散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「不完全講和条約」を強調~「主権回復」式典の効果~

2013年04月30日 | 国内政治
全面講和ではなく、多数講和として独立を回復してから61年、ここで安倍政権が式典を企画した理由として何があるのか?ここで注目されるのは沖縄の反発と式の直後のロシア訪問である。

沖縄県の仲井真知事は沖縄が日本から切り離された日として反発、結局、副知事の代理出席となり、皮肉にも、講和条約が日本の主権にとって“不完全な条約”であったことを改めて知らしめた。また、安倍首相のロシア訪問は北方領土問題に焦点が当てられる。即ち、領土と憲法をダブらせて、戦後レジームの欠陥を狙い撃ったのだ。

日経新聞のインタビュー記事の中で、これを提唱した自民党・野田毅議員は「降服(1945/8/15)と独立回復(1952/4/28)は一体で考えるべき」「主権回復の結果、自主憲法制定が可能になった」「安倍首相はそこに乗ってきた」と話した。

憲法制定から講和条約までの戦後体制は吉田茂によって築かれたものだ。
歴史に組み込まれたサンフランシスコ講和条約(2012/10/07)』

その後、鳩山一郎-岸信介と受け継がれていき、鳩山はソ連との国交回復(日ソ共同宣言1956/10)を実現し、岸は日米安保条約改定(1960/6)を行ったものの、その重みは吉田の憲法制定、独立回復に比肩されるべくもなかった。60年安保騒動の後、吉田の直弟子である池田勇人-佐藤栄作によって高度経済成長、沖縄返還が果たされ「吉田ドクトリン」は日本の正統路線として国内外に改めて認知された。
「吉田ドクトリン」は永遠なり(2012/10/22)』

岸信介の孫である安倍首相は強硬な改憲論者として「吉田ドクトリン」を打破しようとする立場にある。従って、講和条約の内容が日本にとって、厳しいもので有り、憲法と同じく、米及び連合国に押しつけられたイメージを与える方が好都合である。

しかし、この論理は日本の内向きの事情から提起されたものだ。

条約締結に参加した国は米英等49ヶ国、これは、戦争が真珠湾攻撃に始まる対米戦争だけでなく、日独伊三国同盟で結びつきながら、中国、東南アジア、オセアニアまで軍事進出した日本と連合国との“第二次世界大戦”であったからだ。

これらの国は日本が米国下の占領体制において策定された憲法によって民主化・軽武装化された日本を国家として承認した。その枠組を打破しようする安部政権の試みに反発する国は中国・韓国だけではないだろう。そこに安部政権のアキレス腱があるように思われる。


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黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(4)~「雀を羆にすり替え」齋藤誠~

2013年04月29日 | 経済
異次元緩和に対しする評価として、日経「経済教室」に、肯定的意見(本多佑三・関大教授4/12)及び否定的意見(齋藤誠・一橋大教授4/16)がそれぞれ掲載された。

同じく日経「脱デフレへの道(3/18)」に掲載された更なる金融緩和に対する積極派(若田部昌澄・早大教授)及び慎重派(河野龍太郎・パリバ証券チーフエコノミスト)の記事を含めて、筆者は異次元緩和に否定的評価の齋藤誠教授の論説に説得力を感じた。従って、ここでは、斉藤教授の説を紹介しながら、本多教授に対する疑問点を提起する。

先ず、齋藤教授は「日本経済は長期的なデフレ状態にあったわけではない」「物価下落は物価安定といった方がふさわしいほど軽微(雀)」だったが、「15年以上にわたる深刻な物価下落(羆)にすり替えられた」と言う。即ち、日経・脱デフレへの道(3/18)の脇に添付された消費者物価指数のグラフを見れば、消費者物価指数は07-08年の食料・燃料の高騰とリーマンショック直後(08年9月-09年)での下落でほぼ相殺し、04-12年は安定しているからだ(グラフには、後出のマネタリーベースも添付)。

