散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

東工大、我が母校(3)~サッカー部(2)

2023年09月19日 | スポーツ

今年度のサッカー部OB会は8月6日に開催、筆者は、コロナ禍対応の惰性で今回も欠席した。

そこで、後から様子を伺った。それによると、少し下の年代の方でサッカー熱が広がっているとのこと。
広島代表のプレーヤー他だ。地域での活動等、高齢者層のサッカー熱は全国的に広がっている様子が窺われた。

この話を例示と捉えると、「人工芝」の競技環境が整備され、現役選手だけでなく、多くのサッカー経験者にも、気軽にゲーム参加等への活動の機会を与えているらしい。

グランドの人工芝化は日本にとって革命的な方法であった。
天然芝を使う風習は、日本にはなかった。ここが日本と欧米との違いだ。
東工大での人工芝グランド工事は2000年頃と推察される。
更に、部室、トレーニング室、シャワー室等の施設を含む別棟も建設され、全体的な整備が進んだ。

日本におけるサッカーグランドの多くは人工芝化され、世界的に活躍する選手も出てきたのだ。
我が東工大にも期待しよう。大学名が変わるのを契機に!

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豪の完全優勝を応援~「なでしこ」のリオ・オリンピック出場へ向けて

2016年03月03日 | スポーツ
日本は豪に3-1で破れた。試合全体として完敗であると共に、NHKニュースを見て、不可解に思った。得点シーンが全4得点の中で、2点だけで、それも日豪の1点ずつであり、かつ、豪の先制点及び試合を決定付けた3点目は放映されていなかったからだ。放映された2点は結果として試合の帰趨に関係なかったのだ。映像を見ただけでは同点と勘違いすることも有り得るのだから。

前半の豪2点目は主審のヘッドにボールが当たって、その跳ね返りが相手に対する絶好のパスになった。不運の一言!しかし、阪口の右から左へのサイドチェンジは、審判から見れば自分にめがけてボールが来るとは考えていなかっただろう。頭を越えて後側の日本選手に渡ると予測したはずだ。

すると、審判は頭の辺りを越えた処で受け手(日)とその周辺のマーカー(豪)を確認しつつ、豪サイドの状況全体を視野に収めることが頭にあったに違いないのだ。従って、走っている状況ではなく、立ち姿勢であったから左右には直ぐに動けず、しゃがみ込むわけにもいかず、頭を下げる以外になかった…それが。

一方、阪口は中盤でボールをキープしたが、豪選手に素早く追いつかれ,切り返しで自陣を向かざるを得なくなった処で思惑が外れて少し焦ったようだ。切り返しも180度に近く、キックに余裕がなかったように見える。

結果として最悪ケースになったが、その後の豪の素早い攻めは良かったし、逆に日本の守備陣は粘りもなかった。中央から中央右へ、ヘイマンに走られたときに、マークしていた選手は付いていかず、GKの飛び出しも早く、前への動きの最中に、簡単にヘイマンのシュートを許した。

これだけでなく、1点目、3点目の豪のゴール前の動きは研究と練習の成果を見せている様に見える。逆に、ゴール前でのマーク、競り合いに甘い日本の守備陣はどうした?と考えさせられる。ただ、1点目の連携は、らしさを示しており、有吉のゴール前の飛び出しから大儀見の得点は鮮やかだった。

次の韓国戦を合わせて簡単に云えることは、世界の女性サッカーの進歩は著しく、日本はお得意の領域、但し伸び代は小さい、だけに磨きをかけて、大きく改革すべき領域には、手が付けられていない様だ。それにプラスして日本は米国に大敗した先のワールドカップ決勝を徹底的に研究されている様に外野からは見える。

その問題の基底にあるのは、今でもキャッチフレーズになっている「最後まで諦めない」の精神だ。これは先の記事において触れた。即ち、日本は米国の自己主張に反発せず、そのプレーに付いていくだけで…諦めない姿勢が「我慢」を生み、米国選手に心理までも簡単に読まれてしまった。
 『米国に“自己主張”を許した“諦めない姿勢”~「なでしこ」の意義と課題150706』

従って、澤選手が力強く言った「全力を尽くす」に戻る必要があるのだ。「最後まで諦めない」とは、相手との闘いではなく、自己との闘いという閉鎖的な心理に自らを追い込む危険性を孕む。特に同調的雰囲気の下で、社会的圧力に晒されるとき、これに立ち向かうにはよほどの自己認識に達していないと難しい。
 『「全力を尽くす」から「諦めない姿勢」への転換~なでしこジャパンの敗因150704』

