散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

川崎市第6回区民車座集会に参加~福田市長との直接対話

2014年06月29日 | 地方自治
市民の声がしっかり伝わる身近な市政を実現するめ、福田市長が直接区民から意見を聞き、コメントを返す「区民車座集会」(高津区)が6月29日に開催され、筆者も参加、“地域自治”に関し、意見を述べ、市長からコメントを頂いた。

川崎市は人口145万人の政令市、
行政区は北から麻生、多摩、宮前、高津、中原、幸、川崎の7区、それぞれの人口は多少のバラツキがあるが20万人前後で比較的揃っている。

この会は、今回の高津区が第6回で、来月開催の宮前区で全体が一巡することになる。車座の名の通りとまではいかないが、市長、区長が前に座り、出来るだけ近くに参加者の座席を設け、その後に傍聴席を配置する、シンプルな会場設定になっている。

案内によれば、参加者30名、傍聴者50名とされているが、今回の場合、参加者は20名であった。傍聴席も参加者関連の方が結構いたようだが、満席とまではいかないようだったので、50名までは達していないように見えた。

参加者が少ないのは応募人員の未達であり、それだけ関心が広まっていないように思える。また、応募が少なければ、(筆者のような)特定の人間、特定の話題にに限られる恐れもある。

その20名の内訳と話の概要は以下の通りだ。
1)教育   4名 男30-40代1名、60-70代2名、女30-40代1名
2)子育て  2名 女20-30代2名
3)福祉   3名 男40-50代2名、50-60代2名
4)地域交通 2名 男40-50代1名、50-60代1名
5)地域環境 3名 男50-60代3名
6)住民自治 2名 男40-50代1名、50-60代1名
7)個別問題 4名 男30-40代1名、60-70代2名、女60-70代1名
  男16名 30-40代1名、40-50代5名、50-60代6名、60-70代4名
  女 4名 20-30代2名、30-40代1名、60-70代1名
  全体   20-40代4名、40-50代5名、50-70代11名
 (年代は筆者の独断と偏見による、但し、幅を大きくみている)

予想通り、男女、年代でそれぞれ際だった違いが示されている。子育てに関して若い女性が2名、一方、地域・福祉・教育等で、高齢者の男性11名だ。この分類から判る市政における問題の構造こそが先ず問題にされなければならない。

これでは、市民の声がしっかり伝わるのか心配だ。実は筆者が「地域自治」で話した内容は、できるだけ広範囲に市民の声を聞く仕掛けを作ることも含んでおり、その話が露呈している現場で、指摘したことになる。皮肉なことだ。

話の内容は筆者「地域自治」の他、「起業家養成」が多少目新しい内容を含むが、その他は個別事象を除いてこれまでも市として悩んでいる問題が多いように見えた。その意味では、これを集積して次にどのように進んでいくのか、出口戦略を市長から聞きたい処だ。

      
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「八百長」「学芸会」の都議会本会議~高給取りが無為の時間を過ごす

2014年06月28日 | 地方自治
都議会のセクハラヤジの話は、今日もツイッターのタイムランに乗っているだろうか。筆者はこの騒動から改めて、議員の身分が、その人の気分一つで代表権の構成者になったり、単なる個人にもなったりするのを発見する思いだった。
 『自治体議会の代表権を「つまみ食いする」地方議員20140627』

実は昨日の記事で、引用した、おときた都議のブログでセクハラヤジの前日の記事に引っかかったのだ。それは、小泉内閣時代の地方分権委員会(名称不明)において、片山前鳥取県知事(当時)が、「地方議会は八百長、学芸会をやっている」と発言した内容そのままに、いまでも都議会は同じことをやっていることを暴露しているからだ。

「本日は都議会本会議、大会派による代表質問の日でした。以前から何度か書いている通り、都議会の本会議はかなりきっちりシナリオが決まっています。質問者も答弁者も互いの原稿をすでに手元に持っているので、基本的にそれが読み上げられるだけの「儀式」です。」

事前に両者のシナリオが調整済であることを「八百長」、互いの原稿を「儀式」として読み合うのを「学芸会」と片山氏は指摘したと思う。これは自治体議会の弛んだ様を表現して、言い得て妙であった。この頃から、議会改革という用語が市民権を得て流通するようになってきた。

