散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

笹井芳樹氏の「遺書」が示すもの~「事件の囚人」から新たな始まりへ

2014年12月27日 | 科学技術
笹井氏の自殺を報じたマスメディアは、その遺書、特に小保方氏宛のものを集中して記事にした。毎日新聞(2014/08/06)によれば、遺書の末尾に「絶対にSTAP細胞を再現してください」、次いで「実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」と書かれていた。

当然、話題となったこの遺書から、何を教訓として引き出せば良いのか。
故人が「成功を」と書いた検証実験の終了を待って、理研、小保方氏が何を言うのか、あるいはどんな問題に関して言及を避けるのか、関心を持っていた。
“新しい人生”をスタートさせることができるのか?

筆者は7/27放映のNスペ「STAP細胞 不正の深層」をすべて見ていたのだが、神戸ポートアイランドの医療産業都市構想において建設が進む理研の研究拠点「融合連携イノベーション推進棟」(通称 笹井ビル)をカメラが捉えたとき、STAP細胞事件とそれを取り巻く諸般の事情の全貌を象徴するかの様に、その時、感じた。
 『建設中の理研「笹井ビル」が象徴するもの140729』

また、笹井氏の置かれた状況を、以下の三重の“事件の囚人”と捉えた。
 1)「小保方氏との関係」
 2)「京大(山中教授)との競争」
 3)「理研の国家的位置」
 『笹井芳樹氏の自死~ポイントオブノーリターンだったのか140805』

次第に事件の真相が明らかになると共に、笹井氏は急速に立場を悪くし、「2)は問題にならず、検証実験は3)の理研の立場を確保するもので、笹井氏に残されているのは1)だけになった」と述べた。

昨日の記事で述べた様に、検証実験は予想通り何も生まずに終わり、小保方氏も、野依理事長も責任ある言明、行動は取らずに研究者達の時間が浪費されただけの様に見える。140805付記事に書いた様に、笹井氏は、この状況を十分に予測できたのだ。それ故の自死であった。
 『ES細胞の混入は「毒殺」と同じ手法141226』

そうであるなら、氏は「絶対にSTAP細胞を再現してください」と書きながら「再現できないだろう」と考え、従って「STAP現象の総括ができること」を「実験の成功」と考え、その後は言葉とおりに「新しい人生を歩むこと」と考えて遺書を終わらせたのではないだろうか。絶対的矛盾を冷静に認識し、それを乗り越えるのは「新しい人生」を始めることだと。

ハンナ・アーレントは1951年に出された三巻に渡る浩瀚な著作「全体主義の起源」(みすず書房(1974))の終わりを聖アウグスティヌスの言葉、
 「始まりが為されんがために人間は創られた」(第3巻P324)で締めくくった。

更に、「矛盾のなかに自己を喪失しないかという不安に対する唯一の対抗原理は、人間の自発性として「新規まき直しに事を始める」われわれの能力にある。すべての自由はこの<始めることができる>にある。」(同上P292)と指摘する。

しかし、これには厳しい“自己省察”が必須であることは論を待たない。STAP現象の世界においては、それに適う関係者は、残念ながらいなかったのだ。勿論、それは私たちひとりひとりの問題であって、今回の事件を教訓にすることが先ずの出発点なのだ。

      
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ES細胞の混入は「毒殺」と同じ手法~小保方氏を犯罪者扱いした理由

2014年12月26日 | 科学技術
この一週間ほど留守にしていたのだが…

世相はそれほど変わってはいないものの、やはり、イベントはある。報道によれば、理化学研究所の調査委員会(外部有識者で構成)は26日、STAP細胞とされた細胞は、既存の万能細胞のES細胞が混入したものだったことはほぼ確実とする報告書を公表した。

これは予想された内容であって、驚く人はいないだろう。ES細胞を小保方氏が故意に入れたこと以外に考えられないが、当然、本人は否定している。やっと出てきたことの真相を聞いて筆者は、永井陽之助の次の言葉を思い浮かべた。

「古来、日本ほど、毒殺の少ない国はないという。この狭い国土で濃密な人間関係の共存関係を維持しなければならない処で、“イエ”秩序崩壊の因となる毒殺などタブーとなるからである。…」(「時間の政治学」P195(中央公論社1979)。

