散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

コロナ禍の政治過程~変わらない国家体制

2021年05月30日 | 国内政治

緊急事態宣言は延長され、肝心のワクチン接種は先進諸国に後れをとっている。オリンピックの開催に関しても政府の判断はなし崩しに開始するかのようだ。明確な判断基準も示されていない。特に自民「菅―二階」の政治体制はその権力を平時の国内調整でたたき上げた政治家によるものであるから、準有事体制を必要とするコロナ禍においては全くの処、不向きと言わざるを得ない。

日経新聞(5/20)で秋田浩之氏は日本の国家体制は平時から準有事体制への切換ができない「欠点」を持つ。それは戦後の日米安保に由来すると指摘する。法的強制力はなく、外出自粛や休業を行政が国民に「お願い」しかない現状はその象徴だとする。

一方、氏は「統制=危機対応力の強化」ではないとする。しかし、緊急時に私権を制限し、国家が統制を強められる体制づくりをしても危機対応力は高まらない。戦前の政治体制がそうであったように!
根本的な欠点を改めることが必要だと主張する。それは以下の三点だ。

(1)戦略の優先順位をはっきりさせず、泥縄式に対応する体質
(2)行政の縦割り組織の弊害
(3)「何とかなる」という根拠なき楽観思考

TBS放映の「関口宏のもう一度 近現代史」は昨日、「真珠湾攻撃」まで辿り着いた。従って、最近の放映では上記の欠点が枚挙にいとまがないほど挙げられてきた。
コロナ禍における「安倍・管」政権もアベノマスクの奇策は笑い話として残るだろうが、そのほかは残すのは教訓をだけにならないことを期待したい。

 

 

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生活世界は変わったか(3)~コロナウィルスは変身、人は変わらず

2021年05月28日 | 現代社会

先の投稿(20/5/14)、『生活は変わったか』において、

「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」との表現に違和感を示した。

「旧い正常の中に新しい正常の芽のようなものも含まれる」と考えた処、「それが歴史の進歩ですね。」と齊藤誠教授から指摘を頂く。

新しい正常も機能する中で、「ウィズコロナ」の新しい正常も試みられる。しかし、コロナウィルスは英国株、南ア株、インド株等様々な変身を遂げる。自らの身の丈に合せてその構造を変化させる。規制が掛るなかで、東京、大阪は相変わらずの人出、新しい正常も長続きしないようだ。とは言って、米国のように適者生存で、規制はあっても無視して自由な行動を取る人が多い国もある。

しかし、図体が大きく、また知識も豊富な「人」はそれに合わせた行動を取る以外には選択が無い。コロナウィルスへの対抗にはワクチンの活動を促すだけだ。当然、日本の中では一気にワクチン志向の流れができる。これが新しい正常の決め手になる。更に、その上に本当の意味での新しい生活が工夫され日常化するものと考える。

 

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