散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

1950年代に出現した地域ビットコイン~子ども相手のインチキ商売

2014年02月28日 | 回想
これは、「お前がバカなんだよ」とひとこと言われて終わるような話だ。

小学校の3,4年生、1957年頃だと思う。ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、映画『明治天皇と日露大戦争』が大ヒットした年である。高度経済成長に突入したと言っても、その恩恵は未だあまり肌で感じられない頃であっただろう。
 『初めて旭日旗を見た日露戦争の映画~我が内なるナショナリズム130805』

それでも、適当に親から小遣いを貰っている子どもたちも増えていたと思う。小学校の校門の直ぐ近くに商売道具の箱をもって、ゴザを敷き、その上に座って店を広げて、子ども相手に商売を始める男が訪れた。

何の商売か?
「粘度」を「型」(建築物、動物、ヒーロー等)に押し付け色々な形を作り、その粘度に色彩を付け、作品とする一連の作業から収益を得る商売だ。従って、「粘土」「型」「色粉」を売るのが主であるが、その回転を速め、また、購買意欲をそそるために、作品の品評を行い、回転を速くするのがミソである。

そこに登場するのが、ビットコインならぬ“点数券”である。ここまで説明すれば、どんな商売だか、大凡の見当は付くと思う。作品に点数を付け、それを金券として制作者に渡す。作品(粘土)は販売者が回収する仕組みである。

子どもにとっては、その“点数券”が遊びの資金となり、高い点数を取るために、作品の制作に集中されるようになる。作品は店先に展示されるから高い点数を取った作品を制作した子どもは注目され、その制作過程は他の子どもの見学の対象となる。それは、その子どもにとって名誉価値を生み出すのだ!

子どもを作品制作に集中させ、それを名誉価値の創造へ結びつけたことこそ、そのインチキ商売の工夫と社会への貢献があったのだ!

当時、高度経済成長が始まり、技術者人材育成の必要性も教育界の話題になっていたとしても不思議ではない。それと共に社会全般に教育熱が高まり、受験競争なる言葉もマスメディアを介して話題になっていたかもしれない。その中で、子どもを評価する親や世間の眼も一元化されていく状況もあったかに見える。

その中で、子どもの創造性を刺激する商売が忽然として目の前に現れ、小遣いの範囲内において出来るという場が設定されたとすれば、その理屈はともかく、その遊びに惹かれる子どもも多くいたことは理解できる。

現代のビットコインはそのような創造性を刺激するものは何も含まれない。受験競争は金融の世界においてマネー獲得の名誉価値を作り出したかのように見える。コンピュータの画面に現れたマネーの桁数に自己満足を得るまでに、人間の自我に経済的価値観が浸透しているのだ。

さて、当時の世界に戻ろう。
その商売の初期には「粘土」「型」「色粉」は売れた。その後、点数制度の中で商売が安定してくると、点数券を使うリピーターからの売上げは少なくなり、新規参加者の増加に売上げは依存する。しかし、その小学校の周辺がせいぜいであって、基本的には閉鎖的空間である。

そこで使われる手法は点数券の販売である。少しおまけを付けて、金と点数券を交換するのだ。作品の名誉価値は点数によって表現されるから、それは容易に点数そのものに転化される。特に名誉価値を得た子どもほどその傾向は強くなる。閉鎖的空間の中では、点数券の方が現ナマよりも価値が高くなるのだ。

そこで作品を介さずに、現ナマと点数券の交換が起こる。こうなると、その男は「ハーメルンの笛吹き男」(阿部謹也(ちくま文庫))の様に見える。

 
 
しかし、それが最終的な仕事だったのだろう。毎日とはいかないが、適時、商売に来ていたその男は、或る日、パッタリと来なくなった。子どもにとって、大量の不良債権が手元に残されるわけだ。しかし、子どもは現在に生きる存在だ。名誉価値が得られなくなった以上は、作品制作の意欲は消え、他に関心が移るだけだ。親に言えば、冒頭の言葉が返ってくるだけのことは判っているのだ。


