散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

悪性インフラ状態の継続(物価・雇用・給与)~経済統計を読む(4)

2014年03月31日 | 経済
年度の終わりに経済状況を確認しておこう。
実は気になることがあるのだが…それは年度末に向かって電車の事故が多いような気がする。今日も人身事故で電車が止まるとの車内放送に接した。本記事の内容にも関係する気が…。

「消費者物価指数(2010年基準)2014/2(3/28公表)」の特徴は以下。

(1)総合指数:100.7(2010年(平成22年):100)
 *「前月比:同水準」   ・「前年同月比:1.5%上昇」
(2)生鮮食品を除く総合指数:100.5
 *「前月比:0.1%上昇」 ・「前年同月比:1.3%上昇」
(3)食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数:98.3
 *「前月比:0.1%上昇」 ・「前年同月比:0.8%上昇」

すなわち、依然としてエネルギーの指数が高いことによって、物価指数が上昇している。8月のデータを閲覧して解析したように、エネルギーの指数の増大に伴い、総合指数が高止まりし、その状態が継続していることが判る。
これは“原発の稼働停止”と“円安による輸入燃料の高騰”」による。

「労働力調査(基本集計)2014/2(2014/3/28公表)」の特徴は以下。

(1)就業者数,雇用者数
 *就業者数:6283万人 ・前年同月比41万人増加(14ヶ月連続増加)
 *雇用者数:5544万人 ・前年同月比29万人増加
(2)完全失業者
 *完全失業者数:232万人 ・前年同月比45万人減少(45ヶ月連続減少)
(3)完全失業率
 *完全失業率(季節調整値):3.6% ・前月比0.1ポイント低下

雇用は改善が進んでいる。問題は正規雇用と非正規雇用の割合だ。

「毎月勤労統計調査(事業所規模5人以上、2014/1確報)」の特徴は以下。

(1)給与
 *全産業     269,203円 ・前年同月比-0.2%
   一般労働者  351,026円 ・前年同月比+0.8%
   パートタイム労働者 96,884円 ・前年同月比-0.3%
(2)人数
 *全産業
   一般労働者   32,475千人 ・前年同月比+0.6%
   パートタイム労働者 13,831千人 ・前年同月比+2.7%
 *製造業
   一般労働者   6,855千人 ・前年同月比-1.6%
   パートタイム労働者 1,116千人 ・前年同月比+5.8%

パートタイム労働者の給与は依然として前年に比べ低く、一般労働者との格差は開く傾向にある。また、雇用全体の中で、パートタイム労働者の増加比率が一般労働者よりも高く、なかでも最大の労働者数を占める製造業において、パートタイム労働者数は5.8%と大きく伸び、一方、一般労働者数は-1.6%と減少している。

ここにおいても労働構造とそれに伴う格差は拡大している。尤も、これは安倍政権の問題というよりも、産業界の不作為が基盤になっていると云える。経団連を始めとした大企業トップのだらしのなさが招いた結果である。ともあれ、悪性インフラ状態は統計上、継続していることは確かだ。

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戸田市でのマンション探し~埼京線の街、急膨張する人口

2014年03月30日 | 現代社会
仕事の都合で勤務先の近くに住居を構える予定の家人のひとりに付き合って、ワンルームマンション探しから始まって、移転手続、家具の購入、引っ越し、片付けを手伝った。その結果、ブログの更新は手つかずになり、漸く開放された今日の夜に久し振りの作業に入れるようになった。

もちろん、マンションの購入ではなく、借室で、勤務先の近くということで、埼玉県戸田市内を選んだ。これまで、戸田市に行ったことは一回、それも大学1年生の学園祭での催し物の一つ、ボート部主催のフォアの競技に出たときだ。

東京オリンピックのときに、ボート競技が戸田市(荒川)で行われ、その後もボートレースにあるいは練習にと使われていた。どういう弾みで参加したのか、良く判らないが、サッカー部の1年生4人でチームを作った。その後、50年振りの戸田市であり、覚えているのは荒川の河川敷だけであった。

川崎市高津区から戸田市までに行くルートは武蔵新城から、上の図の埼京線に乗ることになる。先ず南武線に乗って、
武蔵小杉―大崎―新宿、
武蔵小杉―渋谷―池袋
川崎―上野―赤羽、
登戸―新宿、
府中本町―武蔵浦和、
それぞれで中継する5ルートになる。その埼京線も初めて乗る電車であった。調べてみると、今の戸田市は埼京線と深く係わっていることが理解できた。

戸田市は人口13万人、それも1985年以降から増加に転じ、85年7.7万、90年8.7万、95年9.7万、00年10.8万、05年11.6万、10年12.3万、14年13.0万、と急激な膨張である。人口構成も全国と比較すると、30代の若い世代が多く、それらを中心とした若い世代の流入が想定される。

その意味で川崎市と似ている。そう考えると、戸田市は荒川を挟んで、東京都(板橋区)と対峙し、川崎市は多摩川を挟んで、東京都(大田区、世田谷区)と対峙している。規模が違うが、偶然の一致ではないはずだ。