さて、全力を尽くすことにして、相手も同じ状況に変わりなく激突は続く。例えば、日本が中国、北朝鮮に勝つ確率は、豪が中国、北朝鮮、韓国に勝つ確率よりも小さいだろう。しかし、その豪も四ヶ国に対して抜きん出る実力があるとは言い難い。ドングリ五ヶ国なのだから。

それでもベトナムを除き、豪が中韓朝に勝つと仮定すれば、日中韓朝は同じ土俵にいる。それぞれが全て引分試合であれば、対豪、ベトナム戦での得失点差勝負となる。そこで、日本として応援は「豪」にすべきなのだ!
加えて、中対韓は引分けになること。

日本チームには(1)ベトナム戦での大量得点
       (2)対中、朝には最低限、引き分け を期待したい。

      
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瞬時の判断をチームとして積分~知性と野性を融合、バルサのボール奪取

2015年12月26日 | スポーツ
バルサのボール奪取は素晴らしかった。前半36分の先制点は左外で相手を囲んだボール奪取が起点となった。横浜国際の正面2階、右手ゴールラインより少し内側の席で見ていると、アウベスの右からのクロスを左のネイマールがヘッドの折り返し、中央のメッシに届いたことは、何とか判った。しかし、最後の得点シーンが良く判らなかった。

大型画面に再生録画が映って、回りの守備者が足を出せない腰辺りのボール、メッシが左足アウトで正確に突いたのが判った。瞬時の判断、リラックスした身体、膝の柔らかさが相俟って、思いがけない見事なシュートが生まれた。

後半になると、ルーズボールの取り合いは、バルサがリバープレートを圧倒していた。中盤のブスケツ、ラキティッチ、イニエスタを中心に、バルサはチームとしての“具体的な状況判断の方法論を確立”していたかの様である。

即ち、典型的にはルーズボールの状態だ。この時、状況は瞬時、瞬時に変わり、判断も都度、変える必要がある。しかし、ボールが出てくる間、次のプレーの判断が難しい状態もある。通常は判断を停止して次の瞬間を待つ。
良く言われる“ボールウォッチング”の状態だ。

バルサの方法論は、チーム全員で共通のコンセプトを持ち、ルーズボールの状態においても、瞬時の判断を変えながら持続し、その実行に見合った具体的なプレーをこれも全員で、特にボールの周辺地域で連携して、続けていくことにあると筆者は感じた。それを敵の選手が判断停止になった瞬時において実行し、その瞬時の分だけ速くプレーをすることになる。その瞬時を全員で積分し、パスを繋いでいけば、空間的にフリーでボールを受ける選手が出てくる。
即ち、“判断時間を自由空間”に変換することだ。別の眼でみれば、バルサは網を張って仕掛けているようだが、本質は判断時間の創出だ。

後半開始直後、スアレスがディフェンスの裏に走り抜け追加点を生んだ速攻も中盤でボールを相手方から奪い取ったことから始まった。前半の1点が効いて、リバープレートが攻勢の体勢を取ったことが中盤でのスペースを生んだ。スアレスの素早い反応に対して正確なフィードがイニエスタから横パスを受けたブスケツから送られた。
結局、スアレスがネイマールの足下からのフワッとした短いパスを守備陣の裏に下がりながらヘッドで決めて、クラブワールドカップ決勝(12/20夜)は、バルサがリバープレートに3対0で快勝し、3度目のクラブ世界一に輝いた。
 FIFA
 
3点は共にバルサの知性的なサッカーを象徴する。しかし、サッカーは力と技術が伴った体を使い、それがチームプレーとして表現されるスポーツだ。それは野性の中で集団として獲物を捕らえる動物、ハイエナに似ている。

先の記事でJリーグ・サガン鳥栖のゲームにハイエナ的なプレーを感じた。
「…素早く敵に寄り、仕掛ける体勢を採り、相手を追い詰める。少しのボールコントロールの乱れを突いてタックルに入る。繋ぎの横パスを出させて、その受け手に次の守備者が詰め寄る…」
 『ハイエナ的野性を持つ「サガン鳥栖」のボール奪取~尹晶煥前監督の指導150524』

これは従来の戦術を徹底したものだ。それでも、今のJリーグでは貴重なアプローチだ。しかし、バルサの戦略は、単に包囲網を構成するのとは異なった新たな次元に入ったと考える。その基本は野性動物が持つ強靱でしなやかな体を基盤にするものだ。そして、それはサッカーを面白くすると共に素晴らしさを新たに示すことでもある。

      
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日本サッカーの分岐点を創ったクラマーコ-チの死~東京五輪での勝利!

