散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

川崎市長選・自民党、二重の敗北~阿部市長後継が「3党相乗り」を潰す

2013年10月30日 | 地方自治
敗北したのは阿部市長?自民党?どちらなのか、川崎市長選挙での疑問の一つだ。問題は落選した秀嶋候補が忘れられていることだが。表面的な経緯からは、秀嶋氏が立候補を表明、続いて、自民党が嶋崎、吉澤両市議を含めて4名?の中から推薦候補を絞りこんだ。後は、公明党、民主党が推薦した。
 『川崎市長選挙・福田紀彦氏が当選!131027』

しかし、当初は後継とは云わなかった阿部市長は、徐々に秀嶋氏に肩入れ、「阿部後継」を実態化した。最後に、阿部市長が秀嶋氏を脇においてマイクを握ることになり、傍にはみんなの党の議員が手を振っている有様であった。

自民党推薦が秀嶋氏に決まったとき、「自らの中から候補者を出そうと試みた市議団は市長に圧倒され、脆くも崩された」と記事で述べた。先ず、自民党市議団は知事に敗れたのだ。従って、本番の選挙を含めて二重の敗北だ。石破幹事長は敗因を分析するらしいが、ここを認めない限り、本当の反省にはならない。
 『川崎市長選・自民党候補は総務省官僚130906』

政令市において、市議は行政区(川崎市;7区・平均人口20.7万人)の代表である。阿部市長は「市議には地域の隅々までみて頂いている」とも云っている。逆に云えば、市政の重要項目は市長に「任せろ」とのことだ。それも確かで、全般に市議会から発せられる情報は、全体像は不確かで、特に財政問題に疎い。

また、監視・批判はできるが提案能力は乏しい。例えば、待機児童の問題を抱え、川崎市の「保育計画」は改定に次ぐ改定に及んでいる。しかし、市議会での質問の殆どは“員数”に関わる問題だ。

勿論、阿部市長もそうだが、市政の経験がなくとも市長に就任する方はいくらでもいる。なまじ、市議の経験がある人に対しては、経験の中で何を身につけたのか、との見方でみるのかもしれない。

また、自民党一党だけでは、市長選挙で勝てるのか、との問題もある。先ずは公明党、そして民主党との連携になる。この場合、党派性が薄い方が連携しやすいことは確かだ。従って、最低限、無所属出馬になる。

更に、市長が引退する場合、これまでの市政を基本的に引き継ぐ立場であれば、市長との関係を良くすることで優位に立てる。そうなれば、市長の注文も入る可能性は大きい。市長が現役の市議を積極的に押すとも思われない。

以上のように、1)市議の能力イメージ、2)党派及び首長との駆け引き、が有ることによって、市議が自民党の候補にのぼることは難しい。前回の選挙では長老の原市議が立候補したが、このときは、阿部市長の民主への擦り寄りがあり、独自候補を立てざるを得なくなり、候補者難のなか原氏が貧乏くじを引いた事情があったからだ。逆にこのことも、市議が候補になる難しさを示す。

先の横浜市長選で林市長に3党が相乗りした。このとき『川崎市はポスト阿部、市議団の大穴は自民・吉沢章子議員?』と筆者は呟いた。それが、7月末に嶋崎、吉沢両市議が自民党の候補者公募に名乗りを上げたとのニュースに接した。ふたり共に政策通として知られ、いよいよ登場かと思ったが、その後の経緯は初めに述べた通りになった。自民党市議団の思惑は一蹴され、阿部市長の前に完敗であった。市長にとって、おそらく、前回選挙の屈辱もあったに違いない。
 『自民川崎市議、遂に市長選挙に立つ137026』

ここで秀嶋氏が自己を表現すれば、展開は違ったはずだ。ところが、市長は「後継指名はしないが応援する」「争点は阿部市政の評価」と発言を変え、秀嶋氏が具体的な政策、スタイルを明らかにしない状況で「阿部後継」を顕わにする。

成果を示し、個人票も「後継」に結びつけるとの市長の思惑であろう。しかし、3党の市議たちは白けたに違いない。過去の人となる「阿部」の選挙ではない。将来の人でもある自らの勢力拡大が目的なのだ。「阿部―3党」の慢心連合にあった微妙なズレが、最後に拡大したと思われる。市長が「後継」を強く打ち出し、相乗り「3党」の存在感を打ち消したことが、敗北の大きな要因と考えられる。