では、何故“デフレ感”が蔓延していたのか?それはGDPデフレーターから読み取ることができる。下図のように、15年以上も低下を続けている。
     
   「日本のGDP推移」から

これは筆者にとって驚きである。
「GDPデフレーターは物価動向だけでなく、交易条件も反映する」から、物価指数と異なる動きになっているのだ。齋藤教授は「国際競争の激化で競争力を失った製品を安価で輸出し、高騰により高価で資源を輸入してきたことで、交易条件を低下(悪化)させ、所得を国内から国外へ漏出させ、GDPデフレーターを下げた」と言う。従って、金融政策に起因するとみるのは、議論のすり替えになるのだ。

以上の論点に関して本多教授は沈黙している。論証なしに「リーマン危機後の円高・ドル安によるデフレ効果は極めて大きい」と言うだけだ。鉱工業出荷指数がリーマン危機後に落ちてその後にも回復していなことを挙げているが、このデータが何と関連するのか?さっぱり判らないのだ。当然、それ以降の異次元緩和の評価においても因果関係を含んだ説明は何もなく、脈絡も不明なままに論点を変えるだけである。

ところで、先の消費者物価指数のグラフと共に示されたマネタリーベースのデータの日経による解説は次のようになっている。
「マネタリーベースは日銀が金融市場などに出しているお金の総量を示す。金融機関が日銀に預けている当座預金残高に、市中に出回る現金の残高を加える。足元は約130兆円と2001~06年の量的緩和政策時を上回り、過去最高の水準だ。」
「それでも消費者物価は前年同月比ゼロ%前後のまま。日銀がいくら資金を供給しても金融機関は当座預金口座に置きっぱなしで、民間の消費や投資に繋がらない」。図らずも以下の齋藤教授の認識と一致するかのようである。

「民間銀行が政府から買入れた長期国債を日銀は買入れる。民間銀行はそれを日銀当座預金に預け、資金は家計・企業→民間銀行→日銀へと一方通行で流れるだけ」「資金が全体に行き渡り、経済活動を刺激するわけではない」と齋藤教授は指摘する。

更に「大胆な金融緩和は長期国債の利回り低下を招き、その副作用として、暴力的な均衡回復を招く。」と述べ、結論として「国際競争力を高めることこそが日本経済にとって真正な課題であるにも関わらず、無節操な金融緩和に安易な課題解決を求めた代償は大きい。」と結んだ。

以上にみるように、異次元緩和の論拠は極めてあやふやであり、副作用も懸念される。それに対して本多教授のように「現時点のコストが大きいほど政策効果は高まる」と単に居直っているような発言が見られる。ここは性根を入れ替えて、子育て・教育等への投資、年金・保険制度の抜本的改革等に取り組むべきではないだろうか。



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黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(3)~「政治指導」による実弾化~

2013年04月28日 | 経済
金融緩和は公共事業へ国債をあてがう名目であるが、それ以上にアベノミクスの経済政策へと結びつく。政府による民間の経済事案に対する「政治的指導」とも言うべきことが起きている。以下の三点がそれである。
1)経済3団体への被雇用者賃上げ「協力依頼」
2)地方自治体への地方公務員の給与引下げ「要請」
3)長期国債の買上による民間資金の「誘導」

労働者賃上げも、地方公務員の給与引下げも元来、政府が口を出すことではない。そこを「協力依頼」「要請」と言うのであるから、強要に近い「指導」とも言うべきことだ。更に、一方で、賃上げであり、もう一方で賃下げであるから極めて政治的である。

安倍首相は3/12に経済界との意見交換会を官邸で開き、「経済界におかれましても、業績が改善している企業においては、報酬の引き上げを行うなどの取組みを是非ご検討いただきたいと、お願い申し上げる次第でございます。」と話した。

株高を背景にしていることにより、経済政策の一環として賃上げを政府が口にしても、経済団体は反発し難く、「先ずはボーナスから…」とでもお茶を濁す以外にない。先ずの実質的効果を国民へ還元させる発想は、財界を風下に立たせ、なお、労働団体の無力さを示し、政治的効果が抜群である。

尤も、報道によれば、産業競争力会議の民間議員であるローソン・新浪社長は「要請を受けて、我が社から実施する」と甘利経済再生相に連絡したという。経営者を自任するなら、ずっと以前に実施しておくことだ!時の権力者に追従するのは、社会的地位を狙うオポチュニストであることを自白しているようなものだ。こういう手合いがいれば(それを見抜いて委員に選んだ?)、首相は、ほくそ笑むだけで良い。

