散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

副題「個人・住民・Citizen」の意味~自分史余滴(8)

2022年06月30日 | 個人史

今回は表題「或るベビーブーム世代の生活世界」の副題を取り上げる。副題は「個人・住民・〇〇」と並べる発想であった。最初の二つは以下に述べる理由で決まり文句、最後の一句で「個性」を出す試みだ。ここではCitizenである。

個人の生活世界(家族、近隣、地域、学校、職場等)は社会と係る。従って、自分史の執筆においては社会も観察の対象に加え、全体を組立てた。但し、その社会は自らの生活世界と関係のある事象、組織体、世相、情報等を多く含みながら、個人の関心・指向によって社会の別の面をも含む。小学生の頃からマスメディア(新聞、ラジオ)の世界が社会の様々な側面を報道していた。その中で自分が関心を持ったのは「政治の世界」だったが。
社会の中のでは自分という表現は通用しない。それが自分史の欠点でもある。そこで副題に「個人・住民」を連ね、その調子で決め手を出す調子にした。

「○○」は更に社会側へシフト、職業人、趣味人、世話役等々、社会との接点を持つ活動から考える。『私の履歴書』(日経新聞)が通用する所以だ。そこで、ユニークな個人的経験として、第四部「統合期」での地域住民活動・市民活動(川崎市)への参加を明確に示す意味で「市民」→「シティズン」→「Citizen」とイメージして使った。


最近、英国では若い人たちへの「シティズンシップ教育」が盛んになり、それが日本にも徐々に採り入れられている。即ち、政治的には「Citizen」を民主主義、政治参加の担い手としての表現にも使う。即ち、市民活動との言葉はそれと深く関連している。

 以上の様に考え、筆者の自己表現として使ったものだ。更にそれは大学時代に学んだ永井陽之助の政治学の考え方を基盤にしたものだった…。

教養課程重視を標榜する東工大に惹かれ、高三での個人的な、集注的受験学習で入学を果たす。「文理両道」を目指し、先ずは教養の入門書を探す。学内生協書店で平積みの入門書を購入する(『学問と読者』(大河内一男編、東大出版会(1967))。分野ごとに書かれていたなかで、当大学の政治学教授・永井陽之助「政治状況の認識」の次の一節に注目する。

「…自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している時代風潮、イデオロギー、偏見の拘束を見出さざるを得ない…その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのもの…」。情報化社会での自己認識に繋がる現代的学問論と受けとめる。これで教養の道筋が見えたと思った。

後に読んだ専門書には選挙の際の「主体的浮動層」との言葉で表現され、客体的不動票(固有観念、組織票、固定票)と対比されていた(『現代政治学入門』(永井陽之助、篠原一編、有斐閣(1966)。大学卒業後は入社した会社の独身寮が大学から近く、また、週休二日制であったので、土曜には「政治学講義」を聴講(贋学生だが、教授に許可を得る)させて頂いた。

 


生活世界の中の「過剰の生」の位置~自分史余滴(7)

2022年06月23日 | 個人史

「過剰の生」について、バタイユに関する研究をネットレベルで調べてみた。そのなかで、吉田裕:『過剰さとその行方 経済学・至高性・芸術(1)』(正常大学リボリトジ)の次の一節に注目した。

『バタイユは自分の裡に何か制御できない力が作用するのを感じ、それを過剰な力だと考える。それは先ず詩的幻想だったが、瞠目させられたのはそれを幻想に終わらせず、現実のなかにまで押し広げようとしたことだ。』

なるほど過剰の生が、バタイユと不即不離の関係と小生はようやく理解、それを知らずに気軽に使った処で「すべった」のかも知れない。

そこで、自著の表題に『生活世界』を用いたときに調べた文献から改めて考えてみた。おそらくそれはフッサールの表現と同様に哲学的表現を含むもと考えたからだ。

参照文献は前回までに紹介した以下の書物だ。
 1)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』フッサール(中央公論)
 2)『生活世界の構造』シュッツ&ルックマン(ちくま学芸文庫)
 3)『日常世界の構成』ルックマン(新曜社)
 4)『社会的世界の探究』山岸健(慶応通信)

前回述べた様に、1)で提起された「生活世界」を受けて、2)においてその構造が整理され、更に具体的に3)、4)で展開される。

一方、2)2章では「空想的想像の世界、夢」について触れている。ドン・キホーテ、夢等が例示されており、「過剰の生」の取扱はここで出来そうだ。
但し、制御の効かない力の作用、幻想に終わるものを現実へと広げる意思、哲学、思想としては魅力のある発想だが…これで具体的事象を解釈するのは「生活世界の空想化」になると考えられる。

更に、生活世界では祭的なことも平日と日祭日の区別等で日常世界の中の出来事として扱う。そのように考えると、日常世界の広がりが近代化した地域では拡張して、祭り的世界は劇場等においても展開されるようになったと考えられる。

