散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

助産所の活用、市議会への請願が新事業に~委員会での優れた討論事例

2015年04月29日 | 地方自治
『市民による川崎市議会白書2011年度版』から委員会での出色の討論を紹介する。白書の中心「川崎市政の論点・争点・課題」の13ケースの中の一つだ。テーマ毎に、委員会での議案審議、事務事業報告、請願・陳情審査及び本会議での会派質問、議員質問から関連する内容をピックアップし、系統的に理解する。
今回は、「議事録」から以下を参照文献とする。
 健福委員会 H22/05/21 請願審査 「100号 地元で安心安全なお産を求める」
       H22/10/29 事業報告 「産科医療機関に対するアンケート結果」

「問題の所在」と筆者「コメント」との間に、以下の議論を展開する。
『基本的なデータ~現状認識と新たな課題~「位置づけ」から問い直す!~嘱託医がやめて2ヵ月機能せず~議員と局長とのギリギリの議論~議員の発想、局長の発想~ベクトル合わせ~医療機関の現状認識~周産期医療ネットワーク施策―基本計画への遡及~新たな事業として設置~医療全体の問題』

1.問題の所在
要約 「請願100号」の地元でのお産とは、助産所の活用であり、そのためには、医療機関と行政の継続的支援が必要だ。しかし、産科医療従事者の不足は深刻、一方で、医療費も増加傾向にある。審査では、具体的な住民の疑問から出発した質疑が展開され、認識が深まり、施策の方向も行政と一致して趣旨採択、最終的には23年度の新事業として実施された。請願・陳情が住民提案であることを示す貴重な例である。

「地域の『助産所』を最大限に活用、そのために嘱託医療機関の確保と円滑な連携」を市で主導する。これが請願の趣旨である。助産師は医療行為をできない。従って、助産所は、正常分娩が見込まれる妊婦を対象とする。一方、不足の事態が起きた場合は、嘱託医師の仕事になる。

川崎市は周産期も含めた救急体制において、救急車の待機時間がワーストワンを前年まで3年間続けた。医療従事者も不足する一方、高齢化社会が進むと共に医療費も嵩んでいく。医療全体の中で、所産所・助産師の位置づけは?ここから問題は始まる。

2.基本的なデータ
基本的なデータが健康福祉局から説明される。先ず、川崎市のゼロ歳児は約1万4千人。
 図表5-6-1 分娩取扱数(平成21年度)
  施 設  10,540人  
  病 院   6,777人 64%
  診療所   3,226人 31%
  助産所     537人  5%

 図表5-6-2 分娩取扱施設数
  施 設  30
  病 院  11
  診療所   9
  助産所  10

周産期救急体制については、3月に聖マリアンナ医科大学病院において、総合周産期母子医療センターが開院され、大きく改善されている。
 ハイリスクの集中治療室として、
 MFICU  6床
  NICU 12床
   GCU 24床
 が設置された。
市内では他に、NICUを市立川崎病院6床、日本医大武蔵小杉病院3床、それぞれ設置して21床、先ずの整備ができ、順当に稼働している。

3.現状認識と新たな課題
救急体制が整備された段階での正常分娩を対象とする助産所をどう位置づけるのか、請願審査での第一の問題となる。ここで、行政側は、助産所と医療機関との嘱託契約と連携を課題として両者が入るマッチング会議を行っており、これは政令指定市として川崎市と仙台市だけが行っている支援と説明する。一方、議員の認識はどうだろうか。

吉岡俊祐議員(公明党)『今後の問題は、ぜひ早期にめどをつけて頂きたい…』
斉藤隆司議員(共産党)『ぜひとも早く進めてほしいということを要望…』
石田康博議員(自民党)『環境整備をぜひ積極的に進めて頂きたい…と要望…』
他に志村勝議員(公明党)も含めて、救急体制及び医療全般に質問を波及させながら本テーマへは、様子見だけの反応であった。

4.「位置づけ」から問い直す!
しかし、基本に戻って問い直す議員も。
玉井信重議員(民主党)『…生む場所が少ないという…どうやってふやしていくのか…最も決定的な問題…。今、有床の病院、診療所が建設できない状況の中で…助産所の整備に力を入れていかなければならない…。助産所の位置づけをどうするのか。』
健康福祉局長『…連携のあり方、資源を有効に活用する方法も継続して検討…』
玉井議員『局長、具体的な話をしたい…助産所が非常に大きな課題を抱えている状態…局長の話は弱い…助産所を位置づけて増やす気持がないとだめなのでは…』
そこから請願の契機となった具体的な話に移す。

5.嘱託医がやめて2ヵ月機能せず
多摩区の稲田病院は嘱託医が辞め、2ヵ月間機能せず、ようやく東京都立川市で引き受けてくれる医療機関を見つけたことを指摘した後、
玉井議員『…部長は一般の正常分娩でも、いつ医療的なケアが必要になるか、わからないとおっしゃった。それだと立川市は不安だと、皆さんが感じる…なぜ切実に受けとめないのか、すぐ隣に多摩病院もある…なぜ連携がとれないか…。支援とはコーディネート機能だ。』

6.議員と局長とのギリギリの議論
局長『何を優先するか、パイの限りある中で助産所の嘱託医をやってくれということができかねる環境が片側にある。僕は、先ほどから何回も言っている。』局長クラスが“僕”と自らを呼ぶことは珍しい。普通は“私ども”、一人称を使う場合でも“私”である。図らずも口から出たこの言葉の中に、出来る限りのことはしているとの、局長の理解を求める本音が出ているようだ。
玉井議員『そこなんだよ、局長。今おっしゃったのは、現状そのものを肯定されている。新しいものとして助産所の位置づけをして、その支援体制を構築したらどうか。』
局長『度重なる質問の中の趣旨はよくわかっている。…行政も支援をしていきたい…マッチング会議等を開く…何故、嘱託医を受入られないのか、調査もやる…』

7.議員の発想、局長の発想
局長は、おそらく、ここまで問い詰められるとは考えていなかったのだろう。救急体制の施策をした。本件についても行政側も課題を認識して、マッチング会議を開催して検討をしている。従って、請願に対応する施策の内容は聞かれても、そこまでの経緯は踏み込まれない。全体として、その前に発言した吉岡議員、斉藤議員、石田康議員、志村議員の4名の内容程度に要望されるのが道筋だと読んだに違いない。

