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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人間考学  民主主義の周縁   14 9/15 再

2025-02-28 01:07:53 | Weblog

青森県弘前市 子供議会(中学生)


猫も杓子も「世の中は民主主義だから・・」とうそぶく。
それを有効成さしめるのは議会制民主主義の要員を選ぶ選挙だという。
近ごろは国民も選挙にはお付き合い程度の感覚しかなくなっている。

それに連れて議院内閣制である行政府と立法を専らとする議員の関係が混在し、その整理なのか,専制への導きなのか、内閣官房の力が増大している。
つまり、官吏の集合体と化し、形式的になった政府の発する規制、扶養、が、これまた委任事務を扱う出先の自治体の作業を通じて、政府と国民の関係が密になり、その選挙を通じて選ばれた議員の権能が、とみに衰えているようになった。

それは連帯を希薄にして個別化の進んだ国民個々と内閣が直結して,慣らされた群行選挙によって選任した中間監視組織でもある議会の衰退でもある。

むかしは陸軍、いまは官僚と揶揄されるような現在の実態政府の形態は、゛選挙は民主の根幹 ゛と、ときに無知蒙昧にも言葉だけの人権、平等、民主、自由を大言する大衆をいまだに混迷の囲いに閉じ込めている。

もとより、専制によって人々を収斂(恣意的に集合)するには、美辞麗句がある。選挙で謳うあの大義であり名分である。住みやすい、安心、豊かさ、行政官吏も利便と効率で追従する。現実に手玉に取られポチになった食い扶持議員は、無責任な官吏の失態や細々としたミスや恣意的作為などの議会の質問追求に、まるで隠し屏風にようになって行政官吏の擁護に窮している。まるで寄席の福話術か二人羽織のように巧みな演技をする。 答弁の脚本だけではなく、質問まで役人任せだ。

めでたく政府側に位置すると言語障害、思考狭窄になったかのように、選挙の票の騙取につかった大義は消えうせる。とくに行政改革、無駄のない政治、などは無かったかのような態度だ。これも内閣を司り官吏の住処である省庁の代弁者となった官房の管理と監視である。


つまり内閣官房と国民の直結関係であり、民主平等を掲げ遊惰に生活を営む国民との変質した民主の姿であろう。どうだろうか、この直結した関係は専制を通り越して独裁主義になりつつある前兆ではないだろうか。
上からの下ろす道はあっても、間接要員(議員)を通じた下からの道は理屈形式では整っているようで道はことのほか狭い。

とくにその風潮は、小泉氏が国民に直接唱えた郵政選挙のワンフレーズに、嬉々として投票所に足を運んだ国民大衆の群行と、その群集心理を効果的に利用した為政者の狡知なのではないだろうか。よく陣笠いわれる議員だが、国民の選任するのは腹話術のように大義を連呼し、闇雲に突撃する陣笠の就職運動にも観えなくもない。

つまり、これが民主主義のシステムに組み込まれた伝統的な間接選挙の要員の姿なのだ。これが、いまは用を成していないのだ。


瓦版屋(マスコミ)も政治記者の総理との会食が頻繁に催されている。
総じて為政者のポチに成り下がり、なかには博打場の開設や世界運動会の便宜を請う瓦版屋もいる。ここでも第四権力の有効性を衰亡させている。





いくら平等主義でもこの関係は無くてはならない相互関係だ


独裁者は思い込みと過度の恐怖心が逆な効用を誘引する。
かといって、独裁者自身も過去の歴史が示すように機関の構成員であり、一員でしかない。
民主の前提は人間の尊厳を継続することにある。尊厳とは真の自由の発見と自他の厳存を認め合う連帯を己の任務とすることから始まるが、その秤の均衡はいかに熱狂と偏見による欲望をコントロールができるかどうか、それが民主の成立前提である。

その個々の民が思索と観照を衰えさせ、種の継続要因である神と精霊の思想を無用なものとして、財貨の欲望に突き進み、善なる欲望すら退化させて他と競い争う姿は、より前記した政府との直接関係をより依頼性の強いものとして、政府は平等観念を無謬性にまで高め、より人々の制御膜を希薄にさせて刺激過敏な条件反射に応ずる享楽なり遊惰を注入している。

人々は高邁な政治には無関心となり、ひたすら群行群止を繰り返して、しまいに疲弊する。
享楽は無駄と簡易利便であり、遊惰は清規(成文法)に拘泥して易きに流れる国の方向だ。


民主は人心が微かになり、政治が易きに流れると自ずと全体主義独裁に陥る。選良の有効性を無くし中間的制御がなくなると政府と国民の直接関係が深くなり、我が国の場合は特に内閣官房を支える姿なき官吏の自浄なり改正がない限り、容易に独裁に進む傾向がある。
軍、軍官吏の暴走も議会の形骸化にあった。

他国だが、韓国の経済は財閥主導で中小企業は弱小だ。中国は官製公司が幅を利かせ、民は国家への帰属もなく財貨の欲望に邁進している。だだ、濁水に生きることを習性としている民族は滅びることもなく、他の清水に交じっても躍動はさらに増している。
韓国は財閥でさえ国際金融資本のコントロール下におかれて逼塞している。

彼らには伝統的に中間的緩衝が乏しい。民族の性癖なのだろう中央政府の直接関係、つまり専制に慣れた人々である。だから解放したりすると混乱する。ゆえに民主の価値観や欲望はなく一党独裁でなければ収斂しないのだ。
国家より天と地の間に棲むという天下思想のもと、守ってくれなくても邪魔さえしなければと考える為政者との関係がある。


ここではどのような主義が全世界の異なる文化を持った人々に普遍性を持つものだとは限定しない。宗教や独特な規範、独裁、自由、民主、社会、共和、いろいろ呼称はあるがそれが混沌を維持する妙なのだからだ。

だだ我が国をみれば、民情と制度、生業、つまり業となっている教師、官吏、宗教家の歴史的変遷をみると、政治家、官吏の突き詰めた選択肢が標準や管理を、普遍性、無謬性に置き換えられたとき、国民との中央政府の関係において独裁的方向に進みやすい前提があることに気が付かなくてはならない。

それは大権を持った当時の天皇でさえ煩悶した状況であり、いつの間にか、どうして、との疑問が熱狂した群行に遮られた、つまり大人しく、涵養で、連帯心と調和する習性なり掟を涵養した民族でもそうなった不思議さでもある。

そうなると頭を当てるか、冷水を掛けられなければ分からなかった民族である。なかには敵の力を利用してその暗雲の根である陸軍に鉄槌を下してもらおうとする企図もあったのだろう。しかし、ことは国賊的企図である。
歴史は隠蔽されるべきことも存在する証左だ。






他民族の混在は強制的収斂、統一的専制しかない  国家の弱体は他国の侵入を招く



一方は同志友愛と金融による統治だ



最近は前記した小泉選挙だ。田中真紀子議員の漫談アジ演説、小泉の政策ならぬ米国からの年次要望書にある郵便業務の透明化と解放を「開放」と「改革」にしたワンフレーズ「良いか、悪いか」がある。

慎重もしくは反対する候補者をうむも云わせず国民の熱狂と偏見を煽り抹殺する。この手法こそ独善的手法なのだ。また、それが可能になった民情なのだ。
多くの国民は喝采し、中間的緩衝層である国会の議員諸氏まで黙らせた。食い扶持安定職の就職担保なのだ。ここにも独裁の要因土壌がある



我が国は独裁が容易なのだという証左だ。また、遊惰、放埓、平等に飼い慣らされた国民を扇動し、勤勉、正直、礼儀、忍耐が国民の徳性だった頃の実直精勤した官吏や疑似権力者である、宗教家、知識人、教育者、経済人を覚醒するには、ときに善なる独裁の誘引を願う国民の心に残置されている。

もちろん第四権力や他国の、似て非なる思想主義を借用する政党は反対するだろうが、陛下の被災地巡察慰問に感動する国民の存在するうちに、一時の善なる権力行使も多くの国民の歓迎することでもあろう。

つまるところ、為政者の信頼にかかっている。多くの独裁者は国民から熱狂で迎えられた。
畏敬とか偉大は文章上の装飾文字だ。国民は簡便な善悪の区別と憧れが人を歓迎する。ときに連帯からの疎外や排除の恐怖もあるが、自由と裏腹の孤独感は新たな収斂と帰属意識を生ずる。

本来は宗教家や瓦版屋が助力するものだが、効を成さない現在は中央政府の扶養にすがるしかない。ただ、欲望の際限が亡くなった大衆は、その裏腹に苦しみの共有には従順とする習性もある。とくに迎合心と好奇心が豊富な国民性は多くの為政者にその妙手を提供してきた









上記は、独裁は近いし、人々はすぐ慣らされると考える。
誰が言い始めたのか、独裁は悪で民主主義は善だと。
大衆が選んだ総理は震災地では罵倒されたが、陛下が膝を折れば感涙する。総理が企業から五億円を受領し、瓦版屋と談合しようが、議員や官吏が放埓になって国政は荒れても、騒ぐのは第四権力と揶揄されるマスコミの売文の輩や言論貴族だが、直ぐに一過性の好奇となる。とこかで、安逸な生活を自覚しているか、国がなくなることなど心配していない。


あの時は王政復古だった。権力が糜爛して有効性を無くした時、倒したのは利害得失に敏感な無頼の武士だが、だから西郷は「こんな国にするつもりはなかった」と嘆いたが、復古した威の存在の変わらぬ座標に望みを懸けた。

考えは西洋の直線的滅亡のハルマゲドンではなく、東洋はスパイラルに時空を循環する輪廻感覚が政治観にあった。西郷のみならず無学な民衆とて当然の如く熟知している。
「もうそろそろ終わりだ」「このままで済むはずはない」「そんなものだ」渦中に飛び込むオッチョコチョイもいるか、世の中はそのように移っていくことを言葉に出さなくても知っている。


そんなつもりの諦観じみた考察だが、いつの間にかそのような政体になることは分る。
論拠や論証、合理的説明や体系化した組立と数値選別の徒は騒ぐが、そんな庶民の直観が堆積している下座の観察は、深層の国力として君たちの立つ処を支えていることも忘れないでほしいものだ。


数多の主義も人心が微かになり、堕落、弛緩したら別の統治方法を選択するものだ
だだ、旧来の既得権、つまり欲得の放棄がなければ消滅を待つしかない


「亡国は、亡国の後にその亡国を知る」
たしかに歴史は鑑のようなものだ。

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トヨタの「5S」プラス「3」の願望は如何に あの頃

2025-02-27 22:53:35 | Weblog



今どきの若者は・・と、いつも世代循環でいわれることだが、企業もコンプライアンスという自縛装置がないころは他社の成功例を自社に当てはめて是正なり更新を試みることがあった。しかも生産性向上を意図した労働の組織構成やシステムにキャッチフレーズを付けて本業とは別にシステムコンサルタントの依頼に応えていた。