2015年09月21日 | スポーツ
 日本サッカー協会HP

おそらく、デッドマール・クラマー氏がコーチとして指導しなければ、現在の日本サッカーの隆盛と世界での地位はなかったであろう。これは長年、日本サッカーの発展に尽くしてきた関係者のみならず、筆者の様に一般人としてサッカーに係わってきた人たちも同じ思いに駆られるはずだ。

当時の日本サッカーと云えば、直ぐに1968年・メキシコ五輪での銅メダルを挙げる人が多い。因みに、当時の日本サッカーの技術レベルを現在のレベルで判断すると、例えば、Jリーグあるいは大学リーグのどのクラスに相当するだろうか?そんな関心を持って、3位決定戦の対メキシコ戦の再放映(NHK)をみたことがある。技術だけを見れば、レベルはかなり低いと感じた。
『メキシコ五輪のサッカー銅メダル~45年後の今と比べると130825』

世界的に見ても、戦術、技術の発展が著しいのであるから、日本においても違いがあって当然だ。しかし、1966年Wカップ・ロンドン大会の映画「ゴール」を見たときの印象を無理矢理に想い起こし、当時の技術レベルを現在のトッププロと比較してみると、基本技術においては、その差は小さいと想像する。

特にトップレベルでの技術は、戦術との相関関係の中で磨かれていく要素が大きいから、その意味で年月と共に違いが出てこないと、逆におかしいことになる。しかし、日本の違いは基本技術においても大きな差を埋めてきたことが判る。

しかし、クラマーコーチが、東京五輪を目指した日本サッカーを指導しなければ、基本技術が当時のままで残されていたら、現在のように、小学校1年生から、あるいは未就学児からサッカーに親しむ環境が作れ、Wカップ本戦に日本が出場する機会はあっただろうか?そんな気もするのだ。

当時の日本チームのコーチを務めていた岡野俊一郎氏がクラマーコーチに付きっきりで選手だけでなく、多くの関係者とのコミュニケーションを媒介していたこともスムースな対話をもたらしたものと思う。氏は「1960年初めて来日したときに羽田空港で出迎えたのが最初の出会い…兄弟として長い付き合い…死の直前まで毎月のように電話をもらい…」と悔やみの言葉を記している。

略歴(日本サッカー協会HP)には、「1925/4/4、西ドイツ・ドルトムント生まれ、
1971年、勲三等瑞宝章、1996年、日本サッカー協会75周年記念功労賞、2005年第1回日本サッカー殿堂入り」とある。業績は「1960年、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)に向けた強化・指導にあたるため日本代表コーチとして来日。以後、強化、指導者養成、ユース育成等の礎を築き、日本サッカーの父と称される。第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティ)ではアドバイザー的役割を果たし、日本の3位入賞・銅メダルに多大な貢献」とある。

他は「西独協会コーチ、バイエルン・ミュンヘン、バイヤー・レバークーゼン等の監督を歴任。バイエルンでは欧州チャンピオンズカップ2連覇。米監督、サウジ監督、韓国五輪コーチ、サウジ、ギリシャのクラブの監督を歴任」とある。

これをみると、1960-1964年までの間が、凝縮したコーチ人生であった様に見える。おそらく、その成果の具現化としての臨場感は、メキシコ五輪よりも、64年の東京五輪の第1試合、アルゼンチンに二度までリードを許しながら、逆転3-2で日本が勝利した時が、最高潮の様に感じる。

筆者も帰宅してテレビで試合の途中(1-1)から見た。2点目を獲られた後、釜本が左に大きく回り込んで杉山からパスを受け、画面がクローズアップ、釜本がゴールラインすれすれに持ち込んだシーン、ボールがラインを割るかと一瞬「あれ!」と思ったとき、GKの頭を越えるクロスを蹴ったーここは覚えている。川淵が右からダイビングヘッドで決めて同点だが、画面は忘れた。その直後、杉山が左に持込、ゴール前に折り返す。画面もゴール前に切替り、混戦から小城(後から判る)が押し込んで逆転!快哉!

結局、この試合での勝利及び杉山が20万ドル(7200万円)で、アルゼンチンのプロチームに勧誘されたというスポーツ紙の報道がサッカーブームに火を付けたと云われている。翌年にクラマー氏が提唱した日本リーグが発足、それ以降、中・高校でのサッカー人口が増えたのだ。

      
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なでしこ・宇津木瑠美選手(2)~サッカー観と対米国戦の見方

2015年07月16日 | スポーツ
宇津木選手がブログに書き込んだ対米国戦と米国チームの感想だ。
「結果は、優勝はできなかったですが、今の私にはその力がまだ足りないということ、アメリカの選手達の凄まじいパワー、キラキラした子供のような気持ちにすらなりました!」。この感想は試合終了後のインタビューでの表現、「10分間で決着が付くサッカーもある」と繋がっている。