そして、埼京線が開通したのが1985年なのだ。それ以前は、最寄り駅は蕨駅など京浜東北線の駅であって、鉄道での交通の便が悪かった。しかし、前掲の資料にあるように、1885年(明治18年)に日本鉄道が品川―赤羽間に東京南北を連絡する路線として建設した品川線、現在の山手線品川駅―池袋駅間および赤羽線を合わせた区間、を皮切りに色々な計画とその変更、鉄道建設反対運動などの歴史を経て今日の姿になっている。

山手線、赤羽線以降の埼京線は、高架を走っていて、周辺の様子が良く判る。戸田公園駅の近傍は超高層マンションが所々に頭を高く出して、その周辺も普通のマンションが多い。人口集中を伺わせる様相であり、急行停車駅になる。

家人が借りたマンションは戸田駅の近く、市役所も近い。戸田市長選は23日投開票され、無所属現職の神保国男氏(71)が5選を果たした。投票率は31.1%、過去最低とのことだ。片付け終わった夜、家人を入れて4人で晩飯を食べに出たのだが、すき焼き、焼き鳥、お好み焼き、いずれも若い家族中心で満員、熱気もあり、待ち行列も出来ていた。選挙結果を合わせて、ある種の矛盾も感じるが、さもありなんという納得もまたあった。

      
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「市民による川崎市議会白書2011-2014」基本構想

2014年03月25日 | 地方自治
本稿は「川崎市議会を語る会」としての提案である。

 序)「2009年度版」及び「2010年度版」の評価と今後の進め方
 1)今回の白書の位置づけ
 2)評価基準は「川崎市議会基本条例」
 3)議会の役割・活動のポイント
 4)「意思決定による責任発生」の構造
 5)「意思決定」の分類・整理
 6)議会改革における当面の重要課題
 7)ケーススタディ:2010年度議会活動の評価~(1)-(3)標準、(4)オプション

 ・目的;市政及び議会活動の「全体像及び課題・論点・争点」を理解する
 ・方法;議事録全体を編集(分類・整理)、内容を検証・評価する
 ・結果;方法は適切で市政の理解は進む、一方、議会改革の必要性が浮き彫り
 ・問題;評価に時間が掛かる、議会の成果が不明、他の議会との優劣不明

まとめると、以上の4点になる。以下、少し長くなるが説明する。

市民ではなく、議会による「議会白書」は、これまでに国会は勿論、地方自治体においても、唯一の例外であろう「北海道福島町議会白書」(2009年度版~)を除いては、刊行されていなかった。

その後、地方自治体としては、政策形成サイクルで名高い会津若松市議会が「見て 知って 参加する ための手引書~会津若松市議会白書 平成25年版~」を刊行している。一方、市民(団体)による白書は、ググった範囲では見当たらないのが現状だ。

基本的な方法は以下である。市政の全体像として、先ず「政策体系」を構築、「政策体系」は7基本政策をベースにそれぞれの基本政策に5基本施策を配している。3月議会「予算案」を皮切りに、本会議及び委員会を併せた年間約8百万字の議事録全部を「政策体系」に沿って検証・評価し、「A4100頁=約16万字+資料集50頁」に編集する。

では、当会自身が「白書」をどう評価しているのか?

市政に関する重要項目の在処とその進捗は充分に理解できる。しかし、ここで問題は、これまでも指摘されているように、議会の貢献が見えないことだ。「提案」「討論」「住民参加」が殆どない。あるのは、形式的な「意思決定」だけだ。「2元代表制」として市長「1」であれば、議会は「0.1」程度、現状は「1.1元代表制」だ。

『「政策体系」をベースに議事録全部に目を通す』、『「議会白書」に編集』という方法論は極めて有効だと考える。しかし、「議会白書」を作ることが、労力対効果の観点から今後も有効か?との疑問が湧く。編集しなくとも通覧だけで理解可能になったからだ。

そこで「期」が改まった2011年度以降は、『「政策体系」をベースに議事録全部に目を通す』ことは継続するが、白書の作成は中断、一方、改めて効率を含めた視点から「期」を通覧し、これまでよりも更に議会そのものに焦点を当てた検証・評価を進めることにした。

上記の考え方の中には次の二点が新たに含まれる。
1)検証・評価を通して、各議会の比較をできるだけ可能にする
2)議員の評価は基本的に議員個人に帰する

評価は、特に社会的対象の評価は相対的であって、似ているものを俎上に載せることが必要だ。「提案型意思決定…提案・討論・意思決定」を中核におき、その量・質を評価することによって、例えば、川崎市を横浜市と比較する。

その点で、議員個人の活動成果は一義的に、その個人が広く住民に知らせるべきことである。また、その評価基準は個人の数ほど多いので、例えば、質問の内容をもとに基準を作成して当てはめることが広く有効であるとは限らない。議会に関しても同じ様なことは云えるが、議員と比較すれば判断基準はより明確である。

内容については、1)以下を参照して頂きたい。

勿論、白書の内容は、全国的な議会改革の状況に対する当会の見方に基づいている。
自治体議会改革フォーラム」 の調査によれば、議会基本条例は450自治体(2013年08月27日現在)、全国の自治体の約25%が制定し、今でも続いて成立している。その中には、基礎自治体で最大人口を擁する横浜市も含まれる。