      
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労働者の賃金減少と春闘の行方~アベノミクスの焦点

2014年02月27日 | 経済
賃金構造基本統計調査の結果(厚生労働省2月20日発表)によれば、2013年のフルタイムで働く労働者の月額賃金は前年比で0.7%減少、29万5700円。賃金の減少は4年ぶり、男女ともに減少するのは初めて。また、
 正社員   賃金31万4700円 人数46万人年間減少
 非正規社員 賃金19万5300円 人数93万人年間増加

春闘での賃金値上げ後も、あまり期待できない様だ?との報道である。
上記のデータから判るように、賃金の低下は、非正規労働者の増加が主要因。正社員の賃金も下落してはいるものの、全体的には非正規社員の数が増えたことが大きく影響している。正社員と非正規社員の格差、あるいは男女格差が縮まらないと、全体の賃金を上昇させることできない。

安倍政権は企業に対して賃上げを強く要請しているので、賃金上昇が期待されている。しかし2013年で見られたような、非正規社員の増加という流れが継続すると、全体の賃金が上昇しないという結果になる。

男女格差も同様。2013年の男女別賃金は、
 男性:前年比0.9%減少
 女性:前年比0.2%減少
しかし、これは周知の様に元の賃金が低いためである。女性の就業者数は今後も増える見通しであるから、今後も全体の賃金低下につながる。

一方、安倍政権だけでなく、経済マスメディアの頂点に立つ日経も、賃上げ報道に必死である。本日の朝刊トップは「賃上げの波、非正規にも 派遣大手が3―5%要請」である。

人材派遣大手のテンプスタッフ、パソナグループは料金を現在より3―5%引上げる交渉を顧客企業と始めた、とのこと。待ちに待った、朗報だ!
パートタイム労働者の時給引き上げの動きも広がっている。脱デフレを目指す政府の要請もあり、業績好調な大企業を中心に正社員のベースアップを含む賃上げを容認する動きが出ている。雇用形態を超えた賃金上昇につながる可能性がある、と目一杯の書きようだ。

一週間前にはトヨタが業績回復により、6年ぶりベースアップと報道した。円安でとてつもなく、利益を上げている代表企業であるから当然だ。日立、東芝も続くとのこと。デフレ脱却には従業員の賃金底上げにつながるベアの実施が不可欠とみている。産業界の労使交渉をリードしてきたトヨタと日立が賃金改善に踏み切ることで他の企業にも賃上げの動きが広がりそうだとの観測を流している。

問題は先にも書いたように、全体の就業構造と賃金との関係だ。超高齢化社会において、生産年齢人口は減少し、結婚・出産年齢は上昇している。65歳を超えると、仕事をする人と悠々自適の人との切り分けもでき、新たな階級構造も明確になる。日経報道の様に、部分の切り取りでは誤解へ導かれる可能性があるのは勿論だが、単なる総計であっては結果論だけになり、分析もできない。
ネット駆使時代では、情報の質が一層、問われることになる。

      
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「空前の立ち往生」と「世界同時革命」~NHKクロ現・大雪の猛威

2014年02月25日 | 回想
大雪の後の雪かきに汗を流し、地域の防災体制に思いを馳せた頃、今晩の「現クロ」が伝える処、山梨県では、中央自動車道や国道では車の立ち往生の列ができ、交通が断絶し、県全域が“孤立”という異常な事態になっていた。
『マンション・地域の雪かき~大規模災害に耐えられるか140215』

役所、消防、警察等、どれをとっても県全域に人員を配置できない。除雪車も限りがある。情報も十分に集められず、判断もできず、その間、更に雪は降ってくる。立ち往生はその結果である。

雪は同時に各地域に降る…。そこから各地域に、同時に人員、もの等を必要とさせる。これは「世界同時革命」の発想と同じだ。1968-1969にかけて、大学紛争から都市ゲリラへの転換点を向かえようとしていた。

東大安田講堂事件以降、大学紛争は転機を迎え、場は大学内から都市全体に移ってきた。都市ゲリラ化である。闘争の場として新宿、渋谷、池袋、上野、東京駅、等が選ばれ、ゲバ棒にヘルメット姿が駅構内に現れた。