筆者は「日本は米国の自己主張に反発せず、そのプレーに付いていくだけ…。諦めない姿勢が「我慢」を生み、米国選手に心理までも簡単に読まれた」と考えた。
 『米国に“自己主張”を許した“諦めない姿勢”~「なでしこ」の意義と課題150706』

しかし、「アルガルベカップ感想」を読むとなでしこの状況と今後の進むべき方向に対してしっかりとした見解を示す。勿論、佐々木監督及び選手達とも共有するのだろうが、フランス体験が染み込んだ鋭い感覚に基づいている。
「順位は厳しいものに…同時に課題も見えて…。今回の大会は日本のサッカーと海外のサッカーの特徴の違いが出た大会…。」

そこで宇津木選手は、リスクに対する考え方を例にとる。
「海外の選手のプレーは勢いがあるなぁと…長所をより伸ばすことが基本にある…とことん攻めたりして良いプレーを出していく…ただ、それにはリスクも伴う。けど海外の場合、個が強いからリスクを抑えるポテンシャルがある。」

「日本の場合、体格的に海外の選手にかなわない…リスクが失点につながる。だから組織をつくって、忍耐強く耐えて、相手のプレーさせないことで勝利をつかんできた。」

「海外はリスクをおかして、チャンスに賭けられる。日本はリスクをおかさないことが勝利への近道。良し悪しではない。
今まではそれで結果が出ていたから良かった。けれど海外のレベルが上がって、日本が勝てなくなった。だから新しい一手が必要な段階に来ている。」

「日本の場合、組織の力が世界に通用する強い武器です。この強い武器があるからこそメリットを出していける。なぜならリスクが失敗しても、組織が補えるだけの力があるから、リスクを恐れずに新しい一手を出せる。個をもっと出したり、色をもっと出したり、それらの相乗効果を生んだり…。」

この認識は正しいと思うし、予選に至るまで、システム、選手の適性等を試したのは、その模索であった。筆者も「宇津木、有吉、岩渕の3名は「なでしこ」にないものを持込み、課題を照射するが故に、貴重…」と書いた。
 『攻守に多彩なプレーを展開、ポスト・澤の布陣~「なでしこ」の意義と課題150706』

しかし、決勝T以降のシステムに懸念もあった。
リスクを恐れてか、積極的にボールを受ける動きが乏しくなると、連鎖反応的に全員の活動度が落ちることだ。対米国戦は、それが出てしまったのだ。

しかし、リスクに対する彼我の相違と日本のとるべき方法について認識があったからこそ、試合後の発言が出来たのだと思う。その意味で宇津木選手の冷静な発言は、フランスにおいて、苦労しながらも築いてきた“姿勢”を見事に表現している。今後の研鑽と活躍が期待できる所以である。

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なでしこ・宇津木瑠美選手~2011年W-Cup、川崎市表彰へ

2015年07月15日 | スポーツ
表題は4年前に別のHPで記事(110729)にした出来事。以下の内容も当時の記事をベースに書き加えている。
今回は準優勝であるが、前回と違ってレギュラーとしてボランチに定着、競り合いでのボールキープの巧さ、体を張った強さで活躍し、豪戦では最優秀選手にも選出された。従って、その名前も広く知られる様になったと思われる。

宇津木選手は川崎市高津区を拠点に活動する地域のクラブチーム「川崎ウィングスFC」(現在はNPO法人)で小学生時代は育った。後に引用するご本人の経歴では、高学年では、川崎F・ジュニアにも所属していたとのこと。

川崎市少年選抜チームも協会が組織しており、宇津木選手の実力からすれば、男子の代表とも遜色なく、そちらにも所属していたかもしれない。同じ学年には、権田修平(現東京FC)、高山薫(現湘南ベルマーレ)がJリーグで活躍している。

筆者も川崎市高津区に在住し、地域のサッカークラブの代表を務め、そのクラブにも少女チームがあったから「ウィングス」とも大会などで試合をしたこともあり、宇津木選手のプレーを見る機会もあった。
技術、身のこなしは抜群、県下の大会で4年生の時、6年生選手を抑えて最優秀選手に選ばれたこともあるとの話をコーチの方から聞いた。

筆者が「なでしこ」の試合を見るキッカケは、宇津木選手の存在があるからだ。地元の地域クラブで育った選手が若くして代表に入り、その後、レギュラーとして起用されるのか、気になっていたからだ。澤、宮間、阪口と好手が揃う中で、左利きMFとして、いつ、何処のポジションでレギュラーになれるのか。

女子サッカー選手を育成するうえでの問題は、中学生時代。学校のクラブ活動で女子チームを作れるほどの生徒は集まらない。さりとて、男子に入って、となるとバリヤが大きい。