一方、成立過程とその内容を含めた横浜市「議会基本条例」は、議会改革の「普及」と共にその「問題」も象徴している。福嶋浩彦氏「議会基本条例で何が変わるのか 問われる議員間討論と住民参加」(日経グローカルNo235 2014.1.8)は、表題とおりにそこを鋭く指摘している。即ち、最初の「栗山町」を超える条例は出ていないのだ。

当会の問題意識も福嶋論文と同じだ。更に、「栗山町」の特長は福嶋氏の指摘の他にも「改革が先、条例が後」「改定が多い」がある。従って、「未制定」であることではなく、「未改革」が問題なのだ。更に、単なる「運営改善」ではなく、改定に値する「改革」が必要なのだ。

現状、多くの議会は大人数(横浜市)でも、大縄飛びで2,3回だけ跳べるようになったと云うべきか。目指すべきは「縄跳び」ではなくて、スタイルが異なる人が集まってチームプレーを展開する「サッカー」の如きゲームだろう。優れた少数例があるのだから、どこぞの大学の論文の様な“コペピ”ではなく、研究と実践を期待したい。

1)今回の白書の位置づけ
 ・住民の見地から「議会の成果」に関する評価基準を定める
 ・自治体間の比較を実際的に可能な様に、評価内容を簡潔にする
 ・「時間対効果」を考え、年間データ集は作成せず、一期分(4年間)をまとめる

2)評価基準は「川崎市議会基本条例」
 ・「議会基本条例」に活動を規定している
 ・但し、市民の立場から規定を解釈し、「評価」する

3)議会の役割・活動のポイント
 ・第3条 議会の役割 1-(1).意思決定       
 ・          1-(2).事務執行の監視、評価 
 ・          1-(3).政策立案、政策提言  
 ・          1-(4).国への意見表明    
 ・          2-(2).市民への説明責任(意見聴取含む)
 *但し、「憲法第93条 議事機関」の規定がある

4)「意思決定による責任発生」の構造
 ・議会は議事機関→討論を通しての「意思決定」(「チーム・議会」としての運営)
 ・執行責任のない「意思決定」→何が責任か?→「説明責任」、「監視及び評価」
 ・「提案」「提言」の意義→市政の「課題・論点・争点」を明確化

 *なお、「議事機関」に関連して、以下の規定を参照
  ・第9条 会議の運営   1.議員相互間の活発な討議
  ・第10条 委員会の活動  2.政策立案、政策提言   
  ・第11条 質疑応答    3.論点及び争点を明確化  

 *また、「説明責任(意見聴取含む)」では、以下の規定を参照
  ・第12条 市民との関係  1.市民の議会活動への参加機会の確保  
  ・第13条 広報の充実   1.議会活動の情報を積極的に公開、発信 
  ・第14条 会議公開の原則 1.会議の原則公開、資料の積極的公開  
 *以上で「1-(4).国への意見表明」を除き、議会の役割の相互関連を明確化

 *問題は(1)議員間討論が無い、
     (2)意思決定がほとんど首長提案の「承認」だけ、
         以上の地方自治体議会が圧倒的に多いこと
         従って、「意思決定」の分類・整理が必要と考える

5)「意思決定」の分類・整理
 (1)提案型意思決定…議会として提案・討論・意思決定
   )委員会・複数議員による条例策定→議会の議決
   )委員会による政策提案(議会の意思決定)→行政側との執行合意
   )請願等市民提案の議決→以下)と同じ
   )首長提案の内容を修正→以下1)と同じ

 (2)問題提起型意思表示…議会として首長を説得する行動を示すこと
   )委員会による政策提案(議会の意思決定)→課題提起
   )請請願等市民提案の議決→以下)と同じ
   )首長提案に対し、附帯事項あるいは附帯決議を付ける

 (3)承認型意思決定…首長提案を承認し、自治体の意思決定とする

6)議会改革における当面の重要課題
 (1)「提案型意思決定」及び「問題提起型意思表示」を増やすこと
 (2)意見交換会等により、「市民との関係」を強化すること
 (3)市政の「監視・評価」をベースにその全体像と課題・論点・争点を提示すること

7)ケーススタディ:2010年度議会活動の評価~(1)-(3)標準、(4)オプション
 (1)提案型意思決定:2件
   ・条例「避難所の整備・運営条例」…議長が「委員会提案」を提案、討論無
   ・請願「助産所の活用」を採択→2011年度の新規事業へ
   (参考:承認型意思決定;市長提案 条例29件、予算案36件)

 (2)問題提起型意思表示:2件
   ・決議「中学校給食の実施」…公明、共産が追求、民主、自民も追随
   ・附帯決議「麻生スポセンの指定管理者の指定」…市民委で追及

