散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

米国での「人種差別」~差別意識の根底にあるもの(2)

2018年04月08日 | 政治理論
 米公民権運動の指導者・キング牧師が暗殺されて50年、全米で追悼行事が行われた(朝日新聞デジタル2010/4/5)。法的には平等が保障され、黒人初の大統領も誕生したが、人々の心に潜む差別の意識や白人との格差はいぜん根強い、とのことだ。

 トランプ大統領を称賛する白人至上主義者らの動きが活発化している。心の奥底に差別意識が残っていても、それを表に出すのはタブーだったが、分断をあおるトランプ大統領の言動にも一因があって「差別はいけないことという心のタガが、はずれつつある」らしい。

 信じ難いことであるが、「縛り首の木」を送って黒人に脅しを掛けることが今でもあるとのことだ。シャーロック・ホームズの短編にKKKが「オレンジの種」を送る話があり、小学生時代に読んだ記憶がある。根強い差別意識と不気味な脅しの手法が結びつき、差別意識を持続させることに一役買っている。

 大相撲での女性差別とは異なる環境での出来事であるが、共に根元から断ち切ることによってのみ、撤廃ができることだ。

      


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大相撲での「女性差別」~差別意識の根底にあるもの(1)

2018年04月07日 | 政治理論
 報道によれば、京都府舞鶴市での大相撲巡業で、土俵上でのあいさつ最中に市長が倒れた。周りが右往左往するなかで、土俵に上がって心臓マッサージをしている女性に「女性の方は土俵から降りてください」との場内アナウンスが繰り返された。

 日本相撲協会は慌てて、その女性に対する謝罪コメントを出した。それは「場内アナウンス担当の行司が、気が動転して呼びかけたもの」との言い訳でもあった。言い訳の出汁に観客も動員されていたが。

 突然の出来事の対応にこそ、その組織の本質が明らかになることは、昨今の財務省関連に事件で良く判ったはずだ。硬直化して、機械仕掛けの様な行動を懸命になって行うのだ。

 その行司は女性差別の信念を持つわけではなかったと推察する。ただ、何も考えずに、素早く反応したのだ。それは組織の規則を忠実に反映している。

 ハンナ・アーレントに倣って言えば、ナチスドイツのアイヒマンの様に“陳腐な差別行為”を、それと意識せずに、多少慌てたが、いつものように、行っただけだった。
 『エルサレムのアイヒマン』(みすず書房)

     


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小池百合子は「スイミー」になり損なった~ブームは遠のく?

2017年10月04日 | 政治理論
『スイミー』はご存じの絵本、レオ・レオニ作、谷川俊太郎訳(好学社)、小さな魚たちが集まり、大きな魚に見せかけて、大きな魚を追い払う話である。そこから少し前の時点で、小池百合子・希望の党代表を“スイミー?”かと考えるのも自然の発想だろう。しかし、氏にその器量も、度量もなかったようだ。
 
 かつて本ブログで橋下徹大阪市長を『スイミーモデル』に仕立てた。
 『スイミーとしての橋本徹』(1)、(2)、(3) (2002/2/12、2/14,3/5) 
 
このモデルのポイントは「集合・指向・同時」だ。即ち、「同じ領域に集まり、同じ方向を目指し、同時に行動する」ことである。

民進党の前原代表の接近に対してそれを受け、集合が成り立ったかに見えたが、“排除の論理”によって、リベラル派を外し、立憲民主党の設立を招いた。中途半端な集合にならざるを得なかった。

当然、候補者を予定通り確定することができず、ようやく2日遅れで第一次候補を決めただけであり、同時性も損ねた。

では、一つの方向へ向いているのか?これも協約書の提出という机上の一致だけであって、同一行動をとるという意味での方向性には至っていない。

更に、お膝元の「都民ファーストの会」から、おときた、上田両議員の離反劇を観るはめになってしまった。

最後の投票結果を待つまでは、この悲喜劇の行方は判らないが、自公勢力を揺るがすほどの脅威を与えることには失敗したようだ。

     


