散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

NHKの間の抜けた「決定の裏側」紹介~クロ現「東大紛争秘録」

2014年01月30日 | 政治
この番組は団塊世代向けなのだろうか。番組紹介のなかで、「東大紛争」が突き付けたもの、との言葉があった。何を今更との感じをもって、それでも気になるから、結局、チャンネルを入れざるを得なかった。

 写真1 「安田講堂への機動隊導入」(当時);NHK番組紹介

東大紛争は医学部での紛争が全学的に拡大したもので、上記の「写真1」にあるように、1969年1月の機動隊導入により、「安田城攻防戦」が行われ、全共闘側の学生が機動隊によって、実力で排除された。NHKは「昭和史に残るこの大事件にまつわる第一級の資料を独自に入手」とのオーバーな表現で番組を組んでいた。

 写真2 「大学執行部の座談会記録」

その第一級の資料が「写真2」だ。安田講堂陥落の直後、当時の大学執行部が紛争の顛末を極秘裏に語り合った座談会の600頁に及ぶ議事録である。写真で確かにそのようなものがあること、当時の加藤代行と、その下で執行部として活動していた当時の大学行政機構の幹部教授を合わせて6名によるもの。

しかし、当時の機構の中での議論ではなく、その後の座談会という処が、極めて異色な資料である。また、6名の全員が紹介されたわけではなく、No.2的存在の大内力教授、当時は若く、現在でも唯一の存命者である坂本義和教授の意見が紹介されているだけであった。

その内容は、番組紹介によれば、「東大紛争に関してはこれまで学生側の証言や資料は多く刊行されてきたが、紛争の収束に向けて大学側は何を考え、どう行動したかについては全くわかっていなかった。」

「今回の記録には、6名の教授たちが事件の裏側を告白…大学側が学生だけでなく、機動隊導入や入試実施の是非をめぐって国とも激しく対峙し、そして「敗北」していったことが初めて明らかになってきた。」としている。

しかし、そんなことは結果から明らかなはずだ。
番組では、国谷裕子キャスターが「資料の中では学生に突きつけられた問題については何も議論がない」などとピンと外れの指摘をしていた。

しかし、問題は大学管理であって、無残にも落城した安田城を視察した佐藤首相の「これでは大学に管理能力はないな」との言葉が筆者の記憶に残っている。即ち、これがすべてで、「大学の自治」以前の問題なのだ。

当時、入試試験の中止等も含め、自民党の文教族が張り切っていたのは、天下周知の事実だ。当然、政治的圧力は坂田文相を通して掛けられたことも想像に難くない。教授たちの愚痴を残していたこと以外に何か書かれていたのだろうか。今回、テレビを通して公開された部分に限っては、間の抜けた資料と言う他はない。


      

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ダボスの中の安倍首相発言(1)~中国の拡大主義

2014年01月29日 | 政治
安倍首相の日中問題に対する発言については先の記事で述べた。この発言の影響力については、「たいしたことはない」から「深刻な影響」まで様々である。しかし、問題は様々な見方があったことで、国際社会に対して曖昧な発言を行うことは、一国のトップリーダーの資質として問題であろう。

この問題について、論評も様々である。ここでは、冷泉彰彦氏のブログに沿って筆者の見解を再度、述べてみる。氏は第一次世界大戦を引き合いの出したことについて、次の様に言う。

「国際連盟の常任理事国でありながら自身が脱退」、
「連盟を事実上潰して再度の世界大戦を戦った」日本、

「その戦前の歴史の名誉回復」に熱心な首相が、
「第一次大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパのど真ん中」、
「その大戦を繰り返さないために国際連盟を設置したスイスという国」、
「第一次大戦の100周年」というセンシティブな時期に、
行った発言は、
日本を「再度孤立化へ」向かわせる自爆行為だ。

筆者もこの意見に賛成する。何故なら、このことは歴史感覚の醸成に由来することだからだ。先の記事で「よりによって、今現在にも通じる第一次世界大戦の象徴的な国際関係を例示しなければならなかったのか」と書いた。
 『革命の時代を導いた第一次世界大戦140126』

「それは、第一次世界大戦のヨーロッパ社会の衝撃と、それを対岸の火事とみていた日本との落差を、安倍首相が今になっても認識していないことを示している。安倍首相の発言の中に、ヨーロッパの人たちが感じとったのは、このような歴史に対する基本的な認識不足だ。」

ところで、冷泉氏は安倍首相がダボスで、CNNキャスターのファリード・ザカリア氏との単独会見に応じたことを報告している。これに関して、日本の一般的なメディアでは話題になっていない。その内容は同氏がキャスターを務める『ファリード・ザカリアGPS』で放映されたとのことだ。