トヨタには「5S」があった。数字と英文字はトヨタの洒落だが、サ行ではじまる五つの日本語である。その大意は、整理、清掃、習慣などだが、解りやすい本意は「気が利かない」「だらしない」「周りを考えない」そのような人たちが行う作業は不良品も多く、生産効率も悪く、連携が乏しい、ということだ。

実はトヨタもそうだった。ただ、周囲の評判は生産と販売の独立した並立関係と、幾らか合理的と思われるトヨタ式オートメーション、車種の多様化と売上数値の効率的関係がホドよくまとまっているように見えた。しかし、それだからこそ逆賭する人物がいた。
その人物は西洋の合理的分類や考証、論理づけとは異なる教養があった。それは国柄のなかにごく普通にあった様態だった。

加え、その人物には、目標、使命感、俯瞰性というゼネラリストでしかできないマネージメント・プロデューサーのような思考力と、鉄鋼、造船から自動車産業に移った経営者の国家観があった。そして日本人の性癖、資質を再考して、より良質な部分を伸ばそうとする意志があった。また、糜爛した中央から離れた地方企業の質を社風として誇りさえもてる自信を養い、むやみな競争や外装形式を避け、異なることを恐れない孤高の経営を志向した。何れ流れはこちらに向かうという先見である。
※「逆賭」将来起きることを予見して、現在に行うべきことする。












蒋介石の施政下中華民国台湾でも新生活運動があった
蒋介石、の息子緯国の提案した整風運動だが、彼は国民党が大陸で共産党に敗れた原因は軍事力ではなく、父親の周囲の歴史的慣習にある高官官吏の腐敗にあると考え、国を挙げた整風刷新を考えた運動だ。整風とは腐敗堕落した国民党施政に怨嗟を抱き、ときとして怠惰になりがちな国民の気分を刷新する意図があった。

それは国の維(センターライン、存立基盤)を正し、戦後台湾に渡ってきた国民党を主とする外省人と日本施政下を経験した内省人の融和を求めたものだが、権力者の性癖は一様には変わらなかった。しかし、その政策は時節の折々に想起させる歴史の倣いとして、現政権においても民生安定のための先人の遺策として活かされている。あの八田与一氏の貢献によって豊饒の大地に換えた灌漑ダムへの恩顧を奉る式典の恒例化も、内外省を問わず実利と歴史体験の共有として、日本と中華民国台湾という政体を超えて官民の運動となっている

トヨタも維を正すことを5Sに懸けた。そこまでとは思う社員もいるだろうが、゛そもそもトヨタとは゛にかける堤唱の本意は歴史を俯瞰した整風運動として大きな効果を上げた。それは高々数値で評価を与える生産性が、人の考え方や行動の実(じつ)を観る経営者の先見性と覚悟を試す行動でもあった。

だだ、標題に「5Sプラス3」と記したのは、いくら推考を重ねたものでも経営者から発せられた提唱は時が経てば5Sにある良き習慣性が、゛馴れ゛となって、善き理解の共有が興すであろう、着実、勤勉、自主の精神が意識の熱を失い、数値成果の果実を内実ではなく形式にこだわるようになってきた。











一時、大企業病という妙な病が流行った。
何のことはない、よく怠惰になった官吏に表れる四つの患いである。
これは国家の患いだが、多くの政治抗争や収支のアンバランスなどはそれを要因としている。つまり6・3・3・4の官制の学校歴マニュアルにある整理探究の習慣的思考回路の梗塞が人間の我欲によって起される病である。

   ※ 四つの患い「四患」旬悦 「偽・私・放・奢」  本来は「真正・公意・自制・倹約」 



梗塞は血管の劣化と部分の詰まりだが、整体でいえば経絡の歪みである。これを組織や人間に当てはめれば、面子,意地、形式拘泥となり、デストロビュータ―の火花が弱くなり、またタイミングが狂い不完全燃焼に陥るようになる。
従業員の声が届かなくなり、声も小さくなる。そして放埒、つまり弛緩する。
人が弛緩すれば組織は緩み、経営者の指示も偏った理解を招くようになってしまう。

エンジニアはその仕組みは解かっているが、コンピューター制御、つまりコンプライアンスと数値追及による組織の自縛のように、ただ時節の要求や流行り情報に惑わされて自己決断ができなくなってくる。ただ魔物に沿うだけで覇気が乏しくなる。

弱気な店主にはコソ泥も言いがかりをつける青い目もやってくる。

じつは本田にもいえることだが、宗一郎と喜一郎の本意と躍動が理解不能になっている。なかには不埒な食い扶持に堕す社員が出てくる。流行りの白アリだ。ただトヨタの救いは回帰するものがあった。あの当時の夢のコンセプト(内実)を教えてくれる車の製造と、貫く力のあるトヨタの維(太綱)の「威力」が遺されていた。












あの5Sという、アジアの光明と謳われた時の日本人が、普遍の倣いとして継承した善き習慣性を現代に新たなものとして顕示した精神の継続できうる人物が、トヨタのどこかに鎮まりを以て存在し、しかもそれを有効なものとして活かす人材がいた。それがトヨタの更新を可能にしたのだ。そして経営の神髄を継承する紐帯を支えるために敢えて糜爛した中央財界を忌避する気概と異なることを恐れない意志が継続している限りトヨタは再び興るだろう。そして海外においてはホドを学んで身の丈を知った。

残念ながら本田は宗一郎氏が技術者だった。技術は一子相伝ではない事を熟知した創業者は縁者を経営から排除した。綺麗なことに思えたし格好良かった。

だた、社員が取り付く島である綱の縒りがゆるくなり、分化した細い綱が簾(すだれ)のようになってしまった。風通しはよいが、フランスの市民革命で皇帝という長(おさ)を倒し、市民だけで落ち着きもなく、まとまりのない議論を繰り返す社会にみる人間の姿を学ぶ姿勢、つまりアカデミックな論証法では、人の群れの集約を司る長(おさ)や、艦隊行動にたとえられる旗艦の遅速を操る司令の存在理由が、拙速な組織マニュアルやコンプライアンスを操るコンサルタントの餌食になって、その社の存在理由さえ見失っている。











本田宗一郎は部品を整理し無くならないように足下を掃除した。また用具を大切にした。技術向上には惜しげもなく資金を使った。良いものをつくる探究が昼夜も問わぬ勤勉さとなり、たとえ若者でも至誠ある提案は躊躇なく取り入れ、それを本田の社風として習慣化した。これを本田の遺した維であり、本田流の「5S」なのだ。

その頃の本田はトヨタにはない姿があり、見習うべきものだった。そして再生の道を本田の躍動をまねるだけではなく、宗一郎の人間性の本となる精神の倣いと習慣性の研究だった。たどりつけば善き日本人の至極当然の身に浸透した生き方だった。

何のことはない「5S」は便利性や効率性にかまけて忘れてしまった実効性ある精神の甦りだった。それは子供の躾と同然だった。技術は進歩し、便利にもなった。だがそのことを鑑として考えると日本人は何かを棄て、それさえも考えなくなった。


トヨタの秘奥に存在するであろう人物はもう一つ悩みがあった。
それは艦隊旗艦の司令官のような明確な目標に向かう使命感と、企業を超えて地理的には世界を見据え、くわえ棲み分けられた多くの民族、培われた情緒、その潜在する能力、それらの行く末を推考し俯瞰できるトヨタの長(おさ)の存在だ。
それは地球に有効的に活かし、保護する見識と、胆力の如何を観る観人則を企業の人材養成の座標とすることだ。

それがトヨタの存在であり、その価値を見出すのはあなた方だと・・・


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陛下は横田に忠恕の心を語った 2010 あの頃

2025-02-26 17:04:46 | Weblog




ブラジル入植者とその子供達の謁見だった

横田は言う
「それまでガヤガヤしていた子供たちだったが、陛下が入室すると皆引き締まって整列した。普段はそのような訓練など受けてはいない子供たちだったが、みな真剣な眼差しだった。」

横田は代表してこう述べた
「私達はブラジルに移住した日本人を代表して参りました」

陛下も皇太子のときに訪伯してカイザル大統領と面会している。そのとき大統領は皇太子に感謝の意を伝えている。
「不毛の大地といわれたセラードを豊饒の大地に転換させたのは日系ブラジル人のたゆまぬ努力によるものです。勤勉で忍耐強く、しかもその土地の人々に馴れ親しんで立派な成果を挙げブラジル農業に大きな貢献をしていただいた。その姿は畏敬の民として私達も誇りを持っています」

地球の裏側において異民族の信頼を集めたことへの大統領の感謝は、皇太子にヒトの大切さと、自然に習慣化された勤労と大地への真摯な取り組みを、異民族さへも普遍の精神として認め、自らの辿るスメラギの道にある忠恕心の同感具現とみたことだろう。

「私達はセラードから参りました」

陛下は意を得たように
忠恕の心を念じています

「忠恕」は自らの良心に問いかけて他(不特定多数)に思いを寄せる、つまり心遣いある優しさである。陛下は自らを律してそれを実践し不特定多数の公に奉じている。しかも誰も垣間見ることのない一隅において独り実践している。

横田はブラジル成功者として億万長者になった。一時は怠惰に暮らした。しかし、自らが見たセラードではみすぼらしい小屋に食料も乏しい人々が棲んでいた。
「何とかしなくては・・」
セラードは酸性の強く、まさに不毛の大地だった

横田は仲間とセラードにキャンプをつくり、土を手にしてモミ砕き、臭いを嗅ぎ、口に含み、そのようにして土の性質を感じ取り、゛これならできる゛と確信した。
誰も入らない熱帯サバンナの地である。





          

  初期ブラジル入殖者

                 


ブラジルへ渡るときのことを想いだした。
≪母は仏間に呼び寄せた。先祖に報告かと思ったら、母は仏壇の後ろから取り出した懐刀を横田に渡してこう伝えた。
これは護身用ではない。もし日本人として恥ずかしい行いがあったら自らこの懐刀で己の胸を突きなさい。もし日本に帰りたくなったら海は広い。船から身を投げなさい」

