散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

納税の耐えられない軽さ~ふるさと税の“公金横流し”的性格

2016年05月23日 | 地方自治
ふるさと納税に対して、それを受けた自治体による返礼が、その納税額の6,7割にのぼる額に及ぶこともあり、節税行為、と批判され、法律による規制も議論されている。
 『政治的言語としての“ふるさと“考~虚実が織りなす二重性140812』

“ふるさと納税”の基本的発想は、育成期後に他地域へ転出して仕事をする人が、“育成期を過ごした地域へ”、掛かった税金を返す行為と理解できる。それは、世代間・地域間における贈与の経済学として成立する。だが、実際に制度として実施するのは難しいことは容易に理解できる。
 『成熟社会における「贈与の経済学」の役割~永井陽之助1974年 141229』

経済事象は等価物、即時の“交換”を基本とする。しかし、贈与は一方向であり、これを即時ではなく、例えば、世代から世代へと引き継ぐ間に等価性を有すると見なすことで経済性を成立させる行為にする。従って、贈与の経済学は例外事象として存在するのだ。

ふるさと納税もまた、本来の納税(地方税)の例外として位置づけられるはずだ。しかし、現行の法律では、個人版地方交付税になっている。国からの交付税は一定の基準があり、公的資金としてバランスをとった形態になっている。

ところが、ふるさと納税は、納税者が個人の価値観で選ぶことができる。ここに「返礼品」が蔓延る理由が隠されている。例外事象であり、贈与の見せかけを含むが、その要素を実は含んでいない。

何故なら、本来、居住地の地方公共団体Aに納められる税金が他の地方公共団体Bへ即時的に、横流しされるからだ。即ち、その納税者は単なる公金横流しの手配師なのだ。これを贈与と云うのであれば、「団体A」から「団体B」への贈与である。何も知らずに損をするのは、「団体A」の住民だ。

ここで、得をした住民の代表である「団体B」が公金の横流しを、法律に則って行ったその納税者個人へ、公金から「返礼品」を送るのは当然であろうか?税金全体から見れば、その納税者へ理由もなく返金したことになるだろう。「団体B」が返礼すべき相手は「団体A」及びその住民に対してだ。
返礼品をその納税者へ送ることは、明らかに税金の無駄遣いに等しい。

熊谷俊人・千葉市長は、「千葉市も返礼品を出している」との批判に対して次の様に応える。
1)ふるさと納税は否定しない。
2)千葉市の返礼は儀礼的な慣習の範囲内である。
3)返礼額の割合が納税額の6-7割に及ぶ場合がある。
4)多額の返礼額は、節税目的への利用を誘導する。
5)従って、返礼品の比率の規制をすべきだ。

しかし、筆者の考え方からは、納税行為から納税者への返礼は論理的に有り得ないとの結論になる。これは比率の問題でない。
また、法律のなかで、返礼に触れていれば、税金の法律としておかしいことになる。返礼などに触れないには当然であって、それは立法の趣旨として返礼を考えていないことを示すものだ。

図らずも、日本の地方公共団体は、金が絡めばたちまち、公的精神欠如症候群に陥ることが今回の「ふるさと納税の返礼」騒動に顕わされている。

      
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余りも象徴的なオバマの広島訪問~疑似事象化の隙を突く金正恩

2016年05月14日 | 国際政治
G7の話題はさておかれ、序での行事になる米国・オバマ大統領の広島訪問決定が話題だ。就任直後、核兵器廃絶でノーベル平和賞を貰い、期待が係ったが、在任中での核軍縮交渉では、目立った進展はない。最近、北朝鮮がミサイル発射で挑発を繰り返し、オバマは手を焼いているとの印象は拭いきれない。

核兵器を使用した米国政府のトップが、国内でその使用の是非が議論され続けられる中で、被爆地を訪問することは、道義的な責任を負う立場からの行動と見なされるだろう。これまでの日本のマスメディアの反応からすると、多くの日本人は、オバマの行為に謝罪の意図を組みとろうとするだろう。それを押してまで広島訪問にオバマが拘るのは、自らの業績に関するレガシー作りも目指すとの見方は、当たっているであろう。