このときの内容は、行政側で答弁が過剰であったことだ。おそらく、他の会派の質問に対する回答まで、読み合わせてしまったのだ。しかし、これなどは、偶に、川崎市議会の議事録を読んでいて、質問者が「そんなことは聞いてない!」という箇所と同じ現象だ。

これらのことについて、おときた氏は、「都議会本議会の質問は一問一答ではなく、
まず質問者がまとめて発言し、各担当者が順番に応える形式です。…まず議員が63分間ぶっ続けでバーっとしゃべ…これまた90分位の時間をかけて、質問に対して一つ一つ答えていくんですね。」

従って、「おおまかな質問事項は事前配布されているものの、速記でもしてない限り、どんな質問があったのか、どの質問のどの部分に担当者が答えているのか、議場で聞いている…「あとで、議事録を読めばいっか!」…居眠りしたり、内職する議員が大量発生するのですね。いわんや、傍聴している人はまったくわからないんじゃないかと思います。」

おそらく、おときた氏も含めて、議事録を読む議員はひとりもいないだろうと推察する。あるいは、読んだだけでは、十分な理解は得られないはずだ。それよりも問題は、議場を埋め尽くした都知事、議員、職員を数え上げれば、二百人近くの高給取りが、内職している人を除いて、無為に過ごしていることだ。

日本の自治体議会で同じ様なことが、年中行事化されているとすれば、そのロスはとんでもない数字に膨れあがるだろう。

      
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自治体議会の代表権を「つまみ食いする」地方議員~都議会のセクハラヤジ

2014年06月27日 | 地方自治
ヤジという普通の住民にとってどうでもよい問題が、マスメディアによって一般人に伝搬され、問題から騒動へ広がるのをみて、地方議員が自治体議会の代表権を「つまみ食い」していることを象徴する事象と考えた。つまみ食いとは、辞書によれば、こっそり盗み食いをすることだ。

地方議員といって直ぐに頭に浮かぶ言葉は「口利き」だ。
口利きとは、議員という地位を利用して、頼まれ事をこっそりと行政職員などに頼んで便宜を図ることだ。何らかの見返りがあるわけだから、議員にとっても利益があるわけだ。従って、つまみ食いに相当する。

ところで、今回の自民党・鈴木章浩都議のヤジとは、みんなの党・塩村文夏都議の代表質問での発言中に、「早く結婚すればいいじゃないか」と叫んだことだ。この発言に対して、塩村氏は、しかたなさそうに苦笑して対応したように見える。

みんなの党・おときた駿都議は、次の様にブログに書いている。
議場からとても大きな声で「そんなことを言う前に、おまえが早く結婚しないのかっ!!」という、信じられない野次が飛んだのです。

続いて、「産めないのか?」などのヤジが乱れ飛んだようだ。その段階で塩村氏は涙目になったようだ。そうだと最初のヤジだけで終われば、塩村氏自身も、みんなの党も、おとなしく聞いて終わってしまったはずだ。

鈴木氏のヤジは個人に対するものだ。それに対して、塩村氏も個人としての苦笑いで返した。すなわち、ふたりとも、代表権を持つ議会の構成員から降りて、議員個人として対峙したことになる。

議会の場での正式会議中にふたり共に議員の立場から個人へ降りてしまったのだ。そう簡単に、議員の立場を降りることが出来るのは、逆に、議員の立場に軽く立っていることになり、これもつまみ食いと云わざるを得ない。

これに対して練達の議員である流山市・松野豊議員は、次の様に呟く。
「うちの議会で同じようなことが起きたとしたら、僕だったら、その場で議長に休憩動議を申し入れ、議運を開くか、『そういう下品な野次は、議会の品格を落とすからやめなさい!』と一喝して野次返しするだろうな。」

これは、松野氏のように、議会というものを深く考え、気楽に代表権の構成者と個人の間を行き来できる「議員」という奇妙な存在に、ある面で嫌気がさしながら個人に返らずに代表権の構成者としての立場を維持している議員にしか、言えない言葉である。

