散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

南シナ海、米国の秩序観と中国の挑戦2~「平和の代償」を改めて読む

2015年11月21日 | 永井陽之助
米国への中国の挑戦を理解するには、毛沢東に戻ることが必要だ。これは彼の共産主義イデオロギーではなく、根っこにある伝統的な中国の戦略思想に戻ることになる。即ち、共産主義による革命イデオロギーではなく、中華思想による膨張イデオロギーというようなものだ。

既に米国の国際秩序観の基底に潜む「正義の戦争」という発想は、オバマ大統領がビンラーディン殺害の際に「正義はなされた」との言葉を放った際に永井陽之助「平和の代償」に書かれていることとして触れている。
 『「米国の戦争観」と「正義の戦争」110507』

第一論文『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』の「米国の戦争観」の部分だ。
1965/6の発表であるから、50年前にオバマの発言を予測したとも云える。これに対して「毛沢東の挑戦」を「中国の挑戦」と読み換えれば、現在の南シナ海問題にも当てはめ可能だ。

その論文の中で、毛沢東を「崩壊過程にあった清朝末期の乱世に生まれ、幼い頃から、「岳飛伝」「水滸伝」「三国志」等の異端の伝記小説に親しみ、孫子等の中国伝来の権謀術数の英知を身につけた」大戦略家と位置づける。

「岳飛伝」は知らなかったが、「水滸伝」「三国志」そして「西遊記」「紅楼夢」を筆者は小学生高学年の時期に愛読していた。英雄達が躍動する処にワクワク感を持ったからだろう。ただ、「史記」までは読んだが、流石に「孫子」までは往かずに、「三銃士」「モンテクリスト伯爵」「トムソーヤ」「ハックルベリーフィン」と広がったのだが…。そこで、「平和の代償」を読んだ時に、毛沢東の部分は覚えていた。

閑話休題。「永井の毛沢東論」を続ける。
間接的迂回的アプローチの有効性を実証的方法で明らかにし、永井の戦略論に影響を与えた英国軍事専門家のリデル・ハートは、「古今を通じて最高の戦略家として孫子をあげ、彼の名句を多数引用している」と述べ、「抗日戦争の初め、1930年代に書かれた有名な『持久戦論』『中国革命戦争の諸問題』等は米国を初め、世界の軍事研究家の古典になっている。」と指摘する。

更に、『矛盾論』の「戦争と平和は互いに転化しあい…戦争は転化して平和になる」を引用し、「政治が紛争の普段の克服過程である、という鋭い弁証法的洞察を示している。」と述べる。戦争と政治の関係について、レーニン、クラウゼビッツを引用し、毛沢東は、それらよりも更に徹底した“動乱イメージ”を持つと云う。
「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」(持久戦論) 。

次に、中国特有の「中間地帯論」に進むが、割愛する。現在の習近平路線は伝統的な中国戦略として「毛沢東の戦略思想」を位置づけ、現代版の「米国への挑戦」を試みている様だ。ベトナム、フィリピン、マレーシアを個別に力で抑え、「九段線」を描いて懐を広げ、米国が出てくる前に基地建設に入った。周到だ!
 『キッシンジャーの懸念が的中~南シナ海、米国の秩序観と中国の挑戦151101』
 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/ff17e526cdcec5e623b7f7e3c874158a

以下は香田洋二氏「中国の南シナ海環礁埋立と日本の安全保障」(2015/07/28)から中国戦略を引用する。


 
・策源地(後方基地)…海南島・三亜、海軍基地(アジア最大)、空軍基地
・前進拠点…ウッディー島、埋立飛行場(2500m級滑走路)、港湾施設
(南シナ海は現在、拠点無(海軍艦艇の限定的な展開)、以下の建設が進む)
・ファイアリー・クロス礁…埋立飛行場(3000m級滑走路)、港湾施設
・6環礁埋立地(上記礁の半径約200km圏)…出先拠点
・全完成→南シナ海、ウッディー島―ファイアリー礁の南北線が中国下に
・将来、中国実効支配のスカボロー礁の埋立、軍事基地化→三角形が中国下に