セラードで数年苦労したことで緑に変わる大地が眩しかった。
訪問した田中総理の英断で大きな援助もあった。

セラードは日本の数倍、莫大な食料をまかなえた。
しかし、あるとき彼等はあの時と違い武器でなく札束を抱いて襲来した。米国の金融資本と結託した穀物企業だ。

取引銀行は恐れおののき運営費用も遮断された。
〈 大地から取り出した富は投機家を通じて我々の金庫に収まる・・〉
まさにその通りだった。


彼等は札束の力でブラジルの法律を捻じ曲げ、外国人にも広大な農地取得の権利を得た。
政府は農薬で塩化した農地に莫大な融資をしてセラードを買いあさった。

横田は日本の助力もなく指をくわえてみるしかなかった。
しかも彼等の農法にある遺伝子組み換えは、将来に禍根を残すことを横田は知っていた。
それは横田の見ている前でその葉を食べた昆虫が大地に落ちる姿だった。
あのベトナムの枯葉剤を大量に製造した会社の製品であることも知っていた。

横田は言う
「私達は単なる技術や知識でこれを解決したのではない。先に渡った多くの日本人の努力があってこそ成功したものだ。何を遺したのか。勤勉、忍耐、正直、清潔、そして現地の人々との心からの融和だ。国の政策で予算が出て大型機械が備わっていても、働く人々との連帯や調和がなければ成り立たない。

「清潔」さは川の側にキャンプを構え沐浴したが、マラリアで全滅したエリアもある。
「勤勉」は作物と語ることができても商売が下手だった。「正直」は異端視されもした。
だが、そもそも在るべき人間の姿を忍耐強く勤労に励んだことが異国の大地が応えてくれた成果だと思う。そしてブラジルの人たちが驚きをもって日本人という民族を倣いの対象にしてくれた。日本の生きる道は日本人が真の日本人に倣うとき、その向上は始まる。私はいま祖国日本に感謝している。そして恥ずかしいことをしたら自らを突け、と懐刀を持たされたあの母の本当の忠恕がよく解るようになった。

「 陛下の仰る忠恕は、受けての甘えであってはならない。厳しく律した意志ある人々によってこそ理解されるものだ」横田は云う。

 

 

ある縁で,筆者はアフリカのモザンビーク駐日大使を横地に紹介した。

横田は同じ経度にあるアフリカのモザンビークの熱帯サバンナをブラジルのように豊饒の大地にしようと準備に取り組んでいる。

その担い手は横田の子供たちブラジル農民の二世だ。(群馬や浜松に多く在留している)

そこで、日伯議員連盟会長麻生太郎氏の地元後援者である吉村氏の案内で議員会館を訪問した。





        左2人目横田          右 麻生太郎元総理(日本・ブラジル議員連盟会長)

在任中(麻生総理)、ブラジル大統領に同じ提案をした。モザンビークの農業計画は是非やるべき事業だ

 

国の背景や資金も重要だが、もっと大切なことはモザンビークに真の豊かさを作り上げることだ。

人々が仲良く、健康で、意義ある仕事に取り組んでもらいたい。時おり権力は人々の営みを制約し収奪することがある。また他国の悪意ある侵食もあるだろう。我々は目の前の人々に収穫の方法を伝え、共に天を見上げ大地に頬ずりする。

そして多くの友を作ることだ。戦火を味わったモザンビークの人たちならわかってくれる。

幸いブラジル同様、旧宗主国はポルトガルである。言語も共通している。日本の農民の矜持とブラジルの試行経験を余すところなく伝えたい。

それには人間だ。研究者、科学者はできるだけ少なくてもいい。現地の彼らと寝食をともにできるヒトが成功の鍵を握っている。

いずれ成功すれば投資や投機の群れが札束を持って跋扈するだろう。

大地の恵みはそのような成功価値を一時は受け入れても、必ず罰をあたえる。

大豆も馬鈴薯も青菜も面白いことに「ヒト」をみる。

そんなときは、許しを請うてお願いするしかない。
世の中もそんなときが来ないとは限らない」

世界中で農地の買い漁りが進行中だ。ウクライナ、沿海州、ブラジル、みな投機だ。

農地が開発され対価をもらって働かなくなり享楽にふける人々も東京郊外に散見した。

国の力加減で資産を置いたまま投げ出された満州もあった。

作物値段の高低で効率化を描くために減反補償によって民情が功利的に変化したところもある。

豊穣の地には群れが集う。

しかし荒涼としたサバンナの一粒の種と忠恕ある人間の営みに、彼等は虎視眈々と、しかも指をくわえていなければならない。

なぜなら彼等はサバンナに住み分けられた人々の吐息と幸せ感を無意味にしか感じていないからだ。

横田は言う。
そこに 陛下が語った忠 恕の意味があるということを大地は教えてくれる」と。

 

 

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荻窪酔譚抜粋 其の八 2010 8 再

2025-02-25 08:02:26 | Weblog


佐藤慎一郎先生の現地体験を聴く

S・・・佐藤先生

M・・・モト夫人

T・・・寳田時雄


第一宵 五坐 其一刻

S : 三 (参) と云うのは生命誕生のしるし。 男性は何ぼ威張っても子供を産め無い。 女性は何歩威張っても独りでは子供をつくれ無い。 神様だけでも駄目、 三つ一緒で生

命が誕生する。 中国の皇帝は 〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟 を貰う。 総数で百二十一人 (そして総て、奇数であり参の剰除である)。

T : 〝世婦 (セイフ)〟 って、〝婦人 (夫人?)〟 の 〝フ〟 は?

M : 側妾を貰うの?

S : 三は生命の源。 亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する (亀甲占式)。 桃の
節句、〝桃〟 は厄除け、女性の陰部を顕わしている (印度仏教を起源とする考え
方)。 老は背を曲げて杖を点いた格好。 〝ヒ〟 を省いて 〝子〟 が支えるのが、
【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。



T : 〝天・地・人〟 の違いは無く、一貫すると?

S : 天地人を一貫して合わせると 〝王様〟 に為る。 畝々した流れに杯を浮かべ自分
の前に来たら其の杯に詩を詠む、此れは三月三日に行われた (桃雛節祭としてでは
無いが奈良・平安期にも旧暦の宮中行事として行われた/追儺の儀後の慶事として)。

T : 王 義之の《曲水の宴》! きざしの 〝兆〟 が木で 〝桃〟。

S : 三月三日、川に入って心体を洗って 〝禊〟 をするの。

T : 日本でも古来より俗に 〝桃色遊戯〟、好色に遣いますね。 (其うする事に拠って)
逃げ払われるものは?

S : 〝厄〟 が逃げ (去) るの。

T : 交合して三月三日に逃げる、いけ無いね (笑)。 知ら無いですよね、雛祭りの日 (桃の節句) に (本当は) 是う謂う意味が有るなんて。

S : 此う云う噺、爺ちゃん婆ちゃんは悦んで聴くの (笑)。


T : 我々だって悦んで聴きますよ (笑)。 此う云う説明が出来る様に為ったのは中国体
験ですか? 庶民の学問と皇帝の学問て区別が無い訳ですよね。

S : 黒板が無いから、画いて持って行ったのです。


T : 今度此処の老人会で学んだら、うちの方の老人会で話そうかなぁ。

S : 僕は中国の事しか識ら無い。 日本の事は全然解らん。 「僕も皇帝に成りたかった
なぁ、だけれども (今は) 独りの女房 (ですら) 持て余して在るよ」、と云うと笑わ
れてねぇ (笑)。

T : うちにも皇后 (女帝?) が一人棲ます (笑)。 〝妾〟 と云う字は出て来ませんね。
是は飽くまでも正当な女性ですか?

S : 曾うです。 時代に拠って名称は異なるのだけれども必ず貰う。

T : 我々は儒教で堅苦しく考えているけれども、中国は我々とは似て非なるもので、
向こうは性に対して平らかですね。 此う云う噺だと、安岡先生だって此う為って
(グッと噛り付く様に) 聴くでしょうね (笑)。



        


S : 親孝行の 〝孝〟、〝ヒ〟 を取って 〝子〟 が支えている訳です。 結婚以来、両
親が死ぬ迄の十数年、コレは給与の三分の一をずっと僕の両親に送っていた。

M : だって、お父さん (佐藤先生) が働いてお金を持って来てくれるから (笑)。

T : 其の言葉、最近出無いの? お父さん、働き悪い、て (笑)。

S :『毎日新聞』に掲ていたのだけれども、今は親の面倒を見るの四人に一人も在無い。
     「何の為に勉強をするのか」
  と謂う問いに
  「金の為」が日本は世界第一位
  「社会貢献の為」が世界最低。

T : 漢和辞典等を調べると語源等の説明は有るけれども、活きた漢字の使い方は出て
来無い。 日本では完全に記号に為っている。

S : 師友会の会合で
「孔子様、孔子三世、妻を追い出す」と云ったら皆吃驚して在た。
彼が説いたのは愛情 〝仁〟 でしょう。僕はコレ(妻)出して在無いから、孔子様
拠りも偉い (笑)。 孔子の言葉は確かに偉いけれども、或れでは中国 (の本質) は解
ら無いよ。

T : 中国大好き人間が在て、(本当に) 何でも好き。 自分が  無いと何でも受け容れてしまう。 だけれども下手に教えると、斜めに世の中を観る惧れが有る。
先生の説かれた聖徳太子の 「和を以って貴しとせよ」ですが、或れは夫婦の和合の
話しでしょう?   <夫婦、相和し、拒まざるをもって、むねとすべし>

S : 老人会で 「何でも政府に嗚呼して欲しい、此うして欲しい、と謂っては駄目だよ」、と云った。 主体は自分だよ。

T : 日本人は 〝血〟 を尊びますが、中国には有りますか?

S : 矢っ張り有るのでしょうね。

T : 鄧小平や毛 沢東の親戚と云えば尊ばれるかも識れ無いが、逆に溥儀・溥傑の様に
忌み嫌われるケースも有るでしょうね。 最近の日本の様に、身分制の無いお蔭で
妙に俗世の附属価値に傾く事も有るし、中国の様に 〝善い人なら善い人〟 と観る方が
自然で、もっと真面に世の中を観られる。

S : 中国は大自然の流れから離れ無い。 例えば
  「満州国が滅んでも、一姓の滅亡に過ぎ無い、俺達には関係が無い」
  
  と謂って全く以って慌て無い。 八月十五日の玉音放送を聴いて、僕はベソを掻いて役  所で掃除をして在ただけ。 中国人は皆、青天白日旗をポケットから出して在た。 半年前から、日本が負けたなら之を点てるって準備をして在たらしい。 ベソを掻いて在るのは僕独りだけ。
  「何故泣くの? お前には関係が無いでは無いか」、と中国人に笑われた。

T : 今の内に五星紅旗を作っておいた方が (笑)。

S : 偉いものだよ、全く以って実に淡々として在る。

T : 或る意味では、其れは力強さですね。

S : 大自然から離れ無い。 悪く云えば 〝食・艶・財〟 のみ。 中華民国も中共も要ら
無い。

T : 大した肚だと思ったのはチンギス・ハーンです。 色目・漢等、嗚呼云う侵略された人達を平気で使う。 耶律楚材も其の典型でしょう。 丘さん(大同学院の生徒、台湾経 済人)何かは満州でしょう。 懐が深いと謂うか、日本では考えられ無い。




             

            新京にて

 

 


S : 日本人は如何ですか。 毎日、新聞を見るのが厭に為る。 賄賂・人殺し、如何する
のかな、此れ。

T : 惧いのは、何時の間にか (危惧する感覚が) 麻痺する事です。

S : 外部から緊張を与えられて活きて行くしか無いか。

T : 其の国の運勢を診た時、今の日本は八方塞がりですね。

S : 食糧 (生産自給力) は無いし石油も無いし、終わってしまう。

T : 今、米屋に米等有りませんよ。

M : うちのお米は如何しているの?