これに対して、みんなの党・塩村氏と仲間のおときた氏は、単なる機会主義者として議員になったに過ぎないことを露呈してしまったのだ。これは経験不足という話ではない。恐らく、彼女(彼)らは、このことに気が付いていないだろう。自らは被害者だと信じているのだから(但し、その側面があることも確かだが)。

一方、自民党・鈴木氏は、個人の立場に居座って、自らは発言していないとしらを切った。ところが、追い詰められて、にわかに代表権の構成者の立場に戻り、塩村氏に謝罪し、その一方で、議員辞職は否定した。これも最大限のつまみ食いである。

更に、自民党には迷惑をかけたということで会派から離脱して無所属となった。会派に所属することは議員個人の問題だ。代表権の構成者の立場ではない。都合良く、個人に戻って、責任を取ったつもりであるようだが、代表権の構成者としての責任を果たしたわけではない。

このように自在に「個人」と「代表権の構成者」の立場を使い分けるのは、地方議員が自治体議会の代表権を「つまみ食い」していることを象徴する事象と、言えるのではないだろうか。東京都は日本最大の地方議会であるから、その病根も鮮やかに示す存在なのだ。もちろん、議会改革などには全く無関心だ。

      
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選択の余地がない「硫黄島」的な戦いでの奮闘~W-cup・コロンビア戦

2014年06月25日 | スポーツ
マスメデイアの「今日は絶対勝たなければ」との判りきったことの大合唱の中で、日本は奮闘した。例えて云うなら、太平洋戦争末期の「硫黄島」の戦いを想起させる。日本軍に増援・救援の戦略はなく、守備兵力2万人のうち96%が戦死・行方不明となった。

しかし、栗林中将の作戦の従い、米軍に最後まで抵抗し、日本軍に同じ程度の損害を与えた激戦であった。要するに、全員、最後は玉砕になると覚悟した状況で、無類の力を発揮したことになる。

日本チームもまた、勝つための積極的な攻撃を、勇気を出して行う覚悟で臨んだに違いない。一方で、作戦が失敗知れば、敵のカウンター攻撃によって、玉砕を強いられることも、当然、念頭にあったはずだ。結果は1-4であり、大方の無言の予想通り、玉砕に近い内容であった。

大会前の懸念点は今日の試合でも出ていた。
1)守備陣で中心選手がいないこと
2)欧州イレギュラー組が試合感覚を取り戻せるか
3)体を張ってのギリギリのつばぜり合いができるか
 『シャビの状況判断は早碁での手が見える状態20140610』

敵の1点目はゴール前での今野のタックルがPKを取られた。リプレーでは、相手に一瞬早く、ボールと体の間に足を入れられ、タックルがその足を引っ掛け、相手がそれに乗じて、その足を外さずに倒れた様に見える。ギリギリのつばぜり合いでの駆け引きに負けた形になった。

2-4点目はカウンターに守備陣が全く対応できず、ズルズルと下がり、スピードとコースを自由に選択するかの様なドリブルを許し、最後にボールを回され、比較的楽にシュートされた。これも守備陣のリーダー不在が、特にツーバックの連携に支障をきたした様に見えた。

香川のシュート力、本田のボールの奪われ方は、欧州での試合不足を顕しているし、大久保の活動的なプレー、岡崎のフリーラニングあるいは内田の上がり等は試合で活躍する姿を想い起こさせる。

下の写真はコロンビア戦での岡崎の1点目だ。相手の前に出て体ごと投げ出すプレーは岡崎ならではだ。勝つしかない中で負けている状況を打開する意表を突いた思い切りの良い動きであった。

日経新聞(20146/25)

しかし、日本チーム全体として、意表を突くプレーは殆ど見られなかった。
結局、今回の大会を通して筆者の目に映った日本チームは、今回を含めて、それぞれの試合の表題に表せる。
 『日本チームが野生動物だったら餓死140615』
 『マイペース・希望的観測・金縛り140621』
 『選択の余地がない「硫黄島」的な戦いでの奮闘140625』

何故、こうなるのか?今後考えてみたい。




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「成熟時間とその腐蝕」の発見1974年~成長から“成熟”への軌跡(9)

2014年06月24日 | 永井陽之助
表題の成熟時間とは永井陽之助が『経済秩序と成熟時間』(中央公論1974/12,「時間の政治学」所収)において使った言葉だ。しかし、成熟時間そのものは人間の一般的営みの時間であるから、今更、何を…という言葉でもある。

即ち、その“腐蝕”に気が付いて初めて、その存在を意識し、逆にネーミングせざるを得なかった処に深刻な問題が潜んでいたのだ。それはまた、永井の鋭い現実感覚を示すものでもある。

第一次オイルショックへの対策に暮れた1973-74年、その中で田中角栄首相は金脈問題が明るみにでて辞職し、その後は椎名裁定を受けて、三木武夫内閣が1974年12月に成立した。

70年代に、日本は経済大国として本格的に国際社会へ姿を現した。それはまた、先進社会へのキャッチアップという目標の消滅でもあった。田中角栄が「日本列島改造論」を謳ったのも、新たな目標設定への対応であった。
 『成上り者としての日本1973年140619』

一方、70年代の経済白書のタイトルを並べてみると以下の様になる。
70年…「日本経済の新しい次元」に始まり、
71年…「内外均衡の達成」
72年…「新しい福祉社会の建設」
73年…「インフレなき福祉をめざして」
74年…「成長経済を超えて」

ここで、「新しい次元」とは意味不明であるが、70年の節目にちなんだ言葉を付けたいという意欲が滑ったとでも解釈しておこう。注目すべきは72年の「福祉社会」であろう。ここで本格的に「福祉」という言葉が登場した。実は67年に「能率と福祉の向上」という、ここでも意味不明の題名があったのだ。福祉が欲しいなら能率を上げろ!とでも云うのだろうか。

73年も「福祉」という言葉が入っているから、この時期、成長から福祉へと、少なくても言葉の上では転換期になっていたのだろう。そして、74年に戦後初の実質マイナス成長率(1.4%)を記録し、その意味を含めた言葉になった。三木内閣は74/12に発足し、成立後、直ちに低成長路線を確認している。

『経済秩序における成熟時間』は12月号であるから11月に発行された。これは、三木内閣発足の少し前になる。政治的には福祉社会が掲げられる段階に入ったことは先の経済白書のタイトルからみても明らかである。

そこで、永井が試みた時間、特に成熟時間の研究は、必ずしも福祉に直結するわけではないが、福祉だけでなく、今後の社会の在りようを考えるうえで、示唆する内容を豊富に含んでいる。

例えば、三木内閣は福祉充実を含めた質の向上への転換を重要と考え、池田・佐藤内閣での所得倍増計画、田中内閣での日本列島改造論に対抗する経済政策として、ライフサイクル計画(生涯設計計画)が立案された。

これ自身は少数支持者の三木内閣には手に余るもので、結局、中途半端に終わっているが、現代における幸福度評価に基礎を与える内容も含まれているはずだ。その意味で、先見性に富んだ内容になる。

先の記事で、保育室での幼時死亡事件に触れて、本論文の最初の部分を紹介したが、中味は以下の様になっている。
1)はじめにー子殺しの風土
2)方法としての「例外研究」
3)時間的秩序としての経済
4)成熟時間の腐蝕
 『成長から成熟への先駆け、1975年頃140321』

また、この論文に対する批評として、エコノミスト・室田康弘氏の『経済学は現実を捉えられるか』(中央公論1975/4)、また、上記のライフサイクル計画と関連して、経済学者・村上泰亮氏との対談『成熟社会への生涯設計』(中央公論1975/11)が筆者の手元に残っており、合わせて紹介していく。

      
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消費税に逆進性はない?~専門家の常識的を疑う

2014年06月23日 | 経済
昨日に続いて“?”が付く表題になった。今日も続けて森信茂樹氏の論考を取り上げる。先ず森信氏の問題提起は「消費税議論で、最大の課題の一つは、所得の低い人の負担割合が多くなる「逆進性」をどうするのか」だ。

ところが続いて、「専門家では、この逆進性は、特定時期の家計の負担状況を見たもので、生涯では大幅に解消か、ほとんど存在しない、という見解がコンセンサスだ。つまり、個人レベルでは、生涯所得は生涯消費に等しいので、消費税の負担は、生涯を通して見ると逆進的ではなく比例的になる」。