      
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熊谷・千葉市長の実物政治教育~「年貢」から「共益費」への意識転換

2015年11月18日 | 地方自治
税の問題を民主主義の根幹と捉え、その全体の流れを理解し、表題にある「年貢から共益費へ」、意識を変えることをモチーフに熊谷・千葉市長がその促進を図るコメントをツイッタ上で11/17に展開している。
曰く、「行政から貰える補助等は多ければ多いほど、税率は低ければ低いほど善政、とは必ずしも限らない」。
 https://twitter.com/kumagai_chiba
一連のつぶやきの中で、熊谷氏は、前に話題となり議会解散にまで発展した河村・名古屋市長の市民税減税及び最近の消費税の軽減税率の問題を例にとって、政治にとって、政策の優先順位の判断が必要なこと、更に普通の人にとっても必要なことを判り易く説明している。

例えば、名古屋の河村市長の減税は「庶民減税」の印象があるが、高所得者により手厚い減税(収入300万の減税額1800円、1000万の減税額17500円)となり、低所得者は自らの減税額以上に、自分たちを対象とする福祉施策の財源が減るリスクがあることを指摘する。

昨今話題の消費税の軽減税率も、食料品への適用は高所得者が減税の恩恵を強く受けること、当初見込んでいた福祉施策の財源が減ることで、予定されていた施策が一部先送りになる可能性もある。従って、それらを理解した上で各自の立場から自らの優先順位を持ち、施策の判断をすることも指定する。

熊谷氏は、千葉市における「子ども医療費助成」について、「自己負担の金額の増減」と「助成する子どもの範囲(年齢)」を関連させて論点を整理して提起したと述べる。

1)自己負担300円を無料にすると市全体で「年間X億円」が必要
2)「年間X億円」を活用すると自己負担300円で小6まで拡大可能
3)自己負担500円にすると「年間X億円+Y円」で中3まで拡大可能
(但し、この時に補助される年齢範囲はツイッタ上では不明)
自己負担無料を望む層の多くが2)から更に3)の自己負担引き上げを望んだとのこと。千葉市はこの対話を通して対象を中3に拡大、とのことである。

見事な実物政治教育!
予算を家計に見立てる説明が地方自治体予算の説明としてよくある。その自治体で出すパンフ等資料よりも判り易いという声は聴く処である。更に加えて、例示の件が家庭の金の使い方と類似の部分があること、但し、家庭にはない多様な意見の交錯があり、それを一つの計画に収束するのが、特に、地方自治体の政治の役割であることも合わせて学ぶと良いと思う。

通常の「政治教育」とは、高校の授業にある様に、三権分立をベースに政治機構(国会、内閣、政党との組織体系とその動きの仕組み)及び裁判制度と憲法に代表される法体系の説明である。しかし、それには、実際に政治は如何に動かされているのか、あるいは政治家(議員)はどのような活動をしているのか、というような実際の政治過程は教えられていない。

そこで極端に純化された民主主義政治のイメージが流布されるから、現実のマスメディアの報道に毎日接していると、政治とは薄汚いイメージが醸成されるのだ。そこで政治は表と裏に真っ向から分離され、表はイデオロギーの対立による勝負であり、裏は利益の取引による既得権益の形成、とみられる様になる。

今回、熊谷氏が提示した事例は、行政の立場からの政策展開として、オプションを示したもので、実際の行政体系は「金と規則の網」であって、この様に、単純で判り易いものでもないであろう。しかし、選択の契機が、そのメリットーデメリットと共に、第三者的公平さで示されていれば、冷静な空気の中では、市民が方向付けを選択できることを示している。

これによって、「行政から貰える補助等は多ければ多いほど、税率は低ければ低いほど善政、とは必ずしも限らない」、との理解が得られると共に、市民の視野も開かれていくことが期待できる。