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政治的人間から企業的人間へ~トランプ大統領と米国政治の転換

2017年01月19日 | 政治理論
明日予定のトランプ大統領就任式は、“企業的人間”と米国流ポピュリズムの流れとの奇妙な合体から生じた儀式だ。今や社会的人間から企業的人間に進化した人たちが、政治的人間を押しのけ、政治世界のトップリーダーに躍りでる。

『政治的人間』(「柔構造社会と暴力」(中央公論社)所収)において永井陽之助は、先に亡くなったキューバのカストロの「我々は政治家ではない…社会的人間だ。キューバ革命は社会革命だ」、との発言を引用し、政治問題と社会問題との区別をなくそうとする傾向を批判した。

しかし、社会問題のなかで経済問題の比重は膨れ上がり、更に、企業・市場・金融問題が政治課題として浮上している。
日本の株価もその「つぶやきと発言」の度に揺れる。株価が時価である以上、トランプの考え方によって状況が流動化することを市場が予測し、敏感に反応をもたらすのはしかたがない。それは彼の企業的センスによる産物だからだ。

最近の米国大統領選には上院議員、州知事の経歴を経た人が立候補することが多かったように思う。彼らを政治的人間とすれば、企業経営者としてのし上がったトランプは企業的人間と云えるだろう。その人事においても企業経営の経験者からの起用が多いようだ。

トランプが選挙時に発言した政策は、具体的であり、それが直ぐに現実可能であるかはさておいて、即時的である。「メキシコ国境に壁を作る」との発言がそれを象徴する。最近の「国境税」も同じように、単純明快である。

企業家は単一の目標に対して最も技術的合理性(効率)の高い手段を選択する。それはまた、時間の観念も含まれるから、短期間で達成することに傾く。問題があれば、駆け引きを行うが、それは損得勘定を基盤にするから考え方として即時取引に似ている。

しかし、「現代の複雑な利害関係の気の長い、迂回した調整よりも、単純な技術的解決、権力による問題解決に短絡されやすい傾向を意味している」(永井前掲書)。
トランプが廃止を掲げた「オバマケア」の行方が重要になる所以である。即時廃止をすれば、それは将に権力による短絡的な問題解決になる。しかし、解決したわけではなく、混乱を招く処に政治問題の難しさが存在する。

トランプが、複数の課題のそれぞれに単純な回答を与えれば与えるほど、世の中の混迷が深まるかに見えるのは、多くは政治問題であり、それらが相互に影響を与え合う問題であるからだ。フォードであれ、トヨタであれ、一つの企業の投資問題であれば、単純な回答が得られる。但し、その案から別な問題が発生するのだが。

夏目漱石は『道草』の最後に、「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。一遍起こったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変わるからひとにも自分にも解らなくなるだけのことさ」と主人公に言わしめた。
米国政治劇場の主人公は、果たして同じ心境になるのだろうか。



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「啓蒙思想」と「段階的発展理論」~進歩的知識人の基盤

2015年10月01日 | 政治理論
安保法制に関する反対派知識人の言動のベースは依然として丸山眞男なのか?丸山は政治思想史の研究家だ。しかし、彼の学問では無く、日本社会を認識する発想の起点には、思想として知識人特有の啓蒙主義と共に、発展段階説、即ち、『日本が資本主義であるが故に将来は社会(共産)主義に至る』があると思う。

発展段階説は開発途上国に対する近代化理論が先進欧米諸国において、ロストウ、ライシャワー等によって主張され、もてはやされた時期があった。一方、階級史観に基づく共産主義も発展段階説をまとい、『資本主義体制からの歴史的必然による移行』が新たに生まれた労働者階級のイデオロギーとなった。

一方、資本主義によって近代化に突入した国では、資本蓄積のときからダイナミックに変動をする社会に変貌を余儀なくされ、また、貧富の差も意識されるようになって、社会不安も、また増大していく。