この言葉は以下のことに深く関連する。
理化学研究所の19日の記者会見終了直後、検証実験の責任者・相沢慎一氏が突然、小保方氏を監視して検証実験を行ったこと、即ち、研究者を犯罪人扱いして実験したことに対して「おわび」をした。

毒殺では、先ず、回りの人が疑われる。
しかし、犯人は分からない。機を見て毒を、回りに判らないように入れるからだ。物証は極めて出にくく、お互いに知っている人の間で事件は解決に長引き、人間関係は破壊されてゆく。まあ、横溝正史的世界だ。

今回のSTAP細胞事件においても、ES細胞を意図的に混ぜ、幻のSTAP細胞を偽造した人を、学術関係の委員で構成される調査委員会で特定するのは、とても無理だ。結局、既に笹井氏は自殺し、人間関係は崩壊してしまった。
検証実験と称し、監視状態、即ち<監獄>の中で実験を強要する以外に、間接的に証明する方法はない。

ほぼ百パーセントに近い確率で実験が失敗に終わることが予測される中で、これを行うことは理研トップの決断が必要のはずだ。それでも失敗で終わり、改めて理研の研究マネージメントが厳しく問われている。これに対して、野依所長が辞任しないとは、驚きである。これは、給与減額等の一時的なやり方とは、全く異なるトップの責任問題のはずだ。日本のリーダー層のだらしのなさを見せつけられた思いがする。

相沢氏は記者会見の後に小保方氏に陳謝した。
おそらく、個人的見解とのニュアンスを含めてマスメディアに表明したかったのであろう。あるいは、このように取り扱うことで、事前に検証組織内部、更には理研トップにも了解をとっていたものと思われる。しかし、このアプローチも“三方一両損”的な、それぞれが責任を回避する方法だ。

これで組織トップがその地位に居座ることは、その人が単なるシャッポに過ぎないのか、本人が固執しているのか、どちらかであるということになる。

小保方氏については、既に「効率から悪への陳腐さ(1)~(3)」において、ハンナ・アーレントのアイヒマン評を想起させると述べた。彼女は「無思想性と悪とのこの奇妙な相互関連」と指摘し、「ホラを吹くのが、アイヒマンが身を滅ぼした悪徳…」とも云った。筆者はそこで、両者の共通点を“効率”と感じた。

 『(1)STAP細胞事件とアイヒマン裁判140402』
 『(2)STAP細胞事件における無思想性140407』
 『(3)STAP細胞事件における「演出とホラ」140409』

また、「私が犯罪を恐ろしいと思うのは、それを自分でもやりかねないからですよ」というブラウン神父の言葉を改めて想い起こしたことが、筆者にとっての教訓であった。
 『我らの内なる小保方氏との闘い方~ブラウン神父の方法140428』

しかし、更に大きな教訓もあることにボヤッと気が付いた。それはまとまり次第、確認してみよう。

      
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ノーベル賞と「発明の対価」~企業と技術者との関係

2014年10月11日 | 科学技術
青色発光ダイオード(青色LED)のN物理学賞受賞者の中に、中村修二氏が含まれていたことで、改めて、表題の「発明の対価」が話題に上っている。日本のマスメディアが騒いだのは、科学的な成果より、発明の対価を巡って、所属会社の日亜化学に対して特許訴訟を起こした中村氏が入っていたからであろう。

「結晶膜を作製する技術は物理学ではなく、化学だ」と先の記事で書いた。氏の特許は将に製造方法であり、どこかの報道に、氏が物理ではなく化学では、と云ったとも書いてあったのを読んだ。当然、赤崎、天野両教授の技術も化学の範疇である。但し、通常はその製造方法が「従来方法+α」程度であるから、出来上がった「物」の性質を得たことを評価して物理の範疇にする。
 『青色LEDでのノーベル物理学賞141007』

中村氏は赤崎、天野両氏が研究開発した窒化ガリウムを、企業としての製品に結びつけるため、独自の製法を発明することで、窒化ガリウムの結晶性を改善し、発光効率の良い青色LEDを量産化することに成功した。
その製造方法が+αであっても、その「α」が特許に結び付いていた。

裁判一審で発明の対価を600億円相当と認定(2004年)、氏の請求額200億円全額の支払いを日亜に命じた。日亜化学は金額算定に反発、控訴審では青色LED発明を含めたすべての発明の対価を6億円と認定、遅延損害金を含め約8億4千万円を日亜が支払うことで2005年に和解が成立した。