    
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空爆対テロ、戦闘のない戦争~「国際的内戦」から「国際的革命戦争」へ

2015年11月15日 | 国際政治
報道によれば、パリ市とその近郊で13日夜に発生した同時テロについて、オランド仏大統領は14日の演説でイスラム過激派「イスラム国」(IS)による犯行だと断定し、一方、ISは犯行声明を発表した。

テロによる死者は現在までの処、少なくとも128人に達し、重傷者も多いため、今後も増える可能性があることを仏治安当局は示唆している。


 日経新聞(2015/11/13)

9.11事件以降、今回のテロは最大級のショックを欧米に与えたことに間違いないはない。それはパリという大都市での同時テロが、ISの目論見通りに実現したことによる。それも、15日にトルコのアンタルヤで開幕する20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の直前に、である。結局、そこでは、テロ対策が主要議題になるとのことだ。

かつて、1968-70年にかけての大学紛争の時代に、反代々木系全学連は大学の全共闘と共に東京都内の主要各駅において、同時デモを企図したことがあった。しかし、実施する際のトラブルで、簡単には足並みが揃わなかったらしく、同時の騒乱を起こすことは困難であった。

そこで、一斉蜂起という机上の戦略は、日本赤軍派の「世界同時革命論」に引き継がれただけであって、空理空論のまま店ざらしであった。それが復活したのは、革命を狙う集団では無く、宗教団体・オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件と呼ばれる事件(1995/3/20)であった。

1978年のイラン革命以降のイスラム革命において、ISが新たな国家を名乗り、組織的に統治領域を拡大するなかで、欧米諸国の多国籍軍に対抗して、相手国内において「同時テロ」を成功させたことは、ISの活動そのものの基盤がしっかりしたものであることを世界に知らしめたと考えられる。

フランスは2014年にイラク領内のISに対する空爆を始め、今年9月にはシリアに対象を広げたのだが、オランド大統領は14日のテレビ演説で今回のテロを「テロリストによって起こされた戦争行為だ」と語り、フランス外で組織・計画されたと強調した。また、国家非常事態宣言を出し、軍も動員するとした。

一方、ISはインターネット上での声明で「オランドがシリアへの攻撃をやめない限り、仏国民に安全はない」とした。逆にこれは、仏というより、仏国民に対するテロ戦争布告(というものがあれば)になる。

これは「国際的革命戦争」とも云うべき新たな局面と感じる。かつて、ナポレオンの侵略に対して登場したパルチザン(ゲリラ)は正規軍ではなく、民衆の蜂起であり、ゲリラ戦での抵抗あった。

その後、ゲリラ戦は、スペイン戦争、アルジェリア戦争、ベトナム戦争等に登場するが、それは大国間の利害、周辺諸国の対応が絡み、「国際的内戦」と呼ばれた(『ベトナム以後と中国』永井陽之助(1968/6)「多極世界の構造」所収)。
しかし、それは大国の本国が攻撃を受ける戦争では無く、「非対称的紛争」でもあった(『政治的資源としての時間』永井陽之助(1975/7)「時間の政治学」所収)。

今回の事件はISがその根拠地とするシリア、イラクとのゲリラ戦を超えて、仏へのゲリラ戦を宣言したことによって、「国際的内戦」から「国際的革命戦争」に突入したことを意味する。これで民衆の悲惨さは、更にひどくなるだろう。

日本は先進諸国の一員としてISからは敵としてみられている。これに対して、フランスの様に、国民的に毅然とした態度がとれなければ、先進諸国の“弱い環”とISから睨まれ、テロの標的の可能性が生じる。先ずの試金石だ。

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前回決議(給食実施)と今回決議との矛盾~川崎市中学校給食施設契約議案(3)