S : 新潟の庄内平野の米を送ってくれるの、其のお蔭。

T : 今、アメリカのお米が輸入されているでしょう。 今日、天丼を食べたら矢っ張り
少し違うね。 満州のお米は美味しかったですか?

S : 王道楽土でも日本だけが米を喰って、満州人はあまり喰え無かった。

T : 誰かが謂って在たな
   「佐藤さんは本当に変わった人だ」、って。
   「俺が戦後佐藤の家に行ったら、青森県人がゴロゴロと居候して在た」
   と話していましたね。

S : ご飯だけは喰わせるから、と通知を出した。 其れは皆中国人のお蔭です。

T : 満州へ行っていた当時、上海の山田さんとは全く交流が無かったのですか?

S : 上海へ行った伯父の記録を採ってある。 広東にも行って孫文の息子の孫科とも会
って色々と話しました。

T : 溥傑さん、亡く為りましたね。 日本に好意を持っていましたが。

S : 嵯峨公爵の娘が嫁いでいたが。





         



T : 溥儀さんの周りに宦官は在たのですか?

S : 在た。 子供の時に宦官と遊ばされ、ふぐり(睾丸)を弄ばれて壊れてしまった。

T : 其う云えば、本当にか弱い感じですね。

S : 女を雇って壊す方法も有る。

T : 宦官て、勃起はするけれども子種は創れ無い、と云う事ですか?

S : 珠(睾丸)は必ず採られた。 一番の方法は竿(陰茎)を幾許か残す。

T : 為る程。

S : 棗の実、之をキズ付けて若い女性の陰部に挿入して浸す。 皇帝は是を朝、必ず食べる、此れ宦官の仕事。 

皇帝の身体を20~30人の若い女に舐めさせると、彼女達は本当に白痴みたいに為るらしい。

T : 鄧小平が若返りの為に、同じ血液型の若い女の子の血を輸血するとか。

S : 男の欲するものを女が持っているからと謂う簡単な論理です。

T : 儒教の中でそんな噺は全く出ては来無い。 道教・房中術・仙道術等、本来は其う謂う事を理解し無いと、中国は理解出来無い。

S : 宦官から僕が訊いた噺、かなり詳しいのだけれども文字には成ら無い (と云うより
も出来無い)。

T : でも、其う謂う勉強は楽しいですね。 所謂、精力増強。 何しろ精力が無いとね。
(自分の) 肝臓が悪ければ (健康な他者の) 肝臓を喰うとか。

S : 全く簡単な論理だ。

T : 出来れば動物より人間の(臓器)が善い。



         
                  

         左 蒋介石   と 革命の先輩 山田純三郎
         


S : 一番困るのは、日本語と中国語がゴチャ混ぜな事だ。 中国語だけでなら信じてく
れる。 終戦後、追い駆けられた中で急いでいて日本語を混ぜて書いたから、嘘を
書いたと思われた。 (文書は) 十分の一だけ持って来て、残りは向こうへ置いて来
た。

T : 本当の庶民の考え方、此れが基本ですね。

S : 七名の宦官から訊いてね。 全部在れば素晴らしい記録に為るのだけれども、留置
場から奉天へ強制送還されたから何も持て無い。

T : 其う云う基本が解ら無いと、怖さも善さも何も解ら無いですね。 日本人は同化さ
せられ易いから惧いです。

S : 僕の命を救けてくれたのは全部中国人。 7・8年前のお礼をする為に、吉林の田
舎から新京迄3~4日も掛けて、卵20~30個も持って捜し廻ってくれた。 其のお
蔭で僕等は飯が喰えた。

T : 3~4日だと百キロメートル程でしょう。

S : だから中国人の善さとは日本人が考えているものとは違う。 孔子様が此う謂った
から此う、では無いの。 日本人も善い処は在るとは思うのだけれども。 牢屋に入
っていた時、僕だけには差し入れがある。

M : 牢屋に入って在る時の態度が善かったからよ。(M・・モト夫人)

S : 三・四百名も囚人達が在た中で、僕独りだけが特別扱いだった。 賄賂一つ遣った
訳では無い。 機嫌を摂った事も無い。 満州一の悪党と新聞は伝う、其れでも差し入れは僕独りだけ。

M : 普段から中国人との付き合いが有ったから。

T : 監獄に入ると勅任官でもうろたえますよね。 僕等もうろたえますよ。 矢っ張り
余りにも外の世界を観無い善い生活をしているのですよ。

S : 最後は伯父(山田純三郎)さんのお蔭で救かった。

T : 矢っ張り本当の勇気が無いと出来ませんよ。

S : 忙しくて忙しくて、僕独りで皆の世話をするのだ。

T : 矢っ張り其れは理屈では無い。 或の人が来ると楽しくて仕方が無い、と云う雰囲
気って在りますよ。



              

             苗剣秋夫人  台北 1989  筆者


S : 大連の小学校で一緒に先生をして在た人が、国民党の外事課長さん。 十何年振り
に会って 「逃げなさい」、と。 僕はお断りした。
  「あんたに迷惑を掛けるし留置場に在る日本人を残して僕だけが返る事は出来無い」、と云って。国法か人情か。 やはり人情は国法に勝る。

T : 其う云うお譚を訊くと、其う云うものが仄かにでも在れば。 矢っ張り好きだから、無言で判る訳でしょうし。

S : お世話に為った此の人、中国に在る筈なのだが。 恐らく、もう生きてはいらっし
ゃらないと思うのだけれども。

T : 五月頃。 拓本を採ったのが出来たので、国府記念館に寄附をしようかと想い、台
湾へ行ったついでに大連へ行きますから、其の噺もね。



T : 苗さんの奥さんは大連出身なので、写真等渡そうと想って。 張 学良は苗さんの奥さんとの交流は無いのだそうだけれども、奥さんの 「或の人 (張 学良) はお坊ちゃんだからねぇ」と謂うと真実味が有りますよ。 苗さんの娘は中共の会社に勤めていますね。 でも苗さんは普通のアパートに住んで居ます。

S : 苗さんをアレすると、蒋 介石の事を暴露されるからでしょう。

T : 苗さん位なら、もっとずっと凄い家に住んでいても善いのだとは思うのだけれど
も。

S : 苗さん、 仲々良い言葉を謂っているよ。
  
「三木には見切りをつけた・田中 角栄と云う奴は一角の繁栄しか判らん奴だ・大平にはオオッピラに御免だ・中曽根には根が有るとは思えん・今の日本には日本人が在無い、日本人の在無い日本など日本では無い」
と僕に謂った。 是の言葉、活きているよ。 台湾へ行くと本当に温かく迎えてくれる。

 

 ひとまず・・・・

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「人間考学」人は先ず資格より「人格」を

2025-02-17 16:11:27 | Weblog

     

     バングラデシュ     新聞も教材

 

 

近年、資格ビジネスが繁盛している。

とくに介護は社会福祉系、保育は児童福祉系、ビジネスは英語系の資格認定のために多くの若者、とくに女性の男女雇用均等法の援用もあり、盛んになっている。

なかには漢字,漫画、歴史などの資格認定もあるが、その資格証発行元も、むかしは各省庁の天下り受け皿としての社団法人が主に行っていたが、内容はともかく、御上の威光なのか仮装信頼を仰ぎ戴いたものたが、最近はNPOの資格認定もある。

 

ビジネスにおいては技術系の技能や検査の認定資格だが、これも生産性と節約で端折るところもある。それも新米の資格持ちの検査より、熟練技術者の確認作業の方が検査も確実なのだが、資格証の所持如何で検査証の認証がとれる。先輩の熟練者は、日々技を磨くために現場に馴染み、習熟を高めて後輩に伝承するので、資格のための試験勉強などする暇もない。資格は無用ではないが、その持ち分をバリアーとして超えなければ安全性や品質保証がとれない訳ではない。

 

だだ、万が一問題が起きれば、監督官吏は資格者の責任として、かつ雇用者の責任として監督責任を回避できる。それは訴訟社会となった昨今の事情でもあろう。社外取締、有識者による第三者委員会、現場では検査士など、形式上つねに監視の目に晒されている。

ましてや、セクハラ・パワハラ、ワークライフバランス、雇用条件、と重なれば、現場は常に生産性を阻害しかねない緊張に晒され、加えてコンプライアンスの陋規(狭い範囲の掟や習慣性)を包囲するような自縛が、より企業内における自由度や柔軟性を狭め、単なる株主要件の数値利潤を唯一の指標として無機質な組織を構成している。

使役される側の論理は、身の安全と生涯賃金の企図となり、つまり資格は凡そ「食い扶持担保」、今では官吏に似たオイシイ職掌となっている。

 

 

        

 「松下政経塾 」  資格は無いが、世俗ではブランド?    コレも人格とは違う。

 

資格には要件がある。

女子短大の二人の学生が、ファミレスで社会福祉の資格を得るために、何処かの教員の作成した資格に関する要件を記した書類の要点を抜き出してノートに切り張りしていた。

「何しているの?」

『理解の速い級友はこのようなことをしなくても覚えられるが、私は難しいので要点と思われるところを整理してノートに切り付けている』

「何の資格?」

『社会福祉士です』

「そんなに難しいの?」

『私たちにとってはよく解らないことばかりで・・・』

「ところで、勉強は楽しいの?」

『楽しいとは思ったことがないです‥』

「好きで楽しいことなら、すぐ覚えるのにね」

『授業も覚えることばかりで、考えたり、想像したり、感動したりするような授業はないですよ。ともかく資格をとらないと・・・』

「就職に有利なの? 資格が有ると無いとでは、そんなに違うの」

『福祉関係は、全ての採用基準が資格の有る無しが前提で、役所の仕事などはソレがないと仕事ももらえない』

「対象者への優しい気遣いとか、個人の奉仕的対応などは、すべてが時間とお金に換算される時代になって、お互いに法がバリアーのようになっているようですね」

『今、この短大で何をするかというと、それは資格、それも上位な資格を得るための生活ですね』

 