出だしは、新宿騒乱事件などもあって、警察の国家権力の“暴力性”を暴こうとする全学連の作戦が効を奏したかに見えた。しかし、その後、各拠点駅を中心に、同時に騒乱を起こし、警察を分断化させる作戦も、警察側の対応によって阻まれ、逆に、全学連の“暴徒性”が明らかにされることとなった。

各拠点での闘争を、人数の少ない段階で局所化し、封じ込めることによって、回りからの参加を防ぎ、その広がりを抑えることに警察は腐心したようだ。従って、全学連側は各拠点での騒動のタイミングを合わせることが出来ず、結局、同時性を有する都市ゲリラは実現されなかった。

今回の雪による交通障害の発生は、図らずも、自然災害の同時性を顕すことにより、その被害を最小化する人間社会の同時性行動の難しさを示すこととなった。圧倒的に激しく、厳しい自然の力に対して、後手に回って、分散した形で人間社会が対応しようとしても、被害が大きくなり、収拾にも時間が掛かる。

自然災害に対する「事前の避難」はどうすれば可能になるのか、との問いに対して冷泉彰彦氏は米国、ニュージャージー州での昨年2012年10月末のハリケーン「サンディ」、2005年の「カトリーナ」の経験から、被害の予想される地域への避難勧告や対策は、ハリケーンの上陸時間から逆算して、48時間以上前から行われていると言う。

更に、「事前の避難」や「事前の対策」を講ずるという考え方は、日本では余り定着しておらず、被害を大きくしている。日本には風雨が実際に強まって来ないと危機感が持てないという「カルチャー」があると指摘する。

また、「事前避難」に関して「外れた場合」に、「結局来なかったのに、こんなに大げさに避難したり準備したりしたのは失態だ」という種類の非難を「言わない」「言わせない」というカルチャーを作ることが大切とも指摘する。

しかし、「クロ現」には、このような話は出てこなかったようだ。結局、決断と責任の所在を明らかにし、指揮系統を明確にすることがすべての出発点でもあるし、現実の事が起こったときの対処法でもあると思うのだが。


       

      
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「円安・公的需要・低金利」の経済~輸出偏向型社会の歴史的考察(河野龍太郎)

2014年02月23日 | 経済
輸出偏向型の経済戦略の問題は、円高のメリットを享受する社会という発想に欠けていることだ。貿易の目的は、輸出で所得を稼ぐだけではなく、多様で質の高い財・サービスを安価に入手するでもある。豊かになった日本の需要構造がサービスにシフトするは自然な流れである。これが河野龍太郎氏の論考の趣旨だ。

永井陽之助は1974年12月の時点で既に、日本を含む先進諸国の社会が生産システム中心からサービス中心のヒューマンな社会へと質的な構造変化を遂げない限り、おそらく明日はないとの趣旨を論文『経済秩序における成熟時間』(「時間の政治学」(中公叢書)所収)において理論的に明らかにすることを試みている。

河野氏の論考は、永井の提示した「生産システムからサービスへ」の問題意識を内に含んでいる。即ち日本は、
「ブレトンウッズ体制の下、70年代前半までは割安な為替レートで輸出増加による高い成長が可能」「しかし、高所得国の仲間入りした70年代後半以降、輸出偏向型の経済戦略を続けることはもはや困難」だったとの河野氏の指摘において、永井論文は、丁度その端境期での所産なのだ。

更に、90年代以降はアジア新興国の輸出攻勢に対して、日本はハイエンドへシフトせずに、同じ土俵で体力勝負を試みた。この消耗を可能にしたのが、正規雇用を非正規雇用に代替していったことだ。即ち、「円安依存=低賃金化」なのだ。

河野氏の見立てによれば、現状の日本が好況なのは、円安による輸出企業の利益率改善、公的需要の大幅増加によるものである。一方、日銀のゼロ金利政策と大量の国債購入政策の長期化によって、金利上昇が抑えられている。従って、追加財政が途切れると禁断症状があらわれる。