その中で「アベノミクス第三の矢」「日中問題」「イルカ問題」が話題になり、第2及び第3の話題が問題であったと言う。第3の話題については別途論じるとして、」ここでは第2の日中関係を冷泉氏の報告から考えてみよう。

「中国との緊張に関して…「習近平政権は特に拡張主義だと思うか?」という質問…これに対して安倍首相は「そうは思わない。過去20年間にわたって中国は拡張を続けた」と述べた。」

これを読んで、筆者は「エッ!」と感じた。
一方、冷泉氏は「習近平政権を名指して「特に拡張主義だ」とするのも下策だが…過去20年ずっと拡張主義だったというのでは、江沢民時代以降は全部ダメということになる。」と論評する。

ここでも言葉が問題になる。
安倍首相は質問を受けたなかで、「中国は拡張主義」を強調し、但し「習近平政権は突出」しているのではなく、「対話可能」と評価したかったのだろうか。「特に」を否定して、「そうは思わない」と言った様だ。しかし、ここでの主題は「拡張主義」であるから、ことさら「中国=拡張主義」を強調したことになる。

習近平政権を対話の場へ導きたかったのであれば、「中国はこれまで拡張主義的な行為もあり、習近平政権も尖閣諸島において、挑発的な行動が見られる。」しかし、基本的には対話によって問題を解決する志向を持っているのではないか。」とでも言えたはずだ。

安倍首相は秘密保護、靖国問題、日中問題と続けざまに、事後説明による理解を国内及び国外諸国に対して試みる羽目に陥っている。これでは“狼少年”であって、国家間の懸案解決をドライブする役目を果たしていない。考え方を直す必要があるだろう。

      
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貿易赤字と景気回復~日銀の判断は「景気まで及ぶか」

2014年01月28日 | 政治

財務省は昨日、2013年12月の貿易統計を発表した。輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は1兆3021億円の赤字であり、18カ月連続だ。先月に引き続いて過去最長を更新、前年同月比では赤字額が倍増している。巷のうわさでは、慢性的な経常赤字になるのは時間の問題とのことである。

経常収支は最終的な国の収支を示す指標で、取りあえず貿易収支に投資収益(所得収支)を加えたもの。日本はすでに慢性的な貿易赤字体質になっている。しかし、それを上回る投資収益があるため、経常収支は黒字が続いていた。それにも関わらず、昨年から貿易赤字が急拡大し、遂には経常収支が赤字になり始めた。

赤字拡大の原因は、当たり前だが、輸出の不振と輸入の拡大。
1)輸出の不振は日本企業の国際競争力に起因。
2)円安になった後も輸出の数量は横ばい、増加の兆しはない。
3)輸入の拡大はエネルギー輸入金額が原油価格上昇により増大。

以上のように、貿易赤字の増大は経済の構造的問題。

一方、日銀は先週に金融政策決定会合を開催、量的緩和策の継続を全員一致で決定した。昨年に引き続き、今年もマネタリーベースを年60兆から70兆円のペースで増加させる。足元の景気は「緩やかに回復を続けている」とし、堅調との認識だ。消費税の引上げに伴う反動はあるが、緩やかな回復を続けるとの見方だ。

昨年4月の量的緩和の開始以後、マネタリーベースは約43%増加した。だが今年の末時点で70兆円の増加だと仮定すると、増加率は36%に低下する。昨年11月時点での消費者物価指数(コア指数)の上昇率は1.2%、この上昇ペースを維持する場合、同じ金額では不十分、少なくとも同じ率の供給量増加が必要となる。

しかし、経常収支赤字に導く巨額な貿易赤字とマネタリーベースの増加による物価指数の向上とは、どんな関係があるのだろうか。関係は大ありだ。

黒田バズーカ砲による金融緩和によって、円安になり、輸出企業は為替差益で業績を回復した。一方、輸入品は輸出と反対に国内価格が上昇する。エネルギー関係の値上がりが大きいが、最近はパン、お菓子等の食料品の値上がり、あるいは量質の低下などの対策がなされてきた。

今後、春闘時期に入り、賃金値上げがでてくるが、日本人全員がトヨタの社員でもない。貿易赤字が構造的な問題であれば、今後もジワジワとその影響は染み込んでくる。今日のニュースにも「エルピーダ」が「マイクロン」名称を変えるとの報道があった。経済→経営→仕事→教育と関連した構造改革が今も昔も必須であったはずだ。現状はなにも手が付けられていない。時間はないはずだ。
     
