散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

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口述史の“史”はどこで保証されるか~編集者への些細な疑問

2017年04月11日 | 回想

豪華メンバーの編集による山崎正和氏の口述史(オ-ラルヒストリ-)、「舞台をまわす、舞台がまわる」(御厨他編、中央公論新社2017/3/15)を読んでいる最中の疑問だ。それは山崎の口述の中に永井陽之助を「大学紛争のもうひとりの犠牲者」とする部分があるからだ。

京大経済学部の鎌倉昇を過労で非常に早く亡くなった人(1972/7)と指摘した後で、永井を大学紛争のもうひとりの犠牲者として「永井さんが論文を書かなくなったのは、東工大での一戦のあとです。」と述べる。

過労死と執筆中止とは大きな違いだと考えられるが、山崎は鎌倉の前に、九州大学で自殺した先生も引き合いに出している(鬼頭英一、哲学者、1969年9月没)。ちなみに、永井が亡くなったのは2008/12である。

さて、山崎のいう「ある時期からまったく書かなくなった」との時期は何時を指しているのだろうか。共に中央公論社刊行の書物「柔構造社会と暴力」「多極世界の構造」から確認すれば執筆状況は簡単にわかる。少なくとも東工大紛争の後で、執筆が止まっている形跡は全くない。

先ず、東工大紛争の最中に学長補佐を務めながら「ゲバルトの論理」(69/5)を書いた。他の仕事もこなしながらで、病気で二ヶ月間入院したとのことだ。紛争は7月の警察の学内導入、その後の夏季休暇を経て69年9月から授業を再開し、平常に戻った。

永井の論文は以下のごとく、米国の政治社会、外交政策及び政治暴力と精力的に展開されている。筆者も少人数グループでの講義を受講していたから、この時期は山崎の云う「ある時期」ではない。
「米アジア政策の転換とその政治的背景」(70/1)
「ニクソン外交と内政」(70/5)
「現代社会と政治暴力」(70/8)
「解体するアメリカ」(70/9)

筆者の問題意識は口述史の間主観性だ。
即ち、「口述史」は「回想録」とは異なる。それが「史」であるなら、責任の主体である編集者は「口述」を「史」とする役割を背負っているはずだ。一方、「口述」の主体である語り手は、自己の記録をベースに出来るだけ正確な記憶を呼び戻す責任を負うはずだ。

今回の指摘は些細なことであって、全体の記述に影響を与えるものではないと考える。しかし、口述の性格としてあちこちへ飛び火することはあり得ることで、それが一つの面白みでもある。従って、口述の「史」の部分を正確に記述へ変換するのは簡単ではない部分を含むことを示している。今後、多くの人からの批評に関して注目していきたい。

    
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「永井政治学」における地方自治~“雑談・論文・講義”の断片

2017年04月04日 | 永井陽之助
個人史をまとめる作業で悪戦苦闘して投稿の機会を失っていた。早いもので2ヶ月たった。以前に書いたまとめから大筋は変わらないが、内容は増えるに従って変わってもきた。記録に基づく記憶を書いてみると、その記憶が二次的記録となり、次の記憶を呼び覚ますのだ。
 『回想・自分史・個人史~社会的拘束の中での個人の必然・偶然・選択161218』

表題の“地方自治”もその一つになる。
東工大4年生のゼミ的講義「政治学」では、セミナーハウスに行ったり、料理屋で懇親会をしたり、そんな中で永井さんと雑談する機会もあった。おそらく懇親会であったと思う。確か慶大・神谷不二研究室の学生さんとその卒業生の新聞記者の方もおられた時だったと思う。大学生の政治的無関心が話題になった。

永井さんが大学紛争で学生の政治的関心が盛り上がったというが、卒業・就職を目前にすれば大学改革などはどうでもよくなって、結局自分のことを中心に考えてしまう、と皮肉っぽく話すと、周りで「国際問題とかにも関心はありますよ」との反応が起こった。そのときの永井さんは前に北大で調査したときの話を持ち出した。自分の問題に関心があるのは誰でもそうだが、その次は国際問題に関心が集まって、日本の政治、特に地方政治については関心が薄かった、そんなことを喋ったと思う。

その話を最初に思い出したのは、永井さんの著作「政治意識の研究」(岩波書店1971)を読み進めて、『日本人の政党イメージ』に行き着いたときだ。最後の結論部分を導く処で以下の記述があった(P293)。

「…全国の大学の学生生活調査などでくわしく調べてみると、気がつく、きわだった事実がある。日本の学生をはじめ青年層の政治関心の一つの特徴として、異常なほど国際問題に対する関心度の高さをあげることができる。これは諸外国の調査と比較すると、いちじるしい対照をなしている。」
「…私生活の防衛を発条として、政治化していく戦後日本の政治参加様式は、この調査でもはっきり示されている。だが、身近な利害を、公共問題へ転化していく段階で、中間項が抜けている。いきなり天下国家へと短絡されてしまう。…少しでも、環境を住みよく、快適なものにするために、身近なところから、一歩一歩築き上げていくという考え方に、いちばん遠いのが日本の知識人であり、その卵として大学生ということになろうか。…」

その調査当時と飛鳥田一雄横浜市長、美濃部都知事の誕生を契機に盛り上がった革新自治体時代とは雰囲気は異なる。しかし、政治意識、政治行動様式の実態としてその基底においてそれほど変わりはなかったと筆者は感じていた。

筆者が卒業した後の講義で、永井さんは「二重市場社会」を提唱していた。供給弾力性の高い財は自由と効率による市場競争原理で賄うのに対し、供給弾力性の低い財、公共サービス、社会サービスは権力単位を分散させ、地方自治体に任せ、地域コミュニティの創造を重視する考え方である。それには住民の参加意識を高め、とそれによる統合を図ることがポイントとしている。

大都市社会の効率性を上げることは必要で、かつ、避けられないことであるが、機械によって代替できない仕事は人間的な対応を進めることが必要で、それは豊かなサービスによる成熟時間の確保によってのみなされる。こんな論調であった。

筆者も地域活動の重要性を、現代社会理論の中にも根づかせる必要があると、再認識した貴重な講義であったことを覚えている。

      
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