散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

3人目の心に残るJ.S.ミルの引用~「教養としての経済学」の応用学(3)

2013年05月31日 | 読書
「教養としての経済学」(一橋大経済学部編 有斐閣)は、多様な経済学の姿を描き出している。


その中で、古典としてスミス、マルクスを石倉教授が、J.S.ミルを齋藤誠教授が論じている。スミス、マルクスとくれば、3番目はケインズではないかと門外漢は考えるが、渋くミルを選んだ処に面白さを感じた。

ミル「自由論」に限らず、名著そのものを読んだことは少ない。しかし、名著や著者に関して論じた文章、あるいは引用は、これまで折に触れて読んでいる。それで少しは、判ったつもりの処が問題なのだが、さておき、ミルを引用した文章に関して、ふたりの方が書いたものが心に残っている。今回の齋藤教授の文章で3人目だ。

最初は永井陽之助「平和の代償」(中央公論社)のあとがきにある「「現代において非同調の単なる証しー習慣の拝跪の拒否は、それ自身一つのサービス」であるというジョン・S・ミルの言葉が、実感として浮かんでくる」。

この本は左翼陣営とそれを取り巻く進歩的文化人及び反共保守右派に対して論争を挑んだ内容だ。その中核にあるのは知識人の自立性の問題だが、19世紀のヨーロッパで、既に優れた知識人が考えていたのだと、この言葉から感じた。

二番目はアイザィア・バーリン『ジョン・スチュアート・ミルと生の目的』(「自由論2」所収 みすず書房)。冒頭のエピグラムに「人間性が無数の、しかも相競合する方向に展開されるように、完全な自由を与えることは、…人間や社会にとって重要である…」(ミル「自伝」)を掲げている。凝縮した言葉を見事に選んだ、と感心した記憶がある。


紹介した二つの引用は、ある意味で大上段に構えての言葉であるが、齋藤教授が指摘するのは、ミルの精神のしなやかさだ。そこでミルを「競争と言語の作法を説いた経済学者」と呼んでいる。

その作法とは「どのような意見を持っている人手あっても、反対意見とそれを主張する相手の実像を冷静に判断して誠実に説明し、論争相手に振りになることは何ひとつ誇張せず、論争相手に有利な点や有利だとみられる点は何ひとつ隠さないようにしているのであれば、その人に相応しい賞賛を与える。以上が公の場での議論にあたって守るべき真の道徳である。」(「自由論」ミル)。

自由に価値をおき、自由の実現を図るなら、“公の場”で自らの考えからも自由になることが必要だ。確かにこのような作法が、自由を育てる土壌になるだろう。

      
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ゆとり教育のパラドックス~「教養としての経済学」の応用学(2)

2013年05月30日 | 経済
「「経済的に豊かになる」と聞くと、「豊かになってどんどん楽になる」と思われがちだが、「豊かになってかえってしんどい」という面も同時に出てくる。」昨日の記事で引用した齋藤教授は、同じ論考の後段で述べている。
(『経済の成長と個人の成長』(「教養としての経済学」所収 有斐閣))


そこから「豊かな国に生まれた若者は、社会に出ても、世界で的に見て高い給与水準に見合った働きができるように、しっかりと研鑽を積まなければならないと言えるだろう。」との洞察に達する。何故か?

日本のひとり当たりのGDPは1990年代を境にして上昇から停滞へと変わった。一方、労働時間は1990年代以降減少に転じているので、所得の停滞は見合っている。しかし、これだけでは相関関係であって、因果関係ではない。

そこで名目GDPと実質GDPを比較すると、2000年以降は生産水準が上昇しているのに、所得が増加していないことが判る。これは、輸入される原料・燃料の価格が上昇したが、国際競争のため、価格へ転化出来ず、却って、給与を上げる余裕がなくなったことが主要因である。追い上げる開発途上国との国際競争の激化の結果だ。

90年代の労働時間の短縮は、週休二日制の全面的普及に代表されるように、生活のゆとりを生んだ。親が休みで、子どもは学校で勉強だ。では、親が面倒を見れば、一緒に外出も出来るし、親子のふれ合いも増える。