一方、玉井議員の発想の原点には、具体的経験による住民の市政への疑問がある。それをベースに議員として、広い立場で見直して位置づける考え方である。従って、原点にある疑問を乗り越えるのが議員の仕事との自負を感じさせる。施策が考えられたとしても、行政が置き忘れがちになる原点に拘る理由がそこにあるはずだ。

そう考えて行政側の最初の説明を読み直してみると、サラッときれいに書きすぎており、そんなことではないだろうと、ひっかかるところがある。例えば、玉井議員が指摘した嘱託医の交代問題である。平成21年に嘱託医師及び嘱託医療機関の変更が生じた助産所2施設について、『適正に手続が行われ、現在に至る』と述べている。

更に、川崎市の地形の特性から、市外に嘱託医師等を持つ助産所もあることを述べ、『他都市では、同一市内でも相当離れた場所に嘱託医師を持つ助産所もある…助産所助産師との連絡、連携を密にする制度の趣旨から、必ずしも行政区域にこだわらない』と述べ、現行での課題から外している。先の稲田病院の例と対比すると行政の発想と議員の発想の違いが良く判る。

8.ベクトル合わせ
お互いの立場の違いを改めて認識したことは、後の施策の議論にも影響するだろう。しかし、施策に対する方向はあっている。
玉井議員『局長、できるだけ折り合うような話でおさめたい。』
これで、つばぜり合いを収束の方向へ導く。すなわち、救急体制確立の施策が方向性として正しかったこと、また、本請願の趣旨に合った方向で行政側も今後の施策を考えていることをお互い確認した。

9.医療機関の現状認識
ここで話は「報告 産科医療機関に対するアンケート結果」に飛ぶ。行政側がこの問題に対する施策の最終案をまとめる際に、医療機関の考え方を確かめたものである。

図表5-6-3 対産科医療機関アンケート結果
1)助産所での分娩 『医師の常駐する施設での分娩が多数』
2)嘱託医療機関受託の意向 『受託を希望しないが多数』
3)受託を断る理由 『医師のマンパワー不足』
4)嘱託医療機関に必要なこと 『マンパワー確保』
5)助産所に必要なこと 『質の向上と安全管理』
6)市に求める支援体制 『診療報酬上の評価、人材育成』

市内で分娩を取扱っている病院11、診療所8、合計19医療機関のうち17箇所から回答を得ている。実際、議員だけでなく、住民も医療機関がどのような考え方で日頃の仕事に当っているのか、良く判らず、おそらく、不安に思っている人も多くいるのではないか。その意味では、議会だけに情報を閉じ込めておくのではなく、積極的に開示しても良いように思える。

しかし、ここまで議論を進める議員が現れてこないのが残念である。聖マリアンナ医科大学の巨塔とその中にある高額な設備、一方の我が家に近い助産所を共にイメージしたとき、住民に知らせる情報も議会として真剣に考える必要がある。

1)の回答は不測の事態に備えることを考えれば、当然の考え方であろう。それでも、2)において、希望しない12機関に対して、5機関が受託している。その受託せずの理由は3)マンパワーそのものである。これも先の局長発言に対応する医療機関側の状況の表れであろう。その裏返しが、4)の回答になる。

一方、2)の受託する医療機関として、助産所と市に求めることが6)である。質の向上と安全管理は常に求められる。具体的施策が何かを示せればもっと良い。これが施策として反映させるべきことになる。

10.周産期医療ネットワーク施策
この調査も参考にして「周産期医療ネットワーク」を推進する施策が示される。

図表5-6-4 周産期医療ネットワーク施策
 「施策1」 高次医療機関でのNICU等新設・増床及び運営を支援
 「施策2」 嘱託医療機関が行う助産所の安全管理指導を支援
 「施策3」 院内保育所の運営補助により女性医師等働きやすい職場環境
       づくりを支援

 ここで「施策2」が入ったことが請願の成果になる。
一方、「施策1」は従来の延長線上に位置づけられる。地域保健医療計画では、NICUの必要数を30床、現状は先に述べているように21床、新たに日本医科大学武蔵小杉病院で3床を増床予定で、合計24床、さらに、神奈川県立こども医療センターの21床の一部を含め、ほぼ必要数を充足できる。

また地域的には中原区で大規模なマンション建設により人口増加が著しく、22年9月1日現在の人口は約23万人、昨年の人口増加数は約4千人、女性人口15─49歳比率は約56%等、各区の中で最も高い数値を示している。この地区における周産期・小児救急医療体制の強化が必要である。

また、「施策3」は、アンケートで産科医師のマンパワーの必要性を指摘する意見に対応する。神奈川県保健医療計画では、25─29歳の産科・婦人科医師に占める女性医師の割合は約3分の2になる。

また、日本医師会の調査では、女性医師が仕事を続ける上で必要と思われる制度や仕組み、支援対策として約65%が託児所、保育園などの整備、拡充を、約62%が病児保育を挙げている。ここから院内保育所の運営支援が第一に必要と考えられる。そこで、現在10の医療機関の院内保育所への運営補助を県と協調して実施している。

11.基本計画への遡及
「施策2」に関する審議の議論に戻る。請願審査において玉井議員が具体論から迫った。これについて石田和子議員(共産)は、『かなり本質に迫る議論があった…』と評価しながら、20年度策定の県保健医療計画に関連した数値について質問する。

『分娩施設1箇所当たりの人口4万7千人に対して、全国平均は?』『持ち合せはないと言うが、請願文書では出ている。提示願いたい。』『分娩施設数の推移も県資料にはあるが、川崎市は数値がでてこない。』と資料を請求し、ここから県保健医療計画との比較に入る。

周産期救急医療について肯定的な評価の後、地域の診療所と助産所の活用について、横浜市が基本計画のなかに盛り込んでいることを指摘、川崎市も次の基本計画に盛り込むことを提案する。鋭意取組との回答を得て、更に、緊急対策も要望する。
玉井、石田議員を中心とした質疑の結果、請願は全会一致で趣旨採択される。

12.新たな事業として設置
周産期医療ネットワーク「施策2」は、上記の趣旨採択を受けた回答とも言える。石田議員は改めて「施策2」を市の基本計画(地域保健医療計画)に入れることを要望する。それと共に、支援対策の具体的中味を聞く。