地域のサッカークラブも、男子を含めて基本は小学生以下を対象にする。グランドがなかなか見当たらない関係で、ジュニアユースチームを作るのは難しく、中学校のクラブ活動へ送り出すことになる。
従って、少なくとも女子サッカー選手には“断層”ができる。

日本の学校教育、上から作られた機構による指導と、地域活動との接点のあり方を私たちに考えさせる問題だ。その根は、非常に深い。

宇津木選手の経歴は、ご本人のブログによれば、
Youth career
1994 - 2000 Kawasaki Wings FC
1998 - 2000 Kawasaki Frontale Junior
Senior career
2001 - 2002 NTV Menina, JAPAN
2002 - 2010 NTV Beleza, JAPAN
2010 - Montpellier HSC, FRANCE
National Team
2005 ‐ 2008 JAPAN U20
2005 ‐ JAPAN

2001年に日テレ・ベレーザの下部組織チームである日テレ・メニーナに入団、同年度の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会出場を経験した。翌2002年からはメニーナに在籍したままベレーザに登録されるようになった。

2005年、高校生時代に「20歳以下」及び「正代表入り」しているので、将来を嘱望されていたであろう。しかし、花開いたのはフランス・モンペリエHSCへの移籍加入以降である。

この間の経験が宇津木選手に作用していたことは、本人もまた、話をしているところだ。今回のW-Cupでの活躍を踏み台として更にスケール大きく育つことが予感される。期待したい。

      
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「全力を尽くす」から「諦めない姿勢」への転換~なでしこジャパンの敗因

2015年07月14日 | スポーツ
なでしこジャパンの澤選手は、今回のW-Cupの代表選手に選出されたときのインタビュー記事において、「選出されたとき、諦めずにやってきてよかったと感じた。自分のためにやることがチームのためにもなる。全力を尽くしてやり切るだけ」と答えている。これはごく、自然に出てきた言葉だと感じる。

しかし、マスメディアを中心に“なでしこ”の言葉が世間に浮遊し、世間を賑わしてくると、単なるチームの愛称が、どこかチームのアイデンティティを表現する何かに変質していったかのようであった。佐々木監督を始めとして、選手達はチームの一体感を意識的に強調しながら話をする様になってきた。

大会が始まる。予選が3試合共に1点差であった。緒戦のスイスは欧州においても実績があり、特に点差に違和感はない。しかし、次の2試合は選手の入れ替えなどがあったにしても、相手の頑張りが目立った試合であった。

今考えれば、決勝戦を予感させる姿が垣間見られたのだ。なでしこはリスクを取った攻めが出来ず、敵が積極的な攻勢に出ると、押されてしまう姿が出ていた。選手達はここで、先にある決勝Tでの厳しさを予感していたとも推察できる。

決勝Tに入って蘭、豪、英と試合毎に相手チームのパワーは強まり、厳しい試合となった。英との闘いでは後半の英の猛攻にタジタジとなった場面もあった。おそらく、得点は入らず、延長・PK戦も視野に入れざるを得なかっただろう。しかし、岩渕投入から攻勢に出て、川澄の積極的なクロスが敵のオウンゴールを誘って勝てた。

ところが、この辺りから「最後まで諦めない」という言葉がなでしこのキャッチフレーズであるかの様に、メディアが捕らえるようになったと感じる。いみじくも佐々木監督は、米国に破れた後に、「最後の最後まで諦めないで走り切るという姿を見せられた。」とまで言う。監督から呪縛に罹ったようだ。

冒頭の澤選手の言葉に戻ろう。
「これまで、諦めにやって良かった!今後は全力を尽くしてやり切る!」
大切なのは「全力を尽くす」であって、これが行動基準になる。「諦めない」はあくまでも結果論に過ぎない。これがスポーツ選手のごく普通の姿のはずだ。

しかし、高まる期待に「全力を尽くす」ではなく、「諦めない」を強調するようになった。この言葉をもとに、自らのサッカーを展開しようとするとき、具体的な行動指針は何も出てこない。何かを積極的に行うという際の言葉ではなかったからだ。一方、米国は試合開始から全力を尽くして自己のサッカーを押しだそうとプレーした。

試合が終了していくばくか経った今、圧倒的に多い、なでしこへの感謝、「諦めない姿に感動した」の風潮に筆者は違和感をもったのだ。何故だろう、との疑問を持って考えた時、ふと思いついたのは、平安時代、その全盛を誇った藤原道長の詠った有名な和歌であった。

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

「この世は自分のためにあるようなものだ。満月の欠けたことがないように」との現代語訳がネットで示されている。しかし、ここで思い浮かんだのは、「満月の欠ける」ことに対する一種の恐怖心が無意識に潜んでいた?ことだ。