この考え方は自然であるし、「ゆとり教育」の発想に含まれていたとしても不思議ではない。特に、週休二日制を享受する中堅サラリ-マン層にとっては。学校週休二日制の完全実施とそれに伴う教育内容の「3割」削減は2000年以降のことになる。
(「教育改革の幻想」P48 刈谷剛彦著 中公新書)


「ゆとり教育」にどんな理由を付けたとしても、国内の“空気”として「豊かになってどんどん楽になる」が支配的だったことは否めない。その当時、兆候が顕れているはずだった「豊かになってかえってしんどい」との側面に気が付き、将来の現在を予測し、警鐘を鳴らすことができれば、言葉の真の意味で“学者”に値する。

私たちは“ぬかった”のだ。しかし、直ぐに始めなければ、状況は悪化する一方だ。先ず、アベノミクスの煙幕を吹き飛ばし、奥に潜む現実を視る必要がある。

     
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働く人のアベノミクス損得勘定~「教養としての経済学」の応用学(1)

2013年05月29日 | 経済
報道によれば、円安の進行で漁船の燃油代が高騰しており、漁業就業者の全国組織(全漁連)は集会を開き、国の緊急支援を求める決議を採択した。燃油代は昨年11月の8万4千円/klから4千-1万円以上も値上がりしたという。国の緊急支援の理由として、「このまま燃油高騰が続けば、漁業はさらに減少し、国民に対する水産食料の安定供給に支障をきたす」だと言う。

一方、政府は支援策として、燃油の値上がり分を漁業者に支払う基金を拡充する方針という。近著「教養としての経済学」(一橋大経済学部編(有斐閣))において、齋藤誠教授は名目GDPと実質GDP、労働時間数の統計を示し、働く人の実感を説明している。その見方を応用それば、アベノミクスの下での働く人の損得勘定を考えることが出来る。



上記の状況において、二つの問題がある。
先ず、素直に値上がり分を価格に転化すれば良いのでは、との考え方だ。しかし、一本釣りのイカを買わずに、大量漁業で冷凍にして水揚げし、安く切り身で売る銀シャケを消費者が買えば…と考えると、簡単には値上げは出来ない。また、互いに競合する業者、売買の相対的な力関係で製品を値上げできない業種ででは、働く人の報酬にしわ寄せがいくことになる。

次に、政府が補助金を出すと言っても、税金だ。結局、燃油の値上がり分を国民が負担することになる。暮らしの観点からの税金負担は、低所得者にとって重いと感じるはずだ。また、補助金に回す税金を他の事業に使えば、その効果は基本的に国民に還元されるから、補助金を貰わない一般国民は、二重に損をした感覚になるだろう。しかし、巨大な国家予算のほんの一部、従って、実感は程遠いのが現実だが。

一方、トヨタを始めとして自動車産業に代表される輸出産業は円安効果によって、大幅な売り上げ増加になり、春闘におけるボーナスは昨年よりもアップした。更に、その業績は株高に反映し、株主は相対的に試算を大幅に増やしたのだ。

齋藤教授の論考では、名目GDPと実質GDPの対比は、経済状況の歴史的な違い(1990年代と2000年代)を明快に説明している。一方、考え方を学べば、アベノミクスにおける業種間、あるいは株保有の有無を含めて、働く人の経済的実感を理解することも出来るだろう。
しかし、これで安倍内閣の世論調査による支持率が60%以上あることを政治的に説明できるだろうか?

     
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「お城のサンマ」橋下徹発言~安倍・高市発言に釘を刺したはずが…

2013年05月28日 | 国際政治
慰安婦問題に関連した橋下徹氏の外国記者団との会見は、極めて公式的に行われ、全く面白味に欠けていた。真意が伝わらず…「痛恨の極み」との発言があったようだが、こんな言葉を使うようでは、単なる政治家の記者会見である。5/25記事で記者との「馴れ合いの閉鎖的世界」からの情報発信と批判したが、昨日は「形式的な閉鎖的世界」で、マスメディアが作ったイメージに迎合したかのようである。
(「橋下徹発言(5/13)の真実 20130525」
http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/dab2b91fb91214c9b8d0530c25749a6f)

始めに(5/13)、氏が話したことは極めて重要な政治的意味をもっていた。それは、安倍首相、高市政調会長が立て続けに、侵略戦争、村山談話に関し、曖昧にする発言をした後であったからだ。その感想を聞かれたのがスタートだった。
(「橋下徹氏の従軍慰安婦問題に対する姿勢 20130519」
 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/a38bd5795002c1a27ad75144954b8721 )