えっ!本当?と一瞬考えた処に、
「しかし、政治的には、低所得者への対策は極めて重要な課題となる。これまでも消費税導入時、あるいは引き上げ時には、歳出・歳入両面にわたり、相当手厚い低所得者対策(社会保障給付)が行われてきた。」
これは昨日の記事と実は同じ論理構成の話になる。
 「軽減税率で富裕層は得をする?140622」

即ち、逆進性はないのであれば、消費税の最大の欠点というのも可笑しい。尤も、比例的になれば良いという議論も何を基準にしているのか、不明だからだ。ところが、森信氏は、政治的には低所得者対策は重要な課題だと云う。

これは「経済的には不要であるが…」を省略している物言いであろう。はからずも、経済的合理性が政治的非合理性に浸食されたかのような説明だ。これでは、社会福祉は非合理的対策になってしまう。

おそらくポイントは「個人レベルでは、生涯所得は生涯消費に等しい」ということの説明であろう。これについては何も説明されていないので、論じることはできない。但し、これは経済学的には真実であったとしても、世間一般の常識的考え方からは、必ずしも首肯されるとは限らない様に思える。

では、軽減税率と給付付き税額控除を比較するとどうなるか。これは森信氏の論考に示されている。カナダ、シンガポール、ニュージーランドなどでは、給付付き税額控除を導入して逆進性対策を行っている。

給付付き税額控除とは、一言でいえば「消費税負担分を低所得者に還付する制度」だ。還付という言葉は、納税義務者の税金を返すことだが、消費税の場合、納税義務者は事業者で、消費者は負担者である。そこで還付という言葉は正確な表現ではないのだが、この方がわかりやすい。



「所得別に消費税額の負担割合を示す。紺色ラインは消費税負担割合を示す。所得の多いほど消費税負担割合が低い。これが逆進性である。」

「ピンク色ラインは、消費税率を10%に引き上げた場合で、逆進性はさらにきつくなる。黄緑色は、食料品に5%の軽減税率を適用した場合の負担割合、逆進性というトレンドは依然残る。高所得者層も軽減税率の恩恵を受けており、食料支出絶対額が多いので、軽減税率に伴う恩恵は多いともいえる。」

「そこで、「所得300万円以下の家庭に10万円(定額)を給付する、削減率5%(年収500万円まで5%の比率で逓減)」という給付付き税額控除を導入する。赤紫色ラインとなる。所得500万円以下で逆進性がなくなる。」

しかし、最大の課題は個人の番号制度が必要なことだ。本来、税の公平な徴収のためには、必要な制度と筆者は認識しているが、これは非常に大きな枠組であるが故に、単なる低所得者対策に一つとして実施するものではなく、もちろん、それでは国民的合意に至るのは至難の道だ。結局、学者の構想はどこか非現実的なことを確認するだけに終わってしまいそうだ。

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軽減減税で得する富裕層?~消費税に対する理解の進め方

2014年06月22日 | 経済
消費税率に関する議論は次の10%案実施に移っていく。
このとき、再度問題になるのは、軽減税率の問題だ。この点について、ダイヤモンド誌へ寄稿している森信茂樹氏は「軽減税率は消費税制度劣化。軽減税率は低所得者対策ではなく、食料支出額の多い高所得者を優遇する制度である。」と指摘しているが、本当だろうか。森信氏の議論をまとめながら考えてみたい。



「与党の税制協議会の公表案をまとめたのが図表1である。すべての飲食料品に軽減税率を適用する場合(6600億円の減収)から、精米のみ(200億円)までの8案について、それぞれ軽減税率1%あたりの減収額が示されている。」

「何のために軽減税率を導入するのか。OECD主催のフォーラムでは、軽減税率が所得再分配効果を果たさず、しかし各国とも政治のパフォーマンスとして導入されてきたことが報告された。」

「低所得者対策は、シンガポールやニュージーランドのように、社会保障支出や給付付き税額控除で対応するほうがはるかに効果的である。わが国も早急に給付付き税額控除の具体案を作成すべきだ。」

以上が森信氏の基本的な考え方である。
給付付き税額控除については、別途紹介するとして、仮に低所得者対策として森信提案が有効であったとしても、軽減税率が政治のパフォーマンスだけであろうか?どうも経済学者の上から目線の説明に陥っているように思える。