近代日本もこの状態を免れず、知識人集団に共産主義イデオロギーが広まると共に共産主義的発展段階説も支持が拡がる。戦後、米国民主主義の影響は広く大衆に広まる一方、戦前からのロシア革命だけでなく、中国革命の影響も革新勢力に浸透してゆく。

ここで、進歩的文化人という言葉で代表される革新派が知識人集団の中で主導的役割を果たすようになる。その基盤が「啓蒙思想」と「共産主義的な段階的発展理論」が結び付いた考え方になる。終戦直後、『超国家主義の論理と心理』(1946)で論壇にデビューした丸山は、日本思想に対する洞察とシャープな論説によって、忽ち、その集団の若きリーダーとして押し出される。

しかし、余りにも強烈な影響により象徴的な位置に置かれたことは、逆に云えば、丸山をその集団に拘束させるようになる。その後の丸山の社会評論的な論考では、『ある自由主義者への手紙』(1950)に書かれる様に、「日本の社会の現状の情況」においては「共産党が社会党と共に西欧的民主化に果たす役割」を認める、従って「反共自由主義者の言論は、日本の強靱な旧社会関係とその上に蟠居する反動勢力の強化に奉仕」するとの立場を堅持する。

共産党は中国に亡命した徳田球一による指導で、1951年の四全協において武装闘争の方針を決定し、「山村工作隊」などの非公然組織を作って活動した。1952年7月に制定された破壊活動防止法は、直接的には共産党の武装闘争を取り締まるためのものである。しかし、世論からの批判もあり、共産党は武装闘争を“極左冒険主義”として自己批判し、1956年の六全協で武装闘争を放棄した。

この間、丸山が共産党に対する基本的見方を変えたとは思えない。しかし、それはあくまでも相対的に保守反動派の勢力が増加するのを防ぐ役割を共産党、社会党の左翼陣営に期待する以外になかったからであろう。それは啓蒙主義の精神を持ち、発展段階説の道筋を歴史は進んでいると考える立場に経てば、当然の成行きとも云える。

しかし、それは一面で反「保守反動」主義であって、反「共産」主義との対立となり、主体的なイデオロギーを持ち得ない対立に導くことになる。「保守反動」と「共産」が共に劣化していけば、双方に肩入れする知識人も共に、本来の知識人としての自立の道から外れることになる。

丸山ほどの学問的知識、深い識見を有する知識人であれば、そのような状況にも自らの論理を構築し続けることは可能であろうが、無知な大衆に自ら信じる真理を語れば良いとの単なる啓蒙主義に支配される単なる知識人は、丸山が敷いた路線に自らを同一化し、自らの信じる進歩主義的イデオロギーから抜け出ることができない。

しかし、「啓蒙主義」も色あせ、ソ連は消滅し、中国の毛沢東神話も崩れ、「共産主義的発展段階説」は過去の言葉に属することになり、進歩主義そのものも方向性を失ってしまい、単なる反「保守反動」主義の中で、今回の安保法制の騒ぎを掻き立てることになる。

おそらく、啓蒙主義と発展段階説が西欧的市民社会像と結びついて日本に投射された丸山の進歩主義的認識は、丸山の視野の中にはなかった日本の「高度経済成長」によって突き崩され、共産主義の終焉と共に、崩壊したように感じる。
おそらく、成熟国家として、新たな社会主義の発想とそれに基づく世界観を構築することが、その再生に必要な作業になると考える。


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戦争と革命~H・アーレント「革命について」

2015年02月26日 | 政治理論
ここのところ「イスラム国」問題に囚われて、表題の「戦争と革命」に関する永井陽之助の諸著作と関連の文献を読み返すのに精一杯で本ブログの更新が疎かになっている。

何か書こうとのアイデアは浮かぶのだが、何かまとまらず、どこかで筆が止まってしまう。勿論、筆者の未熟と致す処であり、判っているのだが、1年間程度の時間をフルに使って認識を新たにする必要があるな、との感想を禁じ得ない。

直ぐにはできないから、学び直したことから少しずつ、自分に明らかにすることを念頭において、書いていきたい。このブログも2011年5月2日に始めて、4年経過しているので、乗り換えて気分一新を図るか?考えてみよう。