 (3)「市民との関係」の強化:1件
   ・陳情「傍聴者への資料提供」を採択、実施

 (4)市政の全体像と課題・論点・争点を提示
   ・総評:個別案件に課題提示はあったが、全般的に状況把握に終始した

 (5)市政の個別案件
   ・次年度から始まる基本計画の質疑は、計画に追随するだけで低調
   ・注目政策の「保育計画」等は緊張感ある質疑であるが、内容は行政に追随
   ・政策を推進する成果として、地下室マンション条例の改訂へ一歩前進
   ・交通体系は行政が主導権を握り、議員は「課題」を示すが、散漫な結果
   ・出資法人の肥大化を追求、市民活動センター等

      
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成長から“成熟”への先駆け、1975年頃~BSの幼児殺人疑惑事件の意味

2014年03月21日 | 現代社会
2歳の幼児が保育室で死亡する事件が報道されている。
20代のシングルマザーがマッチングサイトを使い、8ヶ月の赤ん坊とふたりをベビーシッターに泊まりがけ保育を依頼した。しかし、迎えの際に連絡がつかず警察に連絡した。警察は預けた日から3日後に、そのベビーシッター(BS)の保育室で、その幼児が死亡しているのを発見、一方、赤ん坊は無事保護された。

この衝撃が走る事件について、駒崎弘樹氏(認定NPO法人・フローレンス代表理事)がブログで分析し、その防止策を提案している。

「今回の親御さんの状況を見ると、最も公的保育の弱い部分において、ニーズを抱えていたと思います。ひとり親だった彼女は、おそらくは仕事の関係で宿泊を伴った預かりを希望していました。そうした場合、「ショートステイ」というサービスが必要になります。現在、こうした「ショートステイ」は自治体の運営する子ども家庭支援センター等で行われていますが、必ずしも使い勝手が良いものではありません。」

駒崎氏は日本最大の基礎自治体(人口370万人)である横浜市を例示しているが、本事件に鋭く反応した横浜市議会・井上さくら議員(鶴見区・無所属)がツイッター上において「不安に思いながらネットでベビーシッターを検索する前に、とりあえず下記に電話してみて下さい」と横浜市による24時間型・緊急一時保育を紹介している。

「24時間受付電話・当日預かり宿泊も可」
神奈川区あおぞら保育園045-488-5520 港南区はるかぜ保育園045-849-1877
駒崎氏も指摘するように、2箇所だけではあるが。

更に氏は「我が国は、子どもと子育てに社会的投資をする額が、圧倒的に少ない」と指摘、「補助がないためにベビーシッターが高額になり、安価な個人シッターに流れる」のは構造的な問題であり、「ルールに基づき、ベビーシッター利用者に補助をする」ことを提案する。

さて、話は一転して、筆者が何故、この事件に関心を持つかと云えば、『経済秩序における成熟時間』(永井陽之助(中央公論1974/12)「時間の政治学」所収)を読んでいたからである。

論文の冒頭「はじめにー子殺しの風土」において、コインロッカー事件、赤ちゃん焼き殺し事件等が頻繁に報じられていることを“時間の稀少性”の観点から分析する。

「生産性の向上によって、労働時間が短縮され、節約された時間がすべて自由な文化的時間になるだろうというケインズの予見とは逆に、節約された時間は、時間当たりの産出価値が均等するかたちで、各部門に配分されるという経済法則が、生活時間の中に貫徹してくることになった。」

この指摘は、今から考えると鋭い先駆性を示している。今では、当たり前の様に使われる「成長から成熟へ」とのキャッチフレーズは、ここにおいて初めて永井によって、使われたように思われる。

それと共に、永井は赤ちゃん焼き殺し事件の犯人を助けようと呼びかけた若い女性の言葉を引用している。それは「やりきれないのは、拘束感ですね。24時間気を遣い、外出も出来ない。他の人が働いているねたましくなってくる。」

この引用は朝日新聞「母性喪失―子殺しの風土」(1974/9/10)となっている。問題はタイトルの「母性喪失」である。この頃はこの事件に対して「母性喪失」との考え方が普通であったことを示唆している。その基盤には、女性は家庭で子育てとの考えが根強く、今でもその考え方が潜在的に根強いように感じる。

それは、駒崎氏が指摘するように、「我が国は、子どもと子育てに社会的投資をする額が、圧倒的に少ない」へと繋がっているのだ。それは恐らく、現代の政治社会におけるサイレントマジョリティである60-70歳代の心の奥に了われている考え方の様に推察できる。

永井論文から40年後、改めて、日本社会が自らの哲学を試されている。

      
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錯覚の中の割烹着姿~stap細胞にリアリティはあるか?