新たな研修、資材・機材との回答は予算措置が必要であることを意味する。更に玉井議員の質問に対して、具体的な活動に見合った補助金を支出すると説明した。これが23年度予算に設置された。「助産所嘱託医療機関への支援事業」である。請願が、趣旨採択を経て、新事業として成立したのだ!
請願が住民提案であることを示す貴重な例となった。

13. 医療全体の問題
本件は医療全体の中でマンパワー不足の問題として位置づけられる。医師、看護師、介護士などは更に大きな問題であろう。それはまた、施設の問題と関連し、ひいては川崎市の人口増加、地形的構造から派生する問題に波及する。その間の事情と、それへの対応の難しさを、玉井議員は次のよう例から表現する。

『川崎は一つの医療圏だった。北部は実態的には不足していたが、新しい病院をつくれなかった。…何年間の努力の結果、南部と北部に分割、その結果、北部の不足が明らかになった。…実態と計画がそごをきたすことは往々にして起こる。』

更に、局長の許認可、費用負担、要員育成が絡んだなかでの、状況理解と判断の難しさの回答を受けて、
『まさに政治的な課題です。…きちんと向き合うには基礎的なものが必要と痛感する…。何が地域の中で必要なのか…明確なメッセージを出してほしい。課題がどこにあるか…政治の世界では判っているつもり…けれども、実際に、今の状況でどの程度要求をすれば良いか…具体的な数値がつかみ切れない。』

そして、最後に『一つ一つの課題が大きくて、なおかつ総合的に推進しなければならない…このことで解決するという短絡的な話ではない。…すべての状況をどう整えていくのかということだと思います。』と結ぶ。

14.コメント
高度経済成長の時代は上へ伸びていく政策をとれば良かった。一転して縮小の時代は、一律切下げることで逃れた。しかし、何を伸ばし、何を抑えるのか、判断が必要な今の時代は、その選択と程度をすべてにおいて、見比べる必要がある。また、選択、程度それぞれに、お互いの意見が異なるのだ。

それだからこそ「政治・議会」が必要となるのだ。地方自治体議会の改革が必要な理由もそこにある。
子育て・福祉・医療に代表される住民に身近な政策の議論では、単純な増加、一律の削減は通用しないだろう。全体と部分を往復しながら、お互いの認識を深め、効果を勘案しながら、意見の統合へ向けて調整することになるだろう。行政機構は統計的事実と具体的事象を踏まえたデータの整理が必要、それをベースに議論に慣れることが先ずの課題ではないか。


「探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~第174号 2011/10/3」から転載
1.問題の所在
2.基本的なデータ
3.現状認識と新たな課題
4.「位置づけ」から問い直す!
5.嘱託医がやめて2ヵ月機能せず
6.議員と局長とのギリギリの議論
7.議員の発想、局長の発想
8.ベクトル合わせ
9.医療機関の現状認識
10.周産期医療ネットワーク施策
11.基本計画への遡及
12.新たな事業として設置
13. 医療全体の問題
14. コメント

      
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2020年代に日本経済の風景が変わる~異次元緩和の行く末

2015年04月24日 | 経済
日経新聞のインタビューに池尾和人・慶大教授が「国家25年の計」が必要と答えている。教授は現状の金融緩和が続き、財政出動で借金を積み重ねると、人口動態から2020年代にインフレは避けられないと警告する。それを回避するためには、先ず、2020年での基礎的財政収支の均衡は不可欠という。

以下、その内容を紹介する。

「「国家100年の計」は絵空事かもしれないが、少なくとも四半世紀の時間的スパンをもつことは不可欠だ。2010年代の残された後半の5年と、2020年代+2030年代の計25年間は日本の人口動態から重要な時期だ」。

「今は、国債←(日銀)←準備預金←(民間銀行)←預金、という資金の流れ。国債を消化する資金は私たちや企業の預金、財政赤字を賄っているのは、民間の貯蓄だ。これまでも、国債←(銀行)←預金、という流れで、国民が間接的に国債を保有していたが、異次元緩和の結果、間々接的な国債保有構造に変わった」。

「日本の場合、多くの人が貯蓄を取り崩し、預金が純減を始めるのが2020年代の早くて前半、遅くとも後半と推計される。いずれにせよ中期的には減り始める。その時に、どんなことが起きるのか」。

「日本の人口動態を考えれば、それ以降、景色は急激に変わっていく…連続的にゆっくりとリニアに変化していけば、変化に気づきやすいが…急に様子が変わっていくと想定される」。

「日本の家計が保有する金融資産規模は約1600―1700兆円。…そのうち家計も住宅ローンなどの負債を抱えている…それら引くと純資産は1300兆円。…政府が抱える債務のうち、公的年金などが保有する国債は資産…それらを差し引くとネットの債務は650兆円。…家計純金融資産の半分は国債消化に充当。…あと10年で家計金融資産の取り崩しが始まる」。

「最初は2007年に団塊世代が60歳の定年を迎えると、企業の根幹業務を支える人材がいなくなり、業務に重大な影響を及ぼす2007年問題が懸念された。定年を65歳まで延長する措置が広範に取られたことから、実際には2012年以降、大量の退職者が発生している。今がまさにそのタイミング」。

「退職者の増加は、中長期的には潜在成長率を低下させる…財政負担能力も低下させ、望ましくない。将来の財政負担能力の低下が見込まれるときに、将来に負担を先送りするような政策をとることが賢明か」。

「生産能力も落ちてくる中で、預金を取り崩した購買力が加わると、生産を上回る需要が生じる…物価が上がらないと辻褄が合わない…インフレが始まる頃には恐らく急速に風景が変わっていく…物価が1.5倍になると、1ケタといった生半可なインフレ率ではすまない…2ケタのインフレは避けられない恐れ…』。

「過度のインフレを阻止には、日銀が金融引き締めを行えばよい。しかし、金融引き締めをすると、日銀が国債購入による量的緩和によって供給してきたお金(準備預金)を回収することになる。貨幣発行益で財政赤字を賄えるといった話が成り立たなくなる」。

「換言すると、2020年代に日本の財政が貨幣発行益に頼らないでもやっていけるようになっていたら、物価安定を優先できる。ところが、貨幣発行益に頼らなければ財政運営が成り立たないような状態のままだと、日銀はジレンマに陥ることになってしまう」。