単純には、低所得者にとって、高所得者が得をしようが、自らに掛かる消費税が安い方が良いと考えて不思議はない。税金が無駄に使われている部分を削って、本当に必要な福祉などへ回せば良いと考えるかもしれない。例えば、ケース1で減収額6,600億円は、防衛費を削減すれば良いとの議論も出来るだろう。

結局、以下のようになりだろうか。
1)消費税を社会福祉費に使うこと、
2)その社会福祉費は主として低所得層のために使われること、
3)従って、高所得層から低所得層への所得移転が望ましいこと、
以上に様に説明しないと、恩恵を受けるはずの低所得層を説得することさえ出来ない。この場合、政治家は苦労して説明するよりも、即物的に軽減減税のほうがインパクトを持つ、と考えるかも知れない。

学者は、折角の提案を生かすように、説得に務める姿勢を堅持して頂きたいものだ。

     


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マイペース・希望的観測・金縛り~W-cup・ギリシャ戦のサムライ・日本

2014年06月20日 | スポーツ
日本は一生懸命に戦った。
後がない、という決まり文句のもとで、コートジボアール戦の“反省”をもとに、自らのサッカーを目指して日本チームは戦いきった。NHKでは解説に岡田武史、山本昌邦を起用、日本チームの指導に責任があったふたりで“自らのサッカー”のできを評価しながら実況をしていた。


上の写真は試合後引き上げる日本チームの姿だ。その記事では水沼貴史が「勇気なかった日本」との題のもと、ザッケローニ監督の采配への批判を含めて、問題点を指摘している。

マスメディアの論調は似たり寄ったりで、日経新聞に掲載された清水秀彦「日本の覚悟 伝わらなかった」、宮本恒靖「リスク冒す勇気 必要」も題名からその内容が推定される。水沼も含めてキーワードは「勇気・覚悟・リスク」である。

では、結果の批評ではなく、試合そのものでの、当事者になったつもりでの批評はどうだったか。岡田、山本両氏は何を考えて解説をしていたのか。先ず、開始早々からパス回しは“マイペース”で順調にできた。ふたり共に、コートジボワール戦とは見違えるようで日本は好調との雰囲気作りに励んでいた。

それでも一進一退は続き、香川を退けて初先発になった大久保も、意欲満々でドリブル、シュートを仕掛け、ファールをとるなど、日本の中では存在感をしめしていた。そして、前半の後半に、ギリシャに退場者が出た。日本は絶対の数的優位に立って、ギリシャを追い詰める体勢になった。

しかし、後半のキックオフ、ギリシャはGK川島が中盤あたりに残っていた隙を突いて、そのままシュートした。ゴールを少し外したが、そのままゴールに飛べば不祥事の一点を献上し、W-Cup史上に残る椿事であったに違いない。

これには、岡田はコメントせず、山本が少し反応した程度であった。しかし、筆者はこれをギリシャの強いメッセージと受け取った。それは、隙があればいつでも点を取りに行くぞ、ということだ。現場の選手も、そう感じたに違いない。

後半の前半も日本のペースは続くが、ギリシャも引くだけではなく、ボール奪取後の速攻、セットプレーでは執拗に体を張ってのプレーで得点を狙ってきた。筆者の見立ては、数的優位の日本は、“マイペース”のパス回しは出来るが、ひとり少ないギリシャの少ないチャンスに対する積極的な奮闘が目立っていた。

日本のボール支配の割にはチャンスが少ないに対して、アナが「日本の優位を得点に結びつけるには、現状のやり方の他に何が必要か?」というような質問をした。これに対して岡田は「今まで通り、同じことをやれば良い」と強調した!「そうか、そうなのか、当事者の考えは!」、テレビを見ていた筆者の感想だ。

当事者は優位な状況において、“希望的観測”に支配されるものだ。このまま進めば何とかチャンスはできる。そこを決めさえすれば!と考えてしまう。山本も流石に岡田に逆らえないのだろうか、「同じことを繰り返すことで良い」と同調した。この同調も日本チームの先を暗示しているかのようだった。誰も何も言えず、状況に押し流されていくのだ。