     

        

      こちらは命懸けの学び  空自指揮官対象 定期講話

 

数日して短大の教員で司法ボランティア(BBS)の後輩と会合で同席した。

『このあいだ、うちの生徒と会いましたよね』

「君が担任・・・?」

『何を話したんですか、あんな積極性をみたのは今までにないことですよ。どうすればアノようになるのでしょう』

「ファミレスの隣の席にいた生徒かな・・、こちらのオセッカイでしたが興味あったみたいですね」

『私のクラスの生徒で、普段と違う積極性で私に話しかけてきたのでビックリしました』

「普段と違う・・・」

『彼女たちは、勉強の必要性は分かっていますので、修得の方法を知れば理解は速いと思いますが、今はそこで戸惑いがあるようです』

 

「伝えたのは、出された課題と、本人の目的意識が整理つかないようなので、別の切り口で、学校は落第しても、人生を落第しない学びをしなさいと。それと世界で何十億人いる中で、あなたと同じ人はいない、すばらしい特徴を持っている。それを探して伸ばすことが勉強で、それが人のモノマネをしたり、やたらに数値の競争をしたりして、援け合い、補い合いの気持ちを失くしたら社会福祉の前提がおかしくなり、人に役立つための人間としての勉強の前提がなくなってしまう」

 

『いまの教育現場の情況では難しい対応です』

「いや、生徒を好きになることです。真剣になることです。○○女子大に講話依頼されたとき、行儀のなってない生徒に注意し、かつ自分を大切にと伝えたら、専任教員が小声で、゛生徒を叱らないでください、大事なお客様ですから・・゛と云われました。教育ビジネスの堕落の典型ですが、学校は落第しても人生は落第してはいけないというのはその為です」

『・・・・』

「それと、自己紹介してもらいました。お決まりの出身と経過、現状の経歴紹介でした。

そこで、一番よく知っているアナタはどのような人なのか自己を語ってください、といったら戸惑っていました。自分が分からなければ仕事も恋愛もヤリタイことばかりで、自分の特徴が分かれば、ヤルベキことが解りますと伝えましたが、目の色が変わり、意欲が膨らむのが分かりました。その疑問を解くことの方が、まずおこなう勉強だといったら、゛そんなことは今まで教えられなかった゛と言っていましたが、変化は楽しみでね」

   

    

     1989 北京  落ち着いて利発な生徒 (外は戒厳令時)

 

もともとBBSの後輩で生徒にも好評な教員である。

鉄は熱いうちに打て

「ところで以前、オリエンテーリングでBBSのことを学長の依頼で話す機会がありましたが、あなたの授業の一コマ(90分)を預けてもらえば、彼女たちに伝えることができますよ」

『ぜひ、お願いします』

「その時は、あの可能性が大きい二人の問題生徒にお手伝い願えれば・・・」

戸惑いながらも不思議感をいだいた教員が承引したのは、あの生徒のお陰かと、内心「無用の用」の効用を覚えた次第。

 「無」は用が立たないことではなく、無限大の可能性を想像させ、役立つ人格として育てる醍醐味でもある

それは、意欲としても拙者の老成だけではあるまいと思う次第。

 

 

 

 

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格差とは「官」と「民」の間(かん)に在り 2008  11/1 あの頃

2025-02-14 07:40:27 | Weblog

怨嗟と嫉妬と反目の社会に今更といった内容だが、幾許の叛意を浴びることを思いながら敢えて記してみたい。



このところ蟹工船が流行っている。
流行りモノといっては恐縮だが、公害問題が騒がれていたときは、栃木県足尾の古河鉱山と下流の遊水地渡良瀬遊水地を舞台にした田中正造翁の義挙が映像化され各地で上映された。

ともに資本家と大衆の問題だが、金持ちの長(おさ)が富国強兵にともなう近代工業化によって経営者となり、隣国の近代化にもある先富方針の倣いにもなった金融、諸税などの優遇政策により資本集中から多くの財閥が形成され、曲がりなりにも西洋近代化の産業構造模倣が出来上がりつつあった。

この方法はなにも経済理論にともなう政策という代物ではなく、偏向的便宜供与もしくは国家資材の騙取のようなもので、販路開拓などそのための理屈立てに国威伸張を掲げ、かつ明治期に誕生した高学歴立身出世主義という、゛主義゛にもならない曲学阿世の学徒が論理という後付を弄し、かくも合理的発展と謳い上げたのである。

もちろん逆を唱えるものの出現もあるが、双方とも怪しい主義を掲げ政治的陣取りの利得に勤しんでいる様でもあった。


            


ことのほか乱暴な物言いだが、いまだかって良化することのない日本人の成功価値と繁栄の後に顕在する、゛人゛の有り様が、頭上に吠える如き左右主義者に阿諛迎合する姿と、その一派を構成する一群に、嘆息の域を超えて慙愧の念さえ起きるのである。

つまり果実を以てそれらの経過を良しとする成功価値が人々の観念に植え付けられたかのようになり、それに反して日本人の「人成り」が変化せざるを得ない状況があった。

近頃ではカニも正造翁も一方のプロパガンダに用いられるフシもあるが、筆者は現実の例題として以下を記してみたい。

それは名も無くも深層の国力というべき情緒を育む人々を観るに、第四権力に成り下がったマスコミの売文には馴染まないことゆえ、敢えてお知らせしたい。

社会が疲弊すると都市部から遠く離れた列島の外周がまず劣化し、徐々に都市部を取り囲むように状況は切迫してくる。とくに内外圧が直接影響されるエネルギーはイギリスの産業革命から炭化鉱物およびその油脂に変化し、それを以って先進工業国同志の軋轢を生んだ経過を見ても、人間の生活の節目に新たなハードルを構成するようになってきた。


             


昨今のエネルギー事情の狂変をみても、対価となる通貨単位(ドル等)の変動や、それに変わるべく単位(ユーロー、円、ルーブル等)の普遍性と信頼性の基となる実績経過と国家の確定した力がグローバルという、ある意味では統一管理に移行する経過での多様的流動性、単一国家の人と繋ぎの融解など、金融危機という部分的問題を越えて、通貨そのものの必然性まで問われる時代となってきている。


今までは国威に象徴される軍事力や、利便文化の浸透力によって自国の通貨単位の決済有効範囲の拡張が行なわれてきたが、それとて妙な金融工学とかいう「学」を背景とした過度な金利経済が制御不能な状態を起こし、通貨があるべき基礎的要因さえオボロゲになってきた。


日本もバブル崩壊後には制御(収拾)不能になり、あの昭和史に記された戦争における戦費の総量と同量の資金が一滴の血も流さず消滅した。まさに金融戦争だが、影響は倒産、自殺、政治混乱と大きいものがある。
ところが、今回は数百兆円を超える消滅である。

これとて、地球史では一過性の出来事ではあろうが、ハルマゲドンやマヤ暦の終焉、はたまたフォトンベルト(電磁波)の接近、温暖化などがそれらと並行するように人心を惑わしているが、心と実態生活の分別は、表裏の本音、建前を問うまでもなく、複合崩壊しつつあるような雰囲気になってきた。



           


恐れ、不安、孤独は自由と民主、そして平等の美句に誘引され取り付く島も無くさまよっている。もちろん政治、経済もだ。
2000年、暦の平準化は完成した。これからは制御管理、危機回避を名目に交換価値である単位の平準化が謳われるようになるだろう。まさに「時」と「金」の統一化が進むだろう。そしてその条件に沿える人間種のみが生存を許されるようになるだろう。

力のある者はそのように考えるのが一連の流れから観た自然の姿である。

蟹工船に戻るが、多喜二は成文化された出版物を遺した。しかしその当時の世相は、事あることも知られず多くの国民が辛苦の淵にあった。それは政治問題、文明観、あるいは民族の性癖など多岐にわたる要因が内外の経済事情や端境期にあった国内の社会構造が絡み合って、今の格差と呼ばれる状況が内包されている事情は異なるが、とくに地域間、業種別に顕著な姿で表れていた。

分野別に部分分析をしても接ぎはぎだらけの小論で終始するのも、全体像、つまり社会なり国家の眺めるような観点はみられない。
それは経国の座標ともなる理念、目標の立て方にもよるが、何よりも為政者の言行に関する「覚悟」の問題が横たわっている。

            




どうも那人の矜持に照れ、引っ込みにある遠慮が有るからだろうか、食い扶持俸給についての批判は、小ざかしい嫉妬心のようでナカナカ声が出にくい。
ただ、それさえも気が付かない人々の群行は、よりその既得権を強固にさせ、気がついた時には諦めにも似た状況に追い込まれるのは必然でもある。

それは各々の成功価値のみに言を指すものではないが、国家の富の偏在が眼前に現れないままに社会の底流として構成され、つい百年前に歴史の「維」を更新しなければならなかった状況と同様に誘引される危機感さえ想起させてしまう

それは武士道を矜持とした権力階級とそれを構成するサムライ官吏の怠惰にみる、゛切れの悪い゛武家御家人の世襲一群だった。

そこで起こったのは、矜持が気風や大義として謳われたサムライの、貰い扶持、食い扶持に堕した結果に起きた反目無頼とも揶揄された維新の一つの側面でもあろう。

下級武士の問題解決能力の欠如や大局観の無い政策など、官位に甘んじ自己保身に汲々として士農工商の職分別や立場の矜持を無にした、゛官族゛が社会の根幹をバチルスのように侵食したために起きた「維」の更新だった。

今どきの意志の見えない四角四面のヒラメ官吏、官警の点数と罰金の道路利権、たしかに「国維」(国のセンターライン、中心的骨格)が歪んでいる。それを「内なる賊」と感知して歪みを正す(糺す)事ができなければ、社会は自ら滅ぶのは必然だろう。

その更新があの維新だとしたら、西郷が呟いた「こんな国にするつもりではなかった」を如何に聞くか・・・

今、懐かしくも想うと、当時の人達に比するにその経年劣化は、職責を踏まえた意欲と自制について放埓に近い状態に置かれているようで、当時の伴食サムライと何ら変わらない姿に見えてくるのは、彼等の止め処も無くスパイラルに上昇する俸給や奇妙な貰い扶持手当てが、庶民から陰湿に隠された特権の如く映るからだろう。


             


知人から聴く語るに落ちた話だが、自治体の課長給与の二人分が総理の俸給とは何とも情けない。イラクの俸給別の現地手当てが一日三万円、そのほか退職金の億単位がゴロゴロしている。ある都税の徴収官は「貧乏人が多い地域は徴収事務が忙しくて・・」と慇懃にもホザク。

