永井陽之助氏の『東工大最終講義』は「20世紀に生きて」であった。
これまでに授業などで話を聞いたり、あるいは本を読んだり、したなかで親しんだ内容であったが、一つだけ始めて聞いた話があった。それが表題の『グノーシス的知性』であり、筆者にとって衝撃的な中味であった。
反原発を主導する論議を聞いていると、隠れたる権力欲を持つグノーシス的知性のにおいを感じる。知性としてそれほど上等とは思わないが。革命理論だけではない、啓蒙思想もグノーシス主義を免れないのだ。戦後民主主義が典型例である。
『ここに私は、20世紀をつらぬく一つの思潮のなかに、グノーシス主義があることに気づくようになった。』(永井陽之助 「20世紀の遺産」(文藝春秋社P32))
『20世紀がレーニンのボルシュヴィキ革命とアインシュタインの相対性理論で始まったというもっとも深い意味は、古代から中世を経て今日まで連綿として生き残ってきたグノーシス的思考が、20世紀において、この地上に至福千年王国の出現を約束する全体主義運動という極限形態をとってあらわれた、という逆説のかなにある。』
『現代は神なき時代といわれるが、それは決して宗教なき世紀を意味するものではない。現代のグノーシス主義はさまざまの意匠をこらしてあらわれている。…』
これまでに授業などで話を聞いたり、あるいは本を読んだり、したなかで親しんだ内容であったが、一つだけ始めて聞いた話があった。それが表題の『グノーシス的知性』であり、筆者にとって衝撃的な中味であった。
反原発を主導する論議を聞いていると、隠れたる権力欲を持つグノーシス的知性のにおいを感じる。知性としてそれほど上等とは思わないが。革命理論だけではない、啓蒙思想もグノーシス主義を免れないのだ。戦後民主主義が典型例である。
『ここに私は、20世紀をつらぬく一つの思潮のなかに、グノーシス主義があることに気づくようになった。』(永井陽之助 「20世紀の遺産」(文藝春秋社P32))
『20世紀がレーニンのボルシュヴィキ革命とアインシュタインの相対性理論で始まったというもっとも深い意味は、古代から中世を経て今日まで連綿として生き残ってきたグノーシス的思考が、20世紀において、この地上に至福千年王国の出現を約束する全体主義運動という極限形態をとってあらわれた、という逆説のかなにある。』
『現代は神なき時代といわれるが、それは決して宗教なき世紀を意味するものではない。現代のグノーシス主義はさまざまの意匠をこらしてあらわれている。…』