第三期阿部市政は、新たな産業振興の場としての臨海部再開発、コンパクトシティとしての武蔵小杉超高層マンション地域開発に傾斜し、12年間の仕上げを意識していたかのようだ。

しかし、保育待機児童対策は横浜市に大きく遅れ、小学校は改築・増築でプレハブ教室ラッシュ、中学校給食は「愛情弁当」論で正面から否定、この世代及びその親に対する福祉政策は滞った面がでてきた。おそらく、市内部の風通しも悪かったのではないか。結局、自民党は割を食って二重の敗北になった。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田・新川崎市長は「中学校給食」を新政策の第一歩に~市議会で決議済

2013年10月29日 | 地方自治
川崎市議会選挙での福田新市長のマニフェストは今の阿部市政とどの辺りが違うのだろうか。HPに掲載された政策のキャッチフレーズには、「川崎を一歩先に 人に投資。未来に投資。」とある。おそらく、「人・未来に投資」とは子どもから若い層にかけて、その育成に力を入れるとの宣言だ!

従って、政策展開の第一に『教育こそ日本一の川崎に!』、第二に『「母になるなら川崎市」と言わせてみる」』が置かれている。阿部市政の特に第三期、現在の展開が新たな産業集積「臨海部再開発」と、コンパクトシティモデル「武蔵小杉地区・超高層マンション・交通の利便」に傾斜しているのと対比ができる。

福田氏は阿部市政で取り上げられなかった政策を目玉に、政策を進めるスタイルを変えながら取り組んでいくだろう。その点で、議会がオール野党となることに心配する向きもある。しかし、全体として現在の阿部市政を基本的には引き継いでいくはずであるから議会がデッドロックになるとは思えない。

そうは言いながらも、議会とのスムースな緊張関係を意識的な努力は必須である。その点、先ずは阿部市政が無視をしていた「中学校給食」を目玉にし、保育待機児童解消、小中学校教育充実を“三本の矢”にして取組むのが良いと考える。

特に議会がすでに「中学校給食実施」の決議をH22/3に行っていることが大きい。この決議のプロセスの中で筆者の印象に残っているのは、民主党・市川佳子議員の議員質問であった。

若き母親を代表したかのように、『…私も今朝、高校1年生の娘のお弁当をつくって…しかし、ふだんは、余りに忙しく…主人がつくってくれて…愛情があっても、時間がなくて、つくれなかったり…手抜き弁当に…身をもって、罪悪感まで感じてしまう方はいっぱいいらっしゃる…これが実際の本音だと…。』

おじさん議員に言える科白ではなく、しかし、情感が出ている処に討論を外れる危うさも…しかし、これが決議の底流に流れる感情のように思われる。

中学校給食を積極的に推進する立場で活動してきたのは、公明党と共産党である。H21,22年度では、共に会派代表質問の中で、この項目を取り上げた。一方、自民党及び民主党は沈黙を守っていたが、H22/3に民主党が初めて会派質問で取上げた。また、公明党、共産党も全国状況を踏まえ、実施を迫った。しかし、教育長は答弁において、“愛情弁当論”を展開した。これが尾を引いたようで、決議は議会最終日の本会議に提出され全会一致で採決された。

以上の経緯を踏まえれば、自民党以外は積極的に賛成すると思われる。そこで問題は、市民の間の盛り上がりと具体的な方法を選択する際の決め方にある。ここで福田スタイルを確立し、その後の政策展開を軌道に乗せることが肝要だ。

      


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田新市長への投票「4票の働き・10人の効果」~川崎市長選挙の投票行動

2013年10月28日 | 地方自治
今回の選挙結果は正直、驚いた。1週間前のある会合で「自公民相乗りで、面白くない。前回は現市長、自民推薦、民主推薦(今回当選の福田氏)、共産推薦の候補が争って接戦になった」と報告した。市民活動をしている友人とも電話で同じ様な話をした。恐らく、選挙に関心を持つ市民の方も同じ様な思いだっただろう。