さて、民族自決を際限なく進めていけば、世界が“バルカン化”する。更に、それに伴って、“確信者”の人間類型が見られる。様々な形で、少数者であるが、確認者を生みだし、それと共にバルカン化が進む。
 『イスラム国による人質事件~世界の“バルカン化”150121』

報道によれば、イスラム国には、欧米諸国からも若者が集まるということだ。彼らは確信者なのだ。かつて、大学紛争の時代は、日本及び欧米諸国の国内において、確信者の群れが作られた。その中から、過激派集団が生み出され、日本国内の集団において、中核対革マル等の過激派内ゲバが始まった。その後、更にテロ、ハイジャックに及ぶことになった。

19世紀初頭、イベリア半島におけるナポレオンの侵略に対するスペインのパルチザンが、現代の「戦争と革命」におけるゲリラ戦の嚆矢であったことをC・シュミットは「パルチザンの理論」(1963)で指摘した。その闘いは、二つの大戦、レーニン革命、毛沢東革命、アルジェリア戦争、ベトナム戦争を通し、1978年のイラン革命以降のイスラム原理主義の対応に至るまで、継続している。
 『現代ゲリラ戦の起源、19世紀初頭の半島戦争150205』

現代革命の政治哲学的理解を通して戦争と革命の関連を論じたのがH・アーレント「革命について」(中央公論社1975)であった。永井陽之助は『政治的人間』(「柔構造社会と暴力」所収)のエピグラムに「今日、世界を二分し、そこに多くが賭けられているコンテストにおいて、おそらく革命を理解するものが勝利を収めるだろう」とのアーレントとの言葉を掲げた。
 『ハンナ・アーレント(3)~「革命論」についての永井コメント131125』

更に、永井は続けて以下の様に述べた。
「核兵器の出現によって、戦争を正当化する理由付けが一切不可能になった以上、逆に大国間の恐怖の均衡が、権力政治の手詰まりを生み出すに至った。そのため、暴力行使の内政化を生み、過去二十世紀を通じてよりも、もっと革命が重大なものになるという、女史の鋭い洞察とやや悲観的な危機意識のなかに、「革命について」の真価があるように思われる」。

永井はこれを約50年前の1968年に書いた(永井編「政治的人間」所収)。アーレントの「革命論」の原著は、その5年前の1963年に出版された。革命の重大性に対する両者の問題意識の「射程の長さ」は、今日のイスラム国の出現で明らかだ。
更に永井は次の様に述べる。

「今年(1978年―筆者注)始め、『フォーリン・アフェアーズ』がその56年にわたる長い歴史上初めて「号外」特集号を出した。「米国と世界―1978年」を特集したことが示す様に、スタンレー・ホフマン教授を含めて多くの論者が、1978年こそが戦後世界政治の一大転換期であることを認め、特に米中国交正常化とイラン革命の重要性を挙げている…」(「時間の政治学」(中央公論社1979)あとがき)。

動向の予測が、直ちに対応策に結びつくわけではない。しかし、深い理解によるに基づく予測はベターな政策に結びとけられることは確かだ。そうだとすれば、深い理解とは何であり、どのような見方が優れた予測の基盤になるのか、それを獲得する様に、優れた先人の努力の軌跡を辿ることが一つの方法になるはずだ。

      
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「だれ」と「いつ」の重要性~政治と経済との違い

2015年02月18日 | 政治理論
「経済学者のサミュエルソンは、教科書『経済学』の冒頭で、経済とは、以下の問題であると指摘している。
 『何を』(What)、
 『いかにして』(How)、
 『誰のために』(For Whom)」
 
「政治学者のラスウェルの著書題名『政治―だれが、何を、いつ、いかにして得るか』が示す様に、政治・外交の世界では、以下の契機が重要性を持つ。
 『だれが』(Who)―行動主体
 『いつ』(When)―タイミング」
 (永井陽之助『“世界秩序”の時間的構造』「時間の政治学」所収)