       
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革命の時代を導いた第一次世界大戦~欧米と日本の落差

2014年01月26日 | 国際政治
安倍首相がダボス会議で「今の日中関係は1914年の前の英独に似ている」と発言した問題が話題になっている。しかし、よりによって、今現在にも通じる第一次世界大戦の象徴的な国際関係を例示しなければならなかったのか。

第一次世界大戦によって、世界は安定体系の時代から革命体系の時代へと移った。これがヘンリー・キッシンジャーの歴史認識であった。ベトナム戦争を終結させ、中国との国交回復を急ぐことによって国際関係を新たに安定の体系へ以降させようとしたのが彼の仕事であった。

ヨーロッパのエリート達にとって、それは安定していた「黄金の時代」が崩れ落ち、「昨日の時代」(ステファン・ツバイク)になってしまったことを意味する。結局、ツバイクは自殺せざるを得なかったのだ。

その大戦の最中にロシア革命が勃発し、その後の中国革命からアジア・アフリカ諸国の革命への伝搬し、現代のイスラム革命へと繋がる。キッシンジャーが考えたような、安定体系への復興は未だなされていない。いや、経済のグローバル化と共に、世界各国の交流は密になったが、それだけ思わぬ相互関係のよる影響が強くなり、不安定性の連鎖反応も、また、激しくなっている。

ヨーロッパで何がおきたか、ジョージ・スタイナーは評論集「青髭の城にて」(みすず書房1972)において次の様に言う。「第一次大戦の死傷者は単にその数が膨大だっただけではなく、彼らの死がより抜かれた人たちの惨死だったのである。…イギリスの精神的・知的才能の一世代は皆殺しにされたのであり、選良中の選良であった多くの人材がヨーロッパの未来から抹殺されてしまった。」

一方、日本は国際政治的にも、経済的にも火事場泥棒的な働きによってアジア、なかんずく中国進出の手掛かりを大きく伸ばし、権益を広げていった。以下の事象が大きな事件であった。
 韓国併合 1910年
 二十一箇条の要求 1915年

問題は今でも日本のエリート(安倍首相)が、第一次世界大戦のヨーロッパ社会の衝撃とそれを対岸の火事とみていた日本との落差を認識できていないことだ。今回のダボス会議での安倍首相の発言の中に、ヨーロッパの人たちが感じとったのは、このような歴史に対する基本的な認識不足であろう

スタイナーは更に続ける。「1918年以降、ヨーロッパはその声明の中枢部を破壊されてしまったのだ。このことを鋭く心にとめておかない限り、我々は西欧文化の危機について、ヨーロッパの心臓部で起こった全体主義の起源、またその形態について、また、世界大戦の再勃発について明瞭な思考を行うことができない。」
(以上すべてP35から引用)

そうだ!私たちは未だ理解できていないのだ。人に理解を求めることも大切だが、自らが他人を理解しようとすることが更に大切なのだ。

これが靖国参拝問題と絡んで、日本の外交・防衛に対する基本的考え方を不透明なものにしているのだ。今回の事象では、更に、日本的は結論をはっきりといわずに、話の最後にもってくる表現方法の問題、翻訳・通訳の問題も浮上している。この問題も古くから指摘されているが、いっこうに直らない様だ。これでは、同じ様な問題が今後も起きるように思える。

      


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細川元首相と徳田虎雄氏~何を連想するのか

2014年01月24日 | 政治


直ぐには結びつきそうにはない二人の名前だが、筆者の中では、権力に執着する老人として結びついている。しかし、自身のふたりに対するイメージを考えている中で、ある意味で正反対な人物として考えられることにも気が付いた。

細川元首相の記者会見をテレビで見ていて、どこか生気が感じられないことが第一印象として残っている。更に、一昨日の記事に書いたように、考えている内容も新鮮さを感じさせないのだ。だから、「感想は「やっぱり老人だった!」に尽きる。冒頭の発言の中味がこれほど陳腐な発想で、使い古した言葉のオンパレードとは、正直言って驚かされた」と書いた。
 『細川元首相は、やはり老人だった140122』

それでも東京都知事選挙に立候補したのは、権力の味が忘れられないのだろう。頭の中は、世の中の変化を掴んでいるつもりだが、それは自らが身につけた考え方の枠の中でしか、解釈されていない。老人そのものなのだ。