「それを回避するためには、2020年までに財政規律を回復させる必要がある。これは「適当な目標」ではない。人口動態から2020年は最終リミット…サバを読んだ締め切りではない。財政健全化の目途がつけば、中央銀行が出口政策を追求できる可能性は残る」。

「実体経済に目を向けると、安倍政権発足後の2年間の実質経済成長率の平均は0.5%程度でしかありません。それでも国民は将来が不安…黙ってお金を貯め込んでいる。そのために、問題が顕在化していない」。

「問われているのは、「今さえよければ」と考えるのか、「将来」を見据えるか…現在と将来にどういうウエイトづけをするのか…将来にまで高いウエイトをかけないで政策が選択されてしまいがち…そのことを自覚し、近視眼的にならないように努力する必要がある」。

「過度のインフレを阻止には、日銀が金融引き締めを行えばよい。しかし、金融引き締めをすると、日銀が国債購入による量的緩和によって供給してきたお金(準備預金)を回収することになる。貨幣発行益で財政赤字を賄えるといった話が成り立たなくなる」。

「換言すると、2020年代に日本の財政が貨幣発行益に頼らないでもやっていけるようになっていたら、物価安定を優先できる。ところが、貨幣発行益に頼らなければ財政運営が成り立たないような状態のままだと、日銀はジレンマに陥ることになってしまいます」。

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近づくギリシャの「Xデー」~田中理 第一生命経済研究所

2015年04月19日 | 経済
ギリシャの「Xデー」で一体何が国際経済において起きるのか?
存外に、ギリシャとその周囲の国だけの問題かもしれない。それについての論点は何も提示されていないが、状況だけはロイターが以下に示している。

財政資金の枯渇や支援提供国との改革案をめぐる合意期限が刻一刻と迫るなか、ギリシャ情勢が再び緊迫の度合いを増している。13日付けの英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は、「我々の命運は尽きた。(4月末までに)欧州諸国が救済資金を拠出しなければ、ギリシャはデフォルト(債務不履行)を宣言する以外にない」とする与党・政府関係者の発言を伝えた。

こうした発言は、月内合意に向けた交渉が大詰めを迎えるなか、支援提供国から最大限の譲歩を勝ち取ることを狙ったギリシャのお決まりの交渉戦術と見る向きもある。だが、これまでの交渉過程で、ギリシャの新政権と支援提供国との関係は、かつてないほどに冷え込んでしまっている。デフォルトの可能性をちらつかせたところで、支援提供国側の態度が一変する望みは薄い。

ギリシャの改革案はすでに二度にわたって支援提供国から突き返されており、15日に再開したユーロ圏の財務次官級会合では、再修正案の協議が続けられている模様だ。24日のユーロ圏財務相会合での合意を目指すならば、今週中にも妥協点を見出す必要がある。

だが、最低賃金の引上げ、団体賃金交渉の導入、貧困層への年金支給増額、税捕捉強化に依存した代替財源の捻出方法などをめぐり、両者の主張は平行線だ。報道によれば、ドイツのショイブレ財務相は15日、「来週中に改革合意が実現すると考える者は誰もいない」と発言した。月内合意のハードルは高い。

どうにか改革合意にたどり着いたとしても、支援提供国のギリシャへの不信感はすでに相当なものだ。もはや口約束では不十分として、ギリシャが改革関連の法案を議会で可決するまでは融資を再開しない姿勢を強めている。新政権が緊縮見直し路線を軌道修正するとなれば、与党の分裂や連立政権の崩壊など、政治リスクが噴出する恐れが高い。昨夏以来中断している総額72億ユーロの次回融資分の早期実行は難しい情勢だ。

政府の財政資金は枯渇寸前と言われて久しいが、社会保障基金や政府関係機関からの一時的な借り入れ、一部の納入業者への支払い延期などで、これまで何とか資金をやり繰りしてきた。5月の対外債務の支払いは、国内銀行による借り換えが見込まれる総額28億ユーロの政府短期証券の償還を除けば、12日に国際通貨基金向けに7.7億ユーロの融資返済を控えているだけだ。このまま月内に改革合意ができなくても、さらなる埋蔵金の捻出などで財政破綻を回避できる可能性も残されている。

だが、危機再燃による経済活動の停滞や税滞納の増加などを受け、年明け以降、税収の下振れが続いている。このままでは昨年ようやく黒字化した基礎的財政収支が再び赤字に転落する可能性がある。国債利回りの再上昇で市場調達に復帰する道も完全に閉ざされており、追加の資金支援を受けない限り、財政資金が枯渇するのは時間の問題と言える。

このまま支援融資が再開されないまま、埋蔵金を含めた財政資金が枯渇した場合、ギリシャ政府は月々の税収など限られた財政資金の使い道を取捨選択する必要に迫られる。この時、国内向けの支払いを優先し、対外債務の支払いを停止すれば、30日間の猶予期間を経て、ギリシャは2012年の債務交換時以来のデフォルトに陥ることになる。支援提供国の通例として、返済が滞っている間は財政支援を再開することはない。次回融資の再開どころか、7月以降の新たな支援プログラムの策定も暗礁に乗り上げる。

また、デフォルトと認定された場合、欧州中銀がギリシャの銀行に供給している緊急流動性支援を打ち切ることが予想される。これは返済能力のある銀行への一時的な流動性供給策であり、デフォルトした国債を大量に保有するギリシャの銀行はもはや健全な銀行と見なすことができなくなるためだ。欧州中銀の資金供給に資金繰りを完全に依存するギリシャの銀行破綻は避けられない。

ギリシャの銀行監督の一端を担う欧州中銀としては、流動性供給策を打ち切るのと同時に、銀行の預金封鎖、海外送金の停止などの資本規制の導入、銀行の資本増強などを行う必要がある。ここで問題となるのは、日々の財政資金に窮するギリシャ政府がどのように銀行の資本増強資金を捻出するかだ。

      
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自共伸長、民維衰退、25歳の無所属新人が大健闘!~川崎市議会議員選挙

2015年04月16日 | 地方自治
投票日の夜は2時まで寝られなかった。川崎市の全7区の開票のなかで、筆者の高津区(定員9、立候補15)と注目していた中原区(定員10、立候補16)の開票が遅れ気味で、特に中原区が決まったのは、1時を過ぎていたのだ。
 『統一地方選挙2015年・川崎市議会開票速報150413』