氏は穏やかに言っているが、筆者によればアベノミクスの第2の矢こそは禁断症状のなれの果ての様に思われるのだ。即ち、「3本の矢はそれぞれ独立した政策であり、必須なのは第3の矢、成長戦略だけなのだ。」
 『黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(2) 130426』

更に問題点として、実質ベースで円レートはすでに持続不可能なほどの「超円安」と指摘する。「企業の輸出入、投資行動を左右する実質実効ベースで見ると、現在の円レートは、85年のプラザ合意時や2000年代半ばの超円安期を下回り、82年頃の水準(1ドル=250円)まで低下している。この辺り、専門家によって議論が分かれる可能性はあるが、表立った議論は無いように見える。

従って、「現状を前提に、輸出企業が投資を決定すると、将来、大きな調整を余儀なくされる…設備投資や採用が増える過程では好況の訪れと人々は受け止めるだろうが…超円安が修正される段階で、過剰ストックの調整が不可避…実質円安が長期化・固定化は大きな弊害が生じる」と論じる。

そこで、「人間は時間が経つと物事を忘れる動物…輸出企業が投資の枠から大きく踏み出す時こそ、慎重に先行きを見極める必要がある。」と警告を発する。例として、苦境の「電機業界」を教訓として挙げる。04-07年(108-117円)までの超円安の下で過剰ストックなどの不均衡が蓄積され、08年以降の円高(103-80円)に対応せざるを得なかったからだ。

当時、日韓国、台湾などは、生産拠点を中国、東南アジアにシフトさせた。一方、日本の一部企業は国内に生産拠点を回帰させた。欧米のブームと超円安で国内生産が有利となり、グローバリゼーションの恩恵としたのだ。誤った経営判断によって、過剰ストックや過剰債務を抱え、日本は韓国、台湾のライバルに完全に劣後するようになったのだ。

国際金融危機が始まり、超円安が修正され、輸出が落込み、表面上は円高による苦境に見える。しかし、それ以前に生じていた実質ベースの超円安と輸出ブームに助長された過剰投資が元凶だった。以上の指摘も、多くの論者の見せかけ(円高)を見破って、本質(超円安時の経営判断)に迫っている。

以上に示す様に、河野氏の考察は、歴史的状況を背景に“豊かな社会”としての将来の選択を示唆し、明治維新以降、連綿として続く、トラウマから解放される契機を含んでいる様に、筆者は感じる。
 『資源の無い国のトラウマ~輸出偏向型経済戦略140221』

      
     
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資源の無い国のトラウマ~輸出偏向型経済戦略

2014年02月21日 | 経済
昨年12月の貿易収支は1兆3021億円の赤字であり、18カ月連続の赤字であったことを昨日の記事で報告した。
 『貿易赤字の拡大と実質賃金の停滞~規制緩和と成長戦略の行方140221』

更に昨日の公表では、1月は2兆7900億円と想像を超えるペースで貿易赤字が拡大している。輸出が数量ベース前月比15%、金額ベース14%と大幅に減少し、赤字額が急拡大した。2014年に日本が慢性的な経常赤字体質となるのはほぼ確実な状況となってきた。

改めて、昨日の経常収支のデータを小黒・法大准教授の論考から掲載すると、下図のようになる。長期トレンドが一目瞭然だ。更に貿易赤字拡大の原因は、原油価格の高騰と円安が主因である。メディア等では、原発停止による液化天然ガスの輸入量の増加との説があるが、それは誤解である。
 
安倍政権は円安によって輸出を回復させる経済政策を取ってきた。しかし、優れた認識を有する学者、エコノミストが指摘する様に、この認識は誤りである。要するに、安倍政権の取り巻きには人材が不足しているのだ。

この貿易赤字については、既に野口悠紀雄・早大教授が鋭く分析している。
つい最近の貿易赤字は小黒氏の指摘の通り、原油あるは液化天然ガスの輸入増加である。しかし、この1年程度を取れば、輸出の伸び悩みの影響も大きい。2013年の輸出総額は69兆7877億円で、対前年比9.5%の増加だ。ただし、これは円安によって円表示の価格が上昇した影響もある。下図に示す様に、輸出数量指数の対前年比は1.5%の減少だ。つまり、円安下であるにもかかわらず、輸出数量が落ち込んでいるのである。