2014年03月17日 | 科学技術
理研の新聞発表において、小保方さんが割烹着姿であったのは多くの人にとって印象的であったはずだ。しかし、これも報道によれば、理研のPR戦略であったとも云われている。

真偽のほどを詮索しても始まらない。しかし、これを象徴的なこととみれば、合点がつくことも浮かんでくる。であるから、写真をどこかの記事から転載するのではなく、頭の中で「割烹着」というフレーズを思い浮かべるのだ。実際の姿を写真で見ていると、印象が強くて、言葉が連想されない。
理研の新聞発表内容をHPから読んだときに想い浮かんだことを、昨日の記事の続きにもなるが、振り返ってみよう。

先ず『運命を変えられたSTAP細胞たち140204』から、
『…生後の体の細胞(体細胞)は、細胞の個性付け(分化)が既に運命づけられており、…』の“運命”という言葉にショックを受けた。また、絵にあるような神経細胞などが初期化できるのか?これが多能性細胞まで変化するとは考えにくいのだ、との疑問も提示した。

冷静になって考えれば、その宣伝文句は、広報の専門家たちを含めて、見事に練り上げたものだろう。このような調子の強い言葉を並べながらも、その外側に割烹着姿を配して、マスメディア特有の視野に囲ませ、そこに大衆的な視点を固着させる作戦と思われる。

次に、『“運命”を科学言語として使うとき140205』から、
ここでは、運命を「一つは「神」を想像させ当然、絶対的な真理を響かせる言葉であるから、科学的な現象で用いられることは無い」「科学の考え方からこれを翻訳すると「確率ゼロ」になると考えたからだ。」と分析している。

ここでは、言葉の分析を通して、どこか科学的な厳密さを欠いた異様な処がある記者会見の雰囲気を顕わにしているように思える。

そこで問題はデータの改竄からstap細胞の存在に疑義が発せられるまでに至った状況において、依然として閉鎖的であり、厳密さを欠いた曖昧な言葉で説明責任を果たしていない理研の態度だ。それはまた、小保方氏を雲隠れさせている様にも見える。その小保方氏はデータ改竄について、やってはいけないことだとは思っていなかった、と述べていると云う。

これは一見、「割烹着」を通してマスメディアに登場したのと真逆の態度に見えるが、そうではないと思う。「割烹着」と同じ様に、理研の「未熟ものストーリー」の中に包まれることを小保方氏は受け入れたのだ。ここで分かることは、一連のstap細胞事件では、小保方氏と理研は一体であったということだ。即ち、真逆の態度の基盤にあるのは、同じ精神なのだ。

従って、象徴的な意味での「割烹着」を、先ず脱ぎ捨てない限りは、おそらく、step細胞のリアリティに接近することは出来ないだろう。

      

      
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stap細胞になれる体細胞とは?~「相変化の熱力学」の視点から

2014年03月15日 | 科学技術
一連の疑惑報告によって今や、「stap細胞事件」と化した観のある「stap細胞論文」に対して、理研トップの反応は未熟なリケジョ・小保方晴子のイメージを作り出そうとしてように見える。

マスメディアは次のように報じる、「意表を突くアイデア、人工多能性幹細胞(iPS細胞)をしのぐ実用性…。世界を驚かせた論文は、若い小保方氏をみこしにかついだ腕自慢の面々による共同作業だった。かっぽう着のアイデアも小保方氏の思いつきらしい。」

しかし、問題の本質は、stap細胞が本当に出来たのか?との問いに対する答だ。本ブログで理研の記者会見での資料を紹介した際「理研報道発表資料 図1多能性細胞と体細胞」の中で見られた体細胞に関して次の様な指摘をしている。
 『運命を変えられたSTAP細胞たち140204』

「この図1から多能性細胞と体細胞の違いは理解できる。また、多能性細胞については、着床前の胚盤胞(着床前胞)がその例であると判るのだが、初期化できる体細胞とは、どの程度まで変化したものまでなのか、良く判らない。」

「絵にあるような神経細胞などが初期化できるのか?これが多能性細胞まで変化するとは考えにくいのだ。まあ、疑問は疑問として大凡のイメージは素人にも判るように説明されている。」

この指摘は筆者の専門分野である固体構造の熱力学における相変化の視点から出てきたもので、分野違いのアナロジーで、それ自身は生命科学の専門家から見れば、批判に耐えるものではないことは重々承知だ。

しかし、その変化のメカニズムに関しては一言も触れず、単に結果だけから“運命が変えられる”という言葉を使うのに対して違和感を持ったのは確かだ。それをポジティブに考えて、「感動の気持ちも少し含まれたショックであった。」と書いた。
また、その翌日の記事にも書き、両方合わせて、“運命”がキーワードなのだ。しかし、その言葉の演出も実は一連の共同作業だったのだろう。
 『“運命”を科学言語として使うとき140205』

相変化の熱力学では、臨界核を想定して可逆/不可逆の両過程を分岐する。
ここでは簡単のため、
一次元図として示す(○;原子、←→;可逆、→;不可逆)
             「臨界核」→成長
 ○←→○○←→○○○←→○○○○→○○○○○
原子4個が臨界核であり、それ以上に原子が付くと成長する。また、1個から4個まではそれぞれ平衡が保たれており、可逆過程であるが、原子が5個以上になると、原子は4個にならず、6個以上に成長する。

1-4個までは、平衡状態であるから巨視的には原子数は変化しないが、微視的には原子の付着―剥離はダイナミックに行われ、全体の個数として釣り合っている状態だ。従って、臨界核以下の状態を保存すれば、成長は止まることになる。しかし、臨界核以上の塊は元に戻ることはない。

本来、成長一辺倒と考えていた初期生命現象に可逆過程が入ることは、熱力学のアナロジーからは理解可能であるが、それによって元の鞘に戻すことが平衡論として良いのか不明である。それでも、条件的には際どいと考えられる。