従って、国際社会において、「近代化の地球化」によって生じた新たな諸問題―環境、資源、エネルギー、海洋、世界貿易、人権、南北問題等―のグローバルな課題は、誰にでも共通な普遍主義的な技術・経済の社会工学的な側面を重視する議論に繋がり易い。

しかし、これらの争点はTTP交渉に典型的に表れる様に、依然として国家間の「交渉」「協議」「対話」といった政治的活動によって、「政治的」に解決する他に無い問題なのだ。

国内問題も、国際的課題ほどではないが、然りである。また、国際問題とリンクして課題が提起されれば、その複雑化は一国を越える問題ともなる。この場合、“時間”の要因が強く働く。

最近、原発再稼働の課題が、漸く政治課題として取り上げられてきている。地震・津波による福島原発事故後、約4年、経済問題が政治問題として取り上げるまでの時間が必要だったのだ。

報道によれば、安倍首相は18日、参院本会議での代表質問で「国民生活や産業活動を守る責任あるエネルギー政策を実現するには、世論調査の結果だけをみて安易に原発ゼロというわけにはいかない」と述べ、政府方針通り原発再稼働を進める考えを示したとのことだ。

ご同慶の至りであるが、再稼働の必要性に関しての判断は今に始まったことではなく、福島原発事故がある程度の収束をみた後には、問題になっていたはずだ。特に、原油価格が今のように下落する前である。

今頃、大見得を切るが、首相として勇気を出さなければ行けない時期はとっくに過ぎている様に思える。行政が引いた路線を追認しただけで、政治的リーダーシップを発揮したわけではない。

また、再稼働の前提になる地元同意の対象範囲について、首相は「各地の事情がさまざまなので、国が一律に決めるのではなく、各地とよく相談して対応することが重要だ」と述べた。これも行政の書いた答弁書の棒読みの様だ。

これが日本の政治の象徴的側面になる。そこには、「行動主体」と「タイミング」の軌跡が刻まれているわけではなく、行政という執行機構の無名性と見えざる手による既成事実の積み重ねがあるだけだ。

ハンナ・アーレントの言葉を借りれば、“Ruled by Nobody”の世界なのだ。

     
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「絶対の敵」の必要性~現代の革命的ゲリラ戦

2015年02月15日 | 政治理論
スペイン半島戦争でのゲリラ戦を嚆矢として、現代の革命的ゲリラ戦へと繋がることは、カール・シュミット「パルチザンの理論」(1963)の指摘である。
 『現代ゲリラ戦の起源、19世紀初頭の半島戦争150205』

この著作は4年前弱に「敵概念」の枠組、特に絶対の敵の説明で紹介した。
「絶対の敵」は、侵略戦争が悪とされ、正義の戦争という観念が登場し、不戦条約などで、戦争の禁止と犯罪化が始まると共に不可避的な敵イメージとして現れた。核兵器の出現は目的の道徳的神聖化と敵憎悪のエスカレーションを伴う。核兵器の使用に価する敵は殲滅すべき絶対の敵となり、「在来の敵」「現実の敵」と区別される文明の敵、人類の敵、階級の敵、民族の敵になる。
 『在来の敵・現実の敵・絶対の敵~110618』

上記の著作は、永井陽之助が編集した『政治的人間』(平凡社1968)の第二論文として取り上げた。この本には、氏による「解説 政治的人間」が付けられ、そのなかで、次のように云う。

「パルチザンの存在様式の仕様は、以下の4点で、
1)非正規性
2)高度の遊撃性
3)政治的関与の深さ
4)土着性・防御的性格」
更に敵概念の新しさ、「絶対の敵」が加わる。」

「敵への無条件降伏要求という形で終結する第二次世界大戦の様な全面戦争では、平和条約は、敗者に対する勝者からの有罪判決という性格を帯びる。そこでは東京裁判で明らかな様に「犯罪者としての敵」概念が登場する」。

「19世紀の唯一の全面戦争であった米国南北戦争が敗者たる南部に対する無条件降伏で終わったことに象徴される様に、伝統的な在来型戦争の中に「内戦」の論理が無制限に浸入し始めてくる」。

