まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

再読 中華民国 台湾に国維は存在するか 終章

2009-07-10 11:27:22 | Weblog






前提は《真の台湾統一》  (宿命から立命へ)

生存の宿命を悲哀と感じたら、それは怠惰の存在を認めるものだ。
参拝に公私を騒がしくも問う民情もあるが、当事者がマスコミと連れ立った鎮魂が真の有り様かを自問するもことも無く、立場の宿命を風俗怠惰になった民情に問いかける狭隘な選択肢の提示は、よりリーダーの存在を希薄にさせている。

アジアには緊張感のあるリーダーが存在する。中華民国の歴代総統もその任にあった。
多方面から提供されるであろう経国の提言に迷い、怯むも、超越してメッセージを発しなければならない覚悟と、熟慮の果てにある国家に靖んじて献ずる己の姿が見えるだろう。

それゆえ今回の総統の発言は双十国慶に当を得た内政の連帯喚起と、大陸への応答辞令として絶妙な機会でもあっただろう。

我国も台湾とかチャイニーズ台北とか呼称しているが、中華民国であり、国政の中心地は台北市と呼ぶべきだろう。
香港協議は彼らの知恵から搾り出された、偉大なるグレーであろう
しかも、そこには意思がある。どのように推移、変化するか分からないことを、四角四面に決定することの愚は、わが国の歴史から見ても理解の外にあることでもある。



《アジアの中での日本国成立の要件》強固な意志こそ柔軟な行動を生む

そのなかで我国は腰の落ち着かない右顧左眄政策を噴出させ、その姿は彼の国のいうところの小人国家、商国家として両岸から嘲笑されている。
俯瞰した歴史から見れば、その分離国家政策は第三国を揺さぶるには大きな価値があり、スローガンが異なっても利に対する欲望は同化させるに充分なグランドを持っている。

経済を唯一の国家価値と考えるようになった今、世界は翻弄され固有の情緒さえ融解させいるように見える。
合体恐怖と分離安心を駆使しながらも誘引する利の魅力は、とくに遠大な経綸も無く、異民族の顔色を伺う我国の存在は、「大謀は図らず」を自然の生業とする民族に飲み込まれることは必然である。 

戦渦のトラウマにある国にとって、分断、分離はややこしい外交舵取りが必要となるが、合体されたときのパワーに比べて一面の安堵がある。 しかしアジアの連帯を考えたら、色分けされた版図の調和なり、元の姿に戻さなければならない情緒的な筋があろう。

一方の文明価値にその生存を求め、利によって完結を求める国家の行く末は、あの商国家カルタゴの末路を想起させる。 一時は、抑圧されたアジアから光明として謳われた明治は、少なからず頼りになる国だった。
ことさらシフトを変え、歴史に異議を申して書き換えるような短絡な意思はないが、収斂しなければならない歴史の必然がある。

「個の尊重」などと、より分離と放埓を招く風潮は、利によるパワーゲームを増進させ、同一地域での情緒の噛み合わせが悪くなり人間同士の信頼の置き所を分からなくさせてしまう。 その選択は、地位、名誉、財力、学歴、といった人格とは何のかかわりもない附属性価値な委ね、終には連帯意識の欠乏や己の生存意義までもおぼろげにしてしまう。

 時空を結ぶ連続スパイラル、リングチェーンとでもいおうか、まさに人心が衰え「国維」が途絶える状態である。

すぐさま、李前総統は苦言を述べた。「法律的にも抹消されている中華民国を破棄すべきである」と。 さして鎮考したと思えない法学者特有の理論だが、リーダーの至言に注すべき言葉ではない。たとえ国民党と2分している緊張感が言わせたものであっても、と機宜を読み取って応える寛容が欲しい。

 四角四面を大人気ない日本、と語った満州国副総理張景恵のように、あの民族特有の逢場作戯を駆使して、宿命を持った光明ある島礁国であることを任じて立命の意に達してほしい。

宿命、悲哀は一方に滞留する怠惰を誘い、力を善とする民族は国家怨嗟に向かうだろう。

それを打ち払うのは「立命」しかない。その術は歴史を振り向けば己の背に添っていることが分かる。 それは、四角四面も良くないが、功利を拙速にとらえる短絡さも良くないということだ。


            《復(ふたた) 縁は蘇る》辛亥革命

恩讐は縁によって復(ふたた)、蘇る。保存しておかなければならない歴史の残像と人物は、我国のとっても共通な残影として、また地域連帯の守護としてその出番を待っている。

それは明治の残影に映った人間を、真の日本人として称え、その経綸は中華民族のみならず全アジアの安寧を唱え、東西の調和によって平和を求める熱情と行動があった。 多くの日本人が死を賭して捧げる価値のあるものだった。また抑圧された多くの民族が立ち上がって独立を勝ち得ていった。 異民族が価値をともにして行動した瞬間だった。

昼夜を問わず書き上げた選書には、全中国民族を代表して哀悼と感謝をのべ「その志、東方に嗣ぐものあらんことを」と日本及び日本人に期待を寄せている
それは、我国にとっても、アジア全体の「維」として語り継がなくてはならない。

たとえ両岸のねじれ現象が解消されても、その価値は消えることはない。

幸いというべきか、今回の訪問の初頭に殉難された日本人教育者6士の墓参と顕彰碑の拝礼に訪れた折、愛知淑徳大学現代社会学西尾教授が引率するゼミ女子学生に遭遇した。

西尾教授は一段小高くなっている顕彰碑の周囲を走り回るようにして学生に大声で来歴を説いていた。 異民族に普遍な教育を説いた日本人教師の気概が若者たちに継がれた瞬間だった。 その姿に、改めて6士の霊に哀悼と惜念のおもいを深くしたとともに、我国の深層に鎮まりを以って存在する爽やかで実直な風儀を思い起こし、嗣べきものの重要さを明確に実感させていただいた。

継ぐべきものの恩恵は今なお朽ちることが無い。


《平成16年10月15日 記》


以下、現時考

 その後の台湾を取り巻く状況は、大陸への経済的吸収と同化が顕著となり、内政においても日和見と独立が政治勢力のスローガンになっているが、あくまでスローガンに留まっている。

また、色、食、財の欲望は政治権力さえ無力化させ、権力に対する信託が無くなり国家の融解が始まっている。アメリカもアメリカ民族とは呼称しないように、台湾もその位置には無い。取りまとめの要は小範囲の人情と財貨である以上、帰属愛国意識とは異なる情緒がそこにはある。

民は赤(国民党)でも青(民進党)も変わりがない。ただ余計なことに口出ししないでくれればそれでいいと。しかも「党」は黒(悪党)を貴ぶという旧字の、゛冠に黒゛と習慣理解している。

つまり国のセンターラインがオボロゲになり、風の吹き回しでしたたかに生存する大陸の世情そのままの姿が露呈し、大陸の経済開放と相まって、明け透けな財貨の欲望に突き進んでいる。

指導者階級もスローガンの左右に関わらず一路邁進しているようだ。

激変の訪れは一滴の色素が水の色を変えるように、一瞬で変化するだろう。
アメリカ、日本、はたまた中共、そんなものではない。ただ柵をとれば変わらぬ人間が存在しているだけだ。

権力が作り上げた体制とは異なり、「維」の在処を探求しない、あるいは在るを知らない民族は易きに流浪するのみだろう。

近頃、似てきたように観得る我国の将来考察の銘としたい。


【以上、時を代えた二次にわたる考察を踏まえ、平成21年7月10日 再読をお願い申し上げるこの時点においても、その姿は換わらない。】
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