「全力を尽くす」といっても本当に出来るのか?という疑問が頭に浮かんだとき、何か欠けているものが、との不安が過ぎる。その不安を打ち消すには、一歩引いて「最後まで諦めない」とすれば欠けるものがなく、“完璧”だ。

しかし、この考え方は相手との闘いではなく、自己との闘いという閉鎖的な心理に自らを追い込む危険性を孕む。特に同調的雰囲気の下で、社会的圧力に晒されるとき、これに立ち向かうにはよほどの自己認識に達していないと難しい。
平安時代から現時点に至るまで、私たちの社会は、この点、変わってないのかも知れない。

先の記事において以下のことを書いた。何故こんなことに、との疑問に対する回答が今回の記事にだ。
「開始早々から米国は攻勢に出た。しかし、日本は米国の自己主張に反発せず、そのプレーに付いていくだけであった。日本選手は米国選手に対して距離を置いて下がり、フリーでプレーする十分な間合いをと時間を許した。諦めない姿勢が「我慢」を生み、米国選手に心理までも簡単に読まれてしまったのだ。」
 『米国に“自己主張”を許した“諦めない姿勢”~「なでしこ」の意義と課題3』


      
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米国に“自己主張”を許した“諦めない姿勢”~「なでしこ」の意義と課題3

2015年07月06日 | スポーツ
W-Cup決勝戦、米国対なでしこジャパン。
試合終了後のインタビューでいみじくも宇津木選手が言った「10分間で決着が付くサッカーもある」との表現にすべては集約される。

開始早々から米国は攻勢に出た。しかし、日本は米国の自己主張に反発せず、そのプレーに付いていくだけであった。日本選手は米国選手に対して距離を置いて下がり、フリーでプレーする十分な間合いをと時間を許した。諦めない姿勢が「我慢」を生み、米国選手に心理までも簡単に読まれてしまったのだ。

左サイドから中央へ、そして右サイドへと米国は楽にボールを廻してサイドチェンジ、そこで受けた選手がターンの際に前のめりに躓いたが、そのミスにつけ込んでボールを奪い取れるほどの距離に選手はいなかった。
これが開始直後10分間に起こったことを象徴する“第1のシーン”だった。
 サッカー動画速報・日対米・ミドルハイライト(1:30)

続いて、左に少しドリブルしたが、日本選手は開いた間合いをゆっくり詰めるだけで、ペナルティエリアに走り込んだ選手に縦パスを簡単に通される。あわててマークに付くがCKにするのが精一杯の守備であった。
これが“第2のシーン”(前出続き1:42)だった。日本選手は集団として、我慢から安全第一になり、リスク回避が最大のリスクとして作用したのだ。

開始3分のCKにおいて、米国のゴールゲッターであるロイドはペナアークの更に後から走り込み、途中でグラウンダーのボールに合わせて斜め前に方向を変え、日本選手8人を前にしてシュートを決めた。走り込みを警戒してマーカーは手を挙げていたが、ロイドの先手を取られてタックルが間に合わなかった。
これが“第3のシーン”(更に前出続き2:00)だった。

この連続したシーンを分解すれば、どこか一つのシーンにおいて、リスクを取る考え方があれば、こうも易々と点を取られなかったはずだ。

2点目も左サイドからのフリーキックであるが、鮫島、宇津木の2枚で守備をしていたが、ボールを取れず、ファウルで止める状態であった。また、ロイドの走り込みも見事で、裏を取ってゴール前ではフリーでこぼれ球を決めた。

その後は守備体制が解体したかのようになり、選手個々がその場の判断だけでプレーをせざるを得なくなった。岩清水、海堀の最後のミスはそれらの集積と日本の状態を見透かした米国選手の判断の良さによる。ロイドのハットトリックとなる米国4点目、ハーフウェイライン辺りからのシュートはこの状態を象徴すると共に、技術の確かさを示すものだ。

佐々木監督は、それ以降での「2-1」を、最後まで諦めない「なでしこ」の姿勢として評価したいとコメントした。異論は無いが、米国の1点が、2点入れられた直後であったため、54分で実質的に試合は幕引き、とも云える。

それにしても米国の強さは際立っていた。
パワー、スピードだけでなく、技術、戦術の面でも日本を凌ぐものを持っていた。1対1を仕掛けることができ、日本のペナ-エリア内でマークを外してシュートも出来ていた。また、試合を通して一貫した戦術で攻撃を組み立てた。日本を良く研究して対策を具体的に考えていた。おそらく、トップダウンが徹底して、選手に浸透させたのであろう。ロイド選手は試合後のインタビューにおいて、繰り返しの練習を徹底的に行った旨の発言をしていたことからも窺われる。