結局、円安による為替差益により、輸出金額は増加しているが、国内生産の状況は変化していないのだ。これは、アベノミクスが実体経済を改善していないことを示す最も重要な証拠の一つだ。更に、安倍政権が期待した貿易収支の改善は見られず、まったく逆のことが起こっている。

野口氏は日本の輸出立国モデルは崩壊したと述べている。
しかし、この状況を導いた安倍政権内部の認識として、資源の無い日本は、輸出によって生きていくという、戦後日本の政策、それが大成功した高度経済成長時代の印象が、トラウマとして残っているように思われる。経団連という輸出大企業の利益を代表する団体が今もなお、企業集団の代表として君臨していことも含めて、グローバル化した世界の中の日本が問われていることでもある。

      
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貿易赤字の拡大と実質賃金の停滞~規制緩和と成長戦略の行方

2014年02月19日 | 科学技術
財務省が発表した2013/12の貿易統計によれば、貿易収支は1兆3021億円の赤字であった。これで赤字は18カ月連続、また、先月に引き続き、過去最長を更新した。更に前年同月比では赤字額が倍増している。

貿易赤字の増加トレンドは続き、慢性的な経常赤字になるのは時間の問題であると「ニュースの教科書」は指摘し、続いて、以下の様に述べる。

経常収支は最終的な国の収支を示す指標、貿易収支に投資収益(所得収支)を加えたものだ。日本はすでに慢性的な貿易赤字体質になっているが、それを上回る投資収益があるため、経常収支は黒字が続いていた。だが2013年に入ってから貿易赤字が急拡大し、投資収益を上回り、経常収支が赤字になる月が出始めた。
昨年1年間の投資収益の月平均…約1兆4000億円。
今月の貿易赤字…1兆3000億円。経常赤字体質の転落は間近だ。

輸出の不振は日本企業の国際競争力に起因。為替で回復できるものではない。円安後も輸出の数量は横ばいが続き、増加の兆しはない。

一方、海外からの投資収益を拡大すれば、貿易赤字増大の影響を緩和させることができる。海外資金を呼び込みやすい環境を整備することだ。経常赤字が慢性化すると、国内の資金余力が減少し、必然的に海外からのファイナンスへの依存度が高まる。その時に、日本市場が魅力的でなければ、日本は資金不足に陥る。

さて、私たちの生活はというと、賃金が上がれば良い。安倍政権は春闘に期待しているようだが、財界に寄り添う保守政党が今や、労組の支援をするようになった。これを“ねじれ”と呼ばずして何と言えばよいのだろうか。尤も、保守政党だから出来るのだ、という説もある。革新政党が言えば、贔屓の引き倒しになってしまうからだ。経済的合理性は無いが、政治的には納得する説明になる。

では、一時金の時期であった12月時点での賃銀状況はどうか。
石川和男氏によれば「アベノミクスは『賃金』に未だ効果なし」である。厚労省発表の「毎月勤労統計調査 平成25年分結果速報」によると、平成25年の実質賃金は対前年比0.5%減、昨年に続き、2年連続の対前年比マイナスとなった。

以下、次の様な説明だ。資料にある「調査産業計」の「実質賃金」が全体を表すうから、その推移を見るのが良い(下図参照)。民主党政権からH24/12に交代して発動したアベノミクスは未だ効果を発揮しているとはとても言い難い。

 「石川氏ブログより転載」(元は厚労省のHP参照)

デフレ脱却を物価上昇に求める強い拘りが現政権にある。国民が感じる景気好転とは、賃金水準の上昇にある。悪しきインフレ傾向が続く現状は看過し得ず、そこから先ずは脱却する必要がある。

筆者も全く同感だ。そのためには、規制緩和を含めた成長戦略の実施しかない。という常識的解答が待っている。

     
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米国の深層心理と日本の位置~『“鯨”の象徴学』再読

2014年02月17日 | 永井陽之助
米国のケネディ駐日大使が公式ツイッターで、「米国政府がイルカの追い込み漁に反対する」と、個人的な見解らしきことを言って、騒ぎか広がった。欧米ではイルカは鯨と同類の動物らしい。