投票率が低く(棄権 76.2万人)、福田・秀嶋の接戦であったから、当選者の得票数も有権者数からみると非常に少なかったはずだ。
前回と数値を比較すると以下である。

      今回(H25/10)  前回(H21/9)
川崎市人口 144.5万人 140.7万人(推定)
有権者   113.8万人 110.8万人
投票数    37.3万票  40.0万票
投票率    32.8%   36.2%
当選者得票  14.2万票  14.5万票

人口増加により、有権者は3万人増えているが、投票数は逆に2.7万人減少していることが、投票率に表れている。投票者は遂に1/3を割ったのだ。前回、福田氏は次点(11.7万票)で今回の得票よりも少ない。しかし、前回の得票が、全部とは言えないが、基礎票になったと考えられる。

「選挙はやってみなければ判らない」とは、よく云われる言葉だ。従って、投票はある種のギャンブル性が付き纏う。そこで、当選者への投票が、ギャンブル性に伴う「付加価値」を、どの程度あったのか、数値で当たってみよう。

先ず、当選には最大、有権者の過半数(56.9万票)の投票が必要だ。ここで、14.2万票でその役割を果たしたから1票に付き「4票」の働きがあったことになる。
次に、市民全員(144.5万人)に影響を及ぼす市政の舵取り役・市長を14.2万人で決定したから、ひとりに付き「10.1人」分の効果を及ぼしたことになる。

たかが投票、されど投票!これだけで「4票の働き・10人の効果」があるのだ。
一方、非当選者票は死票か?そんなことはない。数値に表すことは難しいが、当然「政策的批判票」として機能するはずだ。ギャンブルに外れたとしても悪い話ではない。

では、今回76.2万票相当であった棄権の評価はどうか?
これは白票・無効票よりも意味を付けにくい。そこを強いて云えば、仮想投票において白票を投じた、とでも言おうか。しかし、これは「政策批判」にはならない。「制度批判」とも考えられるが、単なるお任せ・無関心と区別できる“表現”になっていないことが、致命的であろう。

従って、選挙での棄権は、効果を与えることが可能な公的行動において、何も「表現」しないと云う点で極めて損な行動である。以上の議論は今回の選挙だけのことではない。選挙を通して共通する事項である。私たちは「棄権」も選挙における一つの行動であり、そうであるならば、より効果のある行動へ向けて互いに誘うように務めることが大切だ。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎市長選挙・福田紀彦氏が当選!~阿部市長の後継候補、秀嶋氏落選!

2013年10月27日 | 地方自治
台風一過、晴天、絶好の選挙日和、にも関わらずと云おうか、あるいは予想に違わずと言うべきか、投票率は低調で20時39分選管確定データによれば、37万3千票(32.8%)で前回(36.1%)よりも3.3%低かった。期日前投票は前回を上回る勢いで6.44%だったのだが、最終投票率は前回に及ばなかった。

有権者数は113万8千人、棄権は76万2千人にのぼったのだ。その中で、
 福田紀彦  142,672票(38.77%) 当選 無所属
 秀嶋善雄  139,814票(38.00%) 次点 自公民推薦
 君島ちか子  85,475票(23.23%)    共産推薦
福田氏が新市長に決まった。しかし、福田氏の得票数の5.5倍が意思表示をしなかった。これは今回限りではなく、前回の阿部市長の時も同じだが。

また、7行政区の選管データによれば、各候補の得票率は以下になる。
    川崎区  幸区 中原区 高津区 宮前区 多摩区 麻生区
 福田  30.6  34.3  35.3  37.9  46.8  37.9  49.1
 秀嶋  41.6  40.6  39.4  39.1  35.1  37.4  32.5
 君島  27.8  25.1  25.3  22.9  18.1  24.7  18.3

福田氏は北部、特に地元の宮前区及び麻生区で大きくリード。一方、秀嶋氏は南部で優ったが、川崎区から北部へ向かうほど福田氏との差は縮まり、北部では大きく引き離された。結局、福田氏は宮前区6千票差、麻生区1万5千票差を生かして2回目の挑戦で市長の座を射止めた。

秀嶋支持が阿部現市長支持と考えれば、阿部市長の政策が近年、臨海部の産業地区再開発及武蔵小杉の超高層ビルに代表されるコンパクトシティ構築に傾斜している。有権者の関心が集まる、保育待機児童対策の遅れ(横浜市との比較!)、中学校給食否定などが秀嶋氏には響いたと考えられる。