但し、ここでも反逆的表現形態が増加、バタイユ的世界もその一つかも知れない。

 

 


「過剰の生」の可能性in生活世界 ~自分史余滴(6)

2022年06月22日 | 個人史

3月22日付け投稿(自分史後始末記、読者と著者の間~(1)過剰の生)において、読者の感想への対応として、「過剰の生」との言葉を使い説明した。一方、その言葉の「筆者における出所」は、山口昌男の本であったとも書いた。それは以下になる。

「道化はその限界を知らぬ放恣な性格の故に、定住の世界に安住することを許されない。あらゆる慾において彼は限度というものを知らない。それは多分、ジョルジュ・バタイユ的表現を用いれば道化が「過剰の生」の表現である故なのであろう」(「道化と詩的言語」、『道化的世界』山口昌男著,筑摩書房(1975)所収,P22)。

但し、「生活世界」のなかで、バタイユ的な<過剰の生>が存在するだろうか?未だ十分な説明ができていない!とも述べた。

しかし、翻って考えれば、「過剰の生」は比喩的表現、日常生活での発想から溢れ出てくることを表現する際に使い易い表現だ。その意味で「日常言語」の対極に位置させた「詩的言語」との表現は「言い得て妙」であろう。

また、生活世界が哲学的表現であるならば、過剰の生もバタイユの「生活哲学」と言えないことはない。生活世界がその後、シュッツによって哲学から社会科学の分野で体系化され、ルックマンが共著としてまとめあげる(『生活世界の構造』(筑摩学芸文庫)。以降、社会学の一分野として定着する。勿論、そこでは「過剰の生」との言葉はでないが、日常性を突破して新たな世界を開示する現象は、生活世界でも生成する。

 

 


歴史の「挑戦・悲劇」と世代の「解釈・実験」~自分史余滴(5)

2022年06月17日 | 個人史

 「ひとつの世代は、ひとつの解釈と、ひとつの実験を試みることを許されているに過ぎない。これが歴史の挑戦であり、その悲劇なのである」 。
これはフランス革命後の欧州秩序の復興期、メッテルニッヒ(オーストリア)を中心に、欧州指導者たちの秩序回復への構想と活動を描いた『復興された世界』(ヘンリー・キッシンジャー著、永井陽之助訳)での著者の言葉だ。

この言葉に出会ったのは、永井論文「キッシンジャー外交の構造」(『中央公論』1972年12月号)であった(論文集『多極世界の構造』(中央公論社刊1973年6月)所収。

71年の夏、ニクソンによるダブルショック、特にニクソン訪中のニュースは晴天の霹靂であった。その後のベトナム和平交渉も含め、この時期の米国外交を担ったのが、キッシンジャー特別補佐官、その外交哲学は学位論文でもある上述の書籍にまとめられ、それを簡潔に分析したのが永井論文であった。なお、その書物は後に『回復された世界平和』(伊藤幸雄訳、原書房、1979年)として邦訳出版される。

それを読んだとき、知識人的名文で、覚え易いと思ったかもしれない…。また、「団塊の世代」との言葉を知った時、「今更、団子の塊と呼ばれても」と思ったのだが、世の中の趨勢に従って、その言葉を使う様になった…。
しかし、改めて自分史執筆を志し、その構想を練る段階になって、自らの世代の誕生を考え直す。先ずは第二次世界大戦によって崩壊した「秩序」、その中での「生活」を含めた復興期との思いが浮かぶ。それが長い歴史の中での位置づけと考えた。一方、「団子の塊」との表現は20数年後の人口構成からの発想であって、「生誕」のインパクトにはとても及ばない命名との思いに至る。
そこで「ベビーブーム世代」との言葉とその時代の意味を考え直し、父母の時代も含め、自らの時代の一片を描く執筆の旅に向かう気持ちになる。

そう考えると、以前に読んだ70年代に読んだキッシンジャーのややペシミスティックな言葉が蘇る。私たちの世代の解釈と実験がどのようなものであり、それがどのような挑戦と悲劇であったのか?後世の判断を待つ必要があるが、ここでは世代が生んだ二人の首相を取り上げてみよう。

ベビーブーム世代で自民党から首相になった菅義偉は、秋田県から東京方面へ出てきた。民族大移動と言われた時代を将に象徴する存在だ。しかし、それは裏側からだ。一方、表側から首相になった鳩山由紀夫は万年野党だった民主党の所属、当時の世相のブームに乗っての就任であった。

この両者の対称性に、「ベビーブーム/団塊」世代の『挑戦と悲劇』が示されているように思われる。

 


世代表現の選択、「ベビーブーム」対「団塊」、~自分史余滴(4)

