状況型リーダーシップとは、現状打破を目指す処からでてくる。
以下、橋下氏のtwilog より引用しながら説明する。
(T〇/×は http://twilog.org/t_ishin/asc の〇月×日付を示す)
橋下氏は『地方分権とは国から権限を奪う権力闘争』(T11/9)と、きっぱり言う。続けて、『大阪維新の会には国の仕組みを変えるだけの力はない』しかし、『国のかたちは外圧で変わる。地方の政治力も外圧の一つである』として、『まずは大阪のかたちを変える』と大阪維新の会の活動を位置づける。
ここでは、地方分権は、国から権限を奪うことであって、要望等によって国へお願いして譲り受けるものではないことを宣言している。更に、大阪維新の会は地方から国へ外圧をかけるものであり、明治維新とのアナロジーを想起させる。これは、地方分権を奪う権力闘争が、国のかたちを変えるための一つのアプローチであることを示している。
従来の地方自治体改革は、基本的にその自治体内部にクローズされており、行政改革、財政改革を主体とした、言わば一つの企業体の改革と同じであった。しかし、橋下氏の示す処、これまでの地方自治体改革と一線を引く新たな目標を設定している。改革というよりも国のかたちを変える革命に近くなる。但し、体制の変革ではなく『政治のシステムが悪く…統治機構を変える』(T8/24)のであるが。ここが、次に述べる状況型リーダーシップを生む所以である。
このリーダーシップの展開について永井陽之助氏は、『中国革命における毛沢東の持久戦論がその最もいいモデルを提供している』(『平和の代償』P19)と述べる。詳細は引用文献に譲るとして、その基本的イメージは動乱である。そのなかで、「敵」を設定し、「味方」を結束させ、中立者を巻き込んでゆく、冷徹な政治戦略が当然のように展開される。その行きつくところは「体制の変革」であり、ロシア革命、中国革命から、最近の例では、「アラブの春」を想起すれば良い。
しかし、今の日本において、後進国革命にみられる暴力革命はあり得ない。また、資本主義・民主主義などの体制の変革でもない。現状の法体系の枠組のなかで、統治機構の変革を革命ならざる“維新”として進めていくことになる。
橋下氏は以下のように言う。
『統治機構のシステムの再設計は、政治の専権事項』(T8/24)、
その政治は『選挙で選ばれた者が決定権を持ち、責任を有する』(T8/23)。
決定権の行使では『議論すべきもの、突破すべきもの、その優先順位、スケジュール感、これが政治的マネージメント』(T8/1)、
『マネージメントの当否は、選挙で判断してもらえばいい』(T8/1)。
従って、選挙で選ばれることを第一義として「大阪維新の会」を設立し、その政治目的を阻むものは、「敵」としてチャレンジする。議会のシステムは二元代表制であり、首長と議会との緊張関係で成り立つとの批判に対して、現状の議会は機能しておらず『新しいものへの揚げ足取りではなく、旧いものとの比較が重要』(T8/1)と現状の弱点を突く。
その結果、大阪府議会で多数派を形成し、大阪市議会で第一党になる。そして、今回の大阪市長選で平松氏及び市役所を「敵」として圧勝する。選挙で選ばれた場合(大阪府、そして大阪市)、政治の専権事項として役所の改革を断行する。その一方で、国の政治に対しては、既存政党の弱点を突きながら、政治的影響力を行使する。あくまでも自らの権限、及び政治的影響力を駆使して突破を図る。
以上に述べたように、状況型リーダーシップは、その名のように流動的な状況に対応できるように柔軟な構えが必要であると共に、現状のシステムを打破しようとすることから、そのシステムに対して目一杯の解釈をして自らに優位な戦略を冷徹に遂行する。
手段を最終的な政治目的に従属させることは、革命におけるリーダーシップと似ている。明確な「敵」づくりと激しい言葉による攻撃、権力を取得したときの権限行使は、これまでの地方自治体政治のスタイルに慣れた人には奇異に映り、批判を生むことにもなる。しかし、これは橋下氏の状況認識とアプローチの枠組が批判する人の枠組と異なることを意味しているに過ぎない。
この状況型リーダーシップは、創造型と投機型に分かれる(『現代政治学入門』第3章「政治的リーダーシップ」P61)。しかし、いずれにしても両方が共存し、状況との関連でどちらにもなり得る。言ってみれば、ジキル博士とハイド氏なのだ。結果論として、成功すれば創造型、失敗に終われば投機型と言われるのかもしれない。しかし、私たちは学問、報道の立場ではないから、混沌とした状況のなかで判断を欲する。
創造型と投機型を分かつ契機は次の二つであろう。
(1)ビジョンがあり、それが適切性を持つ
(2)目的と手段のバランスが取れている
これに対する判断基準は人それぞれである。しかし、自ら判断はできる。ビジョンそのものに賛成しなくてもそれがビジョンであることを認めることはできる。また、目的に対して手段が急進的でも許容の範囲内と判断することもできる。
その意味で、筆者は橋下氏の政治活動を創造型リーダーシップと判断している。
では、(1)(2)共に賛成か
(1)『大阪都構想』、特に基礎自治体と広域自治体の考え方に賛成する。既に、何度か筆者のメルマガで取り上げている。
第112号 2010/1/16 地方主権では、政令指定市解消か?独立か?