先の記事で『顔の見えない立候補者たち』として、「後継・組織・浪人」による川崎市長選挙候補を串刺しにして批判した。秀嶋=阿部市長「後継」、君島=共産党「組織」候補、福田=「浪人」再出馬の3名。「」としての存在感を感じさせる候補者がいないことが、今回の選挙が低調である原因だと、その時に感じたからだ。
『顔の見えない立候補者たち~「後継・組織・浪人」による川崎市長選131015』
 
その中で、前回立候補し、今回は若者を選挙活動の中心に集め、「市民市長」をアピールした福田氏がようやく、低調の中にも「」を表し、最終局面で支持を広げたように思われる。

それに引きかえ、上記の記事の中で「…まさか、投票用紙に「阿部後継」と書くわけにはいかないから…」と書いた秀嶋氏は結局、阿部市長が最終局面で直接的に応援に参加することで、尚更「阿部後継」のイメージを広げ、本人の「顔」を却って隠し立てするようなものであった。また、名前を連呼するだけでは単にうるさいだけで反感を買うことにもなる。
どこかに「慢心」があったように感じる。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「消費者物価指数は0.8%上昇」は適切な見出しか~「統計メール」の意見募集

2013年10月26日 | 現代社会
日頃、見慣れない経済等の統計を簡単にアクセスできるので、「統計メールニュース」は貴重な情報源だ。このブログでも「統計を読む」を副題にして3回記事にした。また、できるだけ統計図表を引用するように努めている。
 『数字から実態が暴露されるアベノミクス~統計を読む(1)・物価指数130727』

その発信元「総務省統計局」から次の文面のもと、意見募集の配信を受けた。
「PCを対象にH14年から配信している統計メールニュースです。近年、スマートフォン等への配信を希望する方が増えていることを踏まえ、下記のように簡潔な文面で送信することを検討しております。ご意見をお寄せ下さい。」

そのテスト文面の一例は「消費者物価指数は、0.8%上昇」だ。これにURLが付く。
統計表のURLが付いて、詳しく見られるようになっている。
これは8月分の消費者物価指数(全国)であって、既に記事に取り上げている。テスト文面だけでは、本質を見誤る可能性を持つことを論じた。
『悪性インフラ状態のアベノミクス~統計を読む(3)・8月物価指数130928』

従来の見出しは長く、次の様になっている。
*総合指数は2010年(平成22年)を100として100.3となり,前月に比べ0.3%の上昇,1年前に比べ0.9%の上昇。
*生鮮食品を除く総合指数は100.4となり,前月に比べ0.3%の上昇,1年前に比べ0.8%の上昇。
*食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数は98.5となり,前月に比べ0.2%の上昇,1年前に比べ0.1%の下落。

しかし、これはURLをクリックすると表れる説明文そのものだ。統計表の事実を並べているが、ポイントは判り難い。筆者は次の意見を応募した。

『新たな文案は簡潔で良いと思います。統計中の要約をメールで見せる必要はないと思います。問題は、今回の例えば、「消費者物価指数は、0.8%上昇」ですが、これだけだと舌っ足らずで、「消費者物価指数は、0.8%上昇、但し、食料及びエネルギーを除く総合指数は0.1%の下落」程度までは必要です。』

『即ち、社会活動には相反する動向が含まれている可能性があるので、その点がある程度出ている統計については、統計の見方に注意を喚起する必要があります。上記の場合は全体だけですべてが同じ様な傾向と判断する可能性があります。』

統計によって、複雑化し、ブローバル化した世界で起こる現象を捉えようとするとき、構成する数値は様々な現象を圧縮して表現されている。また、現象を複数のパラメーターによる比較によって、構成する場合もある。従って、その中味を更に分析する、あるいは、他の統計データと比較する必要がある。

しかし、忙しい世の中では、少ない情報で即断しようとすることも多い。スマートフォンの普及も、そのような傾向で出てきたとも考えられるし、それを促進する一つの道具とも捉えられる。長くては読んでもらえないし、短ければ誤解される可能性が残る。

それを避ける一つの方法が、短くしながらも、大筋と相反する傾向があることも付け加えることだ。読む方も裏返しの見方をすることだ。そうすれば、統計に更に親しみを持つようになるだろう。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市町村議会における議員の役割像~露木・前町長の講演(2)