一方、地方公務員の賃下げは国民的バッシングを自らの部下から地方公務員へ転換する効果がある。国家公務員へは昨年4月、既に7.8%の賃金切り下げに踏み切った。当時の民主党政権は地方に口出しをしなかった。国家公務員側にも自分立ちだけということに割り切れない思いがあるだろう。それを宥める意味もあるし、民間労働者と地方公務員を分断することにもなる。

結局、上からの政治的指導によって、地方及び民間にもアベノミクスの意図を浸透させ、経済全体の動きを統制する政治的効果を狙ったといって良いであろう。その“空気”を醸成させる戦略の最後の狙いは民間資金の設備投資への「誘導」である。

この誘導のメカニズムは池田信夫のメルマガ「暴走する黒田日銀(2013/4/2)」に詳しく展開されている。結論として「…銀行を国債市場から追い出し、通常の融資に追い込もうという政策は、FRBが銀行の資金繰りを支援するために行なったLSAPとは違い、いわば銀行の貸出強制ともいうべきもので、ある種の計画経済です。」

この議論によれば、通常の金融緩和は支援であるが、異次元金融緩和は強制であるということだ。ここで異次元金融緩和は「被雇用者賃上げ協力依頼」「地方公務員の給与引下げ要請」と合わせて政治的指導に組込まれ、国債を介して、建設投資という実弾と共に、設備投資という実弾が生み出される。勿論、一過性の建設投資と比べ、民間の設備投資は長期的に製品を生み出す。

しかし、翻って考えると、民間の設備投資は本来の企業活動の一貫であって、コモディティ製品の拡販以外では、技術開発、商品企画等から設備投資は導かれるのだ。マネタリベースでは過去最高の水準にあり、大仰な異次元金融政策、国土強靱化事業政策から企業の設備投資が生み出されるのではない。更に、一般市民にとって、株高は無関係、円安は迷惑、公共事業も程度問題だ。従って、残るのは積み上げた国債だけかも知れない。当然、負の効果が懸念される。

そうすると、黒田バズーカ砲は空砲ではなくて、実弾であった!と判る日が来るかも知れない。キートンのドタバタ喜劇のように、真上に向けて撃った弾が、落ちてきて自らのバズーカ砲を破壊してしまうこともあり得るのだ。

        
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黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(2)~狙いは公共事業の正当化~

2013年04月26日 | 経済
アベノミクスの3本の矢は、3段式ロケットのように一連で密接に関係した政策「金融緩和―財政出動―成長戦略」として「期待醸成-キッカケ作り-経済成長」と進展させるイメージを与えている。しかし、三つの政策は独立であって、必須なのは成長戦略だけであることを述べた「黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(1)」。

財政出動は必須でもなく、消費増税も財政悪化を補う政策として民主党と自民党が合意したはずだ。自民党は野党時代に勢力回復を目指して「国土強靱化」の名のもとに公共事業を増やす政策を策定し、先の衆院選挙においても公約として掲げた。

政府の公共事業予算は1990年代には10兆円規模であったが、民主党政権になって「コンクリートから人へ」政策のもと、4兆円規模にまで縮減した。これを安倍政権は昨年度の補正予算と今年度予算で12兆円規模にまで再度拡大させる。

これは国債発行で賄われるが、黒田バズーカ砲では国債市場に大量の資金を投入して買い取ることになる。政府が先ず公共事業で景気回復の「キッカケ」を作るというのが、その間のストーリーである。しかし、このストーリーは「期待醸成」とは特に関係ない。それよりも国債を買い取る「資金投入」とだけ、密接に関係するのだ。

自民党時代の道路等の建設投資が土建国家を築き、挙げ句の果てに国の借金を膨らませたことを考えれば、政権を奪回したとは雖も、これまでと同じストーリーでは公共投資は国民的合意を得ることは難しい。そこで、デフレ脱却を旗印にし、金融緩和の枠組の中から地震対策を名目とした公共事業費を積み上げたのだ。そうしないと、公共事業予算は相当に叩かれていたはずだ。現状は一連の政策が異次元緩和から始まり、円安・株高の効果が出ていると考えられているため、次の公共事業の展開について、その効果を心配する声はあっても、正面から反対する論調はない。