これを逆に言えば、「絶対の敵」と規定すれば、どのような残酷なことでも、行って良いとの論理を作ることもできる。
政治的イデオロギーの終焉という説は、確か、ダニエル・ベルが1960年代に言い出したことで、現代では、フランシス・フクマヤが後を継いでいるかのようだ。しかし、代わって民族的・宗教的な主張が「絶対の敵」を生み出している。

4機の飛行機をハイジャックし、うち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入、見ず知らずの市民約3千人を死に至らしめた2001/9/11の同時テロのすさまじさは、「絶対の敵」概念によってのみ説明可能である。

更に、問題は残虐性を帯びた人間がその組織の中で浮かび上がらせることだ。ナチスドイツは精神異常者まがいの人物が多くいたのも、故無しとしないのだ。

しかし、これはパルチザンの様式である「4)土着性・防御的性格」から著しく逸脱する。何故なら、「絶対の敵」とは極めて抽象的な概念であり、現代の通信・交通を駆使すれば、どこにでも攻撃可能になるからだ。

かくて、「絶対の敵」の象徴的な心臓部を攻撃することによって、ビンラディン個人がアメリカの“正義の戦争”の対象になった。オバマ大統領の『正義はなされた』は、その間の経緯を「正確に、かつ、冷徹に」一言で表している。

イスラム国に関しても、内部での組織的決定はつまびらかにされていないが、強硬派が主導権を握っているように思える。おそらく、「4)土着性・防御的性格」を考える人たちもいるはずである。オバマ大統領は、その絶滅を公言しているが、それと共に、内部分裂を誘う作戦も必要に思われる。

      
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現代ゲリラ戦の起源、19世紀初頭の半島戦争~イスラム国から遡る

2015年02月05日 | 政治理論
日本ではスペイン独立戦争またはスペイン反乱とも云われるが、ここでは、半島戦争(1801-14年)とする。遡って、ナポレオン戦争の最中、イベリア半島でスペイン、ポルトガル、英国の連合軍と仏帝国軍との間で戦われた。

この戦争は「ハンマーと金敷」の役に擬えられている。すなわち「ハンマー」とはアーサー・ウェルズリーに率いられた4万から8万の軍勢からなる英葡軍であり、それによって金敷であるスペインの軍とゲリラとポルトガルの民兵軍の上でフランス軍が打ちのめされたのである

戦争はイベリア半島の性質に左右された。土地が貧しく、大軍が侵攻しても侵攻先の食料が足りない。痛がって、軍を養うのが難しく、フランス軍はピーク時で3万を数えたが、軍を集結できなかった。小部隊による限定の地域、期間での戦闘となり、決定的な結果を出すのには困難であった。
(以上、ウキ参照)。

この半島戦争でのゲリラ戦を嚆矢として、現代の「戦争と革命」への繋がりを指摘したのは、カール・シュミット「パルチザンの理論」(1963)であり、1962年の2件の講演をまとめたものだ。

ヨーロッパにおいて、フランス革命とナポレオン戦争を契機に、民族主義をエネルギー源にした対立・紛争が沸き上がるようになった。それは従来型の限定された戦争ではなく、民族主義の情動を組織化して行われる対立となり、容易に収束が利かなくなった戦争へと発展した。

ポイントはスペインの背後に英国がいて、「英ースペイン対仏」の構造になっていたことだ。例えば、ベトナム戦争においては「北ベトナムーベトコン対南ベトナムー米国」の構図と類似である。北ベトナムの背後には更に中ソがいた。

シュミットは、その序論で次の様に云う。
「パルチザンの問題について、我々の考察の出発点は、スペイン人民が1808年から1813年までの間において、外国の征服者の軍隊に対して行ったゲリラ戦である。この戦争において、初めて人民はー市民以前の、工業化以前の、在来型の軍隊以前の人民ー近代的な、フランス革命の経験から生まれ、良く組織された、正規の軍隊と衝突した。」