2013年10月25日 | 地方自治
露木順一・前開成町長の講演における「都市計画・あじさいの町」の部分を昨日の記事で報告した。残りの三点「現場重視の議員像」「人口激減・大規模災害」「新たな道州制・国直轄の首都圏中核地域」の中で、本記事では「議員像」について報告する。ここが講演での主な部分の処だからだ。

筆者の問題意識は、議会及び議員の役割像に関し、開成町(1.7万人)と政令指定市・川崎市(144.7万人)とで共通する部分、違う部分がそれぞれどんな処なのか、ということだ。更に言えば、基礎自治体の原点は小規模レベルの町村にあり、政令市などは本来の基礎自治体を外れているとの視点だ。

露木氏は地方分権改革推進委員会委員だった当時、議会に対して積極的に働きかけ、首長として議会改革に協力した。その第一は議会に対する情報提供、先ずは予算、一般質問に対する資料の充実であった。実質的な改革に必須と考えたからだ。議会も呼応し、一問一答方式、首長反問権、通年議会等が実現した。

全国の自治体議会においても改革志向は高まり、議会基本条例の拡大、住民との対話集会の実施、事業仕分けの導入などが進んでいる。一方、世論調査では、議会に満足していないとの回答が60%に達する。依然として地方議会及びその質に対して住民は厳しい目で見ている。

ではどの様に議会・議員の質を向上させるのか。
露木氏は先ず、議員個人の質の向上が第一として、ジャーナリスティックな感覚が不可欠であり、現場重視で現場の声を聞いて行政へぶつけていく、行政の監視役としての議員像を示した。

一方、議会の質的向上としては、チーム・議会としての活動、例えば、事業仕分け、条例作りなどを挙げる。しかし、ともかく、現場第一主義の行政監視を議員の第一の仕事と考えている。

筆者は議員の質的向上が第一との議論に異論はないが、それはチーム・議会として発揮されることが重要と考えている。おそらく、人口が少ない基礎自治体の原型を示す町村と、人口規模が大きな政令市との違いがあると思われる。

即ち、米国議会の騒動にみられるように、議会が最終的に問われるのは意思決定における「意見の統合」だ。日本の自治体では首長の影響力が強く、米国議会のような騒動は起こらないとは思う。しかし、今後は人口激減、超高齢化、財政悪化で地域の中でも、真剣に議論すれば、意見が割れる可能性はある。

その意味で、意思決定への不断の努力として、委員会審議で議論を充実させることが重要だ。例えば、委員会ごとにテーマを決め、行政との議論も含めて半年―1年程度でまとめ、課題を「決議」(議会としての意思決定)して行政へ示すことは、「事業仕分け」「条例作り」よりも実行しやすいはずだ。

少し議論がそれたが、元に戻すと、露木氏は最後に残された問題として住民が地域の政治に関心を持たないことを挙げる。お任せ民主主義だが、それが人口減、財源難のなか、自らの首を絞める課題を山積するだけだ。地域に根を張る議員の特性を議会として生かしていくことが一つのアプローチになる。

ともあれ、露木氏の議員像に叶うには、遙かに遠い目標への研鑽が地方議員にとって必要なことは確かだ。
      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年少人口が10年間で30%増加した神奈川県・開成町~露木・前町長の講演(1)

2013年10月24日 | 地方自治
筆者が世話人を務める「川崎市議会を語る会」も会員として加入している「開かれた議会をめざす神奈川市民団体連絡会」が主催した露木順一・前開成町長(期間1998/2-2011/3)の講演会を拝聴した。

開成町は神奈川県西部、静岡県に比較的近い足柄上郡、金太郎が熊に跨がって出てきそうな山々の地域に思えるが、その南部にあってほぼ平地である。講演後に交換させて頂いた名刺には、「あじさいの町」と書かれていた。

講演内容は啓発されるものであり、頭の中がリフレッシュされ、感謝する次第。「都市計画・あじさいの町」「現場重視の議員像」「人口激減・大規模災害」「新たな道州制・国直轄の首都圏中核地域」以上のキーワードで整理できる。