しかし、黒田バズーカ砲から放たれた金融緩和の空砲は、国債を介して建設投資という“実弾”になって世の中に撃ち込まれる。

笹子トンネル天井板崩落事故(2012/12/2)に象徴されるように、旧い施設の老朽化への対応だけで、多くのリソースを必要とする時代である。効率の悪い施設の建設、無駄が多い費用の使い方が公共事業にはつきものである。これを克服しようとする意思も方法も政府・行政からは伝わってこない。従って、その結果は国民に対するツケとして跳ね返るだけであろう。


     
        
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黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(1)~株と無縁の住民の眼~

2013年04月24日 | 経済
アベノミクス「3本の矢」の最初は、黒田日銀総裁によるバズーカ砲であった。期待上昇に「期待」する大胆な金融緩和であって、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略へと続ける政策だ。ならば、合図の空砲か?

運動会の日の朝、ドドーンと花火が打ち上がる音を聞いて、「今日は運動会だ!」と気持ちをときめかした記憶が蘇ってくる。その日が晴天であればなおさら気持ちが乗ってくる。“空砲”であっても意味はあるのだ。尤も、気分は盛り上がっても、普段より速く走れ、徒競走で一等賞を取ったわけではないが。

それにしても大仕掛けだ!「異次元」緩和とは良く言ったもので、早くも流行語大賞候補にノミネートだ。だが、円安・株高を引き出したとはいえ、輸出企業の従業員でもなく、株の持合わせも無い一般住民にとっては、将に単なる空砲なのだ。

毛利元就の「三本の矢」は、束ねて威力を発揮することを意味する。即ち、政策から言えば、パラレルに進行し、個別撃破を防ぐのだ。一方、「3本の矢」は、1本目の矢から始まり、2本目、3本目とシリアルに続ける。3本目の成長戦略が本命であって、金融緩和と財政出動は、それだけでは意味を持たない説明がされている。

インフレ目標が達成できるまでは金融緩和を継続し、景気が良くなるという期待を高める。しかし、期待が高まっても実際の景気を引き上げる契機を必要とする。そこで、政府は前年度補正予算と今年度予算で公共事業など積極的な財政出動を行う。その間の景気を引っ張っていく。さらに、政府主導の成長戦略を策定して民間の投資意欲を高め、政府によるキッカケ作りから民間による本格的な成長へと展開を図る。

これは3本の矢というより、幾つかの報道機関の指摘があった「3段式ロケット」というべきストーリーだ。しかし、この言葉は「金融緩和―財政出動―成長戦略」が一連で密接に関係した政策をイメージさせる。また、安倍政権としてもそのようなイメージを国民へ与えたいと考えているはずだ。

一方、先に述べた一般住民の視点では、金融緩和は無関係、財政出動による公共施設投資も関係が薄く、成長戦略だけが少し身近なだけだ。それは、三つの政策が独立で実行可能なことを意味し、住民視線からは成長戦略だけを実行すれば良いことになる。金融緩和、財政出動は、結局これまでの自民党政権の二の舞、政府の借金を増やし、後世へツケを回すだけなのだ。

      

      
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“死の接吻”に陥った橋下徹~主役は衰弱した石原慎太郎~

2013年04月21日 | 国内政治
国会の党首討論で維新の会は石原慎太郎が立ち、安倍首相に「公明党はあなた方の足手まとい」と正面から自公のアキレス腱を突いた。舌鋒鋭く…と言いたい処だが、呂律は回らず、瞼気はこれまで以上に激しく、衰弱が著しいことをテレビの画面が大写しにしていたのは、異様な光景であった。

しかし、その光景は維新の会の異様さを拡大して描写している。維新の会は橋下徹がαであり、Ωでもある。しかし、国会で代表として立ったのは、多くの人が忘れ去った、いや、覚える間もなく自ら消え、党員は維新の会に合流した太陽の党の代表人物だ。それも若き橋下とは比べるもなく衰弱した老人だ。

