散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

安倍首相の国連演説は日本の方向性を示すのか(1)~核軍縮を巡って

2013年10月09日 | 政治
自民党政権時代の首相は、積極的に国連演説をせず、その内容も話題にならず、英訳も官邸HP上に記されていないことを一昨日の記事で述べた。演説した本人たちも既に忘れているかも知れない。
 『安倍首相の国連演説~現実の力と発言の現実性101007』

一方、今回の安倍首相の演説を重要として評価する論調もある。
冷泉彰彦氏は「首相の演説は政権の政策を決定づけるだけでなく、日本の方向性も内容と矛盾のないように進めるという宣言」「国際社会にはホンネとタテマエの区分は、ハイレベルではあり得ない」「この宣言に違反した行動は、安倍政権として不可能」と述べ、「演説は重要」だと言う。

この議論に反論は特にないが、付け加えることがあるとすれば、ハイレベルになるほど、総論賛成でまとまり、各論はそれぞれの行動主体の利害関係でバラけるということ位だ。従って、宣言に違反することはあり得ないが、具体的な行動に対する評価はそれぞれの評価主体によってバラけるはずだ。

本記事では「核軍縮演説」を考えてみよう。
首相の「非核三原則堅持、軍縮・拡散防止」との言葉を通して、首相が国外では、石原慎太郎氏と同じく核武装論者に見られていることが払拭され、当面は日本国内で核武装論は実質的に封印される、と冷泉氏は高く評価する。筆者は上記の記事で“定番表現”と評して特に目新しいことを見出せなかったのだが。

首相が評価したオバマ・米大統領の戦略核の削減提案は、核保有国の相互信頼に基づく軍備コントロールの一環として捉えることができる。単なる数量の削減ではなく、核戦争のリスクを削減するコミュニケーションを促進することだ。とは言っても、日本は注文を付けることは出来るが、実際の力は特にない。

一方、世界での核問題の最優先課題はイラン、北朝鮮の核開発とゲリラ組織などによる小型核兵器の調達・使用を抑えることにある。これをクリアしないと現在の核非保有国も核保有の誘惑にかられるからだ。特に北朝鮮の動向によっては、日本国内において、危機感が増幅する可能性はある。但し、これに関しても米中に日本は依存するだけで、影響力を与える立場にはない。

以上の様に、核軍縮に関しては全般にわたって、日本は交渉の局外にあって、逆に、理想論を言える立場でもある。そこで、「非核三原則堅持、軍縮・拡散防止」は、核軍縮の会合、即ち軍縮を前提とする場では、日本として当然の発言になる。これ以外に発言の仕方もない。しかし、これが安倍首相のイメージを核武装論者から開放したとしても、首相は核武装の議論を否定したわけではない。

更に、非核三原則は米国の核の傘を前提として成り立っている。その前提は現在、少しも揺るぎはない。そうであれば、特に核武装について国家的なレベルで議論する必要性はないはずだ。石原氏などの議論は無視すれば良いのだから。

従って、安倍首相の発言は、上記の二つの前提条件、軍縮を前提とする場、米国の核の傘は不変、のもとに、精一杯ハイレベルに、言い換えれば、総論として作りあげたものだ。従って、従来の日本の考え方を踏襲しているだけで、特に目新しいものではない。また、国際的に注目されるような政策でも無い。

国連総会直後の9/30、「日英安全保障協力会議」における基調講演の中に安倍首相の関心事が述べられている。「私の政権では、国家安全保障会議の設置、国家安全保障戦略の策定、集団的自衛権、集団安全保障措置と憲法との関係…」。

おそらく、今後の安全保障の国内的議論は「集団的自衛権」にフォーカスされるはずで、取りあえず、軍縮問題は核武装も含めて、これまでに様に、日本では二次的な話題として続く様に思われる。

      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする