散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

消費増税支持率低下は橋下改革に期待する声なき声か

2012年01月22日 | 国内政治

日経新聞の世論調査によれば、消費増税に対する賛否は以下に示すとおり。
7月 反対45%、賛成47%
9月 賛成49%、反対42%
11月 賛成47%、反対45%
12月 賛成38%、反対53%
1月 賛成36%、反対56%

元来、増税に諸手を挙げて賛成する人はいない。世論調査をすること自体、消費増税を巡って状況が緊迫していることを示している。11月までは賛否が拮抗し、その中で賛成が反対を9月に一旦は抜いたかに見えたが、直ぐに指し返され、現在は拮抗から外れて、反対が大きくなっている。この意味する処は二つである。
一つは野田政権の政策に対する評価である。もう一つは私たちを取巻く環境の変化である。

先ず、野田政権の政策に対する評価。
先のエントリに書いたように、
『ヨーロッパにおける南欧勢、ギリシャ、イタリア、スペインと続く、経済危機である。具体的に、どのように経済危機は発生するのか、日本として見本を見せられているようなものだ。私たちの意識は、痛みを伴う「改革」の方向へと誘われているように思える。』

しかし、野田政権から消費税増税を具体的に提案されると、『民主党マニフェスト「改革」への“アキラメ”を感じる』とは言っても、国民として、これに諸手を挙げて賛成しては、増税分も官僚機構のムダ使いに使われるのではないか、という心配もにわかに浮かぶ。

“国民的ふんぎり”をつけられない状態だ!
更に、マスメディアの報道からは、一体改革とは言っているものの、増税だけを具体的に強調していることが窺われる。先ずは、与野党で協議して課題・論点・争点を明らかにして欲しいとの気持ちだろう。だから、これまでは“一般論”として増税やむなしと考えていたとしても、“具体案”に対しては、取りあえず反対に回った人が出てきている。更に、付け加えれば、一体改革と「その前にやること」、議会・行政改革を本気で行えば、消費増税賛成は50%を越えると予測される。それまでは様子を見よう、との態度である。
これが一つの解釈である。

次に、私たちを取巻く環境の変化である。
この“様子見”を僅かながらでも支える状況が出てきた。大阪市長・橋下徹氏による行政改革の始動だ。筆者が予測したような「期待逓減の『脱改革』」の方向へ向かわず、大阪市改革が国政へ波及することを望む展開になってきた。

筆者は橋下徹氏の政治的スタイルを状況型リーダーシップと表現した。国家機構の変革を志向するのであるから、“状況変化”に対して国の政治全体に対して影響を及ぼすように、素早く反応する必要がある。この“声なき声を含めた空気”を察知した橋下氏は自民党に付きながらも、距離感を置いている公明党へアプローチし、その反応を見ながら、1月20日の政治資金パーティーで爆弾発言を用意した。大阪府市の権力を握り、その権力の行使によって更に注目を集めている状況では、その発言は「独裁発言」よりも重く響くことを計算に入れてである。おそらく、ブレーンの堺屋太一氏、上山信一氏らと周到に協議したうえであろう。

「大阪都構想はゴールではない。いよいよ国を動かしていこうじゃありませんか。今年もう一度勝負をさせてください」と述べ、次期衆院選での候補者擁立に強い意欲を示した。
維新幹部は「この勢いを生かさない手はない。都構想に協力的な公明、みんな、自民の一部と合わせて衆院過半数を確保できるように、維新は200議席を目指す」としており、全国規模での擁立に傾いた模様だ(2012年1月21日03時03分読売新聞)。

一気に、国政も流動化し、既存政党も合従連衡に対してオプションが増え、立場が不安定になってきた(これを“状況化”という)。
このなかで、柔軟に素早く決断していくのが『状況型リーダーシップ』であり、橋下氏は自らの土俵を設定でき、一体改革を巡る状況は複雑化の様相を呈している。

