を話せば友達でさえ格好つけんな!と除け者にされる。これは都内の居酒屋では世渡りへたの純情な独り者が杯を傾けての呟きだ。

 

ともあれ他人ことが気になる郷の逸話だが、故郷の繁華街はどこもシャッター通りで、仕事もない。頼みの自治体の職員は有力者のコネ就職で問題意識もない。

税収はの農地転換によって郊外に広がる商業地の固定資産税の増収だが、まさに政策なしの濡れての泡だ。余ればイベントと称する一過性のお祭り騒ぎがはびこっている。彼らいう景気に良い人たちは役人、つまり公務員である市役所職員、議員、警察官、教員とパチンコ屋だとの庶民感情がある。これでは銃後の守りなど望むべくもない。

 

                                                   

          

              津軽  平川

 

国会の争論に南スーダンの派遣がある。多くは青森出身の連隊編成だが、あの日露に備えた八甲田雪中訓練の縁ある部隊だ。あの最前線黒構台の立見尚文指揮下の連隊だが、零下20度になる凍下での奮闘は戦争の勝敗を決するような場面だった。あの「足、ひっぱり」と揶揄される寡黙な兵士だ。当時の兵士の多くは貧しい農民だった。

時を変えて南スーダンも青森の部隊だ。農家の子息は少ないが疲弊した経済に就職先少ない。景気が悪ければ公務員に人気が集まる。自衛官や警察官も公務員で安定職。国内の自衛隊志願率は青森がトップ。だが、辞めたら先がない。海外の危険地帯に新法のもとに派遣される危険度は今までより多いが、命令は遵守の自衛隊、東京は父母が許さないだろう。辞めてもどうにか生活できるからだ。

 

 

以上は世情の一例だが、地方創生にしても金と法を駆使しても現状の劣化はより進んでいる。

また、この分野では選挙のたびに、゛安全・安心で暮らせるまちづくり゛と、連呼するが、政治家ではこの部分を得意分野する者はいない。ことのほか厄介な問題なのだろう。

 

キャリアの乏しい議員は陣笠と呼んでいるが、それが集うのを派閥といっている。政権与党の自民党に代表されるものだが、野党はグループと呼んでいる。政策集団を掲げているがリーダーは政権組閣の代理人として大臣推薦組織となっているが、絶大な人気を誇った小泉内閣からは一本釣りが多くなり、よほど安定政権でない限り派閥順送りといった慣例は少なくなった。

それでも政策研究という名において派閥に得意分野、いや既得権分野がある。

以下はあくまで「国家のため」と言われたことだが・・・・

 岸、福田から始まった清話会は戦後高度成長を支えた石油などの資源と端緒となった戦後賠償利権だ。それは政権担当者となった派閥の利権である外交を背景にしたODA利権だが、CIAとの関係での中東石油、インドネシアの天然ガスなどは代表的なもので、政権が変わり産業の構造が変わると、田中政権のウランについての資源外交もあったという。いまは文教利権と称され、関係するオリンピックもその範囲だ。

担当大臣は子飼いなりお友達が受任するが、あまり露骨な強権を振るうと勢力圏の文科省とて、謀議の仲間になりたくはないので、ささやかな反発が起きる。最後は責任を取らされ、冷や飯を食うのは官吏だということを知っているからだ。それにしても慎みのない為政者の登場だが、五寒にある「謀弛」、はかりごとが弛み、漏れるを具現している未熟さがある。

田中派も竹下経世会と続く政権利権はやはり政権の専権となったODA中国だった。

政権が代わると何カ国を回ったと数を誇るが、そのたび借款や無償援助などと莫大な資金提供が結ばれる。これには国会のチェックもない。しかも無償も借款も政権ヒモ付き企業が建設工事受注なりを行い政権には政治資金が流れ込む。

 

                                                        

 

 

岸氏は、「政治資金は濾過したものでなければならない」と、元官僚らしい慎重さをみせていたが、こと海外とのからのやり取りにおいては、資金のプール先(受け入れ)を商社などの海外事業を行う現地法人から、現地のステーションに還流される仕組みを作ったという。

 代表的なものはベルギー・ブリッセルの「日本館」という施設だ。

設立は岸氏を囲む財界の拠出だが、これも商工省官僚であった岸氏の取り巻きであり、満州人脈もあった。この番頭と言おうか、汚れ役は東大閥であり、GHQ関係の川部美智雄氏だ。