“死の接吻”とは、良かれと思って接近することが、逆に拘束を招き、失敗に至る行為を言う「政治学」の用語である。ユダのキリストへの裏切りのキスに由来していると言われている。

『日本外交の拘束と選択』(「平和の代償」(中央公論社)所収、初出1965年6月)において永井陽之助は、当時の南ベトナム戦争とそれを巡る米中ソの確執を『「弱者の恐喝」と「死の接吻」』という表現で説明している。

先の選挙の前に、橋下が突然、石原を会代表に迎え入れた意図は明確ではない。しかし、現実主義者の橋下は国政進出にあたり、以下の点などを考えたに違いない。
(1)選挙での集票効果を期待、
(2)経歴から国会での象徴的統率者になれる、
(3)高齢であって孤立した存在、回りに橋下の競争者は不在。

しかし、橋下の都合(選挙に出馬せず等)と維新の会の事情(急造の集団等)が混じり合い、混沌とし、見通しの立たない状況を反映しているようだ。一方、石原の狙いは現憲法の弱点を突き、それを改正に導くという一点突破だけだ。従って、他の政策等はすべて譲って(元々関心が無い)、集中できる。

この両者の非対称性が、迫る選挙という時間の圧力の前に、「太陽」が「維新」の嫁になる「みんな」の心を知りながら、という“便宜結婚”に至った事情と推察される。政策的に相容れないことは、選挙の結果に賭けたとも言える。
しかし、橋下の思惑とは全く別に、維新の集票の基礎となったのは、石原の存在感を遙かに凌ぐ、民主党に愛想を尽かした巨大な浮動層の動きであった。
 「主体的浮動層の重要性(2013/1/4)」

一方、実質的には橋下が代表であり、石原は名誉代表的な存在ではあるが、共同代表制度をとる限り、憲法問題だけに集中する石原の主張を、橋下は退けることは出来ない。石原が維新の会にいる理由はそれだけだからだ。その意味で石原は“弱者の恐喝”を出来る立場にいる。その結果、会綱領のトップに憲法改正を謳うことになった。
 「極右へ進むか!日本維新の会の綱領(2013/4/1)」

これを見れば、実態は橋下が石原に吸い寄せられたことは確かだ。橋下の一番の問題は、地方自治から出発し、既得権益に縛られた社会の改革を目指す姿勢を常に発信することが、これまでにようには出来なくなっていることだ。

改革を目指す政治勢力が主張する具体的な政策は、現状を批判的に克服するビジョンに基づくことが必須である。しかし、これまで漠然としたビジョンが「維新八策」として示されただけで、世の中に議論を喚起する具体的は政策を提言することはなかった。従って、ビジョンは観念だけに止まり、それが石原と旧太陽の党の合流によって、更に霞が架かった状態になってしまった。

接吻状態にいる限り、会共同代表としての橋下の言動は大きく制約されることになり、出番は大阪市長に限られてきた。一方で、国会は維新の会に移ってきたベテラン議員によって運営され、焦りもあってか、国政への発言は国会活動へ反映されず、議員とのチグハグさだけが報道される。

更に、先の伊丹市、宝塚市の市長選挙で維新の会の候補が惨敗し、アベノミクス以降の浮動票の動きが橋下追随から変わってきたことを示唆する結果とも受け取れる。その中で安倍・橋下会談が行われ、憲法96条改正で意見が一致したと報じられている。これが、橋下にとって二度目の“死の接吻”にならないのか?維新の会の立ち位置にあやふやさが見える状況の中で危惧の念を持たざるを得ない。

そのあやふやさの中に映るのは、橋下の孤独な姿である。大阪とは違い国政に関する情報は与党トップとに大きな差がある。それだけでなく、会の代表と雖も、国会議員との間に情報の壁があるように思える。先ず、参院選挙に出馬し、国会議員になることが必要だ。橋下が決断を下し、活路を見出すのか、日本の政治の行方もこれに左右されるだろう。

      



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老年人口100万人増加の時代へ~人口減・少子高齢化の人口ピラミッドへ~