企業の従業員が業務で発明した特許は、その企業に譲渡することが予め、契約で規定される。企業がその特許を使って利益を上げた場合、相応した対価を支払う。但し、中村訴訟以降、対価の妥当性を巡って訴訟が提起されるようになった。

ところで、氏は受賞会見では「(裁判の)モチベーションは怒りだった」と述べ、日本の研究環境の劣悪さを含めて批判する。その一方、同社を創業した小川信雄氏を感謝する第1の人物に挙げ、最高のベンチャー企業家と敬意を表した。

この辺りになると、話は判らなくなる。自ら最高級に評価するベンチャー企業家に、幸運にも巡り会え、研究開発は日亜化学でできた。その成果をもとに、カリフォルニア大教授にもなり、継続して研究できるまでに至った。サクセスストーリーを地でいっているとしか思えない。

その一方で、名大のふたりは継続的に研究を行っている。彼らも特許を獲得し、その金が名大を潤している。赤崎氏は名城大で破格の処遇を得ているようだ。日本の先端技術の例外的な成功例というべきだろう。
特許裁判の話を除けば、である。

日本の企業は、対価の面で発明者を十分に処遇していないとの議論がある。米国企業は高額報酬といわれており、特許の帰属は原則的に個人となる。しかし、契約が最優先であり、実態は企業と従業員の契約に委ねられるという。

有名プロスポーツ選手と一緒で、現在の中村氏なら企業と高額報酬で契約を交わせる。しかし、当時の日亜化学レベルの企業で、氏は単なる普通の技術者で、単に終身雇用を保障されていただけの存在だ。

おそらく、米国であっても、圧倒的に多い普通の技術者として、特許の実質的権利を主張できない雇用契約を結んでいたと推察できる。従って、氏の提案を受け入れ、開発費をすべて負担した日亜化学工業の存在がなければ、この発明はなかったと考えられるのではないだろうか。
しかし、当時の日本における技術者への報酬は非常に薄いものであって、中村特許裁判が、その状況を技術者のより優位に変えたことは確かだ。

ここで技術の世界に、何故、特許という権利を与える制度がある理由を振り返ってみたい。それは技術的発明を“公開”することの代償ということだ。
では何故、権利化をエサに公開させるのか。それは公開によって、その技術を基盤に、更に新たな技術を生み出すことができるようにするためだ。

従って、技術は基本的に連続的に進歩していくものなのだ。例えば、今回の青色LEDの場合、「白熱電球」が「白色LED電球」に変わるという技術革新を導いた。従って、その基盤は「白熱電球」になる。次にこれとは別に「レーザ」の発明がある。次に半導体をレーザとして使用する発明がある。そこから赤色を取り出す「赤色LED」、これまでくると、緑、青という発想で「白色LED」が見えてくる。

この様に、先陣の業績を引継いで新発明がある。その意味で、ゼロからの発明は殆ど稀である。また、新たな発明があって、よりよい製品に至る。その辺りの見え方が、継続的に発明を生み出す場を創るうえで重要なように思える。

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青色LEDでのノーベル物理学賞~製法が対象なら化学賞?

2014年10月07日 | 科学技術
レーザは20世紀最大の発明とも云われている。現在は可視光領域だけでなく、赤外領域及び紫外領域に至るまで、様々なレーザ光源が開発され、利用されている。その光源のなかに半導体も含まれるのは、出力が小さくても、小型化が魅力的だからだ。

今回の青色発光ダイオード(LED)が注目されるのは、そのものというよりは、既に研究開発が進んだ赤、緑と光三原色を組み合わせて、白色光を生成し、現在の電球、蛍光灯に取って変わることが出来るという実用性に基づく。

この点に関しては日経の記事が教えてくれる。



先ず、「LEDの父」と呼ばれ、1962年に赤色LEDを開発したのが、ニック・ホロニアック米イリノイ大学名誉教授。それを明るく光らせたのが西沢潤一・東北大学名誉教授だ。同氏はその後、緑色LEDを開発し、「赤、緑、青」の光の三原色のうち2色が60年代に実用レベルに達した。70年代から青色LEDの研究開発が行われたが、良質な結晶を作製できず、製品化には至らなかった。