歌手のオリビア・ニュートンジョンが「イルカのようにかわいくて賢い哺乳動物を殺すことを認めるような国では、歌を歌う気にはなれない。」と言ったのは1978年だ。それから40年近く経っても同じような騒ぎが続く。また、グリーンピースによる捕鯨反対活動もその行動がエスカレートしている。

捕鯨問題が国際的な話題になり、1972年の国連「人間環境会議」において、「商業捕鯨十年間モラトリアム勧告」が採択されて以降、イルカや鯨が単なる動物としてではなく、欧米諸国のキリスト教に基づく、象徴的存在として顕れている。

永井陽之助は比較的早く、1975年10月に『“鯨”の象徴学』(「時間の政治学」(中央公論社)所収)としてこのことを論じている。

副題に―「ベトナムの教訓」と米国知識人―とあるように、ベトナム撤退後の日米関係に及ぼす米国の深層心理に及んだ論考だ。即ち、「今後の日米関係は、政府間レベルの信頼関係だけでなく、米国の議会、世論の動向、さらにはその国民意識の深層部にまで根をおろしたものにならない限り、長期安定を期待しえない」という問題意識に基づいている。」

昨今の韓国慰安婦問題に関連して、2007年に米国議会下院が「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」を採択したことを30年前に予測したとも云えるのだ。
更に、「その点で、注目すべきは、…捕鯨反対運動の動向である。…この争点を巡る日米間の近くギャップは、かつての繊維交渉を上回る認識のずれを示しているのみではない。…」との指摘も今日に至るまで有効だ。

以上の基本認識をベースに、論考の中では多角的な指摘があり、いま、改めて読んでみると、認識を新たにさせられることが多い。そんな中で日本の位置に関することが、気になる処だ。「われわれ日本は、自己の存在をしばしば簡単に”海洋国家”と規定し、他国もまたそう見ていると考えがちであるが、それにはかなりの疑問がある。」

「我々が外洋を活動空間とみなして、その民族的エネルギーを放散する場として海をながめてきた、という歴史的事実はない。」と指摘する。逆に、「大陸の外辺部として、として認識されがち…」なるのだ。すると、最近、韓国が日本海の呼称に拘っている理由とも関係がありそうにも思える。

米国が日本、台湾、フィリピン、マレーシアを経て、東南アジアへ繋がる一連の島国を大陸に対する防波堤と考えれば、日本の位置も少しは明らかになる。但し、それだけでは、日本の外交のあり方には、まだ不十分である。

歴史的に見れば、明治維新以降、世界へ台頭していった日本は、日露戦争後は欧米諸国の中でも日本と同じ後進国であるドイツに倣った政策を展開したかに見える。韓国を足がかりに「大陸帝国主義」の道へ進み、満州国を建設した。更に日中戦争の道へ突入したが、これは将に、大陸の外辺部からその内部へ向けての攻勢である。

しかし、行き詰まりの中で、「大東亜共栄圏」を掲げて、東南アジアへも進出すると共に、真珠湾奇襲から太平洋戦争に突入した。それが完敗に終わり、米国の占領下に置かれ、また、冷戦の時代に入るにつれて、大陸とは隔絶され、東アジアから東南アジアに連なる群島の一角に位置づけられ、今日に至っている。

しかし、この状態は日本の位置づけを曖昧にしている。おそらく、群島から東南アジアを含む国家群の連携を強化して中国に対応することが米国の基本戦略と思われる。当面の日本は台湾との協力関係が重要になるだろう。それが東南アジアへ通じる道になるからである。

      
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マンション・地域の雪かき~大規模災害に耐えられるか

2014年02月15日 | 地域
天気予報でも予想外の大雪だった。今朝、いつものように6時前に目が覚めた。先ずは外を見たのだが、雨みたいで一安心。ところが、6時のニュースをみると、夜は大雪だったとのこと。マンション3階に住む住人としては少なくとも階段に吹き込んだ雪かきは必須だ。