そこまで考えると、同じ様な執着性を持つ老人として徳田虎雄が頭に思い浮かんだ。それは『巨大組織による大がかりな選挙違反、その組織の権力の中枢を突き詰めていくと、筋萎縮性側索硬化症での闘病生活を送りながらも、身動きできない形で椅子に座り、文字盤を使ったコミュニケーションにより自らの意思を伝える老人の姿に行き着いたのだ!私たちに権力の在りかを示し、衝撃を与える姿だ。』との印象だった。
 『「善」と「悪」とはひとつである~131114』

しかし、徳田には強い意思を感じる。細川には感じられないのだ。暇になった人間が、それには耐えられずに、世の中の問題点を探し回ったら、原発問題にぶつかっただけなのだ。おそらく、そこがたたき上げた人間とお殿様との違いだろう。

『徳田虎雄とはどんな人物か。これを考えた時、ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの“善と悪とは一つである”との言葉を想い起こした。万物は流転するとのヘラクレイトスの思想では、その流転の中で善悪は対立しながらも調和を保つ。』

一方、細川にあるのは、善だけのようである。実は悪もあるのだが、それは金を受け取るような受動的な行為である。
筆者は東京都知事選挙に小泉『進次郎議員が立候補することを期待していた。それには、何ほどか徳田虎雄の精神が必要の様に感じていた。
 都知事候補の大穴は議員~若き「政治家」による舵取りを131219』

小泉進次郎を法補者として考えたのは以下の理由で或ある。
 1)政治家…タレント、学者、行政マンではなく
 2)伸びしろ…比較的若い世代を牽引する
 3)知名度…有象無象の機会主義者を抑える
国民的支持を背景とした人物を出来るだけ早く候補者にし、有象無象を抑えることが有効だ。その意味では、小泉進次郎が相対的に相応しく感じる。

しかし、なかなかできないことではあった。それは徳田虎雄のように悪魔とも手を結ぶつもりがなかったからであろう。
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細川元首相は、やはり老人だった~陳腐な発想・使い古しのセリフ

2014年01月22日 | 国内政治
本日の夕方に行われた細川氏の都知事選出馬に関する記者会見の内容を見た。感想は「やっぱり老人だった!」に尽きる。冒頭の発言の中味がこれほど陳腐な発想で、使い古した言葉のオンパレードとは、正直言って驚かされた。

先ず、「心豊かな社会をめざして…成熟社会のパラダイム」という言葉だ。
経済・社会的現象に対して、“成熟”という言葉をキーワードに使ったのは、永井陽之助のように思う。中央公論1974年12月号に発表された「経済秩序における成熟時間」(「時間の政治学」(中央公論社)所収)において、現代社会において、技術進歩による高度経済成長という線型時間が介入してくるときの帰結を理論的に考察したものだ。

それから40年経過し、多くの政治家、知識人、官僚がその間、成熟社会をキーワードとして議論してきたことも多くあるに違いない。それにも関わらず、私たちの時間感覚は益々速くなっているかの様だ。

しかし、この様に使われてきた言葉を使い、「世界で始めての歴史的実験になるかも」という神経はどういうものだろうか。私たちはラットではないから、気楽に実験台にしないでもらいたのだが、日銀・黒田総裁も異次元金融緩和のときに、「実験」という言葉を気安く使っていたように思う。似たような、誇大妄想グセがあるのかも知れない。恐ろしいことだ。

続いて、「豊かな国が多消費型から共存型へ…傲慢な資本主義からは幸せは生まれない」と云う。ここで資本主義の攻撃になるが、傲慢でない資本主義を目指すのか、共産主義を目指すのか、重大なポイントにも見える。

「ひとたび原発事故を起こせば国の存亡に関わる…原発依存型・エネルギー消費型から180度変換」となる。「180度変換」も「歴史的実験」と同じ様な言葉の使い方だ。これまで国の存亡に関わる原発事故などは、どこにもない。細川氏のモノローグは独自の境地に入ったかのようだ。老人にありがちなことだ。

しかし、ここまで言えば、「原発がなくても発展していけるという人達と、原発がなければ発展できないという人達との戦い」という設定に話が進む。これは小泉元首相のセリフを真似したものだ。筆者は、原発の有無はエネルギー供給に関連した問題であるから、その有無は状況で変わりうると考える。特に対立する問題でもない。不倶戴天の敵に分ける理由が良く判らない。

言いたいことは、ここまでのようで、「世界は文明史の折り返し地点にいます。
環境や資源の有限性から、転換期に直面しています。」とは、普通の人であれば、気恥ずかしくて言えないはずだ。

