デビュー当時のP-MODELはめちゃくちゃカッコ良かった。プラスティックス、ヒカシューと共にテクノポップ御三家と呼ばれていたが、他のふたつがリズムボックスによるクールなサウンドを奏でていたたのに対しP-MODELは生ドラムがタイトなビートを叩き出し熱く強烈なロック色を打ち出していた。歌詞も♪美術館に火をつけてやる♪♪不親切な住民エゴ♪など直截的な怒りを内包しており、鬼の形相で歌う平沢進氏の激情が迸っていた。最初の2枚のアルバム「イン・ア・モデル・ルーム」「ランドセル」はテクノっぽいシンセやマシーン・ビートは入っているがあくまで装飾的でありテクノポップというよりパンクの名盤といえるのでは無かろうか。平沢氏本人が「テクノポップからの脱却」と語っている3rd以降のエスノ・プログレ的シンセ・サウンドの方がテクノ寄りに聴こえるのは私だけだろうか?1979年に法政大学学生会館でグンジョーガクレヨンとの対バンで観たライヴは過激なパンクそのものだった。デビュー当時の彼らはナイロン100%やS-Kenスタジオなどの小さいスペースでライヴをしつつヴァン・ヘイレンのサポートで武道館など大ホールのステージを踏むという分裂症的な活動をしていた。
3rd以降音楽性を変化させメンバーは流動的になり「凍結」「解凍」「改訂」「培養」と称した活動休止・再始動を繰り返し現在は停止中。平沢氏はソロ活動を継続、いち早くコンピューターに着目し、会場に仕掛けられた様々なインターフェースによって観客の行動がライヴの展開に反映される「インタラクティヴ・ライヴ」を1994年から開始する。渋谷公会堂でのライヴを観たがまだ未開発なインターフェイス装置がうまく作動せず凄いんだかどうだか良く分からないステージ進行になった記憶がある。インターネットでの配信や中継も積極的に行ない、作曲家として他のアーティストに楽曲提供したりアニメ音楽を手掛けそのマニアックな音作りからヲタ系ファンにも名を知られる。特に「けいおん!」のメインキャラの平沢唯との関連性がファンの間で取りざたされ再評価のきっかけになった。
[11/27追記:まったくの偶然だが本日は平沢唯の誕生日だそうだ。]
初期の正式なライヴ盤はリリースされていないが、1999年にVIRTUAL LIVEシリーズして1979年S-Kenスタジオ、1980年ナイロン100%、1982年京大西部講堂の演奏をコンピューターで再現した架空のライヴCDをリリースしている。何も知らずにこのCDを見つけた時には狂喜したが、よく聴くと客の歓声が偽物っぽかったりドラムマシーンだったりで騙された、と思ったが見事な再現ぶりに最初に観た頃のカッコ良さが蘇る好企画盤である。出来れば本当のライヴ音源を発掘して欲しいが….。
新装オープンした渋谷タワーレコードでこのタワーレコード限定発売の「ワーナー・イヤーズ・シングル・ボックス」を見つけ即購入。写真のように7インチ・アナログ盤サイズの紙ジャケ仕様である。オリジナルのシングル用マスターテープを使用したらしく、アルバムと聴き比べるとテイクは同じだがレベルが大きく低音の効いた音になっており、当時シングルをラジオ向けに低音と高音を強調した所謂ドンシャリでマスタリングしていたことが分かる。とにかくファンなら必携のカワイイ箱入り娘である。
2009年に初めてアーバンギャルドのライヴを観た時、完全なバンド・サウンドなのに”テクノポップ”と自称するのが不思議だった。何度も観るうちにP-MODELへの憧憬が伝わりテクノポップに拘る理由が分かった気がした。平沢氏の12作目のニュー・アルバム「現象の花の秘密」がリリースされたばかりだが、個人的にはこの初期音源の世界に浸っていたいというのは一種のモラトリアムだろうか。
P-MODEL
モデル・ルームが
ピンクに染まる
1992~3年の作品「P-MODEL」&「big boy」の2in1 CDも廉価盤で再発される。
その時の率直な感想は「すごいバンドが出てきたぞ」。
それから30年あまり。常に平沢さんの動向は気にしていました。
今は猫といっしょに創作活動に励んでいらっしゃるようで、よかったです。
つまんない女と結婚するより、猫のほうが創作活動の源になりますもんね(^O^)!