2013年04月17日 | 現代社会
「統計メールニュース(総務省統計局 H25/4/16) No.569」から抜粋
(下のURLはメルマガ配布の案内)
http://www.stat.go.jp/info/mail/index.htm


 人口ピラミッドでは65歳が突出、今後5年間100万人規模の増加と予測

(1)全国人口
 *総人口・1億2751万人、28万4千人(0.22%)減少、2年連続で大きく減少
 *男性は8年連続,女性は4年連続の自然減少
 *外国人は4年連続の社会減少,過去最大の減少幅を更新
 *第1次ベビーブーム期生まれが65歳になる
 *老年人口(65歳以上)・104万人増加、3079万人初めて3千万を超える
 
(2)都道府県別人口
 *東京都・全国人口の10.4%
 *人口減少率・福島県、秋田県1%超
 *初めて自然減少・埼玉県,千葉県、東京都
 *社会増加へ・宮城県
 *社会減少幅縮小・岩手県・福島県
 *老年人口が年少人口を上回る・全都道府県
 *対前年増加率最高(65歳、75歳以上共)・埼玉県

  ⇒詳しい結果はこちら
    http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2012np/index.htm
  
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ゼロから出発した「国家」北朝鮮~金王朝・軍機構以外は未だ見えない「社会」

2013年04月14日 | 国際政治
北朝鮮が「米国本土への核攻撃可能」と弾道ミサイル発射の動きで脅しをかけ、更に「1953年の朝鮮戦争休戦協定の白紙化」も主張している。ここまで遡ると、北朝鮮の国家的存在とは?との疑問が頭に浮かび、その成立ちに改めて踏込む必要を感じる。

48年8月の大韓民国成立を受け、1948年9月、それまでの国家形成の意思が希薄な状態から「朝鮮民主主義人民共和国」を樹立する、即ち、無から有を生じさせるゼロからの出発であった。簡単には、占領軍・ソ連の傀儡国家である。

それから65年、金日成-息子・金正日を経て、更に息子・金正恩へと政権トップが交代した今、この「金王朝」と弾道ミサイルに象徴される「軍機構」以外は未だ外から見えない社会として存在し、かつ、その存在に対する認知を傍若無人に、過剰なまでに、世界に要求しているかに見える。

朝鮮戦争は50年6月、北朝鮮が38度線を越えることよって引き起こされた。朝鮮半島の両国が成立してから2年弱である。第二次世界大戦が終了後の社会的混乱期に、新たな国家がその社会に根付くには余りにも短い期間であることは、日本の戦後を辿っても良く判ることだ。何故だ?

今回の「白紙化」の要求を理解しようとすれば、更にそれ以前、ソ連の対日参戦からの経緯を知る必要に駆られる。これに関し、ソ連崩壊前後から公開された資料を中心に中国、北朝鮮、モンゴルの研究も含めて総合した以下の通史から、北朝鮮の国家形成が困難な事情を記述する。
参考文献『北朝鮮-建国・戦争・自主』「アジア冷戦史」所収 下斗米伸夫(中公新書)2004

45年2月のヤルタ会談でソ連の対日参戦は決まり、戦後のアジア地図の塗り替えが始まった。朝鮮半島は独立国を創設することがカイロ宣言で決まったが、ポツダム宣言では具体策はなかった。米国が仮に引いた38度線に沿って、分界線ができ、ソ連が北部を45年8月に占領した。これが始まりである。

占領地に対するソ連・スターリンの関心は地政学的利用、即ち、中国北東部、ソ連極東部への回廊としてであった。そのため、イデオロギー的な「人民民主主義国家」の樹立については念頭になく、国家形成の契機がなかった。一方、その状況で朝鮮労働党を作り出したのはソ連派・朝鮮人系であって、抗日戦線・金日成系ではなかった。また、国家機構もソ連のコピーであって、傀儡と言われる所以である。しかし、そこでの占領政治のなかで頭角を表してきたのは、占領地域に根城を有する金日成であり、ソ連派を駆逐し、権力を掌握するに至った。