以上

宰相吉田茂の残したもの~哲学と現実の間~

2012年01月09日 | 国内政治

高坂正堯の『宰相吉田茂論』が発表されたのは1964年、吉田が宰相として活動していたのは、途中の片山、芦田内閣を除いて1946-54年、その頂点はサンフランシスコ講和条約締結の年、1951年であろう。
今、2012年―1964年―1951年を取りあえず直線で結ぶようにして「高坂正堯著作集第4巻 宰相吉田茂」を読んで何が残るのか。それは問題意識によるだろう。

昨年後半のTPP問題で驚いたことは、日本がいつの間に保護貿易主義に切替わったのかと思えるような論議が、政権与党・民主党を中心に国会内であったことだ。マスメディア・ネットメディアで踊る論議が種々雑多にあることは、特に気にならない。しかし、政策決定に関与する国権の最高機関・国会でTPP交渉に反対する議員が356名もいたことが不思議であった。

日本は人口過剰、資源に乏しく、工業を盛んにして、製品輸出で外貨を稼ぐことが死活に関わる重要事項であると、小学生時代から教えられてきたように思う。先ず、幼稚産業である自動車などを育成するための時間稼ぎに、関税障壁を設けた保護貿易が必要として実施された。それが、成長と共に自由貿易主義に移っていき、大幅な貿易黒字を生んで、逆にアメリカからバッシングを受けるまでになった。要するに、戦後体制は“大成功”したわけだ。

近年はアジア各国のとの経済関係が進展し、先のタイ・バンコク大洪水で露わになったように、中小企業も含めた多くの日本企業が進出している。大成功ではないかも知れないが、“着実”に世界各国とのネットワークは形成されている。

では、“大成功” “着実”の起原はどこにあるのか。言うまでもなく、戦後体制を構築した『吉田政治』にある。実は40年前にも『宰相吉田茂論』を読んだ。一言でいえば、高坂氏によって、吉田茂を再発見し、日本の歩んだ道に納得したとの感覚であったことを覚えている。

今、読んでみると『これまで、彼は思想を持っていないと言われて来た。しかし、…彼は確固たる哲学を持っていた。それは彼の人物と職業にしみ込んでいたから、思想として理解され難かっただけなのである。』
『今もなお理解されていないならば、きわめて不幸なこと…今日の日本はその上に立っている…われわれはそれを確認しさえすれば良いのだ。』(P12―13)との冷静で卓越した認識に納得したのだろう。
結局、1964年以降も日本はこの哲学によって生き、20012年においても、その上に立っているはずだ。

『戦争に負けても外交で勝った歴史がある』とは職業的外交官として政治、外交の実際家であった吉田の有名なせりふである。この実際家である吉田の思想を、高坂は『商人的国際政治観』と評した。
これは、政治的・経済的関係を国家関係の基本とし、軍事力は二次的な地位におく考え方である。国が富み栄えることを一義的に考えれば、戦前、植民地を有する英国、潜在的な工業力で圧倒的な米国を評価する立場になる。従って、頑固な親英米派で通り、これが戦後の米国による占領体制でも評価され、ひいては首相にのぼりつめた。

1)しかし、吉田は占領体制の中でも『外交で勝つ』行動をとり、特に、米国からの再軍備要求を拒否したことはその成果である。

2)また、復興を進める立場から、憲法改正―再軍備論と完全非武装論の間に立って、多数派との講和条約を推進し、憲法9条は維持しながら自衛隊によるなしくずしの再軍備を実行した。これによって米国との安保条約のもと、軍事費を極小化しながら、経済を復興させ、後に弟子の池田勇人、佐藤栄作が高度経済成長をなしとげる基盤を整備できた。

3)高坂は、その時の吉田を評価しつつも、「精神的真空」が残り、また、戦後の米国主導による農地改革、教育改革などの「奇妙な革命」に内在する「国民の主体的決断の欠如」を継続させることになった、と合わせて批判している。