主な回答は以下の三点である。
1)敗戦の結果としての侵略を認める。
2)周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えた。
3)以上を含めて、反省とお詫びをする。
安倍・高市発言が海外からも注目され、批判もされている時、侵略を認めたことは、それらの発言及び自民党内のウルトラナショナリストと呼ばれる人たちに対して、正面から釘を刺すものであった。

本来なら“侵略戦争”を認めたことが、問題の大きさからすれば、最重要のポイントになるはずだ。安倍・高市発言にも触れ、侵略戦争を曖昧化することに反対の姿勢を、今回の記者会見においても、強調すべきであった。

機を見るに敏な政治家・安倍晋三に「橋下氏とは慰安婦問題の考え方が異なる」と先手を取られた後なので、ここで挽回を図る必要があった。そこから周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えたことを含めて、反省とお詫びを述べ、それを前提にして慰安婦問題に進む必要があったのではないか。

しかし、ここでの橋下発言は「お城のサンマ」に終わってしまった。脂身も、小骨も抜いて「目黒のサンマ」は原形も止めていない。しかし、氏が乗った今の流れは、少し長い眼で視ると「国内での歴史認識に対する和解」「世界の中の日本の位置」に対して有効な考え方を提起するとは思えない。先ず、憲法問題に対する維新の会の綱領を再検討することから氏の再生は可能になるとの予感を禁じ得ない。

      
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慰安婦問題に対する米国の深層心理~民主主義下での近代化

2013年05月27日 | 国際政治
慰安婦問題に対する米国の日本に対する姿勢は極めて強い。アルカイダのビンラディンを異国で殺害して、「正義はなされた」と大統領が言い放った国であるから、思いこみの激しい国であることは間違いない。そこで、日本に対する米国の思い込みがあるとすれば、私たちは、そこまで立ち返る必要があるのかもしれない。
(「ビンラーディン氏の死」 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/6e9c31f31c01dac75aca265c72325431 )

占領軍として米国は日本に姿を顕した。おそらく圧倒的な物資が当時の日本人に衝撃と驚きを与えたに違いない。物資と共に、民主主義、人権思想は米国によって日本の中で大衆化されたのだ。憲法を含めた戦後改革を米国は日本に自らが与えたと考えても不思議ではない。その経験は米国にとっても一つの財産になったはずだ。

その後、日本はアジアの開発途上諸国の先鞭を付けるように、高度経済成長路線を進み、経済大国に成り上がった。翻ってみると、戦後に米国は近代化路線をとって、開発途上国を援助した。しかし、ほとんど失敗の歴史と選って良い。米国的政治経済体制を忠実に実施し、成功したのは日本だけになる。
(『さらばマイフェアレディ』永井陽之助、「時間の政治学」所収)。

そのモデルが、米国の築いた体制を批判し、否定した体制の方向へ少しでも向きを変えようとしているとすれば、米国が自らを否定されたと感じたとしても不思議ではない。人間の拒絶反応というものは、直感的なものだ。

特に“性”に関わる問題が人権とリンクして提起される時、それはモラルイシューとして多くの人を興奮させることは、今回の騒動で良く理解できたことだ。それだけ、日本社会も米国社会も、精神的に不安定さを抱えていることを示している。それであるから、同じような慰安婦制度を他の国でも実施していたとの批判は、ある意味で触れられたくない問題なのだ。即ち、余計にいらだちを覚えることになる。

従って、米国下院第121号決議「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」は、上記の様に、米国の価値観に基づく戦後外交の枠組、発展途上国に対する“啓蒙主義的”な民主化・近代化、の成否に関わる問題意識に支配されている。

「日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦まで…日本軍が強制的に若い女性を慰安婦と呼ばれる性の奴隷にした事実…歴史的な責任を負う」。これを終結し、日本に人権・民主主義を植え付けたのは米国だ、という意識がその基底にあるのだ。

      


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橋下徹発言(5/13)の真実~記者との閉鎖的世界からの情報発信