結果は以下である(下の括弧内は前回2011年の結果)。
議員総数60(定数 10人区1 9人区4 7人区2)のなかで、
 自民19 公明13 民主11 共産11 維新,ネット,川崎各1 無所属3
(自民17 公明13 民主13 共産10 みな6 無所属1)

前回はみんなの党が旋風を起こし、6名が当選。そのうち、今回は維新の党、無所属他に3名ずつが分かれたが、それぞれ当選1名、惨憺たる結果だ。特段の成果はもちろん無く、地域への浸透もそれほどでもないとすれば、支持票が限られるのはやむを得まい。それに投票率も各区共に、前回から5%程度落ち、40%ほどでであった。“みんな”の末路と言わざるを得ない。

自民の19議席は9人区各3で15名、7人区各2で4名、全員当選、それも1-3位の上位当選者が14位だ。公明の13名全員当選と合わせて、完全過半数(自公で正副議長)になる。これで2年半後に福田市長再選を阻止する候補者を立てるのか?あるいは取り込みを図るのか?問われる処だ。

共産党は得票数が全体で伸び、その結果、1名増加である。大勢に影響はないとはいえ、自己マンの世界ではある。民主は衰退が続く。議長経験者が落選し、後は労組依存と個人対応で組織政党のカケラ程度しか、残っていない。

その他の会派は全て1名で無所属3名と合わせても6名だ。
その中で光るのは、無所属の若き新人、重冨達也26歳(中原区定員10名)。

氏は「私に今できることは、議会改革を訴え、より多くの方に共感して頂くことです」と訴えて、堂々第5位で当選!組織の引継、親子の引継がある中で、真正の新人として、今後の選挙のあり方を鮮やかに提示、住民の支持を集めた。

具体的には、氏は川崎市で初めて、議会による市民への「議会報告会」開催を主張した。しかし、今回の自民党の伸長をみると、直ちに、議会報告会開催とはならない。当然、重冨新議員としては、市民への報告会を開催するだろうが、普通に開催したのでは、議会報告会ではなく、議員報告会になってしまう。

個人であっても良い、議会報告会を開催すべきであろう。議員が自らの発言を中心に報告するのは「議員報告会」である。一方、議会の内容を何らかにまとめ、“市政の課題・論点・争点”を明らかにするのが「議会報告会」である。先ず、主要会派の代表質問、委員会審議の主要案件をまとめる必要がある。駅頭などで行っている議員報告とは、全く異なるものになるはずだ。

これは、ある点で行政報告の側面を持つ。しかし、それを議会での議論から導くことは、行政の説明を鵜呑みにするのではなく、施策における問題点を知ることが必要であるからだ。ここに市民にとっての議会、その存在価値があるのだ。

議員は、議会と住民を繋ぐ役割を担う。
一方では、代表性を有し、住民の意思を把握して討論によって議会の意思を動かす。議会の意思は議員によって、住民に知らされ、住民もまた、討論の中から議員へ意思表示を行う。
 『ヘルメスとしての地方議員~票と利益の交換を超えて』

また、議会は決算から始まる。それは、後を向きで前へ歩く、ことに例えることができる。既に終わった仕事を検証することで次年度の予算に対して、何らかの形において、変更を加えることだ。
 『地方議会における決算・予算・実算~後向きで前へ歩く』

上記の視点から、改めて地方議会像及びそれを動かす地方議員像を再構築することが必要ではないだろうか。

      
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英国の対中国政策~AIIBへの参加を巡って

2015年04月15日 | 国際政治
AIIBへの英国の参加、それに仏、独、伊が続いたことが話題。
しかし、1949/10/1に毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのに対して、ソ連は直ぐに承認した。西側では、英国が1950年に中国を承認し、対して中国は香港返還を求めずに、そのままにした。

「長期的視野として、中国の動向、周辺国への影響を考えての英国の措置であり、戦略的にはアジアからの撤退、中国発展の圧力でソ連を西欧に接近させることを頭に入れてのこと」、これは学生時代に聴いた永井陽之助氏の説明だ。
この英国の戦略からすれば、今回のAIIBへの参加は自然の流れの様に見える。

一方、仏は戦後にインドシナ半島の植民地支配を復活、1945年9月にホーチミンが建国宣言したベトナム民主共和国と第一次インドシナ戦争を戦った。中国は、ベトナム民主共和国を承認し、仏は中華人民共和国政府を認めず、1954年に第一次インドシナ戦争に敗れ、アジアから手を引き、後は米国が引き継いだ。

その後、仏はアルジェリア戦争を経て、1964年にドゴール大統領が中華人民共和国との国交を樹立した。英国と比べれば、周回遅れであったことは否めない。しかし、この時点でも米国はベトナム戦争の泥沼に入り、米中は厳しく対立していた。ドゴールはナショナリズムを背景に、米国に対する独自外交を勧めたのだ。

永井陽之助は上記のドゴール外交への国内での反応に対して、『平和の代償』の中で、次の様に云う(P78)。
「私は、ドゴールが核武装を強行し、中国を承認して米国に盾を突き、絢爛たる自主外交を展開したときの、あの政界、財界、右、左を問わず、「バスに乗り遅れるな」と色めき立った空気を思い出す。」

続けて、
「いったい、フランスのドゴールと、西ドイツの右翼政治家が中国との国交回復を促進し、中国の経済交流に力を入れる真の政治的動機がどこにあるのか、知っているのか、問い質したくなる」。
「欧米の外交専門家には常識であるが、彼らの構想の中には、長期的にみて、中国のパワー(経済、政治、軍事力)が増大すれば、国境を接するソ連の対抗力を刺激し、中国の圧力で、ソ連は西側に接近するだろうとの期待があるのだ…彼らは基本的にヨーロッパ第一主義である」。

中国の戦略に対して英国を初めとして、仏、独が欧州としての利益を考えて行動を起こすことは当然である。中国の周辺諸国に対して欧州が援助できることは限られている。従って、中国に少しでも影響を与えられるように行動することは最初に考えることだ。

中国の影響力が周辺諸国に及ぶことは彼らにとって直接的には影響はない。国家として経済成長と政治的安定が図られれば良い。更に、西欧諸国が考える普遍主義がアジアへも及ぶように、影響力をできるだけ使いたいと考えるであろう。