中山俊宏 ・慶大教授は、7年前のプラハでのオバマ演説(括弧内)を引用し、「広島訪問で、核軍縮は進展しないが…象徴的意義は小さくない」、一方で「高度に象徴的な次元に属し…」とも加える。
(「核保有国として…、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国は行動する道義的な責任を負う」)。

中山氏の言葉を筆者流に解釈すれば、安倍首相も同行する広島訪問は、“疑似事象”ではないか?ということだ。更に、象徴性を取り去れば、G7という仕事を終えた後の観光旅行?安倍首相は案内人??ここまでくるとマンガ的になるが。

1971年夏のニクソン訪中のニュースを永井陽之助は、
「どこかリアリティを欠く、三島事件に似た白日夢のような疑似イベント」と、その印象を語った。それは「…どこか内容を欠く、ニクソンの選挙目当ての空虚なパブリシティの匂いがする事件…」なのだ(「多極世界の構造」P8(1973))。

更に以下の様に述べる。50年前だが、「テレビ」をネットに置き換えれば、現在では更に切実な言葉になるだろう。
「現代の情報化社会における外交の持つ、虚実の交錯する、屈折した“あや”というものを感じとる感覚を養わないと、我々は、いつまで経っても国際社会の子供に止まるだろう。テレビ時代の外交は、官僚外交の停滞化に充たされない大衆の焦燥感を吸収して、大衆消費用の“象徴外交”となっていく傾向があるからなおさらだ」

今回に件について、ツイッターをフル活用する有識者として、
官僚から政策アナリストへ転換した石川和男氏は、安倍首相「核兵器のない世界へ大きな力になる」を引用して、「安倍政権の大金星」と評価する。橋本徹・大阪市長は、「最大の効果は日本が中国・韓国に対して謝罪をしなくてもよくなること」と述べ、「安倍首相の大勝利だね」と溜飲を下げている。

ツイッターでの反応に適した、極めて単純な発想による評価だ。しかし、これ自身は「虚実の交錯する、屈折したあやを感じとる“感覚”」から表現されたものではないし、それを養うこともできないだろう。これは受信者だけでなく、発信者をも蝕んでいくように思われる。

ところで、北朝鮮の金正恩は、36年ぶりで開催された朝鮮労働党大会での演説で、「世界の非核化」に言及した。即ち、北朝鮮は「核保有国」だとし、今後も「核・ミサイル開発を進めていく」ことを明示し、その上で、
「侵略的な敵対勢力が核で侵害しないかぎり、わが国が先に核兵器を使用することはない。また、核兵器の拡散を防止する義務を誠実に履行し、世界の非核化を実現するために努力する」と述べた。

金正恩の「核兵器は抑止のために保有し、先制攻撃はしない、核拡散を防止し、核廃絶へ向けて努力する」との発言は、“感覚”を持たずに、額面通りに受け止めれば、オバマと同じ立場に立つとの表明に受け取れる。

しかし、“感覚”を持っていれば、核廃絶と叫ぶオバマの背後に金正恩が回って、その言葉を振りまきながら、行動の自由を広げる作戦を読み取れるはずだ。オバマが声高に演説すれば、金正恩も同じ主張であると。

前掲・中山の引用の様に「唯一の使用国」米国が、道義的責任を感じて、直ぐにはできない核廃絶を主張することが、核軍縮が進まない状況の中で、核拡散防止条約に参加しない国が、核開発を進める隙をつくり出しているのではないか。

そこで「唯一の被爆国」であり、「非核武装国」日本の立場が問題になる。
それは「非核武装国」として「核武装国」の道義的責任、不使用はもとより、核による威嚇、核実験廃止などを要求すべきであろう。

      
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地域研究から見出す社会資本“生き心地”~野暮の発露を抑える風土とは?