従って、再現性が難しいとのニュースを聴いて、それは当然かなとの印象を持った。しかし、一連のデータに対する疑惑、就中、体細胞の初期化に関する重要な証拠の改竄があったことを聴くに及んで、stap細胞が生み出されたことに疑念を持たれるのは必然と感じた。幻のstap細胞とその運命は落語「死神」に描かれたロウソクの火のように、今にも燃え尽きるかのようだ。

      

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オポチュニストの静かなる成長~危機を醸成する大阪市長選挙

2014年03月12日 | 政治
首都圏に住む人間にとって、いつが投票日なのか分からない程度の関心なのだが、大阪市長選挙は静かに選挙戦に入っている。本来ならば、大阪維新の会・橋下前市長と共に、共産党、自民―公明連合の3候補が少なくとも競い合わなければ、実質的な選挙の機能が果たせないはずだ。

橋下氏が再選されるのは、当たり前であると考えられる現状は、誰にとって有益な選挙なのだろうか。橋下氏でも無ければ、反対党でもなさそうだ。現状維持であって、その対立を増幅させただけになる。

橋下氏以外に3名の候補者がいる。おそらくその人たちが最大の受益者になるはずだ。なんと言っても、正規の候補者(橋下)と同じ取扱いをマスメディアから受けている。おそらく、テレビに出る機会も多くなっているはずだ。

筆者にとってその辺りに、大いに危機感を感じる。泡沫候補の取扱いをされているうちに、少しずつ知名度を上げ、何かの選挙の際に次点になり、辞任者が出たときに、滑り込むことは大いに考えられる。

有り得ないと思っていたことが実際に起こるのは、相応の理由があるからだ。おそらく、ヒットラーも最初は泡沫候補だったに違いない。しかし、既存の政治勢力に対する不満が少しずつ支持を増やすことに繋がり、それが彼自身の政治活動に対する自信を形作ることに対して寄与したに違いない。

先の東京都知事選挙においても、かつての泡沫候補の一人が、有力候補と共に、NHKニュースにしばしば登場した。彼の演説は自信に満ちており、今や、独特の位置を築いているかのようである。すなわち、泡沫候補として知名度を獲得し、候補者の顔ぶれからは、有力候補者と共にNHKニュースなどでは登場する機会を与えられる。こうなると、うたかた(泡沫)のように「かつ消え、かつ結ぶ」ことから“マスメディア認知候補者”になったのだ。

東京都知事選挙に続いて、今回の大阪知事選挙にも名乗りを上げた立候補者もいる。この方も、次期マスメディア認知候補者と云える。この状況が広まると、サバンナのなかで、動物の死骸に群がるように、オポチュニストが政治の世界に登場してくる余地が形成されるのだ。

これは河村・名古屋市長の回りに集まり、名古屋市議会議員になり、次々と不祥事を起こした減税日本に典型的に現れた。維新の会もそれに続く存在だ。この場合、公募で集めた校長、区長等で暫くした後、様々な理由で止めていった人たちも少なくない。

それは橋下氏が登場したときの政治的リーダーシップ、状況型をあるタイミングにおいて、制度型へ変換していくことが出来ず、機構型にしたことに由来する。これについては2年前の記事で指摘したが、橋下氏のリーダーシップについては論じてみたいと考えているが、ここでは、その指摘に止めよう。
 『有効な支配を継続する分岐点20120505』

「自治体改革における制度型の典型例は三重県の北川正恭知事(当時)によって示されている。職員と協調し、行動様式を成員間のなかで互いに了解していき、内発的改革を促す方法である(『生活者起点の「行政革命」』(ぎょうせい)2004年)。これには時間の積み重ねが必要である。一方、機構型は、法律(条例)・組織を上から固めて統一行動を促す方法である。」

都知事選から大阪市長選に至る地方自治選の様相は、その意味でオポチュニストに静かな自信を与えている状況を生み出しているのだ。更に問題は、既成政党が自らの短期的利害でのみ対応し、却って、その基盤を崩すことに組みしていることだ。

今直ちに、政治状況が一変することは考えられないが、日本が直近のSTAP細胞事件に示されるように、下から基盤が崩れだし、経済的な苦境も深まっていくと共に、更に政治状況を主体的に制御する勢力が極小化していくと、オポチュニスト集団が台頭する危険は現実のものになっていくだろう。

     


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地方自治体議会の評価方法を提案~議会基本条例を基準に

2014年03月10日 | 地方自治
全国自治体の25%が議会基本条例を持ち、更に人口370万人、日本最大の基礎自治体である横浜市も、その仲間に入った。統一地方選挙までは、あと一年。4年間の議会活動を評価することが必要だ。
 『栗山町議会基本条例、もう一つの特徴140309』

「市民による川崎市議会白書」を2010,2011年にそれぞれ前年度分を発行し、その後、仕事の忙しさにかまけて、発行を中断していた。実は、それと共に議会の何を検証・評価し、それをどう表現するのか、迷いもあったことも事実である。

議会改革が進んでいると言われているが、その一方で、議会改革の最大の問題である(と筆者は考えている)討論の内容について、進展があるのか?それを蔑ろにして改革が進んでいる様にも思われた。