あの自衛隊調達の戦闘機にまつわるスキャンダルで有名なグラマン・ロッキード事件の中心人物だった川部は、国会で問題になった際、岸氏の娘婿である安倍晋太郎氏から、「みっちゃん、ほとぼりが冷めるまでしばらくブリュッセルに行ってたらいい」と、この時点では国会喚問からの逃避を促している。(川部氏縁者)

不祥事のキーとなる人物を海外公館に転任させるのはこのころから始まっている。安倍夫人のお付きの女性官吏もほとぼりが冷めるまで海外に行くという。この点は前記の「秋田の火付け」に似ている。

ブリュッセルとはベルギーの首都であり、彼らが財界から資金を募り「日本館」を造り、彼らが狡知を働かせて税を資金とした賠償なり援助、あるいは資源外交のキックバックなどの濾過装置として利用したのではないだろうか。川部の生活資金も充てられたのだろう。

 国会はうやむやになり、彼らには莫大な資金が還流したという。また、インドネシア利権も有名だが、何よりも日本の捜査が及ばない、国会の追求資料も相手国の同様な利得を企てる為政者では、何も出てこない。

《カーンとパケナムはACJの活動を通じて岸の政界復帰を図った。岸信介の秘書である川部美智雄は、1960年春安保闘争のころ、東京にPR会社を設立した。唯一の外国人役員にカーンがおり、顧問に谷正之植村甲午郎平沢和重村田恒らが名を連ねた。 また、川部はダグラス・グラマン事件において、グラマン社のコンサルタントを務めていた。》http://www.maria-online.com/information/article.php? ウェッブ資料 アメリカ対日協議会よりlg=ja&q=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 

それは、当時の政治・経済に重きをなしていた満州人脈と極東軍事裁判でA級戦犯となっても刑に服すことのなかった由縁のGHQ・CIAとの関わりによっての学び(経験則)であり、国権の及ぼす範囲外にその濾過装置(資金プール)を設けた巧妙な狡知でもある。それは何れも国民の税金であり、戦後の償いでもあった賠償資金やその後の援助資金からの横領という大罪である。ちなみにODAの多くは借款で税金からの拠出はわずかだが、裏財布の政府金融機関からの融資と国内の商社受注のひも付き援助だ。

余談だが、元満州官僚に連れられて品川のパシフィックホテルで岸氏と相伴したことがある。岸氏のことは同郷の親友で終戦時の内相だった阿部源基氏に聴いていたが、たしかに柔和だが厳しい気骨がある方だった。今では普通だが焼酎のトマトジュース割を「体にいい」と飲んでいたが、たしかに少し塩気が利いて呑みやすかった。

 

援助とはきれいな言葉だが、日本のコンサルタントが相手国の必要かと思われる案件を、いかにも相手国の要望として日本に要求させ借款を受けるものだが、金利と受注益は日本に流入する。そこに相手国高官や国内派閥の有力者へのコミッションが発生する。なかにはコミッション目当ての仕事づくりのようなプロジェクトが創られるが、コミッションの分け前は事前調整して商社は発注先を決める。

ここでも政治家の口利きが効果を発揮する。゛俺がツバをつけだ゛つまり、俺の勢力範囲もしくは相手国の人脈で話をまとめた、ということだ。これは町の不動産屋の言い分に似ている。

しかも元本と金利は相手国の長期支払(ローン)だ。道路や港湾は使用料を徴収すれば返済に充てられれば済むことだが、生活基盤や公害などの案件は貧しい人々からの税金が返済財源となる。そしてより苦しくなる。

返済ができなくなれば、港や農地の長期間使用権、まさに金融植民地だ。

                   

                 

                 中華民国外務次官表敬

                   

 

政権が変わるたび首相の外遊が忙しくなるが、なかには専有利権の及んでないアフリカの小国や中南米に食指を伸ばす他派閥の中堅議員も多いが、友好議員連盟などという美名の背後では利権のにおいがする。なかには当時中国利権は政権派閥だが、対立していた台湾に出向いた連中もいた。中国には田中派、台湾は岸・福田派の別動隊だ。

当時、国交断絶していたため台湾は政権に影響力のある民間人を窓口にしていた。

後に外交窓口の責任者になる方だが、台北の事務所に訪ねた折、「いろいろな議員がお越しになってお土産も用意したが、何の役にも立たなかった。友好を小遣い稼ぎのようにしている反中派が多いようです」と、佳き時代の日本人と比して堕落した議員を嘆いていた。