内田が前線に出てゴールを横切るパスを出した時が唯一のチャンスだったか。それ以降は確かに仕掛けがなく、クロスボールのギリシャの高さを崩すことはできなかった。時間が切迫し、残りの一枚のカードの使い方、香川のドリブルによる仕掛け等の話が山本、岡田で交わされるようになった。

しかし、当事者は簡単に希望的観測を捨てることはできない。逆にそれは気持ちの中に固着して、“金縛り”状態になるのだ。これこそが実戦心理であって、岡田、山本が時間の切迫を感じて解説で述べた選手起用、プレーの工夫は局外者の気楽な批評の域を出ない。まして翌日の水沼、清水、宮本は論外だ。

ザックは吉田を最前線に上げて、クロスボールで臨むのが精一杯であった。それでも選手は日本流に“一生懸命”やったのだ。

      
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成上り者としての日本1973年~目標消滅の中での国際環境の変化

2014年06月19日 | 永井陽之助
国際社会への日本の台頭は、日本に対するイメージの急激な変化を招いた。その間のイメージギャップ、特に米国での対日イメージの悪化は貿易摩擦をことさら大きくした。その間の事情を、永井陽之助は次の様に表現した。

「オリンピック、万博の開催、“どっと繰り出す”海外旅行、日本商品の氾濫などは、欧米人にとって、まるで“奇襲”の様なものに映じる…そうすれば、当然外国が日本を見る眼も違ってくる。」
 『イメージギャップの中の日本1972年140614』

逆から見れば、日本はGNP第2位の経済大国に成り上がった。その象徴的人物の田中角栄が佐藤栄作の8年(1964/11-72/12)に渡る長期政権の後を受けて、1972年7月に首相に就任した。池田勇人首相の4年4ヶ月(60/7-64/11)を入れると、12年4ヶ月の長きに及んで単線的に高度経済成長の道を日本は歩んでいた。

田中は角さんの庶民的イメージによって、長期官僚政権に飽きていた大衆世論に支持され、新たな期待を担って登場した。また、このムードは選挙第一の議員心理も掴んでいたと云われている。

その年の9月、永井は歴史家・萩原延寿と中央公論で対談、「田中首相への危惧と期待」を行っている。萩原も永井と同じく、最近亡くなった元中央公論編集部の粕谷一希に見出されて中央公論に登場した人物だ。

その中で永井は、大隈重信の第一次内閣(1998年)と田中登場の類似点を比較する。伊藤博文、山形有朋の藩閥官僚内閣に飽きていたモードに、大衆政治家のイメージで乗って登場したことだ。それは4ヶ月の短命内閣に終わった。

しかし、永井は第二次大隈内閣での対華21ヵ条要求(1915年)を問題視する。
「私が田中を大隈重信と似ていると云った意味は、大衆政治家として、大衆の期待と要求を象徴化して出てくる結果、大隈とは逆の意味で対華21ヵ条要求をやる危険があるということです。」

「田中のうたい文句は“決断と実行”だが、これまで日本がまがりなりにもやってきた条件は、トップは無為に化して何をやっているか判らず、中間(実務)レベルが裏方で色々やってきた…」

その永井の懸念は国際環境の変化に対する認識に起因する。
戦後の日本が高度経済成長政策で世界第2位の経済大国になった。その結果、目標を喪失した。これは日露戦争に勝って曲がりなりにも一等国になったことで、目標を喪失したことと同じ時点に立っている。

なお、筆者の見解では、目標を達成したのであるから、“目標消滅”であって、目標喪失ではない。これはスポーツ等で目標を達成すると、では次の目標は?と聞かれるのと同じなのだ。

しかし、世界列強を支える外交理念も、日本の変化とパラレルに変わってきた。第一次世界大戦までは帝国主義外交であり、植民地保有は当然との考え方であった。ところが、ロシア革命とウィルソンの理想主義外交が現れ、アジア、中国にナショナリズムが勃興し、モラル主義的な外交理念が出てくる。日露戦争は、その端境期だった。

これまでの日本外交はモラル主義で、自由主義陣営に属していた。これに対して、現在は多角的勢力均衡外交の理念が再度、形成され始めている。この外交理念の変化が日露戦争当時と似た状況であり、田中と大隈の登場が似ているのだ。