2015年11月14日 | 地方自治
前回の記事で内容を分析した決議の前に、川崎市議会は給食の実施を求める決議を全会一致で行っている(2011年3月議会)。当時、阿部市長は自身の経験を背景にして独特の“中学生自立弁当論”を持論にしていた。
 『川崎市議会の「決議」内容を分析する~中学校給食施設契約議案151112』

市議会では公明党、共産党が給食実施の立場で競ってその主張を展開していたが、自民党、民主党は、それぞれトーンは異なるが、特に積極的な姿勢を見せていなかった。ところが、統一地方選挙前での最終議会において、民主党が会派代表質問において、給食実施の立場を鮮明にする発言を行い、議会の給食推進派は多数になった。

その後の経緯は明らかではないが、自民党も含めて4会派共同で話がまとまったようで、議会の最終日に「中学校の給食実施」の決議案は可決成立した。これは画期的なことであった。阿部市長の意を受けて、教育委員会は“愛情弁当論”で議会質問を切り抜けていたからだ。

即ち、「川崎市の中学校の昼食は家庭からのお弁当を基本」にする。それは「思春期を迎える中学生にとって家族とのコミュニケーションの契機になり、また、自ら食べるものは自ら判断し、自らの力で選択していく力を養う」ことになる。更に、
「生徒が食材や献立について家族で一緒に考えることは、家庭での食育の契機」にもなると付け加えている。なお、「家庭からのお弁当を補完し、お弁当を持参できないときにも生徒が安心して学校生活が送れるように、ランチサービス事業を実施」している。

しかし、統一選挙の後の議会において、自民、民主両党は積極的な立場は取らず、結局、公明、共産の両党が選挙前と同様に、会派質問において、「中学校給食」の論陣を張るだけになり、それは上記の教育委員会の考え方に跳ね返されるだけであって、もとに戻った様にも見えた。次年度の予算策定時においても、中学校給食の検討はされず、決議は市長・行政を少しも動かせなかった。

ところが、2016/11の川崎市長選挙で大方の予想を裏切り、福田現市長が登場した。福田氏は「待機児童解消」「中学校給食実施」を公約の二枚看板にして、自公民三党推薦の阿部後継候補者、秀嶋氏を僅かに交わして当選したのだ。

これによって、「中学校給食」の実施は確実になり、教育委員会は即座に「愛情弁当論」を取り下げ、「給食実施論」を公表する無様な姿をさらけ出した。自公民の議員は、自らの決議を実現しようとする候補に対抗する候補を推進して負けた。それは二重の敗北で有り、無力感を味わったに違いない。
筆者は、この辺りに今回の市長批判決議の源泉があった様に感じる。

では、前回の決議は何をもたらしたのか。自公民三党が決議後の阿部市長の予算案に賛成し、阿部後継候補を推薦したことは、決議と特に矛盾しない。それは単なる一つの政策であるから、直ぐに実現に動き出さなくても、更に主張していけば良いだけだし、」逆に、主張を続けることを拘束されていると考えられる。議会として意思表示を続けることが決議に対する義務であるからだ。

では、前回の決議に対して今回の決議は何を意味するのか。
「中学校給食を推進する立場になって、行政に意見具申を行うこと」。これは当然であろう。しかし、一昨日の記事で指摘したように、今回決議の中の「他の行政サービス・事業の質を低下させない」、「減債基金に頼らない」は推進する立場とは矛盾する内容を含む。

一昨日の記事でも少し指摘しているが、財政が厳しいおりから、新たな事業を始めるには、すべての事業に関して、ムダを省き、優先順位の見直すことは必須であるからだ。「他の行政サービス・事業を積極的に見直す」ことが必要なのだ。

また、「減債基金に頼らない」ことが、ある程度まで「減債基金を借用する」ことを許すのであれば、その基準を明らかにする必要がある。議会として「安易な追認」は今後一切できないと覚悟を決めるべきなのだ。

議会が自らに厳しい立場を設定するのは悪くない。問題は、自覚的に取り組むつもりで準備することだ。
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川崎市議会の「決議」内容を分析する~中学校給食施設契約議案

