野へ山へ

2004年~

卯月末

2013年05月31日 | 日々

五月が終わりました。
この春はとうとう新筍を食べず、ワラビも採りに行き損ないましたが・・・
冑だけは忘れず、お節句前に飾りました。
長男の初節句に亡き父から贈られた冑は21年前と変わらず今も凛として
5月を見守っているようでした。

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新茶

2013年05月31日 | 日々

摘みたての川根産の新茶をいただきました。


つやつやの茶葉が美味しそうだったので、
そのまま少しだけパリパリ食べてみました。


お茶の葉も入れて堪能します。言うまでも無く・・・

 
新茶ゼリーも作りました。
お茶とゼラチンだけで寄せました。それだけでも最高ですが・・・黒蜜ときなこを添えれば更に。

ありがとうございました。一服ごとに楽しみます。

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△ 愛宕山(三田市) 648m

2013年05月19日 | 山行記

帰省後、三田市と篠山市の市境にある愛宕山へ三田市の母子(もうし)側から登りました。


母子(もうし)はお茶の産地です。八十八夜が終わったばかりでしょうか、
茶畑の新芽がきれいでした。


新緑の尾根

 
愛宕山648m
登山口から30分ほどの登りで登頂。 篠山盆地もはるかに望める、静かな山です。
ここからさらに稜線を西に取ると、隣のピーク「△中の尾658m」へ行けますがまた後日。

 △愛宕山(三田市)648m  2013.5月初旬 
家=新田川(母子)―△愛宕山

実家から戻った翌日、無性に山へ入りたくて、すぐに登れる愛宕山へ行きました。
いつもは心が穏やかになる山中も、まだ気持ちが落ち着いていなかったせいか、
切なさが込み上げました。
それでも新緑まぶしい低山は優しくて、やはり山はありがたかったです。

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公園

2013年05月17日 | 日々

実家に滞在中、昼間は諸事に忙殺されていたものの、
夜はなかなか寝付かれない一週間でした。
父のことはもとより、これからの母のことや、自分のことや・・・
悪い方にばかり考えてしまい、苛まれました。

朝は早く目が冷めて、父の散歩コースを歩き回りました。
日課だった朝の散歩には、何通りかのコースがあったことが
日記から解りました。
まるで犬の散歩みたいだなあと思いました。

父が毎朝参加していたラジオ体操の場所は新緑がきれいで、
以前に来たときよりも樹がさらに大きく高くなっていました。
ラジオ体操をする父をもう一度見たかったです・・・

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日記

2013年05月15日 | 日々

父は、若い頃から日記を付けていました。
本棚には何十年間分の日記が並べられています。
数年前の帰省時、父は「お父さんが死んだら、日記を読んでいいよ。
お父さんがどんなことを考えていたか解るかもしれないね。」
と笑って言っていました。


葬儀の夜、居間の棚に置いてあった日記を初めて開いてみました。
懐かしい父の几帳面な字で、ほぼ欠かさず綴られていました。
が、今年に入ってからは空白のページが目立ち、

亡くなる10日前からは全て空白でした。
後悔と反省はもう償えず、私は最後まで愚かな娘でした。

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2013年05月14日 | 日々

父は五年前に大病を患い、主治医から「余命一ヶ月」と判断が下り、
一時は本人も家族も覚悟を決めました。しかしながら確率の低い手術が成功し、
奇跡的に長らえる幸運に恵まれました。


父の一生を思うに、
10歳で父親(祖父)を亡くし、戦争への出征、戦後の闘病生活・・と
若い頃は良いことばかりではなかった様です。
それでも、「母」という伴侶と巡り合い、それ以上に多くの素晴らしい方々に出会い、
助けていただいたお陰で、幸せに人生の幕を閉じられたのではないかと感じています。
最後の顔は生前よりもむしろ穏やかな、ちょっと昼寝している様な・・・優しい表情でした。

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2013年05月12日 | 日々

先月末に私の父が他界しました。
亡くなる前日まで元気に過ごし、翌朝の急逝でした。
初めて体験する親の死は、思っていた以上に辛く重かったです。
千葉から兵庫に戻ったものの、気持ちは半分実家に残したままですが、
それでも少しづつ心が落ち着き始めました。

少しの間、父のことを記す日記になるかもしれませんが、
自分の気持ちの整理を込めたいので、ご了解ください。

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