4)一方、以降の論文で、池田勇人は「所得倍増計画」を成功させたが、「人づくり」では失敗したと断じ、経済中心主義の問題点を指摘している。

5)また、「精神的真空」に関し、戦前、商工大臣として国家主義、統制経済を推進した岸信介は、敗戦とアメリカによる民主化に原因を求めていたと述べ、その見解も多くの国民を納得させるには狭い範囲だけの議論だったと批判している。

6)更に、1979年『瓦礫の中に今日を見た吉田茂』の中で、「田中時代の変質」を次のように述べる。
『池田、佐藤時代までは、吉田さんの仕事がかなり着実に引き継がれていたという気がします。』『それがあやしくなるのは田中(角栄)さんの時代でしょうね。』
『ぼくはあの時代になにか決定的な変質があったような気がします。』
続いて、バラまき福祉はその頃始まり、高齢化社会になって、財政を福祉が圧迫するのは単純計算でも判るはずで、現に、いま、そうなりつつあると述べる。

上記のなかで、1)と6)に関心を引く。
1)は歴史的事実である。
しかし、鳩山一郎の追放がなければ、吉田路線もなかったかもしれないし、時の首相は鳩山であった可能性もある。そして、再軍備要請を受けていたら…。その意味で、『商人的国際政治観』を持ち、『戦争に負けても外交で勝った歴史がある』と言えた人物が首相であったことが、その後の日本の進路を決め、今日に繋がっていると、その歴史的幸運を改めて確認できる。

吉田茂の哲学をもとにこれまで展開してきた外交・防衛体制は問題点を孕みながらも機能してきた。中国の台頭もあり、米国はこれまで以上にアジアを重視する姿勢を見せている。グローバリゼーションのなかで、アジアとの経済関係を文化交流等も含めて更に“着実に”発展させ、ネットワークを緊密にする必要がある日本にとって、その哲学は更に重要になってくるだろう。間違ってもアジア共栄圏・共同体的な発想へ曲がることにないように。

一方で、高坂が「精神的真空」と呼んだ部分はその通りの精神論が主で、説得力のある形で提起されておらず、燻った状態で続いている。おそらく、この状態は年と共にしか消えていかないであろう。一方で、日本は超大国ではなく、中間国家として世界に貢献する可能性は大いにある。昔ながらの対決を超えて新しいコンセプトを創出し、積極的に行動するチャンスも広がっているはずだ。

しかし、そのためには6)について、再考する必要がある。余りにも簡潔に、現状における最大の課題を示しているからだ。高坂の慧眼は、30年先を見抜いていたかのようである。
田中は72年7月―74年12月まで首相を務めた。75年頃から国債発行高が急増し、79年には12兆円程度になっている。79年の国債残高は100兆円を越えた。現在からみると、少ない額だ。しかし、当時も累積赤字の右肩上がりは問題にされていたことが判る。

高坂は「田中には何のための富かという認識が全然抜けている…富それ自体が目的になっていたと思う。」と批判する。日本経済が順調に伸びることを予想した「所得倍増計画」とは異なり、『日本列島改造論』は野心的な計画で日本人に幻想を与えてしまったという負の評価になる。
人口減少時代に入った今なお、来年度予算案に整備新幹線が計上されている。

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橋下徹・大阪市長は「ちぬらざる革命」へ導けるか

2012年01月07日 | 国内政治

「ちぬらざる革命」は林達夫氏の言葉だ(『著作集5』P225平凡社)。初出は1949年9月、60年前である。林氏は左翼系知識人であり、時は片山氏、芦田氏の後、第二次吉田内閣の頃である。おそらく筆者は70年代に読んだと記憶している。今になって、ググってみてもCiNiiで、「革命の条件と予想」と書かれているだけである。「ちぬらざる」とは?「血、塗らざぬ」と思って、更に調べると…。