2015年11月12日 | 地方自治
一昨日の記事では、本来もめるはずはない契約締結議案の委員会審議が4日間の審議の末、可決された背景について、報道記事の内容からまとめてみた。その中で、7項目の決議内容を紹介し、“考えられない軽さ”との感想を述べた。ここでは、決議を一昨日に続いて再度紹介して疑問点を指摘する。
 『川崎市議会、異例の「付帯決議」~給食センター契約議案の背景151110』

1.地域経済の活性化に資する
3.広く市民に利益を還元する事業を検討する
4.給食センターの相互連携を構築する
5.選定事業者の指導、モニタリングを実施する
6.社会的変化に対応した大規模修繕計画を策定する
7.PFI事業では地域経済に資する事業者を参入させる

以上が6項目であり、施設事業に関する一般論だ。特段、今回の給食施設事業に限られることでもなく、また、具体的な内容も含まれていない。

筆者が奇異に感じたのは「2」、その内容は以下だ。
「他の行政サービス・事業の質を低下させない」、「後年度負担への適切な対応」、
「減債基金に頼らない」、「健全かつ持続可能な市政運営を行う」

「後年度負担への適切な対応」及び「健全かつ持続可能な市政運営」は、どこの地方自治体であっても、首長と議会は考え方として基本的に合意しているはずだ。これを川崎市議会が決議するということは、余程、議会が市長の財政政策に不信感を持っているのか、あるいは他のことを含めて感情的な捻れがあるのか、そう思わざるを得ない。市民全体にとって、好ましくないことだ。

それも「契約締結議案」であって、かつ、債務負担行為は昨年12月に議決されている。この時、債務負担行為を含む補正予算案に反対したのは、共産党所属議員及び無所属・猪股議員である。

「後年度負担への適切な対応」及び「健全かつ持続可能な市政運営」に疑義があるなら、「総合計画」あるいは「財政計画」に関連して議論し、意見が異なるのであれば、それに対する修正案を提起するのが議会の本道のはずだ。

「他の行政サービス・事業の質を低下させない」及び「減債基金に頼らない」との内容も、“本気なのか”、と疑わしむる類である。

行政サービス・事業は常に監視されるべきものであって、不要であれば廃止するし、過剰であれば,質を落とすことは常に心掛けておくものだ。それは先ず、個々の事業で精査されるべきであって、既得権益として存在させるものではない。「事業仕分け」はその一つの手法であり、最近、河野行革相が国政において始めた「事業レビュー」も方向性は同じである。

また、“頼る”とは一時的にでも依存する意味を持つから、「減債基金に頼らない」とは、減債基金を利用しないことを意味するはずだ。そうであるなら、厳しい態度と褒めたい処、しかし、これまでの議会は「減債基金に頼る」ことを追認してきたのだ。過去の議決行為を反省しているとも思えず、かといって、新たな減債基金利用を拒否する覚悟もできていなと推察される。

以上が今回の決議を“考えられない軽さ”と筆者が感じた理由である。

巷の噂では、福田市長が公約に拘り、早期実施を強引に進めているとか、自らの地盤である宮前区での実施を早くするため、今回の南部地区のセンターから2時間かけて給食を運搬させるとか、問題にされているとのことだ。

しかし、議案に反対したのは月本議員ひとりだった。
結局、議会は「計画」も、「実行」もしない、「意思決定」機関なのだ。その意思決定も殆どが「承認型意思決定」であって、「提案型意思決定」は僅かなのだ。そこで、どうしても「監視」機関になってしまう。しかし、それは「法的」でもなく、「経営的」でもない。従って、「意見・要望」に集約される。

少しずつ、「提案型」への道へ進むことが議員として望まれる。それは行動型議員になることを意味している。

      
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川崎市議会、異例の「付帯決議」~給食センター契約議案の背景