法の多くは彼らの不作為に苦情を訴る民への盾、つまりやらなくても良い理由だ。

禁止(規制)法は手数料、罰金を受け取る証、しかも取り締まり法運用官(警察官)の恣意的行為も中にはあり、国民の怨嗟の的になっている。

彼らの模範?になっているのは、税で賄った学び舎で高位を得た人間の所業である。卑しい犯罪のみならず、隠蔽、改ざん、廃棄、にみならず、昔から横行している補助金詐欺、収賄など役得などがある。始末が悪いのは、それを摘発、裁判する職掌もタックスイーターなのだ。彼らは傷を舐め合い境遇を察する妙な同類意識がある。

 


今ほど怨嗟と嫉妬が渦巻く時代は無かった。夫々が職責の分を弁え、官民が調和していた頃と違い、いつの間にか肥大した官域は国家の行く末まで茫洋とさせている。

http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=4b53ff45dd58d4b6e9773d59468ae7e4
【当コラム 2007,11,20 昇官発財】


これを以て以前のコラムに記した「四患」の氾濫である。
「上下こもごも利を獲れば、国危うし」
まさに官域による、偽、私、放、奢、の増進である。


困った人達である・・・


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盧溝橋事件は偶発と、多くの日本人研究者いうが

2025-02-13 02:28:42 | Weblog

盧溝橋事件は偶発と、多くの日本人研究者いうが

 

 

歴史上の出来事は遠因がある。

それは今ばやりの量子学の泰斗ハイゼンベルグ博士の説を用いれば、多くの不確実性要素も考察の切り口として活かせることだ。

歴史と複雑数学で・?とは、学派を構築した学び舎教員からは批判もあるだろうが、突発的に起きた事実の不思議感は学び舎で集積されたモノだけでは、ときに四角四面な分析考証学になったしまう危惧がある。

いわんやボスの学説を引用しても侵さず、新説異論すら忌避される世界だ。

くわえてボスを戴いた学派では、研究費確保やマスコミステータスを企図した、売文の輩、言論貴族の装いは「有名」とする名のもとに、こと歴史については確定もしていない考証に、さも証人的裏付けを提供する「経師」が多数出現している。

まさに今風のマスコミの代理説明担当者だが、これさえも視聴ないし読者は、単に知ったか覚えたくらいの類で留飲を下げてしまう状況だ。

「※「経師」学びの説明 「人師」人物養成の為の人の師

 

そこで標題に戻りますが、多くの日本人研究者は、歴史では日中戦の端緒となった日中両軍が対峙していた盧溝橋での事件は「偶発」と認定(今のところ)している。

日本軍の守備陣地に対岸から発砲され、それに応戦したことで拡大した、との説である。

相手は蒋介石率いる国民党軍。確かに満州から南下して北京近郊の盧溝橋に侵入されれば、当然、抵抗するのは当然とみるべきだが、現地は両軍兵士が行きかう平穏な状態だったと日本軍将官は述懐している。そこで突然の発砲である。両軍も驚いたが、現地の武装勢力は国民党軍と日本軍しか存在しない。

そこで偶発的とのみかたは、銃の暴発、これは交通事故でいう「もらい事故」だが、よく考えると有り得ることであろう。

 

発砲への反応は兵士の瞬間発砲となるが、南下侵攻は将来意図していたとしても、軍律上、上官の命がなければ部隊は動かせない。まして天皇の皇軍であるため上層部の裁可も必要となる。事前に裁可をもらい、敢えて相手方の初砲を待つとしても、以後の真珠湾の相手からの先制攻撃を待つ、あるいは謀略企図で誘引することは当時の現場状況としては起こりにくい状況であった。

 

偶発とはあるが、問題は日本軍の侵攻が始まり、国民党軍は後退し、日軍は誘引されるように中国の山間平野に侵攻した。まさに従軍作家,火野葦平の兵隊三部作「麦」「土」「花」の実景であり、パールバック女史の悠久の「大地」に営む民衆の祖地に軍靴を進めている。

 

当時、中国には軍閥の残影があったが、蒋介石率いる国民党が政権を掌握していた。

一方では共産党がソ連共産党の指導と援助で地歩を築きつつあった。

後の内戦から合作、そして再び内戦から共産党政権の樹立をたどれば、盧溝橋で起きた事件から日中戦の泥沼化、国民党、日軍双方の疲弊は、敵の敵を用いて国民党を疲弊(夷を以て夷を征す)させるという共産党にしては絶好の機会ではなかったか・・・

  • 周恩来総理は「日本のお陰で・・」と、先の日中戦を意味深に語っている

 

そこで筆者に寄託された資料と、当事者からの音声聴取を引用してこの問題を記してみる。

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戦闘なき80年、兵を養うことの難しさ

2025-02-07 01:15:32 | Weblog

 青森県黒石市 2025  1月

 

以前、山本五十六大将の言をひいて、「平時に兵を養うことの難しさ・・」を記したことがある。

米国は世界中に軍を展開し、装備の更新や兵站の充実など、戦後、戦闘行動がなかった自衛隊とは現下の指揮隷属関係は同盟とはいえ、この部分においては国権すら委ねざるを得ない状況である。

敗戦国の頸木は経済や軍事、はたまた外交においても戦勝国の顔色伺いに終始している。

 

  

 当時は占領国進駐軍

 

配備についても、自衛隊の役割はの多くは国内に点在する数多の米軍施設の警備、防衛を任務としている。主に米軍の三沢、横田、岩国、嘉手納の周辺に設けたレーダーサイトやミサイル迎撃施設、海洋深度調査には国交省所管の海上保安庁、攻撃型空母艦隊の周辺警備や、海自の潜水艦、P3C対潜哨戒機などが任務に就き、基地周辺の国籍不明機には航空警戒団、スクランプルには空自戦闘機があたっている。

憲法の遵守もあるが、あくまで防衛任務として攻撃戦闘任務の組織でもなければ、有事の指揮権さえ米軍の隷下にあり、自前の戦闘機さえ造れない環境です。

 

  

関東軍による張作霖爆殺      極東軍事裁判        

 

古代から大国は分断統治として、周辺諸国の宗教や民族間の軋轢を謀り、「夷を以て夷を制す」手法を用いるようです。

植民地の撤退では、分割統治として、インドからバングラデシュ、パキスタン。インドネシアと東モール、南北ベトナムや朝鮮半島、台湾と大陸もそうです。また、中国はチベット侵攻にモンゴル騎兵を用いました。騎兵は満州国軍騎兵ですが、もとをたどれば元の西方侵攻が西洋騎馬兵法となり、日露戦争での秋山好古の騎兵戦術が、再び満州国モンゴル騎兵となったもので、武器は銃器と日本刀です。

 

        

        アヘン戦争で英国は香港を割譲

 

要は、当時チベットが憎むのは中国でなくモンゴル騎兵だったのです。たしかにモンゴル人、チベット人、漢族(中国)ですが、漢族からすれば他は周辺の夷族です。

肌の色や宗教となれば、西欧と東洋、とくに問題が起きる東アジアの軋轢ですが、これも冷戦の頸木から紛争国それぞれに政体や経済圏の異なる大国の援助国が存在し、戦端が開けば代理戦争といわれる、ベトナム戦争や中東、アフリカで起きている紛争と同様なことが行われます。

行政の逸話ですが、上司が部下に施策を指示すると、まず「できない理由を探す」といいます。今までは憲法や法律が、できない理由でしたが、その面倒な仕事を増やさないようにという官吏の狡知すら届かない政治状況にもなってきた現下の状況です。

遊惰に陥ったかのような民情と、緊張感の乏しくなったかにみえる当局の様相は、現業である戦闘集団にも戸惑いとして伝播するのは当然です。いくら莫大な予算を得て装備を充実しても、ことは戦後80年の戦闘もない平時において、山本五十六氏が憂慮した兵の、ここでは司令部局と隊員の「統御」について、募集さえままならない環境で果たして目的成就が適うのか憂慮を超えた危機として現示しています。

 

     

 北部航空警戒管制レ=ダー イメージ      災害復旧

 

今回、影山好一郎元防衛大学校教授と、語らう機会を得た。

さまざまな切り口で語り合った。筆者は自己の人生の備忘録として、防大卒の一自衛官の影山氏が、どのような背景のもとに、指揮官任務に就いたか、その発言内容に如何なる背景や考えがあるのかという点に、興味を抱いた。そして影山氏(教授)の体験と、それに対する本人の客観的な考察文を、ブログ掲載することを所望した。

筆者は、航空自衛隊の幹部学校、三沢基地などにおいて、定例的に講演を行っているが、これに対する隊士諸君の所感等に鑑み、生死を伴う職掌に対峙する彼ら自身の気概を自己確認すること、同時に、影山氏の思索が、彼らの任務に対する一助になればと察したからに他ならない。

以下は影山氏から頂いた綴りです。

内容は、目的を確立して、平時における機体整備をはじめとする任務に、疎漏のないように、職掌に対する隊員の責任感の調和と、人間的向上について、影山氏の隊司令としての回顧と気概がこもった一文となっています。

 

対潜水艦哨戒機 P3C

 

愛情と責任感

―部隊統率の体験と考察―

                   影山好一郎

                   1942年生、防大9期生

 

1965(昭和40)年に防衛大学校本科(第9期)を卒業以来、海上自衛官としての道を歩き始めた。

1971(昭和46)年に同研究科(第8期:電子計算講座)を卒業後、自衛艦「あずま」の艦長付として、新装備のファイヤービー(無人標的機)誘導装置の整備・運用に携わった。

その後海上幕僚監部防衛課にて、導入が決定されていたP-3Cの実際の受け入れ態勢整備のための計画立案に携わり、昭和54年、鹿屋教育航空群の第204支援整備隊の検査隊長、統合幕僚会議事務局勤務の後、成元年8月1日に、青森県八戸市の海上自衛隊第二航空群第二支援整備隊の司令(隊司令)に着任した。

部隊指揮官としては、鹿屋に検査隊長以来の二度目であった。この度の隊司令は、北方警戒を主任務とする2個航空隊が、円滑な作戦が出来るように、P-3C 20機の整備を行い、提供できることを任務としていた。

かつて導入に携わったP-3Cの第一線部隊の整備隊司令に着任出来たことを幸せに、光栄に思った。第二航空群は、本部、第二航空隊、第四航空隊、支援整備隊、航空基地隊で構成されていた。

 

 

 

1 第二支援整備隊司令としての部隊統率の体験

 私の第二支援整備隊は、本部、航空機整備隊、電子整備隊、武器整備隊、検査隊と五つの部隊から構成されている。したがって、私の下に5人の隊長がいた。部品の補給は、航空基地隊の補給隊から供給された。