米ソは「臨時民主政府」樹立へ向けて協議したが、47年10月、米国の提案した国連監視下における統一議会選挙をソ連が拒否し、米国が韓国樹立へ、スターリンも北朝鮮国家の建国へ進んだ。ここで、統一の動きは内戦へ転化し、相互の同盟関係から国際紛争へ、更にグローバル化されたイデオロギー対立への契機を含むことになる。

ここで、社会の安定化を図るか?武力統一を狙うか?別れ道だ。抗日ゲリラから革命へ向かう金日成にとって、和戦が混沌とし、分断国家における社会が不安定な状況は政治的チャンスであって、分断が固定化し、社会が安定すれば、革命的な統一は夢のまた夢になる。国家形成による社会の安定化は統一した後の課題だ。

先ずは統一だ!南進武力統一は金日成の主導で中ソの了承をとって行われた。

49年3月時点において、ソ連は南進武力統一に反対した。しかし、49年の中国革命の成功は50年2月の中ソ同盟へ進み、東アジアの政治状況を変えた。更に、50年1月、アチソン米国務長官による台湾、朝鮮を米国防衛圏から除外する声明に至り、金日成の武力統一案をスターリン、毛沢東が拒否する理由はなくなった。

武力統一を最優先に朝鮮戦争を仕掛け、目的は達成できず、休戦になった。しかし、“休憩”である以上は統一の看板は外せない。資源を出来るだけ軍事力に集中し、その力で社会を抑える統治方法を変える動機は見出せない状況が続く。仮に軍部がそう主張すれば、「金王朝」はこれを抑えることは難しい。

しかし、軍部の力だけでは、社会の不安定性は高まるだけだ。「金王朝」のカリスマ的支配によって社会を抑えると共に国民の力を少しでも引き出す必要がある。
更に、「米国本土への核攻撃可能」まで兵器開発を進めたが、韓国の経済・社会の成長に取り残され、統一どころか社会崩壊の危機に至っている。更に、「核」を持つことによって、米国からの核攻撃の危機も確率的には増えるはずだ。

金正恩を始め、北朝鮮指導者は気が付いているはずだ。しかし、そうであるからこそ“しがみつく”のも人間の性である。予断を許さない状況で、北朝鮮の課題を解きほぐす政治家が米中日韓に現れることを期待したい。

日本も当時、紙一重で分断国家の危機にあった。それはアジア・太平洋戦争を主導した旧日本軍の無能な指導者達の責任だ。悪夢は幸運にも訪れなかったが…。

      
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市民が「異次元緩和」を評価するには?~ロイターとアゴラが有益だった~

2013年04月07日 | 経済
いわゆるアベノミクスが出現してから、市場の相場が政府の政策の成否を判断する物差しとして使われ始めた。更に黒田日銀総裁の異次元緩和によって、相場の乱高下も政策評価の対象に示された。しかし、一般市民は、これを評価するすべがない。

しかし、私たちは別世界の市場の評価をせざるを得ない状況に引っ張り出されたのだ。円安になって差益が出た、一方、普通の人はトヨタの従業員でもなく、ガソリン代、灯油代、電気代、ガス代の値上がりに汲々とするのが現実であり、判りませんと言うのが正直なのだ。

一から勉強をして理解できる自信はない。勿論、時間も無い。テレビ、新聞、ネットに氾濫する情報から、先ず自分の常識を働かせながら、ざっと当たって、集中的に読むものを決める。筆者が選んだのは、以下の二つである。
 報道…「ロイター」 ネット…「アゴラ

ロイターは経緯だけでなく、市場参加者の心理的動きも加え、記事にしている。
更に、インタビュー記事として、斉藤誠・一橋大教授「日本のデフレは国際競争力の低下に起因するものであり、金融政策だけで克服するのは難しい」、
中原伸之・元日銀審議委員「あまりに急激な金融緩和で驚いた、戦時中の統制経済を連想させる」との見方を紹介している。

アゴラは、経済・金融の専門家、池尾和人、辻元、藤沢数希、池田信男が常連の寄稿者として揃っており、
現代ビジネスBLOGOS を遙かに凌ぐ力量を示す。問題は、おそらく、筆者も含めて読者がついていけるかであろう。最近は、こども版として易しい解説を池田信男が執筆している。
(例えば、「少子化って何?