第144号 2010/12/3 「地方自治法の抜本見直し」に関する意見応募
(2)手段として「大阪維新の会」を立上げ、議会で勢力を築いたことは優れた実行力を示している。
一方、政治目標に絡みながらの政治スタイルには、若干の懸念をもっている。
今回の選挙で大阪府市については、「維新の会」が両首長をとり、府議会過半数、市議会第1党を占め、圧倒的に権力者の立場に立った。今後は、大阪都構想の実現、地方分権の確立へ向け、内では権限行使、国へ向けては権限奪取という使い分けをしながら政治運動を進めていくことになる。
このような形態の政治運動は日本では初めてである。今後、具体的な政策を展開することになるが、過半数を巡る争いでは圧勝であっても、具体的な政策では様々なバリエーションがあり、意見の統合を図る必要がある。
橋下氏はマスメディア、ネットメディアを介してのイメージつくりによって圧倒的な支持を集めている。橋下氏に対して争点、論点が提起された場合、それを十分理解できていなくても、メディアの情報によって浮動する「客体的浮動層」は橋下氏を支持する可能性は大きい。また、その支持に乗って争点、論点を『突破すべきものとして政治的マネージメント』を実行することは十分考えられる。
議員の間接的な支持よりも有権者の直接的支持を重視する『首相公選制』を主張し、『バカ言ってんじゃねえ。今まで首相は、あんたがた国会議員が選んできたんですよ。』(T8/2)と主張を感情も含めて有権者へ直接さらけ出す政治的スタイルは、勢いをつけるかもしれないが、対立を激化させる要素も含む。それを承知の作戦であろうが、コントロールをしているようで、波に巻き込まれる可能性もないとは言えない。冷静なフォローが肝心であろう。
以下、橋下氏のtwilog より引用しながら説明する。
(T〇/×は http://twilog.org/t_ishin/asc の〇月×日付を示す)
橋下氏は『地方分権とは国から権限を奪う権力闘争』(T11/9)と、きっぱり言う。続けて、『大阪維新の会には国の仕組みを変えるだけの力はない』しかし、『国のかたちは外圧で変わる。地方の政治力も外圧の一つである』として、『まずは大阪のかたちを変える』と大阪維新の会の活動を位置づける。
ここでは、地方分権は、国から権限を奪うことであって、要望等によって国へお願いして譲り受けるものではないことを宣言している。更に、大阪維新の会は地方から国へ外圧をかけるものであり、明治維新とのアナロジーを想起させる。これは、地方分権を奪う権力闘争が、国のかたちを変えるための一つのアプローチであることを示している。
従来の地方自治体改革は、基本的にその自治体内部にクローズされており、行政改革、財政改革を主体とした、言わば一つの企業体の改革と同じであった。しかし、橋下氏の示す処、これまでの地方自治体改革と一線を引く新たな目標を設定している。改革というよりも国のかたちを変える革命に近くなる。但し、体制の変革ではなく『政治のシステムが悪く…統治機構を変える』(T8/24)のであるが。ここが、次に述べる状況型リーダーシップを生む所以である。
このリーダーシップの展開について永井陽之助氏は、『中国革命における毛沢東の持久戦論がその最もいいモデルを提供している』(『平和の代償』P19)と述べる。詳細は引用文献に譲るとして、その基本的イメージは動乱である。そのなかで、「敵」を設定し、「味方」を結束させ、中立者を巻き込んでゆく、冷徹な政治戦略が当然のように展開される。その行きつくところは「体制の変革」であり、ロシア革命、中国革命から、最近の例では、「アラブの春」を想起すれば良い。
しかし、今の日本において、後進国革命にみられる暴力革命はあり得ない。また、資本主義・民主主義などの体制の変革でもない。現状の法体系の枠組のなかで、統治機構の変革を革命ならざる“維新”として進めていくことになる。
橋下氏は以下のように言う。
『統治機構のシステムの再設計は、政治の専権事項』(T8/24)、
その政治は『選挙で選ばれた者が決定権を持ち、責任を有する』(T8/23)。
決定権の行使では『議論すべきもの、突破すべきもの、その優先順位、スケジュール感、これが政治的マネージメント』(T8/1)、
『マネージメントの当否は、選挙で判断してもらえばいい』(T8/1)。