彼らは日中国交回復に反対して机をひっくり返すパフォーマンスをした連中だが、大派閥の別動隊として血判状まで記した人たちである。まさに金にはお乞食さん、選挙は芸人の類だ。仲間はお縄になったものもいれば自治体の知事になったものもいるが、老後に恥をさらしている者もいる。

 

稼業の縄張りのように、経世会の道路・建設、宏池会は農水・厚生、政権派閥清話会は海外ODAと文教利権もそして臨時となるオリンピック関連といわている。大臣には、お友だちを任命するが周到さがない未熟さなのか、それともやましい企図にいくらか遠慮があるのか、さもしい問題が頻繁に湧き出てくる。

官僚社会主義と揶揄される国家の政府に、当を得たような各省の退職者の教育機関への押し込み天下りに伴う認認可や施設建設、科学技術はロケットやIT技術、最近では塾の学校経営参入や教育機関の株式会社化など、新たな立法を駆使してその圏域拡大に向かっている。

多くは大局的観点もなく、支持層の拡大など利得議員の領域を増やすことになっている。しかも塾を取りまとめて政治資金の拡充を企てる為政者の、゛お友だち゛といわれる議員もいるが、本意が卑しいせいか、なかなか政策が成就することはない。一方では省益に絡む岩盤規制打破と名分はあるが、゛李下に冠をたださず゛の喩えを知らぬのか、身内や仲間内が関係する醜態を平気で政策として行使する不埒な政治が問題となっている。

政権派閥の息のかかった文科省を天下り問題で政府は叩いたが、天下りは国交省、厚労省、警察庁など民間を食い扶持にした現場がのほうが多い。なぜに自分たちの勢力圏を叩いたかは、他省に手を突っ込むことのできない派閥の不文律もあるが、子飼いが思うようにならないことが大きな理由のように見える。それは事後に表れた籠池、加計問題、そして前川次官の告白の理由によく表れている。

これは政局云々ではない。解っていても口を拭っている議員の在り様と、これを幸いにしているかのような野党の姿が問題なのだ。

選挙とて彼らの失業対策のように思えるようになったおびただしい軽薄議員の当選と有権者の人物眼。寄らば大樹と卑屈迎合が民族の習性だとしても、これでは余程のこと政権に抑制する精神がなければ思うがままになってしまうだろう

 

                

   あの天安門も民主化ではなく、習主席の掲げる腐敗幹部の「官倒」だった。 

1989 5/27撮

 

究極は国家戦略特区のように、いまは文教に強いといわれる政権派閥の取り巻きや友達を巻き込んだスキャンダルが世情を騒がしている。国民から見れば、強いものがウソと詭弁と脅かしで官僚を使役しているようだが、あの汗をかき、手は震え、整合性のないことを言いくるめる彼らの姿は、批判とともに可哀そうにも見えてくる。

こんな時は、与党議員はだれも声を挙げない。あの清廉と思えた小泉進次郎さんもだ

官僚を守るべき担当大臣もひれ伏している。使命感と勇気、まさに人生の生きざまだが、現世的名利は得ても歴史では汚れた官吏として評価は降り注ぐ。

 

それらは、権力の政策執行や行政機関の管理監督が内圧的かつ恣意的になり、慎みのない状態が続いている。しかも法治国家として国家的意識が乏しくなった官吏は隣国官吏の歴史的慣習に同化するように、「力」の在るところを察知して巧妙に集い、先走り忖度してご注進に勤しみ、将来の責任関係者に関わらないような間(マ)を、狡知を駆使して探りつつ、茶坊主のように取り入り、しかも人を見る眼のない鈍感議員は官吏の腹話術のごとき劇場議会に陥っている。

 

あの頃もそうだった。議会は機能不全となり、国民は法廷論議のごとく細事に拘泥し、政府は軍部の追認機関となり、だれも止められない流れがつくられた。

今も変わらないのは、国際金融資本を盾とした全てを市場化するグランドデザインへの誘引だ。

表層の豊かさと繁栄の欲求も、与えられた課題ではあろうが、予測がつくのは、より「人心が微(かすか)」になる姿だ。

いくら課題を与えられ、その度に争論を起こしても、経過的つなぎ策にしかならないのは、もともと課題そのものに問題があるのだ。これも官製学の課題に対しての数値選別に問題意識なく慣らされた民の行く末なのだろうか。

 

標題は、これが観えずに陥った世代の未熟な政治に他ならない

 

一部写真は関係サイトより転載

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