 私は、着任の際、緊張した空気の中、P-3Cの大きな格納庫内に設けられた壇上に立った。隊員約500名が整列しており、司令新着任の挨拶儀式が始まった。

私は答礼の瞬間に、初めて痛切に感じたことがあった。それは、「私に与えられた任務を、この目の前にいる隊員500名の諸君がやってくれるのだ。そのような貴重な隊員を私は全力で守らなければならない」という自覚であり、そのために必要な業務を全力で行う覚悟であった。

後になって考えたことだが、この自覚と覚悟は、自己の任務に対する責任感と、その任務を隊員が代わってやってくれるという感謝と隊員に対する敬意から来ている。

 このような気概で私の二年間の任務が始まった。各隊の隊長との定例的なミーティングは、月曜午前に司令室でこれを行い、整備業務、諸懸案事項をはじめ、隊員の心情把握に心がけた。

幸いなことに意思疎通は和やかである一方、各隊の現状や抱える懸案や最悪の事態への対処法等を論じ合った。

 毎週月曜日には、格納庫内に集まった隊員に、5分間の司令講話を行った。内容の選択に心がけたことは、「任務第一、楽しく愉快に」をはじめ、人間関係の参考事項、人は一生通じて学ぶ続けること等を中心に、また、諸行事を捉えて隊員を激励した。また、隊員のマイナスな行動には、失敗を責めず、次に活かす姿勢で臨んだ。

 隊司令としての勤務が始まって間もない頃、隊員が夜を徹して、エンジン、機体、計器類、武器等の整備に全力で取り組んでいる姿に、改めて感動した。その後の訓示において、「諸君が、毎日、ひたすら全力で取り組んでいる整備業務の成果は、昨日も、今日も何もなかったという、戦争を抑止し、平和を勝ち取っているのであって、このことに諸君は誇りと自信を持ってほしい」と訓示したことがあった。

私の素直な気持ちであった。その時は、分かってくれたかどうか、分からなかった。ところがその日の午後、たまたまトイレで会った若い隊員が、「司令の今日の話しは、すっきりしました」と笑顔で、話してくれた。その回答に私は感激した。分かってくれる若い隊員がいるのだという喜びであった。ここに至って強く感じたことは、四つあった。

一つ目は、幹部、海曹、海士の全てに対する公平な愛情を持つことである。それは職務に対する愛情でもある。隊司令としての自分に与えられた任務を、これ等の隊員すべてが、自分に成り代わって、やってくれているのだという、それは感謝の受け止めであり、部下は本当にかわいいと思うことに繋がり、それが部隊統率の原点であると思った。

 

                     

                   機体整備

 

二つ目は、隊員全体の明朗さを獲得するためには、5人の隊長との意思疎通を図り、隊長を信頼し、彼らがやり易いように、手綱を緩め、独創性を重んじてやることである。

隊長は自己の隊員の作業向上に一生懸命であった。この効果は、整備技術の向上と作業チームの効率化を生んだ。そして、隊長による隊員の心情把握と指導に役立った。

三つ目は、司令も、隊長クラスも、具体的に航空機整備の作業をやるわけではない。しかし、平素の隊員の整備作業を通じて、トラブルが生じた際に大所高所からの判断に貢献できるよう、技術的、人為的な両面からの平素の勉強と考察が必要であることを、隊長との対話に心がけたことである。

隊長クラスも打ち解けて現状や問題点を披瀝してくれた。P-3C航空機は、これを構成しているどの分野も、高度の技術的なノウハウの集積体であった。このような機械を使いこなすには、「マン・マシンシステム」としての基本に立ち返って、虚心坦懐に運用・整備することが必要と思う。

隊長との信頼関係を築くには、私の上司である群司令、他部隊との連繋を円滑にし、また、海自全体の術科会議等に参加する上で、自ら努力して海自全体のために寄与できる見解を築き、説得力のある資料等の作成に尽力する必要があると思う。この努力の姿勢が、隊長を指導する一つの糧になると思う。

最後の四つ目は、隊員との接触において、指揮官先頭の心構えを持ち続けることである。隊員は、いざという時に、指揮官の顔色を直感的に捉える。

そのような緊急を要する有事的な場面は、そうあるものではないが、指揮官は、泰然として対応措置を執れるよう、平素から学習をしておかねばならない。緊急事案が発生した場合に、事案に対する正確な判断・行動が執れるか否かは、自己の知見・能力と、隊長・隊員との平素から信頼関係が出来ているかどうか、であると思う。

この信頼関係を構築するための一環として大切なことは、隊長との意思疎通はもちろん、自ら、部隊行事(駆け足大会、柔剣道、講話、宴会等)に積極的に参加し、隊員と一緒に汗を流し、交流を深めることによって、隊員との適度な間合い(距離)を保っておかなければならないと思う。

 これらを押し並べていえる不可欠なことは、以上のことが、旨く行かなかった、あるいは失敗した場合の、一身にその責任を負う「覚悟」である。部下を愛し、隊長を信頼し、隊員の作業に対する自信によって、部隊は明朗闊達を得ることができる。

しかし、人間は如何なる人も不完全であることを忘れてはならないといえる。部下への信頼は、その部下に悪意が無くても、失敗・事故に繋がる可能性があり得る。幸い私の在任中、大過がなく有難いと思った。

その失敗の存在を常に慮って、自己の責任として対応できるだけの平素の度量が無ければ指揮官たる資格がないようである。

覚悟は驕らず、誇らず、常に広く、深く学び続けることによって、その形成と維持が可能となろう。

 

 

    着任挨拶

 

2 統率の精神的支柱

顧みて、私の隊司令としての統率を支えていたものは、いったい何だったのか。それは二つあるようである。

一つ目は、防衛大学校初代校長の槙智雄先生の薫陶(精神的支柱を備えること)が、私の現役時代に一貫して生きていたのではないかということである。

英国のオックスフォード大学に留学(古代ギリシャの民主政治思想)し、パブリックスクール的教養を身に着けた槙先生の薫陶を、私のクラスは4年間受けることが出来た最後のクラスである。初代校長に課せられた歴史的使命は、新憲法以外に指針がない中で、戦前とは異なる新しい幹部像を追求し、これを実現する教育方針や学校運営の体制を確立することであった。

槙校長の遺訓は、主なものを列挙すれば、

「幹部自衛官たらんとするものは、軍事専門家である前にまず良き社会人であれ、紳士であれ」

「広い視野、科学的思考力、豊かな人間性」

「名指揮官たらんと欲すれば良き下僕たれ」

「個性の尊重は近代文明の基礎なり」

「心に遅れをとっていないか、腕に力は抜けていないか」

「うそをつくな、あざむくな、盗むな」

「持ち場を捨てるな」

「成熟した社会は教養を重んじ、情操を尊び、節度を敬う」

「道義は誇りの根源なり」

「任重く道遠し」

「正しき行いにおいてのみ自由あり」

「ノーブレスオブリージュ(高い身分には義務が伴う)」

「服従の誇り」

「規律なくして真の自由なし」

「希望のない人生は暗く誇りのない生活は無意味なり等であった。

 

私は、学生当時は理解不十分であったが、実際の自衛官勤務を重ねるにつれ、その真意と深さが身に染みるようになった。槙先生をはじめ、同窓の先輩諸兄に感謝している。

もう一つは、日本の「武士道倫理」である。

私は当時、剣道5段(現在7段教士)であり、週に一回程度、剣道同好会員に対する技術指導を行っていた。年に一度、体育館において群剣道大会があり、技術の錬磨に励み、初年度は優勝した。しかし、私はその技術的な向上の難しさを自覚する一方、剣道は日常の勤務や生活そのものと同床であり、戦うことは真剣に生きることであると考えていた。

日本剣道連盟の「剣道の理念(定義・哲学)」は、「剣の理法の修練による人間形成の道である」とあり、これほどものの本質を深く思索し、表わしている言葉は他にないと思う。竹刀という一つの媒体を使い、意思ある対手に対し、友好打突を如何に勝ち取るか、その一点のために生涯、鍛錬し続けるのである。

その理解のために、身近な言葉を考え、稽古の合間に、また時に、隊員への訓示の中に、分かり易く話すよう心掛けなければならないと思った。

因みに、「友好打突」とは、ひたすら「己の目的の達成」を意味すること、「適度の間をとる」ことは、「平素の生活の人間関係や仕事にも適度な間(時空の距離)を保つ」ことにも通ずること、「相手の中心を割る」ためには、「より強い自己の中心軸(覚悟、信念など)を作らなければならない」こと,「丹田に気を納めれば(事前準備や思考に自信を持てば)、恐怖が飛ぶ」等であり、人は常に学び続けなければならないように思う、と付したように思う。

武士道とは、武士が戦国時代の武勇に殉じた倫理観から、安定した幕藩体制社会の、人を斬る必要がなくなった江戸時代に、初めて完成したといえる。

被支配階級の人々に対する道義的な指導者としての「武士の倫理(山鹿素行の「士道」)」であった。

これは山本常朝の『葉隠武士道(武士道とは死ぬことと見付けたり:徹底した忠義の維持)』を凌駕するような、現実的な変革・改善の力をもっており、幕末以来の後世に与えた影響は大きいと言えよう。

今日的に言えば、如何なる分野においても、任務に対する忠誠心、相手に対する敬い、率先垂範をはじめ、特徴的なことは、現状変革・改善の強靭な探究・努力、道義に悖らない誇り、等といえるだろう。

 

 

3 結論

私は、無意識のうちに、司令としての自己制御をもって勤務していたように思う。そして、今、振り返って思うことは、この武士道倫理と、槙校長の薫陶に込められた指導理念とは、その根本において、時空を超えた人類に普遍的かつ常識的な教養ではないかということである。

つまり、私の体験が意味するものは、独自の創造的な統率法ではなく、より広く、如何なる場面も、如何なる指揮官においても、槙初代校長の薫陶や武士道倫理に底流する普遍的な統率の在り方を、私が自身の個性をもって体現に務めていたものに過ぎないと言えよう。

自衛隊は、国内外の多様な任務に赴く時代になり、国際情勢の悲惨な現状と、日本の将来において、皆無ともいえない何らかの危機に鑑み、国民の負託に応え得る活動が強く求められる。

そのためにも、健全かつ有効な部隊指揮における精神的支柱を、後輩諸兄姉に継承・発展させ、任務に生かして戴きたいと心から願う。

 

最後に、自衛隊は、「武」の字が意味する様に、「武」の技芸の熟達を目指して全力を傾注することによって、その「戈(鉾)」を使わずに済む国際社会、ことに波騒ぐ極東・アジアの安全・安定の構築に貢献しており、平和希求の世界の創造者であるといえるだろう。

 

 