2022年06月11日 | 個人史

自分史『或るベビーブーム世代の生活世界』の本文「はじめに」では、以下の三項目について記述した。
 1)「「ベビーブーム世代」と「団塊世代」」、
 2)「個人―生活世界―社会」、
 3)「時の旅人~筆者が「自分」を探検する」

前回は2)の「生活世界」について説明した(22年6月4日付)。
そこで今回は、世代表現として「ベビーブーム(BB)世代」(主として使われる「団塊世代」ではない)を選んだ理由を説明する。

筆者は1948年に生まれ、当初は「BB世代」(1947-49年誕生)と呼ばれ、社会人以降は堺屋太一氏が命名した「団塊の世代」(1976年、同名の書籍(講談社))と呼ばれる世代に括られる。近年、自分自身は世間に倣って後者を使っていた。しかし、本稿を書く過程で、どちらの言葉を使うのか?
先ずは、神奈川県立図書館での蔵書のタイトルを調べる。「BB世代」を含むものは3冊、「団塊世代」を含むものは何と39冊。圧倒的に後者が多い。世の中は広く「団塊」を使っている。しかし、待てよ!単なる「塊」?この言葉は筆者の感覚に合わない!

 「誕生・始まり」を連想させるBB現象が、生活再建へ向かう終戦後に起きたことに筆者は感慨を持つ。また、混乱期の中で子どもを生み育てた親世代は、その成長を精神的支えにしたことも想像に難くない。

更にBB現象は、戦後の日本だけでなく、北米、欧州等でも共通に現われた世界的な事象であった。その背景には世界大戦による従軍者の動員と、終戦後の帰国が指摘される。一方、大戦中は従軍者だけではなく、住民の生活空間までもが戦争に巻き込まれ、多くの死傷者が出た。日本では玉音放送(1945年8月)によって住民に終戦(敗戦)を知らせ…半年のうちに世相は変わり、その後にBB現象が到来する。

そう考えると、「ベビーブーム」は人間的な、余りにも人間的であり、「団塊」などとの言葉では表現できない事象である。また、それが優秀な経済官僚の方の発想であることが、当時の日本が置かれた社会状況を示し、更に、マスメディアとそれを包む当時の国民的雰囲気も感じさせる。

但し、ベビーブームとの言葉の発祥地は米国だ。それは第一次世界大戦後(1918-29年)に起り、第一次とされている。更に第二次大戦後も起こる(1946-64年)、この時の世代はBaby Boomerと呼ばれる。更に日本の第二次BB現象に相当する世代はEcho Baby Boomer と呼ばれる。

(参照:Wikipedia、「ベビーブーム」)

 


哲学的表現としての「生活世界」~自分史余滴(3)

2022年06月03日 | 個人史

 自分史の表紙には、
 表題「或るベビーブーム世代の生活世界」、 
 副題「個人・住民・citizen」、
 更に加えて「市井人の自分史」、
 及び「社会史の中の個人史」も表記してある。
それぞれが筆者の「自分史」を構成するキーワードになる。

表題で『生活』を避け、哲学者フッサールがその現象学で展開した言葉「生活世界」を選んだ理由は、その言葉が示すイメージによる。即ち、「生活=日常生活」から生まれる一般的な生活習慣の連想が、漫画「サザエさん」的な生活循環イメージに繋がることを避けたかったからだ。即ち、その表題から社会的・政治的な関心・活動のイメージを発想する余地は乏しいように感じるからだ。

一方、「生活世界」は哲学的発想から「人間とは?」に迫った言葉として幅広くイメージを想起させる用語と考えた。従って、「私の履歴書」ではない「市井人の自分史」を「社会史の中の個人史」として成立させる媒介役として、この用語が適切と判断した。

『現代人の思想15 未開と文明』山口昌男編著(平凡社:1969年)の冒頭の解説「失われた世界の復権」において、氏はフッサールの近代哲学批判『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』フッサール(中央公論:1974年)、即ち幾何学的方法が日常的生活世界に「理念の衣」を被せたとの指摘を引用する。
その後、山口は哲学叢書『文化と両義性』(岩波書店:1975年)において「日常生活を生きる人間の主観的意識を通して捉えられた世界が、究極的に理解されるべきこと」を更に引用して、生活世界の「多次元性」を論じる。そこでは(社会)学の対象として「生活世界」を構成したアルフレッド・シュッツが紹介される。この頃に筆者は木田元『現代哲学』(日本放送出版協会:1969)から現象学に関心を持つことになるのだが。

上記の三点は「生活世界」に係る哲学的参考文献です。一方、社会科学的参考文献は以下の三点になります。

 1)『生活世界の構造』シュッツ&ルックマン(ちくま学芸文庫:2015年)
 2)『日常世界の構成』ルックマン(新曜社:1977年)
 3)『社会的世界の探究』山岸健(慶応通信:1977年)

結論的には哲学的に提起された「生活世界」を受けて、1)においてその構造が整理され、更に具体的に2)、3)で展開されている。