頼山陽の掛軸『蒙古来』に「不使羶血盡膏日本刀」、
“羶血(せんけつ)をして盡(ことごと)く 日本刀に膏(ちぬら)しめざるを”
が出ているのを見つけた(長良川画廊 Web書画ミュージアム)。
なるほど、膏薬(こうやく)の「こう」か…、しかし、この掛軸の句のなかでは「血、塗」の解釈が通りそうだ。

林達夫氏と“血、塗らざぬ革命”については別途論じるとして、その革命の例として「1948年のチェコ」が挙げられ、更に、“革命なき革命”の道を歩む、すなわち、ゆりかごから墓場までのスローガンで福祉国家へ進むイギリスに関心を向けていること、を70年代に読んだ当時の記憶に残っている。暴力無き、無血革命に氏は関心を持っていたのである。

下記の記事に、橋下市長の政治活動を状況型リーダーシップで説明し、その中で、柔軟な構えと、自らに優位な戦略を冷徹に遂行する両義性が特徴であり、手段を最終的な政治目的に従属させることは、革命におけるリーダーシップと似ていると書いた。
ここでもその冷徹さを示し、先ずの戦略的ターゲットは行政改革に置かれている。
明確な「敵」づくりとして、平松時代の中核幹部職員を窓際に追いやりことで、市役所内部を締め上げ、一方、労組を象徴的な敵とし、マスメディアを通じて市民の前に晒す戦術である。

橋下氏は民主党を批判して『政権交代の勢いで国家公務員人件費2割削減と、国会議員削減はスパッとやらなければならなかった。…最初の一手が肝心…マキアヴッェリである。』(Twilog8/1)と指摘している。それを迷わずに自身で実行している点は、流石と言える。もちろん、合法的であり、革命とは違う。しかし、獲得した権力を最大限に活用する政治手法は、これまで多くの自治体改革でみられた方法と異なる。これも既に指摘している。
選挙結果を待つまでもなく、事前に策定した計画に沿った実行していることは、反橋下であった政党、団体、更にマスメディアも含めてすべてが受け身であり、抵抗を示すことができないことから明らかである。
「ちぬらざる革命」は順調に滑り出したように見える。

別の面からみれば、特に労組は大きな弱みがあった。労組の一部役員が庁舎内で勤務中に政治活動をしていたことである。委員長が市長に謝罪したと報じられている(例えば、読売ネット2012/1/4)。はるかに遠い昔、「企業ぐるみ選挙」と言われることを大企業で行っていたことがあった。企業とその労組との共同で、である。筆者も或る知人から選挙運動が仕事になっていると聞かされたことを思い出す。また、今でもネット上で問題の指摘もでているようだ。

更に労組は、庁舎内に入居する6組合の事務所の早期退去を年間2千万円以上の家賃減免措置の廃止を要請されている。これも昔ながらの企業別組合の習慣に倣ったものだろう。それを改善せずに、既得権益として続けていた。

かつての大学紛争のとき、永井陽之助氏は次のように学生を強く批判した。
『日本の学生諸君が、一括強制加入の学友会組織に少しも疑惑を感じないで、一種の仲間意識からそれに帰属しているとしたら、企業別組合の丸抱え一括加入制を受けいれて、少しも不思議のおもわない組合員や、選挙の自動登録制について少しも疑問を感じないような有権者と同じように、…日本固有の自然村型の風土に根をおろし、そこから少しも抜け出していない前近代性…』。
(『ゲバルトの論理』「柔構造社会と暴力」(中央公論社)所収P97)。

前近代的な政治意識に支えられた組合が自己利益を目指せば、その合理化には向かわず、私利私欲にいきつく。それが今、既得権益の擁護に繋がっている。
組合員だけでなく、学生、有権者としての行動も同じであれば、地方自治体選挙での投票行動も変わらない部分が大きい。

私たち一般有権者も労組批判を通して橋下氏からチャレンジを受けていると自戒すべきである。それが今後の橋下市長の政治活動を検証するうえで大事になると考える。