そこで、「議会の成果」に関する評価基準を定め、一期分(4年間)をまとめることを思い立った。
筆者は川崎市民であるから、評価の基準は「川崎市議会基本条例」だ。川崎市議会は「議会基本条例」を制定し、その活動を規定した。私たちは、自らの考え方を織り込み、条例の中からポイントを絞り込み、市民としての「議会の評価」はそれに基づいて実施する。

 川崎市議会基本条例のポイント
 1)議事機関 提案から意思の「統合・表明・決定」へ
  第3条 議会の役割 1-(1).意思決定      
      (議事機関)1-(2).事務執行の監視、評価
            1-(3).政策立案、政策提言
            1-(4).国への意見表明
            2-(2).市民への説明責任(意見聴取含む)

 2)討論の広場 議員・市長・職員・住民が参加
  第9条  会議の運営   1.議員相互間の活発な討議
  第10条 委員会の活動  2.政策立案、政策提言
  第11条 質疑応答    3.論点及び争点を明確化

 3)開かれた議会 住民との積極的なコミュニケーション
  第12条 市民との関係  1.市民の議会活動への参加機会の確保
  第13条 広報の充実   1.議会活動の情報を公開、発信
  第14条 会議公開の原則 1.会議の原則公開、資料の積極的公開
 まとめると、
 (1)「議事機関・討論の広場として議員間討論を行い、意思決定へ導く
 (2)「開かれた議会」として住民参加を進め、説明責任を果こと

特に「意思決定=責任」の構造を考え、その部分を中心に評価する。議会の役割「第3条」のトップに『意思決定』を掲げている。これは憲法93条の議事機関との規定も含み、討論し、意思決定へ到達することを意味する。

この決定は住民に対して責任を負う。一方、執行は首長以下、行政の仕事になる。従って、議会は実行を伴わない、意思決定者と云う奇妙な立場に立つ。従って、責任『議会=討論の広場』を実践する。責任ある意思決定の構造である。

一方、議会の構成員である議員の立場は以下の様になる。
 ・団体スポーツにおける選手とチームの関係と同じ。
 ・二元代表制の代表は機関としての「首長」と「議会」。
 ・議員行動から責任が生じるシステムではない→『チーム・議会』。

しかし、議会は争点と共に単なる条文変更も意思決定になる。従って、「意思決定」の分類・整理が必要になる。
 (1)提案型意思決定…議会として提案・討論・意思決定
 (2)問題提起型意思表示…議会として提案・討論・意思表示
 (3)承認型意思決定…市長提案を承認し、市の意思決定とする

首長提案を「承認」するだけの地方議会が圧倒的に多い。因みに川崎市「2010年度議会活動の評価」は提案型意思決定に乏しい。
 意思決定:2件
 ・条例「避難所の整備・運営条例」…議長が「委員会提案」を提案、討論無
 ・請願「助産所の活用」を採択→2011年度の新規事業へ
 意思表示:2件
 ・決議「中学校給食の実施」…公明、共産が追求、民主、自民も追随
 ・附帯決議「麻生スポセンの指定管理者の指定」…市民委で追及
 承認型;市長提案 条例29件、予算案36件

      
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栗山町議会基本条例、もう一つの特徴~改革が先、条例は後

2014年03月09日 | 地方自治
「北海道栗山町の議会基本条例の核心は何か、もう一度検証する必要がある」との福嶋浩彦氏の言葉を一月前に記事にした。それは鋭い指摘であるが、その内容と共に、栗山町議会が住民を対象とした議会報告会等の改革を先ず実施し、それを後の世代にも残すために条例化したことも合わせて思い起こす必要がある。それは盲点でもあるからだ。
 『北海道栗山町の議会基本条例140207』

筆者が改めて「改革が先、条例は後」ということに思い至ったのは、横浜市議会が議会基本条例を成立させたことを知ったからだ。全国自治体の25%が議会基本条例を持つようになり、更に人口370万人、日本最大の基礎自治体である横浜市も、その仲間に入ったことは、その普及を象徴するものだ。

しかし、それは一つの転換期あるいは曲がり角にさしかかったとの印象を持たせる。横浜市の成立過程とその内容は「議会改革の現状」をも象徴しているように感じさせるのだ。

即ち、成立した条例の中にはアクセサリー条例・理念条例が多く、川崎市議会の様に、本来の議会改革の具体案がなにひとつ無く、また、改革と云っても議会運営上の改善に止まっている処が多いのが現状である。このことを鋭く指摘しているのが、上記の記事に引用した福嶋論文だ。横浜市の条例もその例に漏れず、具体的な施策は何も書かれていない。川崎市と似たり寄ったりである。

小生の問題意識も同じで、議会改革の中核になるべき、「自由討論ー課題・論点・争点の抽出ー意思決定」(全体として情報開示・住民参加含む)は回避して、議会運営上、全員一致で出来ることをやっているだけの議会が多いのだ。

大縄飛び(運営上の改善)を2,3回だけ跳べるようになり、大人数(横浜市)でも出来るようになったが、走り高跳び(議会改革)は、とても出来そうにない状態である。期待するのが無理で、縄跳び程度で我慢せざるを得ないのだ。