「大地震の際の帰宅対策、防災対策、高齢者福祉、少子化、教育、子育て支援」は「誰がなっても共通の課題」だそうだ。「医療、介護、子育て、教育の分野での規制改革…既得権益との戦いこそ、私に求められること」と具体的なことは述べずに、官僚任せにするかのような発言だ。

結局、並べられた言葉は、既に何度も聞いたことがあり、空疎な内容でしかない。新たな発想は何もなく、他者とのコミュニケーションを避けた「美辞麗句と他者批判」によって構成されているだけだ。

これでは、選挙そのものも盛り上がらないものになってしまいそうだ。結局、今回の立候補騒動で明らかとなったのは、細川氏が少なくとも、精神的に老人になってしまったことだ。


          
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不揃いの「脱原発」~細川・小泉・管直人の大いなるアンニュイ

2014年01月20日 | 政治
何故、元首相の3人が東京都知事選に集うことになるのか。それは、国内の政治状況が小康状態を保っているからだろう。首相にはすべての重要情報が集まり、それをもとに決断を下す。しかし、元首相には情報は入らない。決断もなく、止めた後は暫く休養になるだろうが、だんだんと寂しくなるのではないか。

マスメディアも、偶に何かがあれば、コメントを求めるだろうが、事件がなければ報道の対象にはならない。その結果、忘れ去られていく。小康状態を保っている政治状況は、元首相達にとって、権力の中枢からの疎外感を感じながら、時間だけが過ぎて良く行く、大いなるアンニユイ(倦怠)なのだ。

そこで、ごそごそと蠢くようになる。しかし、細川は「脱原発」を文明の問題と称して立候補宣言をしたが、具体的な政策の段になると、過去の発言との整合性がとれず、苦労しているとのことだ。

アンニユイを陶芸か何かで楽しんでいる様にも見えたが、結局、心の中は空洞で、潜在的には権力に飢えていたのだろう。しかし、世の中の事象については勉強せずに、文句ばかり言っていたようだ。だから、アンニユイから娑婆の世界に戻ろうとすれば、忽ち、現実の壁にぶつかることになる。

一方、小泉は「即時脱原発」を掲げ、「原発がなくとも成長戦略が取れると考えるか、原発がないと成長戦略が取れないと考えるのか、その争いだ」と言う。郵政選挙と同じで無理矢理に二分法で敵味方を峻別するアプローチのようだ。

しかし、小泉は「経済成長」という極めて世俗的問題から「原発」にアプローチしている。そうだったのか。核のゴミ問題からの話であったはずだ。細川の「文明論」ともミートしない。経済問題であれば、数値評価が必要である種の予測も可能であるし、今でも石油の輸入で貿易赤字が続いている。

管直人は招かれざる客として、ふたりに迷惑が掛からないように勝手連的に細川を支援すると云う。それがどうも、宇都宮下ろしのようだ。しかし、宇都宮も日弁連会長を務めた人物であり、簡単にはいかないだろう。

では、管直人の「脱原発」の元には何があるだろうか。市民運動、少人数党派などの経験からくる反原子力村、反官僚、反大企業の感情が基盤にあるように思える。ポピュリズム的な大きなものの否定が中心の考え方にあるように思える。

以上のように、「反原発」の3人にとっても、その内容は必ずしも一致せず、「文明論」「経済成長論」「反大組織」と分かれるようだ。しかし、彼ら3人にとって、バックグランドの違いは問題でなく、元首相としてのアンニユイを共有している処に意味があるのだ。

更に、このアンニユイは元首相において顕著であるが、普通のサラリーマンも退職後に味わう環境なのだ。今でもこの3人組が支持されるとすれば、高齢化社会に住む、いささかお金を持っている老人集団がその基盤をつくっていると思われる。その意味で彼らがどの程度の支持を受けるのか、筆者は東京都民ではないが強い関心を持っている。

但し、筆者の感覚では「何を今更」という感じが強い。それは小泉改革に始まって、民主党政権が誕生し、安倍政権に至るまで、改革を声高に叫ぶ時代が終わり、アベノミクスのもとで、国民は一息ついているかのように感じるからだ。

見通しの利かない政策に冠しては、避けたいムード、即ち期待、幻想は持たないというある種の自衛反応が働いているように思えるからだ。

      


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内に物価上昇、外に円安差益~アベノミクスによる景気回復は本当か?

