散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

川崎市行政との「対話の精神」~問題認識の共有を求めて

2013年10月17日 | 地方自治
地方自治体行政へ課題を提起し、その克服を求める時に用いる方法は、市政参加形態としての“対話”である。原則とビジョンを基盤にして論理を構築、“分厚い壁”に向かう。プラトンが描く『ソクラテスの対話篇』のように、お互いの考え方を開示、議論を積み重ね、あるべき姿を求める。

川崎市政では以下の手法で対話が可能である。
 1)川崎市長への「手紙」他
 2)川崎市・市民オンブズマンへの「苦情申立」
 3)市議会への「陳情」
以下は筆者の体験であり、ほぼ7年前の話だ。

「手紙」で「少年野球と少年サッカーの施設数格差を是正すること」を提案した。平成年代で少年サッカー人口が急激に増加し、不公平の極端な拡大により、人口比施設数が「30倍の格差!」になってしまった。
 人口     サッカーが野球の1.5倍
 グラウンド数 サッカーが野球の1/19

川崎市政は旧態依然とした『便宜供与行政』による施策を維持、調査もせず、実態を十分把握できずに、不公平な状態を結果として拡大していた。これに対して是正を求め、その「手紙」は7回に及んだ(回答は5回)。
 (参照 川崎市政との対話(1)

行政当局からの回答は、官僚的な、言質をとられない国会答弁並であるのが普通だ。一回出して返事を貰って満足のいく回答ならば、たいした問題ではない。回答を読んでまともに答えていなければ同じ質問を繰り返す。回答に矛盾があればそこを突く。うわべを取り繕うことがあれば更に奥へ突き進む。このようにして繰り返して回答を引き出していく。

何故、対話なのか?と言えば、先ず相互の理解が進むことである。行政当局としても現在の施策はそれなりの理由があるはずだから、それを住民に理解して納得を得たい。理解断絶になれば、“政策の循環”は保証されないからだ。(政策の循環については、「行政へ課題を提起する」参照)

一方、住民にとって、その主張が原則的に自治体に受け入れられることであれば、行政当局に認識を共有するように働きかけることができる。但し、認識を共有することが即政策の実施には繋がらないが。しかし、認識の共有が先ず大切で、その後は政治的問題としての解決を図ることになる。上記の手紙シリーズにおいて、「どのように“問題認識”しているか」について対話を進め、以下のような共通認識が得られた。

1)何故、このような事態になったのか
☆「H18?08?04付」回答
少年野球専用施設と少年サッカー専用施設の数における、対競技人口比での不均衡拡大については、御指摘のとおり貴方からの申し立てを契機とした調査結果により明らかになったものと認識しています。
●筆者コメント
調査等による基本的な認識を欠いた状態での窓口的対処のため、不均衡拡大を認識できなかったことを“認識”したもので、当方との共通認識ができた。

2)川崎市民自治基本条例「施策の公正性及び公平性」の精神について
☆「H18?03?15付」回答
今後、公共施設の市民利用の公平性をさらに図っていきたいと考えています。
☆「H18?08?04付」回答
市民のスポーツ活動への参加に関わる機会の公平性の確保については、行政の立場として十分に考慮すべき課題として認識しています。
●筆者コメント
結果として、現状が公平性に欠けており、市民自治基本条例の精神に反するものであることを“認識”したもので、当方との共通認識ができた。

3)市民オンブズマンによる是正計画策定の提案について
☆「H18?03?15付」回答
市民オンブズマンからの指摘についても、川崎市では多くの子どもたちが野球、サッカーに親しんでおり、計画的な施設整備、施設更新が重要であると考えています。
●当方コメント
計画的な施設整備が重要であるとの“認識”で、市民オンブズマン及び当方との共通認識ができた。

      
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