従って、選挙で選ばれることを第一義として「大阪維新の会」を設立し、その政治目的を阻むものは、「敵」としてチャレンジする。議会のシステムは二元代表制であり、首長と議会との緊張関係で成り立つとの批判に対して、現状の議会は機能しておらず『新しいものへの揚げ足取りではなく、旧いものとの比較が重要』(T8/1)と現状の弱点を突く。
その結果、大阪府議会で多数派を形成し、大阪市議会で第一党になる。そして、今回の大阪市長選で平松氏及び市役所を「敵」として圧勝する。選挙で選ばれた場合(大阪府、そして大阪市)、政治の専権事項として役所の改革を断行する。その一方で、国の政治に対しては、既存政党の弱点を突きながら、政治的影響力を行使する。あくまでも自らの権限、及び政治的影響力を駆使して突破を図る。
以上に述べたように、状況型リーダーシップは、その名のように流動的な状況に対応できるように柔軟な構えが必要であると共に、現状のシステムを打破しようとすることから、そのシステムに対して目一杯の解釈をして自らに優位な戦略を冷徹に遂行する。
手段を最終的な政治目的に従属させることは、革命におけるリーダーシップと似ている。明確な「敵」づくりと激しい言葉による攻撃、権力を取得したときの権限行使は、これまでの地方自治体政治のスタイルに慣れた人には奇異に映り、批判を生むことにもなる。しかし、これは橋下氏の状況認識とアプローチの枠組が批判する人の枠組と異なることを意味しているに過ぎない。
この状況型リーダーシップは、創造型と投機型に分かれる(『現代政治学入門』第3章「政治的リーダーシップ」P61)。しかし、いずれにしても両方が共存し、状況との関連でどちらにもなり得る。言ってみれば、ジキル博士とハイド氏なのだ。結果論として、成功すれば創造型、失敗に終われば投機型と言われるのかもしれない。しかし、私たちは学問、報道の立場ではないから、混沌とした状況のなかで判断を欲する。
創造型と投機型を分かつ契機は次の二つであろう。
(1)ビジョンがあり、それが適切性を持つ
(2)目的と手段のバランスが取れている
これに対する判断基準は人それぞれである。しかし、自ら判断はできる。ビジョンそのものに賛成しなくてもそれがビジョンであることを認めることはできる。また、目的に対して手段が急進的でも許容の範囲内と判断することもできる。
その意味で、筆者は橋下氏の政治活動を創造型リーダーシップと判断している。
では、(1)(2)共に賛成か
(1)『大阪都構想』、特に基礎自治体と広域自治体の考え方に賛成する。既に、何度か筆者のメルマガで取り上げている。
第112号 2010/1/16 地方主権では、政令指定市解消か?独立か?
第144号 2010/12/3 「地方自治法の抜本見直し」に関する意見応募
(2)手段として「大阪維新の会」を立上げ、議会で勢力を築いたことは優れた実行力を示している。
一方、政治目標に絡みながらの政治スタイルには、若干の懸念をもっている。
今回の選挙で大阪府市については、「維新の会」が両首長をとり、府議会過半数、市議会第1党を占め、圧倒的に権力者の立場に立った。今後は、大阪都構想の実現、地方分権の確立へ向け、内では権限行使、国へ向けては権限奪取という使い分けをしながら政治運動を進めていくことになる。
このような形態の政治運動は日本では初めてである。今後、具体的な政策を展開することになるが、過半数を巡る争いでは圧勝であっても、具体的な政策では様々なバリエーションがあり、意見の統合を図る必要がある。
橋下氏はマスメディア、ネットメディアを介してのイメージつくりによって圧倒的な支持を集めている。橋下氏に対して争点、論点が提起された場合、それを十分理解できていなくても、メディアの情報によって浮動する「客体的浮動層」は橋下氏を支持する可能性は大きい。また、その支持に乗って争点、論点を『突破すべきものとして政治的マネージメント』を実行することは十分考えられる。
議員の間接的な支持よりも有権者の直接的支持を重視する『首相公選制』を主張し、『バカ言ってんじゃねえ。今まで首相は、あんたがた国会議員が選んできたんですよ。』(T8/2)と主張を感情も含めて有権者へ直接さらけ出す政治的スタイルは、勢いをつけるかもしれないが、対立を激化させる要素も含む。それを承知の作戦であろうが、コントロールをしているようで、波に巻き込まれる可能性もないとは言えない。冷静なフォローが肝心であろう。