赤崎勇と天野浩がサファイア基板上へのGaNの低温バッファ層成長技術でブレークスルーし、この技術を元に中村修二がツーフローMOCVD法を提案し、良質な結晶を有するGaN膜を作製、高輝度青色LEDの製品化に成功した。

では、結晶膜を作製する技術とは物理学か?いや、化学なのだ。元はガスであるガリウムと窒素が結びついて固体となり、それも発光する物質になるのだから「化け学」なのだ。「物の理(ことわり)学」ではない。

化学は1981年ノーベル化学賞の福井謙一の「フロンティア軌道理論」から2000年同賞の白川英樹「導電性ポリマー」に至る、最先端の化学理論とそれを実践化して新たな機能を持つ物質を創生したものではない。こちらは電子論に基づき、コンピュータを駆使した計算とグラフィックスを資料にして、三次元的なイマジネーションの世界へと羽ばたく、科学的錬金術の世界なのだ。

どちらかと云えば、1973年同物理学賞の江崎玲於奈「エサキダイオード」に似ている。但し、「製品」のインパクトとしては、白色ダイオードに繋がる業績は、圧倒的だ。そうであれば、物理学としては、上記のニック・ホロニアック、西沢潤一教授を入れて、白色LEDでまとめることでも良かった。

また、ここで注意すべきは現状の白色ダイオードは電球の置き換えがほとんどであることだ。従って、これがなくても特に困ることはない。逆に互換性があるからこれだけ急激に普及したのだ。
これのことは、私たちの社会が高度に成熟していることを、改めて示している。

      
      
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錯覚の中の割烹着姿~stap細胞にリアリティはあるか?

2014年03月17日 | 科学技術
理研の新聞発表において、小保方さんが割烹着姿であったのは多くの人にとって印象的であったはずだ。しかし、これも報道によれば、理研のPR戦略であったとも云われている。

真偽のほどを詮索しても始まらない。しかし、これを象徴的なこととみれば、合点がつくことも浮かんでくる。であるから、写真をどこかの記事から転載するのではなく、頭の中で「割烹着」というフレーズを思い浮かべるのだ。実際の姿を写真で見ていると、印象が強くて、言葉が連想されない。
理研の新聞発表内容をHPから読んだときに想い浮かんだことを、昨日の記事の続きにもなるが、振り返ってみよう。

先ず『運命を変えられたSTAP細胞たち140204』から、
『…生後の体の細胞(体細胞)は、細胞の個性付け(分化)が既に運命づけられており、…』の“運命”という言葉にショックを受けた。また、絵にあるような神経細胞などが初期化できるのか?これが多能性細胞まで変化するとは考えにくいのだ、との疑問も提示した。

冷静になって考えれば、その宣伝文句は、広報の専門家たちを含めて、見事に練り上げたものだろう。このような調子の強い言葉を並べながらも、その外側に割烹着姿を配して、マスメディア特有の視野に囲ませ、そこに大衆的な視点を固着させる作戦と思われる。

次に、『“運命”を科学言語として使うとき140205』から、
ここでは、運命を「一つは「神」を想像させ当然、絶対的な真理を響かせる言葉であるから、科学的な現象で用いられることは無い」「科学の考え方からこれを翻訳すると「確率ゼロ」になると考えたからだ。」と分析している。

ここでは、言葉の分析を通して、どこか科学的な厳密さを欠いた異様な処がある記者会見の雰囲気を顕わにしているように思える。

そこで問題はデータの改竄からstap細胞の存在に疑義が発せられるまでに至った状況において、依然として閉鎖的であり、厳密さを欠いた曖昧な言葉で説明責任を果たしていない理研の態度だ。それはまた、小保方氏を雲隠れさせている様にも見える。その小保方氏はデータ改竄について、やってはいけないことだとは思っていなかった、と述べていると云う。

これは一見、「割烹着」を通してマスメディアに登場したのと真逆の態度に見えるが、そうではないと思う。「割烹着」と同じ様に、理研の「未熟ものストーリー」の中に包まれることを小保方氏は受け入れたのだ。ここで分かることは、一連のstap細胞事件では、小保方氏と理研は一体であったということだ。即ち、真逆の態度の基盤にあるのは、同じ精神なのだ。