日本としては、中国を意識しながら、東南アジア諸国とのコミュニケーションを図り、彼らが真に欲することを知る必要がある。単なる日米対中国の図式だけでは、行き詰まりが生じるであろう。そのためにも、イアン・ブレマー氏が指摘する様に、積極的に参加し、内部での世論形成に努める必要がある。
 『AIIBを巡る日本の外交姿勢150412』
      

      
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AIIBを巡る日本の外交姿勢~参加を勧めるイアン・ブレマー

2015年04月12日 | 国際政治
「アジアインフラ投資銀行AIIB」に関して来日中の国際政治学者、イアン・ブレマー氏にNHKがインタビュー(4/10)している。氏の結論は明快で、「中国がその存在感を増しているからこそ、日米ともにAIIBに参加し、内側から影響力を発揮せよ」である。

日本と米国は「組織運営に不透明さ」を理由として参加申請を見送っている。一方、欧州は、英国を皮切りに、仏、独、伊が参加を表明。新興国も含めて、これまでに50を超える国や地域がせきを切ったように参加の意向を示した。これに対して、中国は6月末までにAIIBの設立協定を締結すると表明している。

ブレマー氏は、国際社会の現状をリーダー不在の「Gゼロ」の時代と名付けたことで著名であり、筆者も無料部分だけだが、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」で幾つかの論考を読んで、世界的なオピニオンリーダーとして知った。
以下、「日米の孤立化」、「日米共に参加すべき」、「封じ込めよりも共生を」、「米国は同盟国、中国は隣接国」とインタビューは続く。

・AIIBへの参加を巡る各国の動き~米と日は孤立化
「英国の参加決断に米国は驚きと落胆を示した。参加に否定的な姿勢を示した後の参加表明だったからだ。米国は、英国の中国へのすり寄りと糾弾した。米英の特別な関係の中で、米国のこの発言は、これまで聞いたことがない」。

・日本がとるべき道~日米共に参加すべき
「日本は米国と共に参加するのが望ましい。組織の中のほうが、影響力を行使できる。AIIBの融資基準はIMFや世界銀行と同じではない。それ故、入って影響力を行使するのが理にかなう。AIIBでの資金融資の判断は、中国ビジネスに利があるか否かになる。従って、中国だけに運営をさせずに、情報を共有させ、影響力を少しでも行使すべきだ」。

・日本の参加見送り~封じ込めるよりも共生を
「日本政府は、米国も同様だが、“参加見送りの判断は間違い”と認めるべきだ。日米両国は『中国が国際金融システムの中で、米国と同盟国の力を弱めようとしている』との姿勢である。ただ、世界は自分の思うように動くわけではない。中国は世界最大の経済国への道を歩んでおり、中国が米国に“ノー”という力は増していく。米国は中国を“封じ込める”のか、それとも“共生する”のか、選択を迫られている。同盟各国が参加を表明するなかで、最悪の行動だ」。

・けん制し合う米中への日本の姿勢~米国は同盟国、中国は隣接国
「日本は、米国と中国との二者択一を迫られているわけではない。日本がアメリカの同盟国であるのは明らかだ。価値観も近く、政治的にも近い。一方、日本は中国が今後10年で世界最大の経済大国になるという現実を受け止め、その中国が日本の隣国威に存在することを忘れてはいけない」。

なお、筆者は英国のAIIB参加の反応は、英国の対中国政策からすると、不思議ではない様に見える。例えば、英国は1950年に中国を承認している。一方、細谷雄一・慶大教授は「なぜイギリスはAIIBに参加するのか」において、あまり論じられていない点として英国の国内政治問題を挙げている。

それは、来る5/7の総選挙の情勢判断だ。
今、英国ではEU離脱の可能性が生じている。しかし、ビジネスの観点からは致命的なダメージとの批判がある。そこで、キャメロン政権は、他の経済成長に資する説得材料が、選挙のために必要とのことだ。

過去数年間、政府は異常ともいえるほどの熱意で、中国に歩み寄る姿勢を見せてきており、昨年も大訪中団を率いてキャメロンは訪中している。そこで、英国の頼みはほとんど中国しかないとの説だ。選挙戦のための材料として、中国と更に接近するとの考え方になる。

この細谷説は判断が難しい。なぜならば、この参加問題は、外交における選択の問題であって、ブレマーの日米参加が正しければ、英国以下の欧州勢が参加することも当然のこととなる。米国の様に突っ張る理由がないからだ。あとは、日本の様に、米国への配慮だけになる。

日頃、色々な情報に接する機会が多い大学教授の立場では、その整理が大変であろう。従って、卑近の利益に関わる情報が、為政者にとって最重要のものに思える。しかし、何が為政者の決断を左右するのか、実際の処は良く判らないのだ。


     
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政治への不信は政治への過信の裏返し~過信の内攻化、永井陽之助1968年

2015年04月10日 | 永井陽之助
永井陽之助の発想の中に、現代人が「政治への過信」に気づかないことへの危機感が潜む。これが「裏返し」の文意だ。昨日も引用したように、「毎日の新聞は政治家への不信に満ちている…現代人の政治への不信は、実は政治への過信の裏返しであることに気が付かない」(『政治的人間』)。
 『政治不信の根底には政治過信、熊谷・千葉市長150408』

熊谷市長は、それほど政治を過信できないので、政治過程に参加する道を選んだと述べる。これは王道であろう。ここまでいかなくても、不信が不信のままに終われば、おおきな問題とはならない。

しかし、と永井は考える。
「すべての社会問題が政治的手段で解決できるという、暗黙の期待がある限り、やがて、全くの個人状況にわだかまる様々な欲求不満や、疎外感、違和感すらも、「政治の貧困」の罪に帰せられ、政治の世界は不断に非合理的エネルギーの浸入にさらされることになる。それは逆から言えば、社会生活と個人生活の隅々にまで、国家権力が無制限に浸入してくる結果を招く。」

個人状況とは、それぞれの人が直面する周囲環境の意味的な側面で有り、ルーティンに埋没しない限りは、元来、それぞれがオリジナルなものだ。そこでは、不安、不満、孤独などが渦巻き、ストレスを感じる世界なのだ。