それにひき換え日本は米国への対策をどの様に立て、具体策を選手に浸透させたのであろうか。勝ち進むにつれて、選手が互いにチームの一体感について触れ、雰囲気の良さをPRするかの様になって、やや奇異に感じていた。

それは、内部の団結力を高めるかもしれないが、外部情報に対して疎くなるように思われたからだ。例によって、マス・メディアはそれをネタにして、競争的に報道しているようにも見えた。何か「なでしこ」自身が自己陶酔の中にいる様にも思えた。しかし、実際の処は窺い知ることは出来ない領域なのだが。

さて、今後の課題については前回でも触れた。
今日の試合を見て、あったと思ったゲームコンセプトが不確かなことが良く判った。「最後まで諦めない」では、自己主張にはならないからだ。この言葉をもって、一致団結しても積極的活動のイメージは出てこない。

大切なのは「女バルサ」を更に徹底することだ。それには、やはりリーダーが必要だ。今日の後半の後半では、中盤の中心に宮間選手を置いてボールを捌きながら選手を動かしていた。今後、進むべきスタイルを表現している様に思える。

      
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攻守に多彩なプレーを展開、ポスト・澤の布陣~「なでしこ」の意義と課題2

2015年07月05日 | スポーツ
予選3試合、決勝トーナメント3試合、すべてを最小点差で「なでしこジャパン」は乗り切った。しかし、“運良く”では勿論なく、やっと“乗越えた”わけでもなく、力を充分に発揮し、相手を堂々と押し切って獲得したものと感じた。

それは、表題に示す様に、優れた足跡を残した澤選手の穴をチームとしてどう埋めるのか、いや、それを凌ぐ新たなサッカーを提示できるのか、その問いに対する回答を蘭、豪、英の試合で描けたことによる。それが新生「なでしこ」だ。

この記事を投稿し、床に就いて目が覚めた頃、ギリシャの国民投票の結果が判明し、“NO”と出て、EU諸国がひっくり返る騒ぎを起こしている中で、それを上回る騒ぎに「なでしこ」が持ち込むことが出来るのか?注目しよう。

先の記事で「女バルサ」と呼ばれていることを紹介した。
筆者は小さい頃から男女の区別の無いサッカー指導を受け、欧米のパワーとスピードを主にした「女子サッカー」を超え、普遍的な姿にしたことが「なでしこ」の意義と評価していたから、「女バルサ」との無粋な呼び方ではあるが、その命名に賛意を示した。
 『「女子サッカー」から脱皮できない欧米諸国~「なでしこ」の意義と課題150702』

今回は、直前の練習試合を含めて先発メンバーの顔ぶれは様々であったが、決Tでは固定された。前回の決勝戦と比較すると以下になる(括弧内は前回)。
GK 海堀
DF 有吉(近賀)、岩清水、熊谷、鮫島
MF 川澄、阪口、宇津木(澤)、宮間
FW 大野、大儀見:スーパーサブ…岩渕

交代は2名だけであるから、前回と比べて円熟味を増しているはずだ。問題は相対的に衰えの見えが、経験を買って澤を先発に使う?宇津木を使う場合、その時の役割と布陣?これは予選の最後まで試され、澤先発は萎んでいった。

1)左DF宇津木で守備陣を強化、2)宮間を澤に変えてボランチに、3)左MFに駿足の鮫島を入れてサイド攻撃を強化、以上の案も有力だったようだ。

一方、右DFでは有吉の台頭が著しく、守備の粘り強さ、思い切りの良い攻撃参加、ボールキープ力によって力を発揮していた。
この場合、1)宇津木を本来のボランチに配置し押されがちになる中央の守備のバランスをとり、2)鮫島を従来の左DFにして両サイドからの攻撃を武器にする、3)この場合、両サイドMFの川澄、宮間は中へ入ってのプレーで中央を支配する、4)全体のバランスは声を掛けあって互いにカバーする、以上の案が浮上したと思われる。
更に、負傷が癒えた岩渕をスーパーサブとして後半の後半に投入して得点を狙うことができる。

このシステムでは全員が連携して、1)積極的な守備、2)攻守の切り替えの速さ、3)攻撃でのスペースへの侵入、以上が必須となり、どこからでもボールを繋いでチャンスを作ることになる。中心選手の動きを起点とするのではない。宮間のPKを除いて複数の得点をとった選手がいないことが、このシステムの特徴を象徴する。