2016年05月08日 | 現代社会
副題「この自殺率の低さには理由がある」が本のタイトル『生き心地の良い町』(岡檀(講談社)2017)の中味を示唆する。低さの理由はタイトルそのものである。更に、タイトルは著者が“自殺率の低さ”から直観的に感じとったその地域(徳島県海部町)の特色でもある。
 「AMAZON」掲載

海部町が“生き心地の良い町”であることは岡氏の確信であり、その追認のためにデータを集め、理由付けしたのが、研究成果だ。逆に云えば、その確信がなければ、海部町が生き心地の良い町と表現されることはなかったはずだ。筆者もそうだが、多くの人は、「自殺率の低さ=生き心地の良い」であることに違和感はないはずだ。博士論文をベースにした一般書が評価される所以だ。

それは人間科学/社会科学の範疇ではなく、概念の創出であり、クロード・レヴィ=ストロースが云う処の“野性の思考”である。即ち、
「人間は、感覚に直接与えられるもの(感覚与件)のレベルでの体系化という最も困難な問題に先ず取り組んだのである。科学はそれに対して長らく背を向けていたが、今ようやく、それを展望の中に取り入れ始めている。」(「野性の思考」P16)。

このことは、第1章「事のはじまりー海部町にたどり着くまで」の中で、岡氏が描くエピソードにいみじくも表されている。
新聞記事「老人の自殺17年間ゼロ、ここが違う徳島・海部町」を読んで岡氏は「これだと思った」!そして、海部町に関する他の記事を含めて、「わくわくしながら読んだ」と書いてある。ここが精神的に最高潮となった場面と推察する。

ところが、「いきなり海部町に飛びついてはいけない」のである。
「論理的、科学的根拠に基づいて研究対象を選択するように教え込まれていた」からだ。これが現代の社会科学・人間科学の研究の実態だ。若き知性の課題意識とそこから生み出される概念を葬り去る可能性もあった。

「海部町を研究対象にするのは、裏付けがなくてはいけない」。岡氏はデータを揃えるのに苦労するが、「私は幸運だった」と述べる。幸運を呼び込んだのは、岡氏の執念と実力であるが、自らの確信を形にする意欲も含まれるだろう。

第2章で五つの「自殺予防因子」を抽出し、最後に海部町の歴史的形成過程を一瞥する。それは江戸時代に遡る。山林資源を基に、材木の集積地として繁栄した処で、農村社会とは異なり、流れ者が集まり、移住者として人口が増えていったのだ。これが緩やかな絆を醸成したと岡氏は推察する。これが本書の中で一番大きな発見だと、筆者は感じた。ここに、それまでの仕事、学問に裏打ちされ、かつ、鍛えられた岡氏の直観力が地域の歴史とスパークしたように思われる。

第3章で、抽出した「自殺予防因子」が自殺を予防する理由を考察する。しかし、そこには「生き心地の良い」は標題でのみ与えられ、インタビューから捉えた現象・言葉を直観力で整理し、紡いでいく氏の技量が展開される内容だ。それは第5章のまとめ、「対策への提言」にも続いている。
(著者は引用していないが、本の表題は下記からの流用と推察する。)
 「「自殺社会」から「生き心地の良い社会へ」」(清水康之,上田紀行(講談社文庫)2010)

その第5章の最後、集団への同調を促す世間的圧力を封じる方法、「説教はしないー野暮ラベルの効用」を興味深く読んだ。
「野暮」といえば反対語の「粋」が頭に浮かぶが、その薦めではなく、野暮なことをしないように強要するわけでもない。それは野暮なことを抑止する、ポストイットのように直ぐに剥がせるラベルなのだ。

ここは筆者の想像だが、九鬼周造「「いき」の構造」に示される様に“野暮―いき”は、京都の文化だ。従って、海部町の地元住民よりは、移住者が聞きかじりで、行動の擁護に使い始め、それを地元住民も含めて根付かせた様に思われる。また、当時の小さな町は、阿部謹也のいう「世間」であり「社会」ではない。利用価値のある言葉は容易に広まったとも思える。

更に、この本のキーワード「生き心地」とそれを支える具体例は、社会資本としての貴重な例示であり、GDPに替わる指標の幸福度の議論にもインパクトを与えるものと考える。

      
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余りにも若者的な抵抗は“ワレサ”への道か?~『世代』ワイダ監督