その個人状況における問題を、多くの人が政治の世界に投射する状況に対して、永井の“逆説の発想”が生まれる。権力が個人の世界へ浸入すると云うわけだ。現代社会は、世論調査などの発達によって、人々の意思が集合され、政治の世界へ情報として取り込まれる。その情報を政策の中に取り込んで政治機構が新たなリソースの配分と権力による規制を展開する。従って、様々な形で我々の生活に権力が忍び込む時代なのだ。

ここでも永井は“逆説の発想”をとる。
「政治問題と社会問題との区別を廃棄し、本来の政治的解決と処理に委ねるべき領域がますます社会化されていくことは、逆から言うと、社会問題がますます政治化され、現代の複雑な利害関係の、気の長、迂回した調整よりも、単純な、技術的解決、つまり権力による問題解決に短絡され易い傾向を意味しているのだ。」

政治問題の社会化は、社会問題の政治化を招き、結局、権力による問題解決になる。政治的解決とは、分けの判らない調整であり、闇の中の利益分配に映る、人々の理解しがたい調整である。それよりも決断の政治で解決するほうが、理解可能で、心理的にもスッキリするのだ。

ここに、合理主義的解決の危うさがあることを永井は指摘する。
「近代の合理主義が、確実性と完全性を問題解決の目安とする限り、不可避的に生じる危険な傾向…。それは制度より機構を、政治より行政を、指導より管理を、権威より操作を、伝統より技術を、説得より実力を尊重する傾きをもつ。」

この論考の中で永井は「政治の復権」を主張し、「政治的人間のあり方」を素描している。ここで紹介したのは、その冒頭、「政治的人間と社会的人間」の部分である。ここで改めて、永井の“逆説の発想”、「裏返しであること、逆から言うと、…」に触れて、政治的認識の奥行きの深さの一端に触れる思いがした。

永井の発想は、「過信の内攻化」であり、熊谷・千葉市長のものとは異なる。学者と政治家とを分ける発想なのか、時代状況の違いを反映する発想なのか、興味深い処だ。

      


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政治不信の根底には政治過信、熊谷・千葉市長~大衆民主主義社会の課題

2015年04月08日 | 地方自治
『「誰がやっても同じ」=「誰がやっても大丈夫」、政治不信ではなく政治過信が根底にあるのでしょうね』

『以前より『政治過信』という言葉を私は使っています』
『投票率低下をすぐに政治不信と捉える向きもありますが、本当に不信で生活や将来に危機感を持っていたら投票に行くはずですから、最終的には「文句は言うが、投票に行かなくても大丈夫」と有権者が思っていることが背景にあると私は思っています』

ツイッターを駆使して意見を聴き、自らの意見を端的に述べる熊谷・千葉市長。選挙での投票行動を巡って、4月4日に上記の鋭い洞察を示した。政治への期待感があるから、その期待のバーが高い。それを越えるのを当然だと思っていると、満たされないときに、人は不信を感じる。しかし、その不信感が危機感に結びつかないのは、何とかなるだろうと、考えているからだ。

ここで、筆者は次の言葉を想い起こした。
「毎日の新聞は政治家への不信に満ちている…現代人の政治への不信は、実は政治への過信の裏返しであることに気が付かない」。
 (永井陽之助『政治的人間』1968年初出「柔構造社会と暴力」所収)
熊谷市長の発想は、将に、約50年前の永井陽之助の発想と同じである。筆者は大学生時代に読んだのだが、「不信/過信」の関係が現代政治社会の中核にあることを認識させられ、その鋭い感受性に敬服したのを覚えている。
この状況は今でも続く、大衆民主主義社会での基本的課題なのだ。

熊谷市長は更に呟く。以下では自己の判断と選択を論理化して述べている。
『私自身はとても政治過信には至れず、自分たちの将来を少しでもマシなものにするために行動する必要を感じ、会社員を辞めて市長を務めさせて頂いています。
投票に行くのは最低限の政治参加であって、危機感があれば立候補もしくは何らかの形で積極的に政治的意思決定に参画する必要性を感じます』。

『僕が選挙に行く目的のひとつは、自分自身の変化を促す点にあります。初めて投票することで萌芽して、政治参加(投票を続け政治を監視)することで育っていく精神的成長があると思っています。そういう市民が増えれば、結果的に政治の向上にもつながるはずです』。

投票することを自己変革のきっかけにし、精神的成長に繋げる姿勢は、極めてストイックでもある。更に驚くのは、それを自らの危機感に繋げて行動に移したことだ。この精神と活動力は一体の様に見える。

彼を取り上げるのは今度が始めてではない。丁度、3年前、原発由来の放射線問題に対する態度だった。
「…私も反論相手自体は殆ど説得不能だと理解…こうした方々の言説で不安に思う方がいることは行政として無視できない…放置した結果、善良な方々に影響が出るのは(行政として)困るので公開して反論しています」。
 『熊谷・千葉市長の際だった政治姿勢120413』

この反応は、熊谷市長が住民に身近な基礎自治体の長として、生の住民に配慮する鋭い感覚の持主であることを示している。この人たちが不安感を持つようになれば、その自治体は危機と云えるのだ。その政治姿勢は今回の投票行動に表れた考え方と同じ処から発せられているように思える。

即ち、一貫した政治姿勢は、しっかりと身に付けたものなのだ。この姿勢を武器に、100万人都市の首長としての舵取りは、千葉市民だけでなく、多くの人たちから注目されている。大衆民主主義社会における一つの政治家像として定着していくことを期待したい。

      
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政治不信の根底には政治過信、熊谷市長~大衆民主主義社会の課題

2015年04月08日 | 地方自治
『「誰がやっても同じ」=「誰がやっても大丈夫」、政治不信ではなく政治過信が根底にあるのでしょうね』

『以前より『政治過信』という言葉を私は使っています』
『投票率低下をすぐに政治不信と捉える向きもありますが、本当に不信で生活や将来に危機感を持っていたら投票に行くはずですから、最終的には「文句は言うが、投票に行かなくても大丈夫」と有権者が思っていることが背景にあると私は思っています』

ツイッターを駆使して意見を聴き、自らの意見を端的に述べる熊谷・千葉市長。選挙での投票行動を巡って、4月4日に上記の鋭い洞察を示した。政治への期待感があるから、その期待のバーが高い。それを越えるのを当然だと思っていると、満たされないときに、人は不信を感じる。しかし、その不信感が危機感に結びつかないのは、何とかなるだろうと、考えているからだ。