2014年01月19日 | 経済
政労使会議の効果なのか、大労組が春闘で賃上げに向けてラッパを鳴らし始めた。悪いことではない。しかし、経団連を始めとして、経営トップの集合体はこの程度のことをするだけか。結局、安倍首相に押し切られただけだ。

安倍首相は自民党の党大会で「日本を覆っていた黒雲は晴れた」という様な言葉を吐いていた。そんなに転向は一変しただろうか。景気が良いのはNHKニュースを聞いて、日経新聞を読んでいるせいではないか、最近の筆者の疑いだ。

最近、寒い日が多くなった。我が家はファンヒーターの暖房だが、灯油代は最近値上げが続き、前回は2000円/20Lが昨日は2,100円/20Lに5%値上げだ。駅ナカのパン屋で良く買う白パンは100円が105円に…という分けで、インフレは実感できるのだが、景気が良くなった、とのニュースは実感できない。

おそらく、安倍首相は賃上げを進めるのに必死であろう。一方で、首相の介入は自由主義経済の基本原則にもとる、との意見がある。しかし、何かあると直ぐに政府へ対策を求める経営者集合体が基本原則に対して忠実か、と言えば、些か疑問符がつく。

現状が円安差益によって、輸出企業が利益を出しているのであれば、それは少なくとも企業の努力によるものではない。すべてがアベノミクスの効果ではないだろうが、トヨタの社長は官邸方向へ足を向けて寝られないはずだ。当然、功績のある安倍首相の発言権が大きくなるのは必然である。

物価上昇で「生活費が窮屈」になるという筆者の実感と、輸出企業の業績向上は「経営者の腕ではなく」、安倍首相の功績という結果を繋ぎ合わせた処が、現状の日本経済を象徴しているのではないだろうか。

この一年間の日本全体の賃金動向は円安差益効果を反映していない。前年同月比で最近の実質賃金指数(事業所規模5人以上)をみると、8月は-2%、9月-1.2%と下向きだ。ともかく、日本全体では、効果なしだ。これは、野口悠紀雄氏の論考からで、以下のデータも上記の文献から引用。

氏は更に、賃金構造に目を向けて、分析を進める。
賃金は産業によって、大きな格差が生じている。
毎月勤労統計調査(総務省)での賃金動向では、
           賃金    労働者数(千人)
 調査産業計    26万5376円 46,291
  卸売業・小売業 23万2208円  8,685
  製造業     30万6546円  8,010
  医療・福祉   24万7868円  6,125
  飲食サービス業 11万7724円  4,016

労働者の多いほうから4業種をならべたが、製造業が高賃金で、他は軒並み平均以下になる。更に問題となるのは、最近、10年間で、賃金の落ち込みが大きい業種が医療・福祉だ。要するに業種格差だ。

次に雇用が増えているのは、ほとんどが非正規雇用者だ。9月の統計では、正規雇用者は3,300万に、非正規雇用者は1,940万人で非正規が40%弱にまで上昇してきた。上記の業種で言えば、卸売業・小売業、医療・福祉で非正規雇用者が増えている。

従来の日本における格差は大企業対中小企業であるが、最近は業種間格差、雇用形態格差も目立ってきている。従って、先に述べた昨今の経済状況からすると、「大企業、製造業(特に輸出企業―例えばトヨタ)、正規従業員」の枠の中にいれば、賃金上昇の期待が持てる。一方、「中小企業、医療・福祉、非正規雇用者」になると、相対的に賃金上昇の期待は小さくなる。

それに加えて、物価上昇は更に続き、消費税8%を向かえることになる。これで楽観的な予測は可能だろうか。

      
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住民による議会活動の「理解」~理解─寛容─コミュニケーション

2014年01月17日 | 地方自治
統一地方選挙の前に、朝日新聞社説(2011-2-17)は住民の議会改革活動を取り上げた。「仙台議会ウォッチャー」、「川崎市議会を語る会」の活動を、『「議会を批判するなら、その内実や議員の考え方も知っておく」という思いだ。』との記載は私たちの意図を正確に捉えている。
 『地方自治体議会・議員質問の数値評価0140116』

しかし、翻って考えると「議会を批判するなら…」という前提に拘る必要はないのかな、との考えが頭をよぎった。そうすると「…も知っておく」ということは「概要だけでなく、その内実や議員の考え方も…」くらいの文章と想定できる。更に考えれば、反語的に「議会を批判しないのなら、その内実や議員の考え方を知らなくても良い」とも言っているのか。

少なくても筆者の中には「その内実や議員の考え方を理解したい」という欲求がある。批判も称賛も、理解のなかから生み出される。深い理解が批判にも、称賛にも説得力を持たせることは論を待たない。特に批判をするために、内容を理解するわけではない。そこで、再度、自らの意図を振り返ることにした。