従って、象徴的な意味での「割烹着」を、先ず脱ぎ捨てない限りは、おそらく、step細胞のリアリティに接近することは出来ないだろう。

      

      
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stap細胞になれる体細胞とは?~「相変化の熱力学」の視点から

2014年03月15日 | 科学技術
一連の疑惑報告によって今や、「stap細胞事件」と化した観のある「stap細胞論文」に対して、理研トップの反応は未熟なリケジョ・小保方晴子のイメージを作り出そうとしてように見える。

マスメディアは次のように報じる、「意表を突くアイデア、人工多能性幹細胞(iPS細胞)をしのぐ実用性…。世界を驚かせた論文は、若い小保方氏をみこしにかついだ腕自慢の面々による共同作業だった。かっぽう着のアイデアも小保方氏の思いつきらしい。」

しかし、問題の本質は、stap細胞が本当に出来たのか?との問いに対する答だ。本ブログで理研の記者会見での資料を紹介した際「理研報道発表資料 図1多能性細胞と体細胞」の中で見られた体細胞に関して次の様な指摘をしている。
 『運命を変えられたSTAP細胞たち140204』

「この図1から多能性細胞と体細胞の違いは理解できる。また、多能性細胞については、着床前の胚盤胞(着床前胞)がその例であると判るのだが、初期化できる体細胞とは、どの程度まで変化したものまでなのか、良く判らない。」

「絵にあるような神経細胞などが初期化できるのか?これが多能性細胞まで変化するとは考えにくいのだ。まあ、疑問は疑問として大凡のイメージは素人にも判るように説明されている。」

この指摘は筆者の専門分野である固体構造の熱力学における相変化の視点から出てきたもので、分野違いのアナロジーで、それ自身は生命科学の専門家から見れば、批判に耐えるものではないことは重々承知だ。

しかし、その変化のメカニズムに関しては一言も触れず、単に結果だけから“運命が変えられる”という言葉を使うのに対して違和感を持ったのは確かだ。それをポジティブに考えて、「感動の気持ちも少し含まれたショックであった。」と書いた。
また、その翌日の記事にも書き、両方合わせて、“運命”がキーワードなのだ。しかし、その言葉の演出も実は一連の共同作業だったのだろう。
 『“運命”を科学言語として使うとき140205』

相変化の熱力学では、臨界核を想定して可逆/不可逆の両過程を分岐する。
ここでは簡単のため、
一次元図として示す(○;原子、←→;可逆、→;不可逆)
             「臨界核」→成長
 ○←→○○←→○○○←→○○○○→○○○○○
原子4個が臨界核であり、それ以上に原子が付くと成長する。また、1個から4個まではそれぞれ平衡が保たれており、可逆過程であるが、原子が5個以上になると、原子は4個にならず、6個以上に成長する。

1-4個までは、平衡状態であるから巨視的には原子数は変化しないが、微視的には原子の付着―剥離はダイナミックに行われ、全体の個数として釣り合っている状態だ。従って、臨界核以下の状態を保存すれば、成長は止まることになる。しかし、臨界核以上の塊は元に戻ることはない。

本来、成長一辺倒と考えていた初期生命現象に可逆過程が入ることは、熱力学のアナロジーからは理解可能であるが、それによって元の鞘に戻すことが平衡論として良いのか不明である。それでも、条件的には際どいと考えられる。

従って、再現性が難しいとのニュースを聴いて、それは当然かなとの印象を持った。しかし、一連のデータに対する疑惑、就中、体細胞の初期化に関する重要な証拠の改竄があったことを聴くに及んで、stap細胞が生み出されたことに疑念を持たれるのは必然と感じた。幻のstap細胞とその運命は落語「死神」に描かれたロウソクの火のように、今にも燃え尽きるかのようだ。

      

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貿易赤字の拡大と実質賃金の停滞~規制緩和と成長戦略の行方

2014年02月19日 | 科学技術
財務省が発表した2013/12の貿易統計によれば、貿易収支は1兆3021億円の赤字であった。これで赤字は18カ月連続、また、先月に引き続き、過去最長を更新した。更に前年同月比では赤字額が倍増している。