ここで、筆者は次の言葉を想い起こした。
「毎日の新聞は政治家への不信に満ちている…現代人の政治への不信は、実は政治への過信の裏返しであることに気が付かない」。
 (永井陽之助『政治的人間』1968年初出「柔構造社会と暴力」所収)
熊谷市長の発想は、将に、約50年前の永井陽之助の発想と同じである。筆者は大学生時代に読んだのだが、「不信/過信」の関係が現代政治社会の中核にあることを認識させられ、その鋭い感受性に敬服したのを覚えている。
この状況は今でも続く、大衆民主主義社会での基本的課題なのだ。

熊谷市長は更に呟く。以下では自己の判断と選択を論理化して述べている。
『私自身はとても政治過信には至れず、自分たちの将来を少しでもマシなものにするために行動する必要を感じ、会社員を辞めて市長を務めさせて頂いています。
投票に行くのは最低限の政治参加であって、危機感があれば立候補もしくは何らかの形で積極的に政治的意思決定に参画する必要性を感じます』。

『僕が選挙に行く目的のひとつは、自分自身の変化を促す点にあります。初めて投票することで萌芽して、政治参加(投票を続け政治を監視)することで育っていく精神的成長があると思っています。そういう市民が増えれば、結果的に政治の向上にもつながるはずです』。

投票することを自己変革のきっかけにし、精神的成長に繋げる姿勢は、極めてストイックでもある。更に驚くのは、それを自らの危機感に繋げて行動に移したことだ。この精神と活動力は一体の様に見える。

彼を取り上げるのは今度が始めてではない。丁度、3年前、原発由来の放射線問題に対する態度だった。
「…私も反論相手自体は殆ど説得不能だと理解…こうした方々の言説で不安に思う方がいることは行政として無視できない…放置した結果、善良な方々に影響が出るのは(行政として)困るので公開して反論しています」。
 『熊谷・千葉市長の際だった政治姿勢120413』

この反応は、熊谷市長が住民に身近な基礎自治体の長として、生の住民に配慮する鋭い感覚の持主であることを示している。この人たちが不安感を持つようになれば、その自治体は危機と云えるのだ。その政治姿勢は今回の投票行動に表れた考え方と同じ処から発せられているように思える。

即ち、一貫した政治姿勢は、しっかりと身に付けたものなのだ。この姿勢を武器に、100万人都市の首長としての舵取りは、千葉市民だけでなく、多くの人たちから注目されている。大衆民主主義社会における一つの政治家像として定着していくことを期待したい。

      
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「円安・株高定着」対「持続的成長の展望なし」2~異次元緩和検証

2015年04月07日 | 経済
基本的な問題提起になっているのは、翁氏の「持続的成長」に関する指摘だ。それは昨日の記事の冒頭に引用した実質GDP成長率のデータにおいて、1991―2013年の平均が0.9%、2014年の速報値が-0.0%であるからだ。
 『「円安・株高定着」対「持続的成長の展望なし」Ⅱ150404』

成長戦略による持続的成長と云っても、その成長率は1±1%であって、マイナスにならないことを目標にするだけだ。また、潜在成長率は0.4%以下で最近は下がっている(下図)。


 
〈翁氏のポイント〉
○潜在成長率の向上への寄与は期待できず
○超高齢化社会に対応した成長戦略が必要
○財政への副作用は「高橋財政」より大きく

翁氏が指摘する様に、アベノミクスの成長戦略は、空気を振動させるだけの“空体語”であったのは確かだ。しかし、最近のGDP成長率と潜在成長率のデータ、両者は一体のデータになるが、これが示すものは成長戦略という概念に無理があるということだ。
 『亀の歩みの成長戦略~低迷する潜在成長率150307』

その意味でアベノミクスは経済成長という見地からは、政治的なイメージ戦略なのだ。従って、金融緩和の功罪を論じる際に、成長戦略まで踏み込むことは、実は無理がある。従って、本格的に論じる必要があるのは、北阪氏が成果として記した円安・株高と翁氏の指摘する「財政への副作用」になる。

貿易収支が赤字に転換したのは2011/2からだ。以降、トントンの月はあったが、赤字は続いている。一時は3兆円/月(2014/1)にまで達したが、最近は原油の大幅な値下げによって、赤字幅は縮小し、1.2兆円程度までになっている。しかし、円安が120円までになり、自動車中心に輸出も増えているにも関わらず、大幅輸入超であることに変わりはない。

単純に考えれば、日本全体として円安は損失になっているはずだ。それでも、北阪氏は輸出による企業業績の改善が成果だと云う。論理的に云えば、逆に主として、中小企業、最終消費者になる国民全般の損失は遙かにそれを上回るものになるはずだ。それは損失を転化できないで抱え込んでいる企業にも云える。

北阪氏を始めとして、安倍首相は勿論のこと、円安・株高を成果として主張する政治家・評論家は、円安による損失について、著しく感受性を欠いている。知っていて、無視しているのだろうが、これは尚更、フェアーではない。

また、株高が成果であることに関して、筆者は半分認めるが、これの副作用も考える必要がある。株価が一層、マネーゲームの様相を示していることだ。企業の業績と将来像の見通しから株価が決まるという基本的な姿が、短期の経済情報によって、攪乱され、コンピュータを操るファンドに主導権が握られるのだ。

財政ファイナンスと出口戦略の不安定性に関しては、河野龍太郎氏の議論を何回か、取り上げている。
『金融抑圧政策の歴史的展開と現在~大衆民主主義下の公的債務圧縮131113』

翁氏も戦前の高橋財政との比較から、次の様に財政ファイナンスは始まっていると指摘する。以下だ。
量的・質的緩和は財政への資金提供は目的ではない。しかし、「副作用」としてすでに巨額の財政支出をファイナンスしている。銀行が買った国債はワンタッチで日銀に転売され、最終的に日銀資金が財政支出を賄っている。これは高橋財政当時とは正反対の資金の流れであり、出口のかじ取りの困難さに直結する。

 しかし「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」とする憲法83条(財政民主主義)の理念は、日銀による巨額損失の裁量的配分とは両立しないはずである。許容されるなら、日銀の独立性という建前で財政民主主義を迂回するルートが開ける。金融正常化プロセスでのリスクとコストは、民主主義社会の日銀のあるべき姿を再考する契機にもなるだろう。

      
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