散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

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国勢調査(H27) 基本集計~議論されている基本認識に沿った結果

2016年10月27日 | 現代社会

人口等基本集計は全ての調査票を用いて市区町村別の人口,世帯,住居に関する結果及び外国人、高齢者世帯等に関する結果(H27/10)を集計した確定値になる。
これまでの議論と整合した結果と同じであるのは当然だ。大都市への集中、特に首都圏への集中、少子・超高齢化、世帯数増加を反映している。

以下、主な事項をまとめる。
(1)総人口:1億2709万5千人、対H22年比:96万3千人(0.8%)減
  ・男性:6184万2千人、女性:6525万3千人。女性341万1千人多
(2)日本人人口:1億2428万4千人、対H22年比:107万5千人(0.9%)減
(3)外国人人口:175万2千人、対H22年比:10万4千人増
  ・国籍:「中国」51万1千人最多
(4)世帯数5344万9千世帯、対H22年比:149万8千増
  1世帯当り人員:東京都1.99人最少(昭和45年以降初の2人以下)

(5)年齢人口区分:15歳未満は調査開始以来最低、65歳以上は最高
  ・15 歳未満:1588 万7千人(対総人口割合12.6%),
  ・15~64歳人口:7628 万9千人(同60.7%)
  ・65歳以上人口:3346 万5千人(同26.6%)、対H22年比:3.6%上昇
  ・15歳未満人口の割合(対外国比)
   日本は伊(13.7%)、独(12.9%)よりも低く、世界で最も低い水準
  ・65 歳以上人口の割合を(対外国比)
  ・日本は伊(22.4%)、独(21.2%)よりも高く,世界で最も高い水準

(6)都道府県別人口:東京都(1351万5千人)最多
  ・人口上位9都道府県合計:6847 万1千人・全国の5割以上(53.9%)
  ・首都圏(1都3県)人口:3613万1千人・全国の1/4以上(28.4%)
   対H22年比:51万2千人増
  ・人口増加率:8都県増、39道府県減、沖縄県(2.9%)最多、東京都(2.7%)
   大阪府は増から減へ
(7)市町村人口:300市町村増(17.5%)、都特別区、政令市及びその周辺
        1,419 市町村減(82.5%)、5%以上減約:約半数(48.5%)





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「平和の代償」永井陽之助~戦略的現実主義者の立場

2016年10月16日 | 永井陽之助
この当時、現実主義対理想主義との言葉が論壇で飛び交っていた。しかし、現実主義といっても、米ソ対立が国際政治での最大の枠組であり、現状維持は総じて“現実主義”であって、その中での区別は付けにくい状況であった。
しかし、本を構成する三篇の論文の中身を見ると、以下の様に“政治戦略的項目”が並んでいる。

第一論文 『米国の戦争観と毛沢東の挑戦』(1965/6中央公論)
序 三つの国際秩序観―状況・制度・機構
1 米国の戦争観と朝鮮戦争
2 マクナマラ戦略とキューバ危機
3 毛沢東戦略の挑戦
結 日本の防衛

第二論文 『日本外交における拘束と選択』(1966/3中央公論)
序 歴史的動向の下での選択のマージン
1 可能性を拘束するもの
2 新しい冷戦と冷たい同盟
3 日本外交の目標と戦略
4 自主中立と核武装
結 “平和”と“正義”

第三論文 『国家目標としての安全と独立』(1966/7中央公論)
序 戦後正教の固定観念
1 核時代における安全と独立
2 戦後平和思想における顕教と密教
3 「恐怖の均衡」から「慎慮の均衡」へ

第一論文の主題は、以下の戦略問題である。
「一1」は、第二次大戦での米国の基底にある機構型「戦争観」、
「一2」は、それを制度型に変える「マクナマラ戦略」、
「一3」は、状況型へ引き込む「毛沢東戦略」、である。

また、米ソ対立だけでなく、中ソ対立も含む中国の核武装のなかで、日本の核武装問題を含めて「二4」、「三1」、「三3」は核問題を取り扱っている。結論は慎慮の均衡」へ移行することになる。