『理解─寛容─コミュニケーション』とは何か。
筆者は長らく半導体の研究開発に携わり、今は、知的財産関係の仕事をしている。対象を理解することによって優れた技術が開発され、世の中の進歩に寄与する。技術の世界は比較的単純にように見える。

これに対して、「人間社会では、他者を理解することによって寛容になれる」。それが社会的性格の研究である『孤独な群衆』(みすず書房)の基盤にある考え方だ、一気に40年前に戻り、デービッド・リースマンを引用しながら説明された政治学者・永井陽之助教授の言葉である。

コミュニケーションギャップは「自己の価値尺度だけで他者をみる」ことによって生じ、コミュニケーションは理解し、寛容になることによって開ける。社会現象における他者に対しては、その社会的環境も含めた理解が必要である。こういう話だったと思う。

議会の内実や議員の考え方を理解する試みは、先ず、議会に対して能動的な住民によって行われ、発信されているのが現状である。そこで、議会は能動的な住民による理解の内実やその考え方を、逆に理解する必要がある。この「議会─住民」の相互理解が相互の寛容に結びつき、信頼関係に基づくコミュニケーションが成立する。すなわち、『理解─寛容─コミュニケーション』である。

これは「議員─後援会」との関係とは少し異なる。支持者集団或いは利害関係者との関係は議員、会派の機能として成り立つ。しかし、これは必ずしも議会としての機能ではない。

議員は任期があり、また、会派は消長がある。両者ともその時々の存在である。一方、議会は代表機関として自治体の基盤であり、自治体と共にある。議会の信頼が揺らぐということは、自治体の基盤が崩れる可能性があるということだ。

改革の進んだ先進議会、例えば、栗山町、会津若松市、京丹後市等において、住民との対話集会の成功例などは、議員からの報告としてある。但し、住民側からの報告はあるだろうか。今、最先端事例として求められるのは、住民側からの報告のように感じる。

川崎市民もその段階ではない、また、仙台市、相模原市を含めて議会ウォチング団体における報告でもそこまでは到達していないようだ。尤も、それどころではない初歩的な問題が大きいことも確かに周知の事実ではあるが。

改めて、“理解する”との視点から『市民による議会白書』の課題意識を取り出せば、「刊行の言葉~議会を整理・編集・賞味する~」から始まっている。「賞味」とは江崎玲於奈氏の「日本は「科学のリーダー」育てよ」(「日経ビジネス」2010/1/4)から頂いたものだ。理解を越えて味わうことをイメージさせる言葉だ。刊行の言葉では、更に「議会基本条例と政策体系の視点から議会活動を賞味・検証・評価」と述べている。批判を含む検証・評価は、賞味によって導かれる。

議会改革が進展し、住民参加、議員間討論、行政側の反問が行き来し、そのベースとなる調査活動も議会基本条例の理念に対し、忠実に実行されるならば、私たちの活動も、もっと活発化し、『市民による議会白書』も充実した内容になることは請け合いである。改革が進めば、進むほどである。また、それが住民と議会との本来の関係と考えている。

 初出 『探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~』第153号 2011/3/3      

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地方自治体議会・議員質問の数値評価~議会ウォッチャー仙台

2014年01月16日 | 地方自治
相模原市議会を良くする会に続いて、仙台議会ウォッチャー(以降、「仙台」)による議員通信簿が公開された。「仙台」のホームページから中味を一読して、これだけの内容を考え、多くの人のパワーを集結した統合力には脱帽した。

特に筆者の関心を引いたのは、議員質問の内容を数値で評価したことである。科学・技術の世界の定量化とは異なり、社会現象は数値化すれば、即客観性が増す、というわけではない。

しかし、議会での質問内容を評価する場合、何らかの形で数値化を試みる必要があると考える。先ずは、そこに飛び込み、悪戦苦闘したことを高く評価したい。今後も味読すべき内容ではあるが、先ずはフレッシュな印象をもとにコメントしてみる。

議員質問の内容を数値化したわけであるが、一方で、悪戦苦闘の真価は数値を決定するところではなく、質問の内容を理解し、市政をこれまでよりも深く知ることにあると筆者は考える。

私たち、川崎市議会を語る会のメンバーも、『市民による川崎市議会白書』(以降、『白書』)作成する作業で議事録と向き合い、“四つ葉のクローバー”を探し出すのに、えらく苦労したからだ。