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真の国力に憑依する軍と財への誘惑  09 9/19 再

2025-02-04 01:19:47 | Weblog




[憑依]は弱っているものにとり付くことである

現実の生活にある嗜好の基礎的条件を否定するものではない。ただ将来を見つめるための座標軸と欲求充足のホドを弁えることが必要だと考えるからだ。

異民族の賢人、孫文は「真の日本人がいなくなった」と歎くが、゛あの時は存在した゛ということだ。その意味で真の国力を考えたみたい。



               





国力のバロメーターは経済力と軍事力だという。またそれがために他国の事情が気になり、ついつい知った時点から意味の無いものになるような一過性のかつ、たかだか努力次第で変化する数字に翻弄されるのが近頃の人の倣いになった。

加えて世界に普遍的であるとグローバリズムの基準に沿って、より俯瞰した考察からすれば、たかだか人間のみの要件を引き合いに狭い範囲のルール「掟」によって国内事情までが混乱し、政府は重い荷を背負って泥足を引きずる状態に落ち込み、しかも他の比較するべきあやふやで流行じみた欲望を謳歌する自由と偏平等の意識は、より社会の調和を失くし、曲がりなりにも国家として維持されてきた民族固有の連体さえ衰えさせてきた。

その国内事情とは、アメリカのギャンブル経済と、そこに蠢(うごめ)く不埒な人間による彼らの仕組みやルールに合った市場という賭場の拡大と、至るところに埋められた地雷の傍に人間の餌というべき金を散らせ、身の程知らずの懐が淋しくなると胴元の貸し金よろしく、金融と称して金利を掠め取る。どちらにしても借りるのも、博打を打つのも、換金(為替)もサジ加減で、働かされるのは財による成功価値を植えつけられた人たちである。

それは「上下交々(こもごも)利をとれば国、危うし」の古語を例え、かつ古のギリシャ、ローマ、大英帝国、そして先進国といわれる財を産み出す国々の人間の嗜好は、温泉、グルメ、旅行、イベント等に共通した価値観、いやそんな観などにも及ばない糜爛した怠惰な欲望の習慣性に社会の衰えをみるのである。

その一見平和的とも思える環境を維持するのに経済、そして護るに軍事、はたまた国内のパイが飽和すると外を確保したり、行動域の自由化を促すための虚偽美辞麗句となった自由と民主を唱えながらも衣の下は軍事力を用いるようになってきた。

大義を唱えながらも、その建前大義にがんじがらめになり閉塞状態になる国内事情は、外の収穫が無ければ持ち堪えられなくなる。さして肥沃でもなく薄い表土の下は岩盤のヨーロッパにおいては尚更のこと其の傾向が強い。






                    





異なるものを悪と言いつのり、゛それを看過するものは同罪である゛それは、どうしても解らなかったあの湾岸戦争のアメリカの行動が、ふと彼等が言う聖書なるものの一章に合点がいったことと、それを日曜日に唱和し誓いを立てている人たちの行動であると、あの時は寂しい理解をしたものだ。


このところ我々はつねに数値の多少を根拠として事象を見るようになってきた
軍事力、経済力も他国の比較について其の量を問題視してきた。それは努力次第でどうにでもなる数字だ。よく危険度を探るに兵器の性能をみるが、過去の実績、占領運搬への船舶数と渡洋能力、侵攻意図のなかで最も重要なのは軽薄な欲望を充足させるような夜盗、海賊の類ではなく、自国のシステムや習慣への隷属を含めた、血の支配、つまり混交による種の拡大が根本にある。

軍の勝敗や祖国の興亡が戦争なら、その後の婦女子陵辱による血の汚れであり、殺戮による民族浄化や、血の系統の抹殺にみる本能的な行為は国内の部族、あるいは近隣家族といった部分から、宗教、思想を背景とした排他行為、経済利敵など多岐にわたる要因を観ることができる。

また動物のように環境に則して凶暴さを宿す種もあれば、柔和な姿をみせる種もある。
あくまで人間から見た姿だが、柔和な弱者の凶変や凶暴さを宿しながら泰然としている各々の種は指導者なり精霊を戴き、民族という名で営みを継続させている。

誘惑とは誘い惑わす、あるいは惑わされることであるが、経済軍事の多少、大小、ことに其の数値を基とした他国との比較は前章に表れる人間の一方を際立たせて、その姿として戦渦を招来させている。
とくに、経済のしがらみから大が小を呑むといったことが顕著になり、たかだか人間の大義を謳うという理屈の付回しで、国際間でも付和雷同を起こしている。





                 

     孫文をして真の日本人と言わしめた後藤新平




遠い過去から大量の生き血を吸い込んだ大地は腐葉土のように各々の種の営みを支えている。そこから精励への畏れと生命への感謝が芽生え情感として人の心の糧となっている。
回顧や恩顧も時を得て甦り、あるときには無常と儚さを抱かせスパイラルのように人の歴史を繰言のように繰り返している。それはアカデミックな検証とは異なる、人の科学ともいうべき姿をもって、茫洋ではあるが、゛人生゛という名で人間種を成り立たせている。

現世のみに埋没し、生死で表される肉体的問題と一方の本能的要求として、かつ非生産的と遮断されもする、人間としての本性の在り処を自得して、その甦りに期待するには、潜在するであろう、様々な因子を含む力を知ることだ。





                


            津軽の夏



余談だか、巣鴨拘置所の教誨師であった仏僧の花山信勝氏は筆者に秘話を伝えた。
「東條氏はエリートで地位もあった。ただ、私の語りに、゛其のことを早く知りたかった゛と慙愧の念を持っていた・・」

国民の生命財産を守るために軍事を増大させ紛争も解決し、財産を増やすために経済を拡大させた、これが国家の繁栄であり、国威の伸張であると国民を鼓舞した当時の政府の言は、字句を変えれば今とどこか似ている。いや現世はそう流れるのだろう。

ただ、゛早く知りたかった゛ということに含まれる、もう一方の人の心に潜在する力、連帯すれば国力の在り様を疎かにしてはならない。

これを忘却したとき国内の施策は浸透せず外交は混迷する。諸般の因は表層をなぞっては分からない。

潜在する真の国力に目覚めるべきだろう。

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「人間考学」 日中はそれぞれを「用」とするか、「体」とするか   8 5/18再

2025-02-02 20:16:45 | Weblog


 それぞれの「体」(本質)を理解しつつも、それぞれが「用」(利用、活用)とする妙な関係がそこにはある

今どきの6,3,3制の官製学と教職員による「知った、覚えた」類の数値評価選別には皆無の人間考学ではあるが、「活かす」とはその種の問題に含まれた人の交歓を云うのだろう。あの安岡正篤氏も「応答辞令」について、よく言の葉にのせていた。また、異民族との交歓において、よく感じられることであり、かつ有効となる倣いでもある。

 中国は日本に中国的なところを観る。日本もそのように感ずるところがある。

 ここではチベット,餃子など中国に向けて投げかける問題と、靖国、南京を相殺するものでなければ、それぞれが哀れみに近い人情を相互の問題として理解するものでもないが、縁あってアジア圏に棲み分けられて、あまりにも儚く、切なく,亡羊の歎きに近い感情交換する隣人について、童心のような不思議さを考えたい。

 天安門事件から6年後、あの時の緊張と感動の体験を引きずって訪中した。
 広場はほのぼのとした情景が広がっていた。天安門の楼上から見る広場には占拠したトロリーバスや革命記念塔に翻っていた紅旗はなく、革命記念堂の石段に座っていた多くの青年の姿もない、いつもの広場だった。

 数万ある広場の敷石は翌年取り替えられるという。そっと両手を着くと自然に膝が折れた。目の前では童が凧揚げをしている。あの時と同じ空は青かった。

 訪中は中日青年友好中心(センター)の董事長との面談だった。
 彼は共産党青年同盟の元委員長という履歴がある。あの胡主席を始めとする現政権幹部の出身母体である。センターは中曽根、胡書記と合意した3000人の青年交流のために作った複合施設である。日本大使公邸前の広大な敷地にホテル、劇場、室内競技場が点在している。

 

陳松 中日青年友好中心董事長との招宴


「友好」と「誘降」ユウコウ

宴はその言葉で始まるわけだった。
「日中友好を祝って・・」

参会者が杯を上げたときだった。
「お待ちください。ユウコウとは日本人は友の好きと書きます。また政治家や商売人はユウコウの下心がありますが、自分はアジアの友人として杯を干したい。貴国は時折技術と資金を思い図ってユウコウと言い、日本人も訳もわからずユウコウと連呼していますが、「誘降」では永い好誼は出来ません。これからは立場を超えてアジア万歳でいきましょう」

 通訳者は慎重に言葉を選んでいる様子だった。通訳が終わって10秒位の沈黙があった。これを通常外交非礼というのであろう。しかし、政治舞台に居れば党幹部、政治局の重要ポストに就いただろう彼の立場において、あえてその位置に留まる意志に委ねた提言だった。

 董事長は破顔して「そうしましょう」と言葉を発した。
その後は宴テーブルに盛られた料理はそっちのけで、庶民好みの北京銘酒「京酒(雑穀酒)」と無造作にニンニク(日本ほど辛くない)を椀に盛り、それをカリカリしながら乾杯、いや連杯が始まった。

 止め処も無い宴が終わりに近づいた時、「○○さんに中国各地の有数の△△の優先的使用を認めます」
もちろん「そんなつもりで来たのではない、結構です」と応答した

それを感応して、また宴が続いた。

標題の「体」は同じと観た。だが「用」の使い方に巧みさはある。
翻って日本人としての「体」はどうだろうか。
用」が慇懃で巧妙になっては居ないか。

彼の国の人々から、日本人の「ハナシ」ではなく、吾を言う自信を持った「語り」を見たいと云われたことがある。「脅せば黙る」は歴史とともに相互に交差する。

孫文は死に察して側近の山田に述べている。
「真の日本人がいなくなった」と。
彼らの言う「真の日本人」とは、筆者の命題となった。

つまり「用」でなく、「体」の認識である。

 経済発展は西洋の市場と金融グランドに順化する。
 それは、我国が緊張する「用」としての「反日」から、将来は「体」を再考する「反西洋的」に転化するだろう。

 豊かさと、平和、人権、自由、民主は、その美句、美章であるからこそ、理想像を構成し誘引される形であるが、辿り着いた実感は弛緩した「体」を露呈し、「用」のみが利便性、有効性として、「無用の用」が説く、人と自然の関係を無意味な位置に追いやっている。

 我国においては潜在する意識、直感に近い観察で問題を捉え、その本質を認知する人々が増えてきた。彼の国にも「用」のみでなく「体」、ここではアジアの「体」を憂慮する人々が居る

まんざらでもない隣国との将来である。

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