現状分析を「二1」、「二2」で行い、それに基づいて、日本の政治状況における外交と内政との基本的絡み合いを整理し、「二3」、「三2」で中期戦略を提案する。それは、「あとがき」で簡潔に述べられている。

「現代日本の直面している重要ないくつかの争点について、相互に関連づけた、統一的なひとつの政策意見を提出している。
…本書に一貫している議論の基調は、この世で美しいもの、価値あるものも、何らかの代償なしには何も得られないという素朴な日常的英知の再確認に他ならない。…『平和の代償』としたゆえんである。」

更に付け加えれば、以下の三論文のそれぞれは日本の戦後思想の中で関連づけられており、特に“米国の戦争観”と戦後正教としての平和思想が密接な関係を持ち、それを操りながら、戦後復興から経済成長へと導いた“吉田ドクトリン”の原型を抽出している。
「一1 米国の戦争観と朝鮮戦争」、
「二1 可能性を拘束するもの」
「三序 戦後正教の固定観念」
「三2 戦後平和思想における顕教と密教」

その後、理想主義の衰退・消滅が進む中で、現実主義も隠されていたそれぞれの立場をあらわにする。それは「現代と戦略」の中で議論されている。

      
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永井陽之助 「ポリティカル・エシックス」まで読んだ!~著作目録から

2016年10月09日 | 永井陽之助
ようやく、最後の論文まで読むことが出来た。これも青学の永井研究室で博士課程を修めた大徳貴明氏の「永井陽之助教授の著作目録」によるものだ。氏に感謝すると共に、更に、永井に関する何らかの論考が出ることを期待したい。

筆者は、もちろん、専門家ではないが、専門家が論じていない永井の側面について、落穂ひろいをしてみたいと考え、その構想を記事にした。その骨格を変える必要はないが、全著作の主だったものは読めた段階なので、立て直しする必要を感じる。特に、冷戦終焉後の世界の在り方について、ハンティントンの「文明の衝突」を批判しながら「文明対文化」を展開しているところだ。
 『企画『永井政治学の世界』~“自己認識の学”として141017』

この中には、永井の70年代前半の著作に表現される日本文化の問題を発展させて論じている部分がある。極めて息の長い、永井らしい発想だ。例えば、「イメージギャップの中の日本」(諸君)、『日米コミュニケーションギャップ』(サイマル出版)の中に収められた論考だ。

表題の最後の論考は1988年のものだ。90年代になると、論考よりは対談の記録が多く残されている。『21世紀フォーラム』(政策科学研究所)、『アジア時報』(アジア調査会)は99年まで参加しており、2000年を契機に引退されたとも推察されるが、その辺りのことは新聞、雑誌の追悼で触れられたものはなさそうだ。

亡くなられたのは「2008年12月30日」とのことだが、その間、私的な活動と読書三昧だったのだろうか。何か書いたものを残しているも考えられるが、もし、公になるのであれば、是非、読みたいものだ。

 『序にかえてー追悼の辞~永井政治学に学ぶ110502』
上記の企画では以下のように考えている。

「序.永井政治学の位置~「主体的浮動層」へ向けて」
「1.永井陽之助の思考方法~「迂回」しながら「飛躍」へ」
「2.現代社会への政治学的接近~作品としての「秩序」
「3.大衆民主主義と統治~「政治意識」からの出発」
「4.偶発革命から「柔構造社会」へ~「成熟時間」の発見」
「5.政治的人間論~「政治的成熟」への道」

考え直す処は、どこかと云えば、「4」「5」だ。特に、米国論は先進社会のトップランナーとしての面と、米国特有の面とが絡み合って議論されており、そこを組み込む必要がある。また、国際政治の国内状況との絡みは、冷戦後の世界の変容を議論する中で、複雑に相互作用を与えている。

素人がまとめるわけにもいかないが、息長く試みていきたい。最近の状況では、『平和の代償』での対ソ連アプローチがプーチン・ロシアとの接近で改めて見直す意味を含んでいると感じる。

      
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