散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

安倍首相の憲法9条加憲論~戦争と戦力の定義は無限の拡大解釈が可能

2017年05月05日 | 政治
報道によれば、安倍首相は5/3、「憲法改正を求める集会」に「ビデオメッセージ」を送り、「2020年を改正憲法の施行年に」と表明した。その中で9条を「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」との考えを提示した。

本来、国民に向かって発すべき言葉を特定団体へのメッセージとして発するというやり方が首相として全く相応しくないと第一に感じた。外交交渉とは異なり、観測気球を挙げる意味もなければ、改憲勢力を力づける必要もない。全くスケールの小さい、こそこそとしたやり方という他はない。

現行憲法第9条は以下である。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これに対する自民党が以前に作った「改正案・の第九条」は「1」として以下の様に、「国権」の発動と「自衛権」の発動を区別する。即ち、前者は否定したまま、後者を生かす。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
次に、第9条2 国防軍を規定、
   第9条3 領土・資源の保全、となる。

この規定は9条1項で禁止されるのは「戦争」及び「侵略目的による武力行使」のみであり、自衛権の行使や国際機関による制裁措置は、禁止されていないことを前提として成り立つ。

では現行憲法の9条1,2項をそのままにして自衛隊を認めればどうなるか?陸海空軍その他の戦力ではないと言い切る他にない。“戦力”は「戦争」及び「侵略目的による武力行使」のためのものであり、自衛権の行使のための自衛隊は“戦力”は持たないから「軍隊」ではないとの論理を組むのだろうか。この場合、自民党案よりの更に自衛隊の存在を実態から離れたものにする。

かつて永井陽之助が「平和の代償」でロバート・タッカーの「正義の戦争」を引用して米国の戦争/平和観を批判した様に、ひとたび“自衛権の行使”の名目が立てば、それが止めどもなく拡大できることになる。これはいわゆる「予防戦争」の発現になる。自衛権の行使として北朝鮮のミサイルと核兵器を破壊する発想も容易にでてくる。そのために、核兵器が必要だと言い出す人もいるだろう。

現状のねじれを更にねじるような言葉の言い回しの議論は百害あって一利なしと考える。良い知恵がなければ、静観する以外にない。
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