しかし、今後も議会基本条例ができるにしても、できることによって、議会改革が進まないという事態も十分に考えられる。従って、その内容と共に策定プロセスもまた、考え直す必要があるだろう。

当時の栗山町議会の橋場利勝議長によれば、議会報告会を行った際に、住民から議員が替わっても、続けてやれるように、条例を作ったほうが良い、と住民から云われたことがキッカケで議会基本条例が誕生したとのことだ(「栗山町発・議会基本条例」公人の共社2006)。

良く言われるように、現在、各地方議会で行われている改革なるものは、議会基本条例が無くても出来ることだ。これからは、議会基本条例の数が改革にメルクマールではなく、改革そのものが大切になるはずだ。

      
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「国体の浄化」と「沈黙の継承」~冷泉彰彦氏の提案を巡って

2014年03月07日 | 政治
中国、韓国とのいわゆる歴史問題、南京事件、慰安婦問題等に関連し、日本の国のかたちに対する国内での分裂した意見を統合する視点について、冷泉彰彦氏は表題の提案を2009年に行っていたことを知った。
アーミテージ元米国務副長官、櫻井よしこ氏に対する反論の中で、2009年の氏との公開対談の中での提案だと述べている。

早速、そのエントリ「沈黙の継承と歴史認識」を読んでみた。
「この問題に関しては、一線を越えて「名誉回復」に固執することは、米国世論との関係を考えると益のないことだという立場です。その一方で「使い古された表現では、よい議論にはならない」という危機感もありました。そこで「沈黙の継承」と「国体の浄化」というお話をしたのです。」

昭和天皇の「終戦の詔勅」の中の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」を守り、これを通して日本の国体は浄化された。敗戦により国体が変革されたという法理だと、過去の日本人を「悪しき存在」として批判することになり、国論の分裂状態は半永久的に固定される、と氏は主張する。

いつまでも「歴史認識論議」が平行線というのは不幸であるから、それを解消する理論を提起した、とその動機を述べる。今の世代の日本人が中国人から挑発を受けても、過去の日本の批判でもなく、ケンカを買うのではなく、「スルーする」という姿勢、と説明する。

その姿勢が、昭和天皇、戦犯遺族の残した「沈黙の継承」であり、戦後の歩みによって成された「国体の浄化」を守ってゆくとの話に、櫻井氏も「同意はしませんが、お気持ちは分かります」と理解を示した、と云う。

冷泉氏の意図としては、櫻井側の人たちに対する説得する論理として持ち出したのだと思う。おそらく、櫻井氏は虚を突かれた処があって、正面からの反論は避け「お気持ち」に逃げた、と筆者は感じる。

逆に言えば「気持ちを分かった」のは冷泉氏の方であって、その理解を表現したのが、その時の提案であったと考えられる。その意味で、日頃の心配に対して、冷泉氏としては、精一杯の提案と理解できる。但し、今回は櫻井氏がにべもなく冷泉氏を批判している処から、冷泉氏は苛立っているように感じられる。

翻って、先ず「国体の浄化」について考えてみる。筆者が奇異に感じるのは「浄化」という言葉だ。頭に浮かんだのは、ナチスドイツが何か言っていないか?ということだ。ググってみると「民族浄化」にぶつかった。

「第二次世界大戦時のナチスドイツの傀儡ファシスト国家であったクロアチア独立国の教育大臣ミレ・ブダクによる発言「われわれは、セルビア人の3分の1を殺害し、3分の1を追放し、3分の1をカトリックに改宗させてクロアチア人にする」は、セルビア人に対する民族浄化を示唆した発言であり、それぞれ大量虐殺、強制移住、同化政策による特定民族の根絶を意図していた。」

このように「浄化」という言葉は「汚いものを流し去り、清らか(清浄)にする」というイメージを与える。浄化された後は何も残らない。いや、この場合は戦後民主主義イデオロギーが存在するだけである。

従って、突然の変革では無く、耐え難きを忍んで、自らのイデオロギーを否定しながら戦後社会を築いてきたことになり、自己分裂にならないとも限らない。特に浄化されたものは悪の象徴となり得る。

また「沈黙の継承」であるが、ここでも「沈黙」は「独裁」の単なる逆転を意味するだけになる。即ち、意図して沈黙をしていたわけではなく「沈黙」せざるを得ないということだ。戦前の軍独裁は一般国民に対して「沈黙・服従」を強いてきた。戦後の駐留米軍は、その軍部から一般国民を解放したことは確かなのだ。

一方で耐え難きを忍びながらも、他方で開放下での自由な雰囲気の中で日本の再建に、苦難もありながら、しかし、前途に明るさを感じながら、取り組んだことも事実なのだ。確かに、磊落の身を感じた人たちがいたことも否定出来ない事実とも考えるが。

これらを考えれば、折角の冷泉提案であるが、この問題に対する日本の対応として、混乱を深める要素も含まれている。ともあれ、冷泉氏が指摘するように、互いが先鋭化することの無いように自制が先ず求められることが必要であろう。

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