2013年05月25日 | 国内政治
橋下徹氏は沖縄米軍司令官への「風俗の活用」発言を漸く、撤回して陳謝したようだ。翻って、橋下発言(5/13)をシノドスの「全文文字起し」記録から辿って、今回の騒動を考えると、浮かんでくるのは、橋下氏と記者との腐れ縁的な雰囲気である。

記者の質問に対して、氏の回答が異様に長いのだ。それも繰り返しが多く、極めて冗長なのだ。2-3行で済むことを20-30行になるまで繰り返し言葉を変えて説明する。但し、説明すれば、それで判り易くなっているのではない。何故なら、氏は、今回もそうだが、記事内容を正確性等の理由で批判しているからだ。

おそらく、記者たちはネタになる内容が欲しいから変わったこと、失言も含めて、が出てくることを期待して話を聞いているのだろう。一方、氏は記事を期待して出来るだけ丁寧に説明しているつもりなのだろう。こうなると、「橋下―記者」の閉鎖的枠組の中だけでやりとりが続き、必ずしも氏の考え方を国民的コミュニケーションとして開かれた世界へ導くことにはならない。

具体的内容に触れると、キッカケは自民党・高市政調会長の侵略という言葉に絡んで、村山談話について聞かれたことだ。主な回答は、
1)敗戦の結果としての侵略を認める。
2)周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えた。
3)以上を含めて、反省とお詫びをする。
この3点であって、3行で済むことを100行もかかって説明している。そこで、余計なことを語り、それを更に説明し、結局、言葉の断片の積み重ねで終わるから、後は記者の見方で記事になる。

慰安婦問題についても以下の発言が中心だ。
1)慰安婦の方には優しい言葉をかける。
2)慰安婦制度は世界各国の軍隊で持っていた。
3)事実と違うことにはしっかりと主張する。
しかし、これを説明するうちに、「慰安婦制度は必要だということは誰だってわかる」という発言になり、「風俗業は必要だと思う」が出てくる。

結局、持ちつ・持たれつ「橋下―記者」間の閉鎖的世界での問答で一向に国民との対話に結びつかない。その半分は橋下側にあることは明白だ。“ぶら下がり”の方法を改めない限りは腐れ縁は続くだろう。

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黒田バズーカ砲による株式市場の乱高下~「雀と羆」モデル再考~

2013年05月24日 | 経済
23日、日経平均株価は1100円以上の下落、本日24日、1000以上の乱高下で100円以上の安値につけた。5月連休以降、2週間で1900円以上の上昇の中で、実体経済との隔離に警戒感が強まり、投資家はおそらく臨戦態勢で売りの潮時を図っていた。

トリガーは何でも良かった。今回は中国の経済指標が、市場予測よりも悪化していることが広まって、売りが一気に膨らんだ。ここで筆者は始めて「超高速取引」というのがあることを知った。東証が去年、千分の一秒で売買注文を出せるように取引システムの性能を向上させたのだ。

コンピュータ時間の単位で効率化を図れば、人間的時間は吹っ飛ぶ。千分の一秒早く、売買を決めて利益を出すのだ。海外のヘッジファンドは、このシステムを利用し、円相場や長期金利の動向に応じて自動的に大量の注文を出している。

この方法は株式市場を構成する参加者個々、即ち個別システムにとっては極めて合理的=効率的だ。しかし、株式市場、即ち全体システムを破壊する潜在力も持つことになる。今回は、図らずも乱高下の一因になったらしい。

日本もそうだが、1960年代の経済成長と人口移動、ベビーブーム世代の登場によって米国の“社会生態系”の均衡が崩れ始めた。これを永井陽之助氏は『解体するアメリカ』と呼んだ(「柔構造社会と暴力」(1971)中央公論社所収)。それはマイケル・ハリントンによれば、“偶発革命”であった。

その偶発革命は「私企業のイニシアティブによって無計画に引き起こされた巨大な社会変革である。それはサブシステムの効率と合理性を、狂気に近い極限に推し進めることで、逆にトータルシステムの救い難い混乱と無秩序をもたらした。」

私企業をファンドと、社会を株式市場と、読み換えれば、今回の乱高下現象を見事に予見した言葉とも受け取ることができる。70年代から40年後、電子媒体による情報通信システムの著しい進展は、実は、社会の解体とパラレルに進んでいるとも言えるのだ。