2015年11月10日 | 地方自治
報道によれば、川崎市議会は審議4日間の末、10/14に給食センター契約議案を可決した。報道に接した筆者も何のことかと驚いたが、議会関係者、更には議員の中にもこの騒ぎに驚いた方もおられた様子だ。
ここでは神奈川新聞の記事(10/15)に沿って先ずは経緯を紹介する。

中学校完全給食実施に向けて新設する「(仮称)南部学校給食センター」(幸区)の整備・運営に関わる契約締結議案(154億円)。本来もめるはずはない。しかし、総務委員会審議は4日間にわたり、結局、本会議で月本議員を除いて賛成多数で可決する一方、7項目に及ぶ付帯決議を付けるという異例の展開になった。

附帯決議案の内容は以下である。
どれも議会としては、ごく当たり前の注文であって、あえて契約締結議案に付帯する必要があるとは思えない。結局、2.について、云いたかったらしい(従って、ここだけ全文を残す)。

1.地産地消を通じて食育の推進を図り、地域経済の活性化に資する

2.後年度負担について適切に対応するとともに、事業実施に伴い教育施策を始め他の行政サービス・事業の質が低下しないよう、減債基金に頼らず将来を見据えた適切な財政計画に基づく健全かつ持続可能な市政運営を行う

3.広く市民に利益が還元できるような事業についても検討する
4.給食センターにおける相互連携の仕組みを構築する
5.選定事業者に対し、適切な指導を実施、モニタリング結果を議会へ報告する
6.大規模修繕については社会的変化に対応し、計画を策定する
7.PFI事業に際し、地域経済に資する民間事業者の参入の仕組みを構築する

センター方式による給食実施に350億円近くの負担が生じるため、今後の市政全般の行財政運営まで議論の的となったのだ。

中学校完全給食は2013年に初当選した福田紀彦市長の主要な公約の一つ。
市は北部、中部、南部の3カ所に民間資金活用によるPFI方式で整備する給食センターから給食を配送し、17年度中に全市で実施する予定を公表している。

今回の議案は、南部センターに関し、東洋食品グループが設立した特別目的会社と契約、2019/9に運営を開始する内容。中部、北部の契約は12月議会に提出し、15年間の3センター合計で約347億円を見込む。

当初は、市議会が昨年12月に3センター事業の限度額(356億円)を定める債務負担行為を議決している経緯もあり、「もめる類いの議案ではなかった」(ベテラン市議)。

ところが自民、公明、民主みらいは総務委員会で、市庁舎建て替えや羽田連絡道建設、国道357号延伸など大規模事業がこれから相次ぐことと絡め、「財政見通しや行政改革の方針が示されなければ、センター議案の賛否だけを判断できない」「市側は説明不足」と厳しい姿勢で臨んだ。

主要会派は、市が総合計画策定に伴い11月中旬に公表する将来の財政収支見通しを前倒しして示すよう要求。これに対し、市側は「作業上難しい」とし、現在の推計で理解を求めた。砂田副市長も出席、「給食は市の市民との約束。優先的、確実に財源を確保する」「現段階で予測できる財政見通しを資料で示している」と重ねて理解を求めた。しかし各会派は納得せず、連休を挟んで13日も審議した。

一方、議案を継続審査にして持ち越せば、工期短縮は困難とする事業者が契約に応じず、再入札で給食開始が大幅に遅れることも判明。市議会は2011年に早期の給食実施を求めて決議しており、「給食が遅れる事態は避けたい」という思いが大半だった。議案の裁決に対する選択肢は限られていった。

「多大な投資で他の事業に及ぼす影響も大きい。将来の不安が拭えたわけではないが、市民生活に与える影響を考慮し、条件つきで賛成する」(自民市議)。
13日の総務委員会では付帯決議を付けて全会一致で可決。
「4日間の厳しい審議から見ると議会側の後退感が拭えない決着」(ベテラン市議)だった。以上で一件落着。

筆者の第一の感想は「議会決議」の考えられない軽さである。例えて云うなら、イタチの最後っ屁みたいなものだ。議員ではなく議会は、市長と並ぶ代表機関だ。決議は代表機関としての“意思表示”であって、市の意思決定(予算案、条例案可決等)には及ばないが、重い意味があるはずだ。その軽さは執行責任を伴わない機関の実質的軽さを示して余りある。

      
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先進国人口減時代における外国人獲得競争~日本は人口減に拍車?