貿易赤字の増加トレンドは続き、慢性的な経常赤字になるのは時間の問題であると「ニュースの教科書」は指摘し、続いて、以下の様に述べる。

経常収支は最終的な国の収支を示す指標、貿易収支に投資収益(所得収支)を加えたものだ。日本はすでに慢性的な貿易赤字体質になっているが、それを上回る投資収益があるため、経常収支は黒字が続いていた。だが2013年に入ってから貿易赤字が急拡大し、投資収益を上回り、経常収支が赤字になる月が出始めた。
昨年1年間の投資収益の月平均…約1兆4000億円。
今月の貿易赤字…1兆3000億円。経常赤字体質の転落は間近だ。

輸出の不振は日本企業の国際競争力に起因。為替で回復できるものではない。円安後も輸出の数量は横ばいが続き、増加の兆しはない。

一方、海外からの投資収益を拡大すれば、貿易赤字増大の影響を緩和させることができる。海外資金を呼び込みやすい環境を整備することだ。経常赤字が慢性化すると、国内の資金余力が減少し、必然的に海外からのファイナンスへの依存度が高まる。その時に、日本市場が魅力的でなければ、日本は資金不足に陥る。

さて、私たちの生活はというと、賃金が上がれば良い。安倍政権は春闘に期待しているようだが、財界に寄り添う保守政党が今や、労組の支援をするようになった。これを“ねじれ”と呼ばずして何と言えばよいのだろうか。尤も、保守政党だから出来るのだ、という説もある。革新政党が言えば、贔屓の引き倒しになってしまうからだ。経済的合理性は無いが、政治的には納得する説明になる。

では、一時金の時期であった12月時点での賃銀状況はどうか。
石川和男氏によれば「アベノミクスは『賃金』に未だ効果なし」である。厚労省発表の「毎月勤労統計調査 平成25年分結果速報」によると、平成25年の実質賃金は対前年比0.5%減、昨年に続き、2年連続の対前年比マイナスとなった。

以下、次の様な説明だ。資料にある「調査産業計」の「実質賃金」が全体を表すうから、その推移を見るのが良い(下図参照)。民主党政権からH24/12に交代して発動したアベノミクスは未だ効果を発揮しているとはとても言い難い。

 「石川氏ブログより転載」(元は厚労省のHP参照)

デフレ脱却を物価上昇に求める強い拘りが現政権にある。国民が感じる景気好転とは、賃金水準の上昇にある。悪しきインフレ傾向が続く現状は看過し得ず、そこから先ずは脱却する必要がある。

筆者も全く同感だ。そのためには、規制緩和を含めた成長戦略の実施しかない。という常識的解答が待っている。

     
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“運命”を科学言語として使うとき~小保方晴子さんの生命科学(2)

2014年02月05日 | 科学技術
理研のSTAP細胞に関する発表のなかで、『…生後の体細胞は、細胞の分化が既に運命づけられており、…』と書かれているのに驚いたと昨日の記事に書いた。
 『運命を変えられたSTAP細胞たち140204』

但し、揶揄するつもりではなく、こういう言葉を使わなければ表現できないほどの、研究者としての驚きと喜びが含まれていることを想像させる言葉とも受け取った。それが感動をもたらしてくれたのだが、それでも驚きは大きかった。

一つは「神」を想像させ当然、絶対的な真理を響かせる言葉であるから、科学的な現象で用いられることは無いと無意識に思っていたのだろう。関連して、もう一つは科学の考え方からこれを翻訳すると「確率ゼロ」になると考えたからだ。

しかし、初期化可能ということであれば、分化状態のどこかの過程までは、<可逆反応>であって、引き返しができることになる。それは、昔話の「若返りの水」、おばあさんが赤ちゃんに戻る話、になるのだ。実験結果によれば、酸性溶液がその「水」にあたるのだ。

それはさておき、初期化不可能性は<非可逆反応>とでも言っておけば良かったのだ。しかし、生物であって、未だ神秘性を帯びている細胞の分化状態における画期的な知見を表現するのは、インパクトの強い表現を必要とする。

それは、別の意味でこの限られた分野が、その中にいる研究者の意識を高揚させている状態を示しているとも見えるのだ。「運命」という表現を用いるだけの士気の高さを有する研究集団が現にいるということだ。