「それによって、戦争の新しい空間が開かれ、戦争追考の新しい概念が開発され、戦争と政治についての新しい理論が発生した。パルチザンは非正規的に戦う。しかし、正規な闘争と非正規な闘争との区別は、正規なものを性格に規定することに依存する。」

そう考えれば、日本の歴史においても、一向一揆に代表される宗教的なるもの、日本武尊対熊襲、八幡太郎義家対蝦夷の対決は敗者のほうにパルチザン的なものが認められる。近代中国における毛沢東の出現も梁山泊の伝統を引き継いでいるとも解釈できる。

即ち、ゲリラ戦的なるものは、混乱期、支配の脆弱地域において、いつ、いかなる状況においても表れうるものなのだ。

シュミットは世界史的視野から「クラウゼビッツからレーニンへ」「レーニンから毛沢東へ」「毛沢東からラウール・サランへ」と展開する。これが現代的形態の継続だからだ。
それは、現代のイスラム原理主義を掲げるゲリラ・テロ勢力に繋がってゆくのだ。世界的人口から見れば、少数であっても、根の深い問題なのだ。

      
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西欧の植民地支配が育てた暴力性~国内へ跳ね返る現代的テロ

2015年01月11日 | 政治理論
映画『おじいさんと草原の小学校』は、世界最高齢の小学生としてギネス記録を持つキマニ・マルゲの実話を描いた人間ドラマだ。筆者は岩波ホールで見たのだが、その時のパンフを見ると、ロンドン映画祭2010年出品になっている。


ケニア政府の教育政策により、84歳にして小学校に入学した彼の勉強に懸ける情熱、下の写真にあるように、それを支える若き女性教師及び幼い級友たちとの交流を、ケニア独立戦争の戦士として戦った過去を織り交ぜて描いている。

ところが、筆者が強く印象に残しているのは、勉学に掛けるおじいさんの情熱よりも、独立戦争時の回想に表れる当地の英軍による現地の独立派に対する凄惨な圧迫だ。勿論、ゲリラによるテロに対する軍の反撃であるから、それが“絶対の的”との対峙になることは確かなのだが。

マルゲが家族とともに英軍に捉えられ、若い妻と赤ちゃんが兵士に銃を突きつけられた状態で仲間の居所を追及される。赤ちゃんが泣きわめく中で、彼が拒否すると、リーダーの合図と共に銃声一発、赤ちゃんの泣き声がピタッと止む。若き妻は取り乱すが、再度の合図で、その声も消える。

このシーンから、一昨日の記事で述べたアーレントの「帝国主義的性格」を思い浮かべ、帰宅してから早速、「全体主義の起原」第2巻『帝国主義』を取り出し、該当部分を探し出し、その部分を再読した。今回は部分的に3回目だ。
 『中東の聖戦へ参加する西側の若者~暴力性の問題150108』

過剰資本を論じた後に、アーレントは次の様に云う。
「資本主義のもう一つの副産物として…人間の廃物がそれである」(P47)。
「過剰となった資本と過剰となった労動力のこの両者を始めて結びつけ相携えて故国を離れさせたのは、帝国主義だった」(P47)。
「…19世紀的の異常な資本蓄積が生み落としたモッブが、生みの親のあらゆる冒険的探検旅行について廻ることになる」(P48)。

「帝国主義の時代には
…エリートは伝説もしくは擬似伝説に惹きつけられ、
…多数の平均的人間はイデオロギーに自らを委ね、
…モッブは地下の世界陰謀団に暗躍物語にうつつを抜かした
のである」(P138)。

この指摘は現代的思われる。
テロ、暗殺などに惹きつけられる過激派の暗躍は、その周囲にいるイデオロギーに自らを委ねた無言の集団の支持、暴力によって自らの時代が築けるとの物語に惹きつけられる指導者による指示によって、行動しているのだ。

イスラム勢力に代表される現代的過激派は、グローバル資本主義を現代版帝国主義として生み出された“鬼っ子”であるかのようだ。

     
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