株式に限らず、市場は本来、売り手と買い手の均衡を前提とする。それがアダム・スミスの“見えざる手”である。この前提を維持するためには、全体システムとしては時間の遅れを伴った「」のフィードバックが働く必要がある。

しかし、コンピュータ時間単位の「超高速取引」を利用し、円相場、長期金利の動向に応じて自動的に大量注文を行うのは、「負」ではなく、「」のフィードバックになる。互いのコンピュータが人間を差し置いて、値上がり(値下がり)の利得をいち早く得ようと競い合う。人間の生活時間を超えた極限の短時間でその都度、勝負を決める。千分の一秒を競えば、時間の遅れの機能は破壊される。

更に問題は先の記事で齋藤誠・一橋大教授の指摘、「雀を羆にすり替えた」のは、全体システムを統括する機構の「黒田日銀」だったことだ。

“雀と羆”論を再説すれば、「日本経済は長期的なデフレ状態にあったわけではない」「物価下落は物価安定といった方がふさわしいほど軽微(雀)」だったが「15年以上にわたる深刻な物価下落(羆)にすり替えられた」である。全体システムへの打撃のリスクを考慮せず、“実験”を試みるなどは、未成熟な思惟に他ならない。

乱高下は未だ良い。制御が効かなくなると暴走だ。ギリシャなどで起こった金利の急激な上昇は、このことを指している。要するに、ネズミの集団自殺モデルだ。しかし、これはコンピュータの暴走ではない。それを使う人間の意識の反映である。即ち、私たちは、人間としての生活時間をどう取り戻すのか、大きな課題にぶつかっている。


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曠野の花~満州に渡った近代日本の貧しき女性達~

2013年05月23日 | 読書
『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』は近代日本を一軍人として生きた石光真清の自伝四部作だ。作品の中の“曠野の花”は満州に渡り、娼婦を稼業として生きる貧しき女性たちである。筆者の手元には龍星閣版(初版発行昭和33年)があるが、現在は四部作すべて中公文庫に収まっている。

昨晩、思い立って、久し振りにパラパラと捲ってみた。何故、思い立ったのか?それは橋下徹氏の慰安婦発言に対するある反応に接して、精神解毒剤を必要としたからだ、とでも言おうか。

中味・内容をよく調べないで、人権問題、女性蔑視などと発言している自民党を筆頭にした政治家たち、有識者たちが結構多くて、食傷の感があったからだ。一般の人は、娼婦という言葉は知っていても、娼婦という人間に接する機会はないだろう。そこで、聞いたこと、読んだことからイメージが作られる。筆者が思い出した理由だ。

さて、話を戻そう。『曠野の花』は、満州における作者の対露諜報活動を中心に描かれている。これを初めて読んだのは高校一年生のときで、義和団事件を発端とする「ブラゴヴェヒチェンスクの虐殺」の凄まじさは息をのむ思いであった。他にも馬賊がいとも簡単に処刑される話もあり、冒険小説的ではあるが、現実の殺伐感は相当なものだったと記憶している。

その中で作者は“曠野の花”を助け、また、命を救われるのだが、その観察は透徹し、眼差しは暖かく、表現は平明である。おそらく、共に生きるという発想があってのことだろうが、それでも生き別れがちょっとしたタイミングのずれで起こる。これがマクロな歴史の動きの中で翻弄されるミクロな個々人の判断と行動に顕れる。

高校一年生のとき、「現代国語」の教科書に『城下の人』の一部が載っており、授業の中で接して感銘を受けたのが四部作を読むキッカケであった。このときは高校の図書室に偶々、置いてあったのだ。次に通読する日は来るのだろうか。

      
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みんなの党は維新の会へ「三下り半」を出す~慰安婦問題・橋下発言~

2013年05月22日 | 国内政治
みんな党は日本維新との選挙協力を解消した。その理由を山内議員は「橋下・石原両共同代表の歴史認識、人権感覚に関する価値観の違い」と説明する。当然、今回の慰安婦問題に対する橋下発言が引き金になっているはずだ。しかし、これまで何をもとに議論し、合意したのか全く不明になった。それに対する説明は何もない。
 