なかなか無いのだ!“四つ葉のクローバー”は!
委員会質疑・議員質問という広大な“三つ葉のクローバー畑”の中で、優れた質問を見出すのは運・鈍・根を必要とする。

川崎市議会がどうであるのか、普通のサラリーパーソンである筆者は知るよしもないが、「仙台」の報告では、市議会の議員さんたちの中には仕事中に眠気を催す方も相当おられるらしい。体調によっても仕事振りが左右される様子だ。

そうなのだ、筆者たちも、その日・そのときの体調によって、優れた質問の判断基準が、どの程度かわからないが、おそらく揺らいでいたであろう。体調よりも更に本質的には、マスメディア・ネットメディア等により、知らずのうちに降り注がれる情報シャワー、あるいは、自ら知り得た知識等によって、自分たちの判断基準そのものに“ずれ”が生じることもあるはずだ。

「仙台」が試行錯誤の末にたどりついたという評価基準は「調査・比較・提案」であり、それを各4,2,3点で評価する。もちろん、これは試論であって、今後、見直しを進めていくであろう。このような基準は仮に決めて進めていくうちに、その具体的内容に伴ってイメージが結ばれていくものであり、はじめは、人それぞれに異なるほうが自然だ。それをまとめていくことは何らかの割り切りを必要とする。

従って、異論は出てくる。しかし、これは更に議論を進めて変えていけば良い。ベースができているのであるから。それと共に大切なことは、他の団体が単に真似るのではなく、自らで基準を作りあげることが求められる。要するに、形だけ真似た「議会基本条例」を作ってはいけないのと同じである。講習会などによる模倣の奨励などは、厳に戒めるべきである。

更に「仙台」は「AB評価」を編み出している。点数づけにならない質問を分類し、これも苦心の創作と受け止める。私たちも『白書』の作成の更に前、先の「三つ葉のクローバー」群の大量の質問をどう処理しようか考え、「状況把握質問」と呼ぶことにした。その後、『白書』では「通常質問」(テーマ説明―状況把握―見解要求・要望提出)と普通に名づけた(『白書』P16)。

優れた質問例として例示されている、すげの直子議員「特別支援学級の抱える問題について」を仙台市議会議事録から探し出し、読んでみた。

この一つの質問で、その時の決められた時間をすべて使っているらしい。「的を絞り、掘り下げた質問」と評価されている。筆者もピックアップした良い質問を「掘下げ質問」との言葉を使って表現したことがある。上手い表現がなかなか作れず、今も表現に困っている処でもある。『白書』においても、しかたがないので「掘下げ質問:良い質問」とし、更に「際立った質問」という言葉を用意した(『白書』P16)。しかし、言葉だけで、数値評価は試みていない。

閑話休題。すげの議員の質問は、答弁も含めて約8千字。川崎市議会ではフルに時間(持ち時間30分)を使って1万1千―1万2千字程度であるから、それよりも少ない時間であろう。

第1質問で調査内容から提案まですべてを言い切っている。全体で9項目から構成されている。それぞれについて調査をベースに議論を組み立てており、力のこもった作品になっている。一方、このテーマに不慣れな方が始めて読むと、全体像の把握に戸惑いを覚えるかもしれない。特別支援学校の設置を県へ要求、私立の特別支援学校の設置要求、講師配置、教員採用加配、家庭への支援、補助指導員配置・待遇改善…と続いていく。

不足を訴えて増やす要望へ結びつけているのは論旨も含めて良くわかる。しかし、その中での優先順、ポイントは良くわからない。話が目まぐるしく変わり、最後は抽象論でまとまる。これで掘り下げているのか?と言えば、筆者は少し首を傾げる。優秀と言っても5点(9点満点)であるのは、この辺りが理由かなとも考えた。

また、答弁が官僚的でとおり一遍であることは川崎市と一緒である。結局、本会議質問に面白さが欠けているのは、この官僚答弁が何十年にもわたって続いていることが、議員を本会議で無気力にならしめる原因の一つであることは、もっと指摘されても良いと考える。

第1質問で全体のボリュームの2/3を占め、再質問と2回の答弁で残りを費やす。最初で項目を絞り、答弁を得て、問題点を突く方法も有りではないかと感じた。具体的に行政を追い詰めるだけの分析を行っているのであれば…の話であるが。他にも色々な方法で質問しているのであろうから、この一つで云々することは無理である。

以上のように、ざっと読んでみて、私たちの『白書』との違いも少し判ってきた。ただ、問題意識を共有していることにおいて励みを頂いたというのが実感である。

なお、本稿は基礎自治体の議会活動を市民が検証する活動の一助になればとの思いで、やや古くなった論考を取り上げてみた。

初出 メルマガ「探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~」
   第152号 2011/2/23

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