その気持ちを自分で考えているうちに、私たちが日常的に使う「運命」という言葉と、生命科学の中で使う「運命」が、互いに重なる部分もありながら、異なる意味合いを含むことに思い当たった。それは日常的世界と科学的世界との違いと言って良い。画期的な科学的成果の公表を示す文章が、科学的世界から日常的世界への橋渡しを行う際に、その言葉を含んでいたのだ。

そこで想い起こしたのが「日常言語と理論言語(科学言語)との間には、何らかのかたちでの橋渡し、繋ぎ手が存在している」との村上陽一郎氏の指摘だ(『科学と日常性の文脈』海鳴社P153)。

高いレベルでの理論言語は「仲間内言語」(jargon)として流通する。従って、閉鎖性・専門性は高いのだが、それが日常レベルまで降りてきたときには対応語ができるはずだ。それが無ければ、流通性に欠けることにならからだ。生命科学の中の「運命」という言葉も、どちらにも通用する言葉だ。

では、今後はどうするのか?小保方さたちの発見により、細胞は必ずしも運命づけられていなかったと言って良いのだろうか。即ち、確率ゼロの世界ではなくなったのだ。しかし、世の中に存在する細胞が、stap細胞になる確率は、圧倒的にゼロに近いのだ。

日常言語的には「運命づけられている」と言っても良い。それは日常言語が曖昧さを含み、多義性を有するからだ。また、日常的環境では、可逆的に初期化を起こすわけではない。しかし、厳密な定義のもとで使用される科学言語は、曖昧さを許さない。

今後はどんな環境において何が起こるか?の問題になる。運命づけられていない部分の世界を明らかにする競争が発生してしまった以上は、科学的世界での「運命」は、今後は使うことが稀な世界へと変わっていかざるを得ない。しかし、高められた士気は継続されていくことは確かであろう。

      
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運命を変えられたSTAP細胞たち~小保方晴子さんの生命科学(1)

2014年02月04日 | 科学技術
理研のホームページでは報道発表資料の中で、次の様に説明されている。
 『体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見
 -細胞外刺激による細胞ストレスが高効率に万能細胞を誘導-
   2014年1月29日 独立行政法人理化学研究所

発表者 発生・再生科学総合研究センター センター長戦略プログラム
    細胞リプログラミング研究ユニット
    研究ユニットリーダー 小保方 晴子

また、『60秒でわかるプレスリリース』では、
『ヒトを含む哺乳類では、受精卵が分裂して血液や筋肉など多様な体細胞に変わり、その種類ごとに個性づけ(分化)されます。体細胞は分化を完了するとその細胞の種類の記憶は固定され、分化を逆転させて受精卵に近い状態に逆戻りする「初期化」は、起きないとされています。』

『初期化を引き起こすには、未受精卵への核移植である「クローン技術」や未分化性を促進する転写因子というタンパク質を作る遺伝子を細胞に導入する「iPS細胞技術」など細胞核の人為的操作が必要です。』

『もし「特別な環境下では、動物細胞でも“自発的な初期化”が起きうる」といったら、ほとんどの生命科学の専門家が「それは常識に反する」と異議を唱えることでしょう。しかし、理研発生・再生科学総合研究センターの小保方研究ユニットリーダーを中心とする共同研究グループは、この「ありえない、起きない」という“通説”を覆す“仮説”を立て、それを実証すべく果敢に挑戦しました。』

それにしても、具体的な内容の説明において、『…生後の体の細胞(体細胞)は、細胞の個性付け(分化)が既に運命づけられており、…』と書かれている。“運命”という言葉を生命科学では使うのか!驚いたと言うか、感動の気持ちも少し含まれたショックであった。生命現象での“自発的な初期化”の発見は細胞の運命を変えたのだ。



 「理研報道発表資料 図1多能性細胞と体細胞

この図1から多能性細胞と体細胞の違いは理解できる。また、多能性細胞については、着床前の胚盤胞(着床前胞)がその例であると判るのだが、初期化できる体細胞とは、どの程度まで変化したものまでなのか、良く判らない。

絵にあるような神経細胞などが初期化できるのか?これが多能性細胞まで変化するとは考えにくいのだ。まあ、疑問は疑問として大凡のイメージは素人にも判るように説明されている。

常識外と思われる仮説を実験的に立証することは凄いとの一言以外に言いようが無い。今後、熾烈な競争に入るはずだが、たゆまぬ努力で先を切り開いていくことを期待しよう。

      
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