フランスで活躍し、強靭な守備力を身に付けた宇津木、積極的な攻撃参加のスタイルを持ち込んだ有吉、ボールキープ力と突破力の個人技に長けた岩渕、この3名のプレースタイルは、それぞれ、これまでの「なでしこ」にないものを新たに持ち込んだ。それは逆に「なでしこ」の課題を照射するが故に、貴重なのだ。

一方、イングランド戦に見られたように、リスクを恐れてか、積極的にボールを受ける動きが乏しくなると、連鎖反応的に全員の活動度が落ち、ボールを持ってもGKにバックパスする場面がみられることになる。
佐々木監督は、この辺りのことを選手に知らせ、積極的に戦うことを鼓舞しているようだ。

決Tで日本は殆ど同じようなプレースタイルのチームと戦っている。決勝戦で「なでしこ」のスタイル、攻守に多彩なプレーを行い、サッカーの面白さを示しながら、米国を破り、新たなサッカー文化を世界に示してもらいたい。

      
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「女子サッカー」から脱皮できない欧米諸国~「なでしこ」の意義と課題

2015年07月02日 | スポーツ
「なでしこジャパン」は蘭、豪、英と連覇して決勝で米と対決する。欧米勢は同じスタイルのサッカーでが、少しずつ強い相手の様に見える。おそらく、米は英以上に難敵に違いない。しかし、そのスタイルは4年前と変わらず、依然として「女子サッカー」の域をでない。

昨年のアジア杯の時に感じたことは、アジアにおいても、中国は欧米と同じスタイルで、ロングボール、ハイボール、体力で押していくやり方だ。従って、細かいテクニックには長けていない。

一方、日本は技術、戦術は共に男子サッカーのスタイルと同じ処を目指している。佐々木監督の指導及びスタッフの協力によって造り上げたチームは、現代的はポジション取り、動き出しの速さ、をマスターしてそれを実現する細かい技術を身につけている。
 『「女子サッカー」を超えたなでしこ~男女の区別の無い少年サッカー指導140522』
 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/af85e89003e477b83141f289ceac93a2
2011年のW―CuPの時も薄々感じていたのは、欧米の女子選手たちは子供の頃に外を走り回って遊んだとか、鬼ごっこで、ケンカ腰でタッチしたとか、してないとかと争いながら遊んだとかの、普通の子供が経験する遊びをしたことがないのかしらん、ということだ。



写真はイングランド戦での宮間選手のPKだ。

GKとの駆引きからゆっくりとステップを踏んで、瞬間、GKの動きを視野で捉え、逆方向(向かって右)の隅へ正確なキックで、狙い済ました如く蹴り込んだ。GKの動作次第で左側へも蹴ることが出来るフォーム、宮間の技術・戦術が織りなす質の高さを示すプレーだ。

ここで問題はその直前、イングランド選手がPKを取られたプレーだ。ここに、欧米の大型選手特有の「女子サッカー」が象徴的に表れている。

右サイドのスペースに右SB・有吉が飛び出し、そのタイミングに合わせて、右CB・岩清水が頭を越す縦パスを出す。「なでしこ」らしい攻撃だ。有吉は必死に戻るイングランドDFの前に出てボールをトラップしたが、中に入りたい処をややコントロールミスをして右にボールは落ち、コースを変えるため、少しスピードを緩めざるを得なかった。

ところが、有吉の真後ろで追っかける形になったそのDFは、瞬間にコース、スピードを変えることが出来ず、思わず有吉にぶつかりながら手を出して押した様に見えた。有吉も真後ろからのチャージは想定外だったと見え、イングランド選手がしばしば見せていたシミュレーション紛いの倒れ方ではなく、まともに倒れてPKを得たのだ。オランダ戦での初得点と同じく、有吉の特長が遺憾なく発揮されたシーンだ。

その場の状況、有吉との位置関係から、DFは内側から有吉のボールを奪取する戦術を採る以外にないはずだ。次の有吉のボールタッチの瞬間に、少しでも体からボールが離れれば、素早くタックルに入るようにすべきだ。それでも大きなピンチであることに間違いはないが。しかし、その動作を窺わせる動きは全くなく、惰性のままであった様に見える。

引用した記事の中で女子サッカーは面白くないと筆者は述べた。しかし、「なでしこ」はそれを打ち破る普遍的なサッカーを目指している。偶々読んだ面白い記事「女バルサ」と呼ばれていることを始めて知った。この言葉は一言で「なでしこ」の意義を明確にする。

しかし、問題は残る。イングランドの監督は、この敗北を受け入れるのは困難だ、と語ったと云う。然り、日本は負けても不思議はなかった。短いバックパスからゴール前にボールを放り込むパワープレーのサッカーに、である。更に強い米国に対して如何に戦うのか、意義深く、また興味深い一戦だ。

      

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