2016年05月06日 | 現代史
舞台はドイツ軍占領下のワルシャワ郊外のスラム地域。
独ソによって国を分割され、独の独占領地域となったワルシャワで、自堕落な生活から小さな町工場で働き始め、搾取されていることに目覚め、更に抵抗運動へ加わり、仲間を失いながら自らは危機一髪を偶然に逃れる若者の姿を、ストレートに描き、ポーランドの行方を暗示する。最後は、その若者がリーダーになる形で収束を図った処にワイダ監督の姿勢も表現している。

不可侵条約を独が破ってソ連に侵攻し、ソ連のモスクワ反攻を経て、ソ連軍がワルシャワ進攻寸前の処でポーランド抵抗運動組織に一斉蜂起を呼びかけ、それに呼応し、ソ連進軍を期待して「ワルシャワ蜂起」が起こった。ワイダ監督の名を世界に広めた『地下水道』に描かれる様に、ソ連は進軍せずに、ポーランド抵抗運動組織は独軍によって壊滅的な状況にまで蹂躙された。

この映画は、「蜂起」の段階以前の抵抗運動を描いている。しかし、描かれた抵抗運動のメンバー(写真)は余りにも若者的なのだ。

       
貧困と展望のない若者の生活、更に夜間外出禁止令に象徴される独軍の抑圧的占領政策。主人公の若者の意識は映画の始め、母親の言葉にも関わらず、友達と遊びに興じ、独軍の運搬列車から石炭を盗み落とす行為に表現している。やりきれない気持ちと善悪を軽くみる刹那的な行動だ。

しかし、ポーランドの抵抗運動を創造的に表現するミッションを背負ったワイダ監督にとって、その第一作目は、その始まりであるナチス政権下の独に対する抵抗であることは当然であり、その運動も将来を担う若者達を中心に、その未熟さを含めて描くことも必須であった。その後、『地下水道』『灰とダイヤモンド』『カチン』『ワレサ』へ至るポーランドの歴史を描く一連の作品へ向けての出発点になるからだ。この若者が成熟してワレサに繋がるとのメッセージを込めて?

「列車の石炭盗み」で、監視の独兵士の銃撃に遭い、仲間を死に至らしめ失意の若者は、出会った工員のつてで小さな木工所で見習工として働き始める。そこで工員から“搾取”されていることを教わり、また、夜間学校を侮らずに、しっかりと勉強することを奨められる。しかし、その後の行動は、奨めとは対照的に、ストレートな抵抗運動へと爆発的に加速される。

学校でのカトリック神父の陳腐な話を学生達は集団で解散に導き、教室を出た処で、抵抗運動勧誘のアジ演説とビラの嵐に見舞われる。若者は忽ち抵抗運動に魅せられるのだが、その意識の底流に、抵抗運動勧誘のアジ演説をしたプロ・ソ連の共産党員と覚しき、抵抗運動の若き女性指導者への恋愛感情も流れている。

木工所でのピストル盗み、独兵士への復讐としての射殺、独軍のワルシャワ・ゲットー攻撃に対する防戦参加と行動は活発になるが、一人は逃げ遅れて独兵士と撃ち合い、ビルに追い詰められ階段からの飛び降り自殺に追い込まれる。

当然、これらの事件に対する独軍の捜査・追及は厳しいはずだ。しかし、若い彼ら・彼女らは、独軍に対する防備の意識は甘い。女性指導者は隠れ家のアパートを変えずに居た処を突き止めた独軍に連行される。

実は前の晩は若者も一緒におり、朝、パンを買いに出て帰った処を同じアパートの住民に知らされ、直ぐに隠れて難を逃れたのだ。軽率に突き出した行動と身の安全を図る慎慮の欠如の非対称性は、ポーランドの国民性がドンキホーテに例えられる所以であろう。

ワイダ監督は抵抗運動の置かれた状況とそれへの対応を冷徹に描くことによって、ポーランドの姿を明らかにし、政治的賢さを身につけた抵抗運動への示唆を投げかけたのだ。ラストシーンでは、若者が新たに班のキャップとなり、メンバーと落ち合い仲間意識を確認する。それが戦争三部作から「ワレサ」へと繋がることを象徴的に表現している。

      
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