表題は「あじさいの町」と関連することは直感的に理解されると思う。面積は6.56km(4.5k×1.5k)、長い方を歩いても1時間程度で、その間、あじさいを楽しめる「ワンダーフルスモールの町」(露木氏の言葉)、人口は1万6千人だ。

露木氏の父親が町長時代の1965年以降、厳格な都市計画に基づいて、「田園」「市街地」「開発地域」に三分割し、一貫した計画的なまちづくりを行ってきた。東京オリンピックは1964年、その前からの高度成長時代を経て、バブル経済に至る間、「何を残すか!」を先ず考えて都市計画を実行した。それが「あじさい」に象徴される自然であり、それを地域住民が主体的参加の考え方で育成・保護してきた。毎年6月には「あじさいまつり」が開催される。

   
    あじさいの町「開成町」(最後に記載の「参考資料」から)

それがバブル崩壊以降大きな成果に結びつく。
緑豊かな環境が残っている一方で、開発が進み便利な町の魅力が、「便利な田舎」として人口増に結びついた。このようなまちづくりは先に述べた厳格な都市計画、「土地区画整理事業」の運用によって、道路などを計画的に配置して開発を進めることで達成される。

また、福祉分野を中心に仕事は増えるが財源は増えない中、税収源となる先端企業の誘致、それも製造工場ではなく、環境配慮の最先端企業の研究所が最も望ましい。結局、「富士フイルム・先進研究所」の誘致に成功した。

人口も急増した。H17-H22年の5年間の神奈川県内市町村の人口増減率は、開成町8.2%でトップ、次は川崎市7.4%、他は増加していても4%以下だ。勿論、減少した市町村も多い。

足柄上郡を構成する五「町」のH17-H22年の人口増減数は順に以下の通り。
「開成+1,246人 大+442人 中井-163人 松田-723人 山北-891人」
同じく、年少人口)の増減率をH12-H22年で示すと順に以下の通り。
(「オンブズマン松田 情報第47号」より)
「開成+29.7% 大井+11.3% 中井-7.0% 山北-31.5% 松田-35.9%」

翻って48年前の基本的な考え方「何を残すか!=あじさいの町」、それを可能にした「都市計画」とその運用。今でも、人口減に悩む町にはヒントは沢山あるように思う。しかし、短時間で事は達成できない。

 参考資料「全国町村会 露木氏執筆資料」
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノミクスの渦から離れた視点~「事件の囚人」を避ける方法

2013年10月22日 | 経済
「景気回復 裾野広がる」、日経10/14付け、一面トップの見出しである。続けて「株高で弾みがついた消費に続き、円安で潤った企業が設備投資に動き出した。国内需要の勢いは強い」と述べる。

8月機械受注統計では民需が8千億円台まで急回復したデータを開示しているが、それ以外は予測を出しているだけ、データを分析した様子は窺われない。アベノミクス騒動で良く判ったことは、経済学が数値で成立していることを良いことに、データのつまみ食い、半端な予測の安易な使用、が横行していることだ。

そこで、私たち一般人は、全体を示すデータを用いながら、その細部を分析して特徴部分を掴み、全体像を構築する知識人、学者、ジャーナリストを見出すことだ。その内容を理解することで経済動向の筋道、課題を把握できる。

釣雅雄・岡山大准教授は、9月分貿易統計において、貿易指数の輸出「数量」の伸び率(対前年)が「世界 -1.9%」であり、各地域においても、軒並みマイナスだったことを指摘する。

更に、釣氏は言う。円安により輸出企業の業績は改善したが、これは単純に円安効果、生産量の増加に繋がっていない。更に、金額では輸入の伸びが輸出を上回り,貿易赤字が拡大し続けている。そこで、輸出企業での賃上げは,円安による(電気料金やガソリン価格の上昇などの)家計の負担増加分が,輸出企業で働く人の賃金上昇に回ったにすぎなくなるだけだ。

筆者はアベノミクスが始まった頃に経済に関する記事を初めて書いた。それは、『円安と株高に関する私たちの経済学 130303』であり、アベノミクスと異なる目線から経済を見るべきことを主張し、その中で「円安では、輸入の国民的負担に対して、輸出は大企業(輸出企業)中心の配分に止まる」ことを指摘した。ここへきて、その実態が明らかになってきたようだ。