2015年11月09日 | 現代社会
「アベノミクス」の第2段階は経済政策と云うよりも、一億総活躍時代のキャッチフレーズを掲げた社会経済政策の色合いが濃い。名目GDPは600兆円、希望出生率1.8の実現、介護離職ゼロが新たな3本の矢となる。

その目標と大きな距離があるが、50年後も人口1億人を維持するという目標も掲げている。これに対して日経・編集委員の瀬能繁氏は、世界銀行が10月に発表したグローバル・モニタリング・リポートの人口推移を引用して、死角もあると述べる(2015/11/8付日経)。このデータを見出したのは氏の問題意識がなせる技であろうか。安倍首相の目標を検証した機関・個人は未だ日本にはない?



上記の図は、日本の出生率が今世紀半ばに希望出生率である「1.8」に達し、2100年まで同水準で続くという基本シナリオに基づくデータだ。それでも今から50年後の65年には人口が1億人を下回ってしまう。
(但し、安倍首相は「1.8」になる時期を2000年半ばではなく、もっと早い時期を想定しているー例えば、自らの任期中とかーと筆者は想像するが!)

出生率が「2.1」まで上昇すれば、50年後も人口1億人を維持できる。しかし、経済協力開発機構(OECD)によると先進7カ国で最も高いフランス(2014年時点で出生率1.98)を超える高水準で、難度はさらに上がる。

このデータに基づいて氏は次の様に議論する。
希望出生率は、子どもが欲しい若年層の希望が100%達成すると得られる水準。女性ひとりが生涯に生む子ども数、合計特殊出生率は2014年時点で「1.42」だ。しかし、「1.8」は1985年以降達成しておらず、非常にハードルの高い目標だ。問題は、仮に「1.8」が実現しても、中長期的に人口1億人を保つのは難しいという事実が認識されていないことだ。

では、外国人の受入拡大で1億人を維持できるか。「移民は受け入れない」方針の安倍政権の下では難しいが、それだけではない。人口減少圧力に直面する先進各国のなかで「外国人獲得競争」(みずほ総研・岡田豊氏)が強まるからだ。

国連によると、仮に加、英で移民無の場合、2100年時点の人口は2015年を下回る。米、仏を含めて人口増のかなりの部分を外国人に依存している国が多い。しかし、主に外国人を送り出す側の途上国の大半も2100年までに人口減社会に突入する。そこで、先進国がパイの限られた外国人材を奪い合う展開が予想される。

出生率を着実に高め、さらに希望出生率も1.8を超えて高まるような思い切った少子化対策を打ち出せるか。「移民」と一線を画したうえで、外国の高度人材や専門人材、留学生をどれだけ増やせるか。1億人維持の隠れた論点だろう。

氏は「外国人獲得競争」を死角としている。それは、先進諸国間の人材獲得競争でもある。各国は必死になって人材を囲い込むはずだ。日本が外国人を獲得できないだけではなく、日本人が外国に獲得される恐れのほうが、今は強いと思う。

最近の世界大学ランキングをみると、ランキングが何を意味するのかは別として、日本の大学の順位が後退していくのが気がかりではある。大学は優秀な人材を囲い込む基地になりのであるから。また、円安になって、企業の外国進出が滞ってくるのも問題だ。ここは出先機関になるからだ。

経済政策を、単に目先の株価高、輸出企業の利益を目安にするのではなく、広範囲、かつ、長期を視野に入れた社会経済政策にしなければいけない理由である。

      
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キッシンジャーの懸念が的中~南シナ海、米国の秩序観と中国の挑戦1

