散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

消費者中心の視点からの「市場競争」~大竹文雄・経済学教授の政治学

2013年10月14日 | 経済
私たちはモノ・サービスの生産・提供者(生産者)であり、その消費・享受者(消費者)でもある。生産者は厳しい市場競争の中で市場の占有を目指し、勝者にも敗者にも成り得る。一方、消費者は「市場競争」のメリット(性能・価格)を受ける。

従って、消費者の立場から見れば、生産者は自分自身も含め、安価・良好のモノ・サービスを巡って競争するのが当然のことになる。それこそが消費者のメリットに繋がるからである。すると、生産者は次の様に括弧内に止まり、消費者(企業,役所,労組,農協等)の立場で政治的視点を定めることが重要になる。

大竹文雄教授の上記議論は、経済学を基盤にした「自己認識の政治学」である。
氏によれば、市場競争のメリットを誰が享受するのか、議論が整理されて行われず、日本社会全体が、生産者側に立って考えてきたことになる。そこで、
『競争→弱肉強食→敗者=弱者→「同情論」→競争規制』が成りたってしまう。しかし、これは弱者という既得権益者を守ることになる。ここが消費者視点に続く、現状認識の第2のポイントになる。

市場の外には敗者より更に弱い人々がいる。市場競争の外に置かれ、競争のチャンスはなく、指摘されることなく、無視されている人々だ。競争に負けそうな人々の脱落を防ぐために、規制や参入障壁を設けて市場競争を制限すれば、外からの参入機会も失われる。従って、規制は目に見えない格差を生む。更に問題は「規制が生み出す見えない格差」を計測するのは難しいことだ。

そこで氏は以下の規制を緩和し、市場機能を有効に活用させることが、経済社会を発展させるとし、後者に自らの立場を定める。
「弱者と呼ばれる既得権者を守り、結果として新規参入者を阻む」
「敗者は脱落の可能性はあるが、新規参入者が新たなモノ・サービスを生む」

これも、市場競争、格差問題に関する現状認識から、経済社会発展を評価基準とした、現在の社会に対する「政治的立場」の設定である。

この立場は「市場競争によって発生した格差の解決は、市場競争の否定ではなく、所得再配分政策で行なう」という欧米先進国の常識に対応するとのことだ。
具体的な政策は以下の二点になる。
 1)政府による社会保障を通じた再分配政策
 2)低所得の人々には技能、教育・訓練を充実

一方、先進国の中では日本だけが市場だけでなく、政府も信用していない。
それは戦後、血縁、地縁、職場等の協力によって暮らしを成り立たせる慣習が定着した。貧しい人を助ける役目も、家族、地域、会社といった共同体が背負うという意識が強い。これは市場経済未発達の国に共通する特性だ。

しかし、共同体は崩壊、会社は厳しい国際競争に晒され、社会保障機能は政府に求めるべきだが、現実と意識の間にずれが生じている。この現実を直視せず、血縁、地縁を無理に取り戻そうという動きが反市場主義と結びつく。

これまで紹介してきた論考は2010年4月に掲載されたのだが、反市場主義思考の例として、亀井静香氏の郵政改革、谷垣時代の政策理念「絆」を挙げる。一方、民主党政権に対して、最近「自由な市場経済+政府によるセーフィティネット」標準的な発想に変化してきているが、「市場競争の制限+再分配政策の強化」という経済学的には非常識な組合せを持続する懸念も表明している。

これは結果として、非常に冷静に政治現象を視ていたことになる。即ち、現状の格差社会の問題は、益々喫緊の課題になっているからだ。

非正規雇用者数の年次推移は2012年統計では横這い、しかし、2013年には再上昇を示す。大企業中心の輸出企業では円安利益で従業員への報酬は上げられる。しかし、エネルギー関連の値上げを中心に悪性インフラの様相も見られ、生活費は圧迫される。所得格差が生活格差を広げるかに見える。

      
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