選挙後の未来の党騒動で、嘉田由紀子代表が“短い体験”を記者会見で語っている。その苦しい説明に、男女の関係をアナロジーとして使っているのが面白い処だ。しかし、マスメディアで伝えられる嘉田の言葉から、筆者は40年前にヒットした「人形の家」(作詞・なかにし礼)を想い起こした。それは恐らく、嘉田の行動の発端から、強い違和感を持っていたからだ。
大学紛争の時代であり、メッセージソングも流行っていたなかで、弘田三枝子はこの曲で抜群の歌唱力を発揮した。デビュー当時の「子どもじゃないの」では、歌唱力の片鱗は認められたが、どこか媚びるような表現も含まれていた。しかし、少し時間をおいて立ち現れたとき、パンチの効いた歌い方が歌唱力のなかに織り込まれ、ポップという子どもの歌に、ジャズという成熟した大人の表現を組み込んだ独自の境地を切り開いた感があった。
『顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて』…嘉田は小沢に対して、連絡が取れないことに不満を漏らしていたが、それは当然であろう。しかし、使い捨てられたことは、自尊心が許さず…『とても信じられない 愛が消えたいまも』…との心境であったに違いない。おそらく、小沢側は、嘉田氏が責任をとるとの形式のもとで、辞表を提出することを期待していたはずだ。当選したのは、旧生活の党だけだったからだ。しかし、嘉田氏は小沢に正面から抵抗し、共同代表に阿部知子氏を推し、自らの延命を図った。ここは悲恋のストーリーとは違って極めて俗っぽい。そこに政治における要注意の爆発物「権力」が潜んでいるからだ。
あやつり「人形」が人間として動き出したと小沢側は考えたに違いない。…『ほこりにまみれた人形みたい 愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ』…。多数で実権を握っている小沢側は党名を変更した。この党名がアイデンティティとしての支えだった嘉田は党を出てゆく他に道はなかった。嘉田は小沢に「愛された」とは、真逆、思っていなかっただろうが、簡単に捨てられるとも考えていなかったに違いない。
権力を求め、形式的な“みこし”を実態としての権力と見誤りたいとの気持ちに、恐らく打ち勝てなかったのだろう。半ば、政治的ロマン主義者の姿がそこにある。…『私はあなたに命をあずけた』…のではなく、自らは政治的駆け引きによって、落ち目の政治集団の権力を手に入れた、と思っていたのだろうか。半ば、知性的側面も顕わにしているが、目の前にある小さな権力の誘惑に目が眩んだのか、冷静な判断ができなかったのだ。
永井陽之助は「性愛と政治は、性衝動と権力欲という要注意の爆発物に関わる点で、きわめてアナロジカルな関係に立つ」「優れた小説や文学がその人間洞察の深さにおいて政治学のよい教科書となりうるのは、決して偶然ではない」(『現代政治学入門』P7)と述べる。今回の事案は三文小説に近く、最初から結果が判っていたとも言える。しかし、『政治を動かすもの』を知る上で、私たちに格好の材料を提供してくれたのだ。他人事ではなく、自分自身の人間関係においても、同じような場面に立たされることがあるはずだというような…。
大学紛争の時代であり、メッセージソングも流行っていたなかで、弘田三枝子はこの曲で抜群の歌唱力を発揮した。デビュー当時の「子どもじゃないの」では、歌唱力の片鱗は認められたが、どこか媚びるような表現も含まれていた。しかし、少し時間をおいて立ち現れたとき、パンチの効いた歌い方が歌唱力のなかに織り込まれ、ポップという子どもの歌に、ジャズという成熟した大人の表現を組み込んだ独自の境地を切り開いた感があった。
『顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて』…嘉田は小沢に対して、連絡が取れないことに不満を漏らしていたが、それは当然であろう。しかし、使い捨てられたことは、自尊心が許さず…『とても信じられない 愛が消えたいまも』…との心境であったに違いない。おそらく、小沢側は、嘉田氏が責任をとるとの形式のもとで、辞表を提出することを期待していたはずだ。当選したのは、旧生活の党だけだったからだ。しかし、嘉田氏は小沢に正面から抵抗し、共同代表に阿部知子氏を推し、自らの延命を図った。ここは悲恋のストーリーとは違って極めて俗っぽい。そこに政治における要注意の爆発物「権力」が潜んでいるからだ。
あやつり「人形」が人間として動き出したと小沢側は考えたに違いない。…『ほこりにまみれた人形みたい 愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ』…。多数で実権を握っている小沢側は党名を変更した。この党名がアイデンティティとしての支えだった嘉田は党を出てゆく他に道はなかった。嘉田は小沢に「愛された」とは、真逆、思っていなかっただろうが、簡単に捨てられるとも考えていなかったに違いない。
権力を求め、形式的な“みこし”を実態としての権力と見誤りたいとの気持ちに、恐らく打ち勝てなかったのだろう。半ば、政治的ロマン主義者の姿がそこにある。…『私はあなたに命をあずけた』…のではなく、自らは政治的駆け引きによって、落ち目の政治集団の権力を手に入れた、と思っていたのだろうか。半ば、知性的側面も顕わにしているが、目の前にある小さな権力の誘惑に目が眩んだのか、冷静な判断ができなかったのだ。
永井陽之助は「性愛と政治は、性衝動と権力欲という要注意の爆発物に関わる点で、きわめてアナロジカルな関係に立つ」「優れた小説や文学がその人間洞察の深さにおいて政治学のよい教科書となりうるのは、決して偶然ではない」(『現代政治学入門』P7)と述べる。今回の事案は三文小説に近く、最初から結果が判っていたとも言える。しかし、『政治を動かすもの』を知る上で、私たちに格好の材料を提供してくれたのだ。他人事ではなく、自分自身の人間関係においても、同じような場面に立たされることがあるはずだというような…。