少しでも理解を深め、判断を的確にできるように、以下の永井陽之助の言葉を自戒の銘にし、知的努力を試みるだけだ。
『われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。』

        
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「時間近視」を誘導するアベノミクス~市場指標の乱高下が意味する処~

2013年04月05日 | 経済
一国の首相が「マネーゲーム」に興じてどうする?これが安倍首相の意図を体現しようとする4/4の黒田日銀総裁「異次元の金融緩和政策」と、それを受けての4/4-4/5の各市場での反応に対する筆者の感想だ。

五日、日経平均は一時、対前日600円を超える大幅高を示し、円は前日の92円台から97円台まで下がった。更に注目すべきは国債市場において、指標10年物国債の利回りが前日の過去最低0.425%から午前中に0.315%へと大幅に下回ったが、その後、0.62%まで急上昇。ともあれ、乱高下が目立った。

更に奇異なのはマスメディアに踊る言葉である。「異次元」とは、何を意味するのか不明であるが「異様」に聞こえることだけは確かである。日経五日付朝刊では「脱デフレ戻れぬ賭け」との見出しもある。言葉尻を捉えるのではないが、国民生活に影響を与える金融政策が“賭け”であって良いものか!

では何に対して賭けたのかと問えば、市場の期待感だそうだ。それがひとまず株価と円相場に反映され、「市場にデフレ脱却期待を抱かせるのに成功した」というのが日経新聞一面での判断である。

では、市場とは何だろうか?それは瞬時に変わる無時間の体系である。一瞬前からの変化値が意味を持つ。瞬間の時価とも言える。鮨屋の時価は、その時で価格が変わるが、その日の価格である。しかし、それが席のカウンタを前にして注文する度に変わってしまうと、どうだろうか。何時、食べようか、との迷いが邪魔になるだけだ。従って、その日一日が一つの人間的な時間として設定され、鮨を食べる見通しが立ち、生活が安定するのだ。

相場も通常の人間的な時間の範囲内で、緩やかに変化しながら高低を繰り返す限りにおいて、安定な長期の動向として捉えることができる。即ち、期待と共に相場が上がり、期待の飽和から後退へ向かうと共に相場が下がるからだ。従って、見えざる手・市場が参加者の総和として判断すると擬制されるのだ。

一方、それが乱高下するということは、市場が瞬時の判断を強いられていることを意味する。瞬時であるが故に、参加者の判断は収束せず、いや判断できず、瞬時の相場に左右されて売買が繰り返される。これは人間的な時間、即ち、長期の動向を示し、生活を安定させる時間感覚では全くない。政治学で言う“事件の囚人”、主体的に判断できず、事件に引きずられて判断に機会を逃すこと、を文字って言えば“相場の囚人”になる。

更に瞬時の判断が、周囲に順応するだけになると相場の急激な変化になって表れる。発火現象の瞬時の集積が爆発に結びつくように、参加者の瞬時の売り心理の集積が相場の崩壊となる。従って、相場が急激に上昇・下降するときは、長期的視野というよりは、回りを見ながらの瞬時の判断の集積が相場の決め手になっているのだ。

アベノミクスが市場の期待上昇をもたらしている。しかし、市場の動きは瞬時の期待感の集積に過ぎない。安倍首相がこれを成果として誇示することは、国民を瞬時の判断へ誘導し、狭い視野での“時間近視”を誘導する結果になる。判断は断片化し、常識をベースにした長期的視野を失わせることにもなる。

今から40年前に『経済秩序における成熟時間』(「時間の政治学」(中央公論社)所収)の中で、永井陽之助は『世界全体がひとつの「地球社会」として網の目のように、厳密な相互依存のシステムをかたちづくるにつれて、時間はますます短縮した。その結果、われわれ現代人は時間パースペクティヴの狭い、一種の「時間近視」にかかっている。』と警告している。この言葉、今の日本の中でも切実に響くに違いない。

少子高齢化の時代へ向けて、財政難のなか、今は長期的視野が求められるときである。市場指標の乱高下に一喜一憂する姿勢は捨てる必要がある。

      
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