この指摘、特に戦前の変化については永井らしいと言える。特にウィルソンの理想主義外交によって、米国が登場したことの影響は、結局、戦後の憲法にも影響を及ぼしているはずだ。

では、国内政治での課題は何か。
「75年くらいを目処に、」自民党もスッキリと割れて、社会党の右派と結び、新しい野党づくりやるべきではないか…」
これは、「平和の代償」でも主張した永井の持論である。
憲法については、「…土地、天然資源の公有化、私有財産の制限、軍事力を具体的に制限する内容の憲法改正を革新側が打ち出せば、自民党は現行憲法の擁護に回り、本然の保守対革新になる…」。

そして、1993年の秋、第一次オイルショックが始まった。

      
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民族・宗教の対立による世界的無秩序の広がりを予測~永井陽之助1991年

2014年06月17日 | 永井陽之助
永井陽之助の公表資料の中で、筆者の持っている最新資料は日経1991/10/19のインタビュー記事「知的探求」だ。見出しは以下になる。
 「広がるワールド・ディスオーダー」
 『際限なき民族主義が世界的な無秩序を招く』

記事の最後に印象的なフレーズがある。
『民族自決を際限なく進めていけば、世界が“バルカン化”する。エスニック・ナショナリズムは性欲と似ていて、崇高な愛に昇華することもあるが、嫉妬、怨念、憎悪をかきたてる可能性のほうが大きい。その意味で今日の世界は、危険と不確実性をいよいよ深めている。』

ポーランドに始まる東欧革命は、1989/11/10における東西の対立を象徴するベルリンの壁撤去に至った。この影響は大きく、米ソ首脳は1989/12/3に行われたマルタ会談において、44年間続いた東西冷戦を終結させた。その後、東西ドイツは、1990/10/3に統一された(ウキ)。

それを「歴史の終わり」と評論するフランシス・フクヤマのような知識人もいたが、それほど単純なことでないのは、1978年のイラン革命が周辺諸国に及ぼした影響等を考えれば判る。様々な形で民族的、宗教的な主張が世界各地で表現され、運動も広がっているからだ。

永井は冷戦時代と今日の可測性について言及する。
『冷戦時代の方が、確実性があったし、予測可能だったことは事実です。ソ連はイデオロギーの国だから、その枠組で行動したし…ところが、ソ連はもうイデオロギー国家ではない。だからこの核大国がどのような行動をとるのか、全く予測不可能になったと云える。それに民族問題が噴出している。』

『これまでは冷戦の二極構造が求心力になって、東西両陣営に潜在していた“エスニック・コンフリクト(民族間の紛争)をほぼ完全に凍結していた。その求心力が融解したことと、ソ連の場合は共産主義という普遍主義が崩壊したことの二つが重なって、民族問題が噴出している。』

今日のプーチン・ロシアの外交をみれば、永井の指摘が適切であったことか良く判る。EU諸国はロシアを遅れた資本主義国として必死に自分たちを追いかけるだろうと思っていた節がある。しかし、ロシアは自らの強みを生かしナショナリズムをたぎらせて、EU諸国にチャレンジしているかのようだ。

では、人種のルツボ米国に波及する可能性はないのか。
『…米国は「アメリカン・デモクラシー」という強力なイデオロギーによって成立していた。…その統合の原理としての普遍主義が近年急速に力を失っていることは事実…エスニックごとに自己隔離化する傾向が著しくなった。』

いうまでもなく、黒人初の大統領オバマを選挙で選出したのは、米国が必死になってエスパニックグループを普遍主義に呼び込もうという努力の所産ということもできる。

『…文化相対主義、文化多元主義に基づく、エスニック・アイデンティティを主張する潮流が米国においても始まっておりこれが世界中に広がって本当に火がついたら大変なことになる。』

『「近代」という普遍主義を、テクノロジーを中心とする文明だとすれば、今世界で起こっておるのは「文明対文化」の対立の図式となる。…求心力を失って、今世界が猛烈な勢いで拡散している。』

全体を通してペシミスティックな調子なのは、ヨーロッパ的知性に親しんできた氏の政治学のしからしむ処のように思える。

      
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