  
    自宅があるマンションの表玄関

これが雪かきの最終結果の一部だ。自宅があるマンションの表玄関から道路までの雪かき後の写真だ。ともかく一本道を作らないと、長靴でないと歩けない。但し、その前に廊下から階段にかけて雪かきをして、その後に、ゴミ集積場まで道筋をつけておく。すると、後は外へ通ずる道の問題になる。

更に、その後はマンション前の道を少し先の駅に通じる道へ繋げることだ。此処まで来ると、地域の住民がアウンの呼吸で道路の雪かきに参加する必要がある。但し、特に呼びかけるわけでもなく、自宅周辺に冠しては、その周辺の家を含めて行うことが前提になる。それによって、駅まであるいはコンビニまでの道は開通するのだ。さて、出来るだろうか。

それでも上手く出来たようだ。先ず、隣の駐車場では、仕事に使う車を駐車させている人達が雪かきを行っている。また、自宅の前の雪かきは、やはり年寄りの方が、適時に行っている。雪かきした道が30m先にまで達した。

特に、お互い声を掛け合うわけではないが、やはり、自宅の前は気になるようで、様子を見て、雪かきをしている家がだんだんと増えてくる様子だ。但し、問題は若い人がほとんどいない様子になることだ。

これは、ある程度まで地域を気にしていることを示している。悪く言えば、相互監視の社会であることを示している。問題は若い人が皆無ということだ。ここは難しい処だ。基本的には外に顔を向けているのは仕方ないが、災害時は一番に期待したい人材なのだ。

ともあれ、今日は相当に腰にきた感じでやはり、体力的には苦しい状況になる…こともあるようだ。だとすれば、自発的に活動している人たちもまた、体力的に無理をしていると想像できる。

出来るだけ早い時期に、若者を巻き込んだ防災体制の構築が必要だ。





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川崎市予算案を初めてHPに掲載させる~情報公開とは何か

2014年02月14日 | 地方自治
川崎市・福田市長へ2/11に直接(休日でもあったので)、メールを出し、HPのトップページに来年度予算案の案内を掲載するようにして頂いた。メールは、オフィシャルな「市長への手紙」、市長のアドレス、及び個人のアドレスへと同時並行的に出してみた。

結果は2/12の朝、川崎市のHPの「お知らせ欄」に「平成26年度予算案について」と掲載されており、福田市長から筆者のFBに「ご指摘ありがとうございました。誠にごもっとなお話で行き届いておりませんでした。」とあいさつを頂いた。
経緯は以下の如くになる。

地方自治体の来年度予算は2-3月にかけての定例議会に議案として上程される。そこで、予算案は丁度今の時期にその地方の首長からマスメディアの定例記者会見を通して住民に知らされるのが常である。

全国紙の地方版及び地方新聞は予算案のおおまかな姿を記事にし、多くの住民はそれを読んで何となく、予算の規模と首長が宣伝したい政策を知ることができる。それでもその情報に接する住民の数は限られている。圧倒的に多くの住民はこの予算案が出来た段階では、その内容に接することは無いだろう。

川崎市も例外では無い。市長の定例記者会見は2/10に行われ、予算案が記者達に紹介された。県内の有力地方新聞である神奈川新聞は翌日に「川崎市予算案:市税収入は過去最大、待機児童解消に重点」と報道した。

筆者はそれをツイッター上で読み、予算案を見るために、川崎市のHPにアクセスしてみた。予算案を公表した以上は、少なくともHP上に掲載しているはずだ。しかし、トップページの「お知らせ欄」には「予算案を公表」の文字はどこにも無い。サイト内を検索してもその第1頁には出てこない。普通の住民であれば、予算案にアクセスするのを諦めるであろう。

そうすると実質的には公表していないこと同じだ。筆者は「記者会見」から入って、「平成26年度予算案について」に辿り着いた。そこから階層をみると、
“トップページ―市政情報―市の財政・市債・行財政改革―財政―川崎市予算について―平成26年度予算―平成26年度予算案について」。
以上の6階層になっている、辿れるわけがない。