また、釣氏は景気の回復感の最も大きな要因は「公共投資」だと言う。それは先に挙げた日経の記事と同じ8月機械受注統計を根拠とする。図を示しながら、日経が指摘した民需の8千億円台回復は、一般機械、電機機械、自動車産業での豪華ではなく、「公務」が伸びているのだ。

日経のように都合の良い部分だけを強調するのではなく、細部までデータを見て分析する”常識的な”手法が物事の本質を明らかにするのだ。従って、これは「第二の矢」の効果であって、第一の矢、異次元金融緩和による銀行資金が民間企業に回る現象とは全く違うメカニズムである。

筆者は『黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(2)130416』において「狙いは公共事業の正当化」であり、「黒田バズーカ砲から放たれた金融緩和の空砲は、国債を介して建設投資という“実弾”になって世の中に撃ち込まれる。」と指摘した。

釣氏は公共投資について次のように言う。
「公共投資は…長くは続けられない。…ただ、大胆な金融緩和によって財源が確保できてしまっています。」
「これは、戦前・戦後に日本がかつて経験したように,異常な支出増加とその後の財政破綻という道につながります。ここに恐ろしさがあります。」

筆者の予測は、恐らく多くの人が何となく気が付いていたことなのだろう。しかし、事案が動くにつれて、色々な情報が飛び交い、その動きに巻き込まれて、知らずのうちに「事件の囚人」になりがちなことを改めて胆に銘じる必要がある。それが自己認識の学である。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティーパーティと「死の接吻」をした共和党~米国債務破綻危機の回避

2013年10月20日 | 政治
既報のように、米国議会の騒動は以下の上院超党派案で決着がついた。以下にまとめておこう。

1)期間限定での危機回避
 )債務上限は2014/2/7まで
 )「政府閉鎖-は2014/1/15まで
2)中長期での財政規律を実現する超党派の委員会設置
3)健保改革(オバマケア)ー「加入条件審査の厳格化」議論継続

上院「賛成 81―反対 18」圧倒的な大差で可決
下院「賛成285―反対144」」過半数で可決

オバマ大統領の「勝者も敗者もいない」という言葉に拘わらず、共和党保守派の屈服で終了した。

しかし、衆目の一致するところ、この暫定合意は、来年1月の「再度の政府閉鎖」2月の「再度の債務上限危機」の可能性に対して、政治的な合意ができるか否か、という、際限のない暫定合意の繰り返しの悪夢を孕んでいる。

それにしても下院での賛否に差で暫定合意が決着になるのであれば、その前に決まっていても良いのではないか、との疑問は多くの人が持つに違いない。ねじれによる決められない政治との評論が日本で見られるが、その一言で片付かない何かがありそうだ。

冷泉彰彦氏は共和党保守派ティーパーティの誤算を論じた中で、「債務上限への到達期限」のギリギリまで抵抗し、世界経済まで人質に取った形にしたことを批判し、興味深い指摘をしている。

それは、民主党系報道ではティーパーティは国家を分裂させた南北戦争の南軍」という表現が出ており、また、一部の世論調査では「議会の支持率7%、不支持72%」、その「不支持」は特に共和党に向かっていることだ。

先の記事で筆者は「下院のねじれが「原因」というのは、間違っている。ねじれは「選挙結果」を表した単なる現象だ。責任ある意思決定をすることが「議会」に課せられた第一の使命。」と論じた。
『米国議会の「騒動」からの教訓~ショックを受けない日本の地方議会131019』

米国での世論調査の結果は、民意もまた、責任ある意思決定を望んでいることを示しているようだ。従って、米国議会は、更に質の高い議会へ向けたチャレンジが必要なのであって、際限のない暫定合意の繰り返しであってはならない。

冷泉氏はまた、「最初から作戦も落とし所もなかった、つまり無計画で「成り行き任せ」のくせにケンカを売ったというのが「そもそもの間違い」」だと述べる。

ティーパーティは政党というよりは、にわか作りの組織であり、日本で言えば、維新、みんな、減税日本のように、政治的には機会主義者が潜り込む素人集団のように見える。従って、急膨張したときを過ぎれば、忘れられる存在にように思える。

それは、かつてのニクソン大統領の時代、1968年選挙で出てきたジョージ・ウォーレスの支持勢力と似ている。それは効果的な右翼少数派の運動であって、その危険性は福祉と安全の合理的な追求を阻害する処にある。