2015年11月01日 | 国際政治
2014年5月にフィリピン外務省が、南シナ海のジョンソン南礁(赤瓜礁)を中国が埋め立てている時系列の写真を公開し、全世界にショックを巻き起こした。フィリピンの抗議に対して、中国は、自国領での行為、主権の範囲内と拒否し、その態度は一貫している。


  読売新聞2015/04/13

先の9/25、訪米した習近平主席とオバマ大統領が会談。しかし、中国の岩礁埋め立てにより軍事拠点化が進む南シナ海問題での進展はなかった。その直後、オバマは、米海軍のイージス駆逐艦「ラッセン」をスビ礁から12海里内の海域に進入航行させ、航行の自由を行動で示す作戦を実施した。
 
米国内での沸騰する議論の中で、Foreign Affairs は2012/3掲載のH.キッシンジャー論文「アジアにおけるアメリカと中国~相互イメージと米中関係の未来」を再度掲載し、彼が既に当時、米中双方に強硬論があり、それらが共鳴し合って台頭することを警告したことを示した。その中で、彼は、一方の国が他方の国をイメージする濃縮言語として、「権威主義国家」(米→中)対「手負いの超大国」(中→米)を鋭く指摘する。

米国側の強硬論における概念は「非民主的な世界との抗争」だ。従って、懸念が増幅される。
「中国の様な権威主義体制の基盤は本質的に脆く、このためにナショナリズムや拡大主義のレトリックを用いることで、国内的な支持を確保しようとする」、「国内の左派と右派の一部が共に受け入るこの理論によれば、中国との緊張と紛争のリスクは、その国内構造にある」、「その結果、協調の模索ではなく、民主主義の世界的な勝利が、普遍的な平和が実現する」との主張になる。

一方、中国側の米中対立論は全く逆の論理になる。
「米国が中国を含む台頭するライバルを抑え込もうととみなす」、従って、「中国が積極的に協調路線を模索しても、米国は軍事力の配備と条約上の係わりを通じて、中国パワーの強大化を抑え込み、歴史的な中華帝国の役割の再来を阻止だろう」、故に、「アメリカと長期的に協調路線をとるのは、アメリカの中国抑え込みを助けるだけで、自滅的だ」。

キッシンジャーの見方は以下だ。
「必要なのは冷静な相互理解だ」。
中国が周辺地域において大きな影響力をもつことは避けられない。しかし、影響力の限界は中国の地域政策に左右される」、「アジア諸国はアメリカが地域的な役割を果たすことを望む」、しかし、「中国との均衡保持のためで、十字軍的役割、中国との対決は望んでいない」。

「強固な中国が経済、文化、政治、軍事領域で大きな影響力をもつのは、世界秩序に対する不自然な挑戦ではなく、正常への復帰だ」、
むしろ、「アメリカは、現状の問題を想像上の敵のせいにしてはならない」、「米中はともに相手の行動を、国際関係における日常として受け入れるだけの懐の深さをもつ必要がある」。

キッシンジャーの指摘は彼のヨーロッパ的な勢力均衡の国際政治観からすれば当然であろう。彼の博士論文(1954)は、処女作「復興された世界」として出版され、その中に、トインビー、シュペングラーらによる影響を受けた安定体系と革命体系が繰り返される歴史観が展開されている。
 (『キッシンジャー外交の構造』(「多極世界の構造」所収、1972/6初出)。

中国は毛沢東による共産主義革命への傾斜から小平路線以降の開放経済体制へ移り、国力の増大と共に伝統的な国家主義に戻ってきたとの見方をキッシンジャーは指摘しているように思われる。しかし、その中国の発想は、毛沢東のチベット侵略で顕わにされた中華思想で有り、「勢力均衡」というよりは「力の政治」による駆け引きの国際政治観のように思われる。

      
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