そこで、以下の趣旨の文面を最初に述べた市長のアドレスへ投函した。
『大至急、平成26年度予算案をHPトップページから閲覧できるように設定して下さい。新聞では予算案が公表されたことを報道しています。しかし、HPのトップページ「重要情報」に、そのお知らせが掲示されていません。市民にとって、一番重要な情報です。6階層を辿らなければ、到達できません。また、検索「平成26年度予算」でも最初にヒットしません。これでは、市民から隠しているのと同じです。』

福田市長の素早い対応に感謝すると共に、情報公開の感度の高さは日頃の発言と同じであったことが良く理解できた。そこで、日頃考えている“情報循環”について次の様にお願いした。

『福田市長殿 今朝ほど、川崎市HPのトップページに案内が掲載されているのを確認しました。ご対応を感謝します。これからも積極的な情報の循環をお願いします。循環とは「市民―市長・行政」の間で情報が行き来し、政策が練り上げられることを意味しています。』
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川崎市議会が請願の取下げを働きかけ~非公開審議の果て

2014年02月12日 | 地方自治
昨日の記事に示した様に、提案取下げを含みに「継続審査」になり、その打診を目的とした会談に対応せざるを得なかった。そこで、請願提出者として本会(川崎市議会を語る会)の会員2名が2009/7/13に議運正副委員長と面談した。
 『川崎市議会、自由闊達な討議は非公開!(1)~栗山町議会との違い140211』

こちらは、取下げなどはあり得ないとの態度。
先ず、我々が異議申立するのは、議会が市民の声を吸い上げて強くなって欲しいからである、と述べた。この言葉は意外だったらしく、先制パンチになったようだ。その後、ともかく以下の主張をした。

  請願は議会基本条例の制定プロセスに対するもの
  なぜ、市民にしっかりとPRしないのか
  請願提出2/23は遅くない(正式議会公表2/12のあと至急提出)
  本会議3/4で議運付託、審査の時間有り
  請願の要旨は基本条例にも謳っていること
 Ⅵ 趣旨を汲んで再審査を要望

一方、正副委員長は「取下げ」を口にせず、傍聴したのだから判っているはずではないかとの言外の態度だ。議会とは面白い処だ!言葉に出さないアウンの呼吸を求めるのだ。

川崎市議会は60余名の議員がいる。意見を統合するのは困難だ。本来、それを議論あるいは説得によって、まとめ上げていくはずだ。しかし、そうでもない。互いが全体の空気を読んで一つの意見に擦り寄っていくのだ。

今回は、唯ひとりの議員だけが我々を支持している。議会の空気を読んで行動しろと、言葉ではなく、我々を議会へ呼びつけることによって、示しているのだ。
しかし、我々はそんな空気は、初めから承知であるから取下げをしない。

そこで、議会運営委員会で再審議し、「不採択」にする以外の結果はあり得ない。我々にとっての問題は、各会派がどんな態度を表明するかである。正副委員長との会談後、議会運営委員会は7/31に開催された。

青山委員長(民)が会談の結果を報告し、審査を再開した。
飯塚正良(民)『自由かっ達な議論を保障しようと会議は非公開とした…成果を見ていただきたい』
大島明(自)『私どもの会派も今、民主さんのおっしゃったことと同様で…』
岩崎善幸(公)『さまざまよくわかっていただいた、議会としてもっと積極的にやるべきであった…』
竹間幸一(共)『最初から公開でやるべき、中間報告での住民への説明を行うべきと主張したが…』

飯塚氏の議論は全く納得できないことは昨日の記事の繰り返しになるだけだ。先の中間公表の鏑木議長の発言(神奈川新聞)と同じだ。但し、今回は正式な「議事録」に記録している点が異なる。本当に、後世に“汚点”を残したのだ!

こちらも発言を誘う行動をして、幾分申し訳ない気持ちもある。多少、後味の悪さも残る。ともあれ、改革の具体案が含まれてない理念条例としての議会基本条例であっては、現状「成果」ゼロと査定するほかはない。「成果」がプラスに出るか否かは、今後の実践に掛かっている。

      
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