選挙協力を薦めるにあたり、基本的な歴史認識あるいは人権問題について、何も議論をせず、ただ、一致しそうな政策だけを探し出して合意に達したとでもいうのだろうか。「地方分権や行革等の技術的な点は合意できる」と書いてあるので、それが両方にとって優先すべき政治課題との認識で一致したはずだ。

歴史認識で言えば、先に維新の会が現憲法を真っ向から否定する綱領を打ち出した時点で問題にすべきであろう。筆者はビックリして次の様に書いた。
「これでは、自民党よりも更に右寄りの極右勢力が出現したとしか言えないからである。「憲法を改定する」ことによって「国家を蘇生させる」とはよく言ったものだ。これは、第二次世界大戦を引き起こし、日本を壊滅に追いやった、陸軍を中心とした無能の亡霊たちを蘇らすと言っていることと同じだ。」
 
また、「渡辺喜美は石原慎太郎と刺し違えできるか」において、維新の会とみんなの党が合併し、その時、渡辺が代表を橋下にして、石原を伴って自らも一歩退くことを提案した。勿論、無理は承知であったが、渡辺にその器量はなく、実現は覚束なかった。

この時、渡辺が今回の様な解消を提起すれば、是非はともかく、理解はされるだろう。しかし、石原はともかく、橋下は5/13の記者会見で、安部首相、高市自民党政調会長による侵略戦争の否定を匂わす発言を否定している。

更に、慰安婦問題についても「日本政府による強制連行はなかった」との立場の表明で有り、政府の公式見解の範囲内である。但し、「風俗の活用」云々は余計なお世話で有り、特に記者会見で話す内容でもない。この点の説明において、「当時は慰安婦が必要」との発言は不用意であったが、全体からみて「人権感覚」を攻めるほどの発言とは思えない。また、真意も後に説明している。人権感覚に関する価値観などと大仰に構える問題ではない。

ところが、山梨県では1区が地盤の維新の会の小沢国対委員長に協力を要請したという。全くの選挙目当てを暴露している。やはり渡辺のケツの穴は小さいのだ。

        


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真珠湾攻撃の帰結・米国~アジア・太平洋国家として中国と正面から対峙~

2013年05月21日 | 国際政治
旧聞になるが、パネッタ米国防長官(当時)は2012/6/3、ベトナム中部カムラン空港に到着、戦後同地を訪れた米当局者としては最高位である。この訪問は米国にとって、日本の真珠湾攻撃への反撃から始まった太平洋戦争の最終的帰結のように思える。ここではその歴史を概観してみよう。

1941/12/8の真珠湾奇襲によって、米国は準備のないまま、アジア・太平洋国家として押し出された(永井陽之助『冷戦の起源』P(中央公論社1978))。しかし、太平洋戦争で米国は日本を圧倒し、日本の降伏を受けて占領した。それから70年、日本の民主化から朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て今、中国の急速な経済的・軍事的台頭に対し、リバランシングオブパワーを目指している。

真珠湾は太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島である。当時、航空戦が急速に進展し、艦隊決戦の海戦スタイルから脱却する時である。当然、日本を占領するとも想定しておらず、制空権を得てからは、空襲という新たな戦法によって、一般市民に対する攻撃を可能にした。

それまでは花森安治の詩<戦場>はいつでも海の向うにあった」の様に、海が一つの障壁であった。しかし、制空権を握られてしまえば、なすすべもない小さな列島であることを日本国民は思い知った。一方、米国は兵器の発達によって、自らの支配空間を拡張していった。国内大陸はリソースの供給源となり、海への展開を支える役割を担った。

第二次世界大戦は兵器の急激な発達と共にイデオロギーによって民衆意識を支える戦争でもあった。米国は民主主義を掲げて、共産主義のソ連、中国と厳しく対立し、冷戦時代に突入した。しかし、それは通常兵器の使用に止まる朝鮮、ベトナムでの限定戦争であった。一方、中国の台頭は中ソ対立を導き、米中ソのパワーゲームは米中国交正常化に進み、東―東南アジアは新たな局面を迎えた。

これまで概観したように、兵器の発展とイデオロギー対立に米国政権は追随するのが精一杯の様相であった。しかし、中国の経済成長は軍拡を伴い、巨大なパワーとしてアジアの力の真空地帯を埋めるかのように、東―東南から更に西アジアへと進出する。米国は今、それと対峙して、リバランスする立場となった。

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