共和党はその右翼少数派を取り込んだ形になって、逆に政治的取引で身動きできず、オプションを失った感じだ。政治学の用語で言えば、共和党はティーパーティと“死の接吻”をしたことになる。しかし、それが高く付いたことは今回の騒動で自覚できたはずだ。従って、共和党穏健派が今後主導権を握る可能性はある。その意味からも今後の米国政治の状況は変わるように思われる。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国議会の「騒動」からの教訓~ショックを受けない日本の地方自治体議会

2013年10月19日 | 地方自治
もし、日本のとある地方自治体議会が年度予算案を否決したとすれば、その自治体首長はどんな対応策を取れるだろうか?当然、暫定予算案を組み、議会へ提案することになるだろうが…。

何かの理由、例えば火急以外の予算も含まれている、を付けてそれも否決し、時間切れで新年度に突入、とすれば、何が臨時に金を動かす法的根拠はあるのだろうか。これが米国の騒動に対して、日本が考えるべき教訓なのかも知れない。

周知の如く、日本の地方自治制度は二元代表制であり、首長も、議会の議員も住民の選挙によって選ばれる。米国の政治制度、大統領も議会の議員も別の選挙によって選ばれるやり方と類似している。

下記の図表は筆者が世話人を務める市民の任意団体「川崎市議会を語る会」が作成した「市民による川崎市議会白書2011年度版」に掲載した地方自治と国政との違いを示す図である。即ち、地方自治法で規定された地方自治政治は国政と異なる仕組みで運営されている(福嶋浩彦元我孫子市長の指摘)。



例えば、川崎市民は市長と議員を共に選挙で選ぶ。何の気なしに投票していることが、最大の違いであり、市長・議会は共に住民に直接の責任を負う。リコール権はその裏返しである。
一方、その住民は国民として国会議員を選挙で選び、国会は首班指名をする。地方自治では「首長、議会」共に住民に対して責任を負うが、「内閣」は国民に対してではなく、国会に対して責任を負う。

川崎市議会では、議会の最高規範として、議会の使命、役割を掲げた「議会基本条例」を制定している。その条例の中で、議会の役割「第3条」のトップに『意思決定』を掲げる。これは、憲法93条の議事機関との規定も含み、討論し、意思決定へ到達することを意味する。

この決定は、主権者である住民に対して責任を負う。しかし、執行は首長以下、行政の仕事である。通常の組織体の考え方は「意思決定=責任」であり、決定内容を執行する。議会も意思決定をする。しかし、執行する立場にはない。では、どのように意思決定を行えば責任を果たしたことになるのか。

 それが『議会=討論の広場』の表現だ。提案(立案、提言)、討論(議員間討議他)により論点・争点を明確化、それを『開かれた議会』として、主権者である住民に見えるように行うことだ。また、住民参加、積極的な広報は当然だ。責任ある意思決定は以上の構造を有する。では、構成員である議員の立場は?

議会は有機体として責任をもった活動が必要だ。二元代表制の代表機関は首長と議会であって、単なる議員集団から責任が生じるシステムではない。すると、議員と議会は団体スポーツにおける選手とチームの関係と同じになる。

ここに『チーム・議会』の概念が生まれる。主権者である住民に見えるように、提案し、討論し、意思を統合する。また、住民の意見を聴くことも当然である。
但し、日本の地方自治体は提案が乏しく、承認だけの意思決定が現状だ。

翻って、今回の米国議会は『チーム・議会』を逸脱した。その原因は、共和党、更にはティーパーティーの強硬な反オバマ感情にある。特にデフォルト問題に対して正面からの提案はなく、時間を人質に抵抗する姿勢だけが目立った。

しかし、ここで大切なのは、上院と下院のねじれが「原因」というのは、間違っているとの認識である。ねじれは「選挙結果」を表した単なる現象だ。しかし、それが如何なる結果であっても、提案から討論を経て、責任ある意思決定をするということは、「議会」に課せられた第一の使命であることに変わりない。

米国議会は、更に質の高い議会へ向けたチャレンジが必要だ。日本の自治体議会は対岸の火事以前の無関心で、何もショックを見せていない。しかし、先ず米国議会並になる、これが日本の地方自治体議会の教訓であろう。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする