散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「冷戦の起源」の起源(2)~開かれた社会でのスパイ事件

2015年05月31日 | 永井陽之助
「国内が外国のスパイや諜報機関によって侵されるという恐怖心は、アメリカ生活の一種の風土病…」(リースマン1960)との言葉は、永井陽之助の「健康な身体が外部からの異物浸入で汚染される…孤立した大陸帝国アメリカの底流に潜む土着神話の中核…」(「冷戦の起源」1978)との言葉と響き合う(前回参照)。
 『「冷戦の起源」の起源(1)~身体への異物侵入による汚染への恐怖150529』

リースマンの言葉は英米の比較からきている。
「英国は国内すべての敵の機関を一掃するために、国をひっくり返す愚を演じるよりは、少数のスパイに僅かばかりの機密が漏れる棄権を選んだ」。

これに対して、
「米国人は、絶えず、女々しさに付きまとわれている様に思える。だから、強腰で、リアリスティックであるか自分を見せねばならないと感じるのだ。…米国人であるとは、パイオニアだと思っている人々には、フロンティアの欠如は、国家が柔軟に流れていくとの恐怖を与えていることだ」。

英国人の損得勘定を考慮に入れた冷静な態度と、何事にもハッするし、それを回りに見せたいと演じる米国人との違いと言えようか。スパイで云えば、「007」の見えざる世界とCIA的なマスメディアにも露出される世界との違いだ。

国柄があるにしても、この英米比較は、欧州のセンスからみて、米国の例外的な性格を指摘する。開けっぴろげな米国社会における秘密を守る苦しみが示されているからだ。

おそらく、このリースマンの議論に永井は示唆を受けたのではないだろうか。
彼はマッカーシズムによる赤狩りのなかで、アルジャー・ヒス事件(Wiki参照)に注目する。ヒスは弁護士資格を持つ政府高官だったが、ソ連のスパイ容疑をかけられ、下院非米活動委員会に喚問された。

永井によれば、米国では1949年の「中国共産党の全土制圧」及び「ソ連の厳罰実験間近」のダブルショックの中で、エリート層に対する庶民の抑圧された反感が「反知性主義」のポピュリストムードに火をつけた(『何故アメリカに社会主義があるのか』年報政治学(1966))。
そこで、冷戦初期におけるこの事件を、戦後米国のイデオロギー史上、画期的事件と評価する。

上記の議論の中で、永井はリチャード・ホッフシュタッター「米国政治におけるパラノイドスタイル」(未邦訳)を引用して、「米国の右翼は歴史的に旧い源泉から発して表れる効果的な少数派としての運動」としている。

以上が、冷戦下において明らかにされたスパイ事件から、スパイを病原菌と見なす米国の風土がフルオリデーション反対運動に繋がり、更に環境汚染の現代的課題へ結びつくとの永井の議論だ。

ともあれ、奇異に感じたことを追求するなかで、より深い洞察に到達し、それを一言のコンセプトで表現する発想は、今回の場合は“疫学的地政学”であるが、“柔構造社会”にも見られるように氏独特もののようだ。

      

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米国がFIFAの汚職を摘発~オバマ政権のフィナーレの一環

2015年05月29日 | スポーツ
サッカーとは縁遠い米国において、新任のロレッタ・リンチ司法長官が直々に指揮をとり、世界サッカー界のトップに君臨するFIFA(国際サッカー連盟)の幹部9人を含む15人を起訴できたのか。それも、現職の副会長2人と元副会長が含まれ、今週末の会長選挙で再選を目指しているゼップ・ブラッター会長は現時点では入っていないという。会長はいつ逮捕されるのか?緊張感が高まる演出の様にも思える。

処で、先の安倍首相訪米のおり、オバマ大統領のサービスは行き届いていた。日本語を随所で使い、俳句も詠んでいた。その中に、「和やかに」という言葉も並べられていた。聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という日本の行動様式を象徴する言葉を想い起こさせる。演出が過ぎて、気持ち悪いほどであった。
 『緻密で整った「形式」と無難な「内容」~安倍首相の米国議会演説150510』

ここは日本との関係をまとめ挙げ、自ら掲げた東アジアのリバランス政策を形として残して起きたいという意思を感じる。すなわち、オバマとは何者であって、世界に何を刻んだのか。この問いに答えるために、任期8年間の最後をまとめている様に思われる。

この様な背景の中で、今回の汚職摘発に関する政権側の思惑は何か。ニューズウイークに5/28付けで掲載された「プリンストン発 日本/アメリカ新時代」の中で展開された冷泉彰彦氏の解説に筆者は魅力を感じる。

氏の基本発想は、「オバマ政権はヒスパニック系有権者を意識して動いている。ヒスパニック系人口のサッカー人気は絶大、代表チームの動向等に重大な関心事を持つ。」との表現に顕れている。これは、大統領の誕生そのものがヒスパニック系有権者によって支えられたことを最後の段階で確認し、8年間の一貫性を残そうとのオバマの意図との推測に繋がる。

益々、人種のルツボへの進んでいる米国において、かつてのF・ルーズベルト大統領が、ニューディール政策によって黒人層を民主党支持に変えさせた「エスニック・ポリティックス」を彷彿とさせる。

「サッカーが「欧州やアメリカの金持ち」によって歪められ、巨額な金によって汚れている。ヒスパニック系住民にオバマ=リンチの「国策捜査」が支持される。」との観測だ。「巨額な金による汚染」との見方は、世界的に多くの人々に共通した認識であろう。ビジネスの存在感が大き過ぎて手が出せない欧州各国に対して、それをまんまと司法問題にしたのは、グローバル化における法の機能の問題として非常に大きいはずだ。改めて、米国の存在感をも示している。

ロシア・プーチン大統領がW-Cupロシア大会への妨害との文脈を示唆した発言をしたとのことである。この発言の内容に関する当否はさておいて、巨額のカネと世界政治とがサッカー界の頂点で絡み合っている様相を、私たちコモンパーソンに印象づけている。

しかし、これはサッカーだけではない。オリンピックも同じ穴の狢だ。まあ、違う穴かもしれないが、狢であることに変わりはない。するとこれは、オバマが意図したと冷泉氏が指摘するヒスパニック系だけの問題には収まらず、世界大に拡散する問題かもしれない。ここでも、筆者がブログを懸命に書いているのだから。

      


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「冷戦の起源」の起源(1)~身体への異物侵入による汚染への恐怖

2015年05月26日 | 永井陽之助
「健康な身体が外部からの異物侵入で汚染されるという共同幻想こそは、孤立した大陸帝国アメリカの底流に潜む土着神話の中核にあるものである」(「冷戦の起源」はじめに)。僅か最初の数頁に、その本の核心部分を端的に提起している歴史書はそれほどないのかもしてない。尤も、ご当人が「歴史叙述の慣例を破り…」と云っているくらいだから、それも当然なのだろう!

この“はじめに”に表れた著者・永井の顔は、米国・政治的風土の研究者としての一面を示すものだ。氏は米国の歴史家・リチャード・ホフスタッター(ウキでは政治史)を、米国を深く知る3名の知識人のひとりとして挙げていた。因みに、他のふたりはデービット・リースマン、サミュエル・リューベルだ。

丁度、筆者がゼミ形式の授業を受けていたときに書かれた「解体するアメリカ」(中央公論1970年9月号)では、次の様に紹介している。「『改革の時代』や『アメリカ生活における反知性主義』などの名著で名高い、リチャード・ホフスタッター(コロンビア大学教授、1970年10月白血病のため死去)は自ら“ラディカル・リベラル”と規定するだけに…」。

これは想像の域を出ないが、永井はホフスタッターの研究スタイルを深く理解して、米国の思想と行動を知るには、その風土的基礎にまで掘り下げて把握する必要を感じたのではあるまいか。

こんなことを今、書きながら思いついたのだが、ウキを調べている処で、『反知性主義』が既に幕張高等学校・附属中学校校長・田村哲夫によって、2003年に翻訳されていることを知った。こんな偶然もあるのだ。翻訳されれば、是非、読んでみたいと、当時も考えていたから。閑話休題。

さて、米国の政治的風土に関して、最初の引用の前に永井は次の様に述べる。
「1962年に私が初めて渡米したとき、奇異に感じてならなかったのは、当時、ケネディ政権下で全国的な広がりを見せていたフルオリデーション反対運動の狂気じみた激しさであった。…」

この反対運動については、永井が翻訳した論文集「政治について」(リースマン(みすず書房)1962、原題「冷戦のインパクト」)で触れられており、おそらく永井は各論文について、出版以前に読んでいたのではないか。

『アメリカの危機』(1960)の中でリースマンは次の様に言う。
「マッカーシーは死んだが、国内が外国のスパイや諜報機関によって侵されるという恐怖感は、アメリカ生活の一種の風土病であって、全国的には静まったとはいえ、地方ではまだまだ生きている。例えば、この十年間、たいへんな数の地方都市が、水道のフルオリデーションの危険性というバカバカしい空想から、これに猛烈な反対運動を起こした」。

十年前とは、吹き荒れたマッカーシー旋風が醒めやらぬ最中であるから、引き続きと言っても良い。一方、日本ではこのことについて、何も報道はなかったのではないか。しかし、永井の鋭い感受性は草の根からの反応として、これを奇異に感じたのだ。この辺りに並の学者にはない特異性を感じる。

このあたりが、「冷戦の起源」を書き起こす最初のトリガーだったと、今にしてみれば思うのだ。永井の特長は感受性と共に感じたことを調べ、考え、関連する現象、知識を構造化して理解しておくことだ。それが遂には、凝縮した表現として開花することになる。

永井と同様の感受性を示す文化人類学者・山口昌男は、フルオリデーションは知らないが、ピュアな飲料水を求める米国人の行動から次の認識に達している。永井も本の中で引用している。
「…エチオピアに滞在中、あるアメリカの援助技術者の家族が、飲み水は米空軍機で空輸されるミネラルウォーターに決め、野菜も殺菌の行き届かない土地の産物は避けるという話を聞き、いかにもピューリタンの伝統の下で赤狩りを経た国の人間が考えそうな…病原菌絶滅主義は意外な処に転移する…そのような生活スタイル自体、コントロールを越えた、更に重い病の兆候…」。
 山口昌男 『病の宇宙誌』(「知の遠近法」所収(1976)岩波書店)

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ハイエナ的野性を持つ「サガン鳥栖」のボール奪取~尹晶煥前監督の指導

2015年05月24日 | スポーツ
改装なった等々力陸上競技場に初めてサッカー観戦に出掛けた。二ヶ領用水に沿って約30分歩いて等々力公園に到着だ。食べ物屋の出店が並ぶ中を見つくろって買いながら通り抜けると、改装後に階層化されたスタジアムが目の前だ。

試合で目立ったのは開始直後からのサガンのボール奪取だ。素早く敵に寄り、仕掛ける体勢を採り、相手を追い詰める。少しのボールコントロールの乱れを突いてタックルに入る。繋ぎの横パスを出させて、その受け手に次の守備者が詰め寄る。これでタックルに入れる状態を作り出せる確率は高まる。

タックルも深い。川崎Fの選手がタックルに入れないだろうと予測している状況においても、その予測よりも深く入るから、かわせずに引っかかる場面が見られた。そこで中盤を支配してボールをちらし、右サイドから白選手のボールコントロールとスピードで突破を図る。また、カットして速攻を狙える場合は、中央から豊田の動きに合わせる。その攻撃でフロンターレを押し込んだ。

この鳥栖のボール奪取スタイルは野生に生きるハイエナの狩りを彷彿とさせる。一言で云えば“出足・狙い・連携”だ。
先のW-Cupでは、このやり方が常識化していた。特に第一ディフェンダーが敵の動きを制限すると共に、追い詰める体勢に入り、次ぎのディフェンダー以下が連携して予測を統一させ、最終的なボール奪取に向かう。
 『日本チームが野生動物だったら餓死140615』
 
一方、日本チームは出来ず、続く日本での大会においても意識の向上が見られなかった。しかし、サガンは前監督尹晶煥(ユン・ジョンファン)の指導によって身につけたボール奪取から速攻への切り替えに余りにも見事に成功し、J1へ昇格、昨年度の前半、首位の地位を占めた。しかし、監督を突然解任される。真相は藪の中だ。その前々年度5位の成功によって人件費の高騰を招いて経営難になったとも云われる。それよりももっと下世話な話かもしれない。

前半の同点シュートは、看板としている得意の速攻から豊田選手が僅かに空いていたゴールのニアを狙ったものだ。

ハーフタイムに用を足しに席を離れた。しかし、前日の切符手配で、正面での客席で、向かって中央右側、回りが殆ど空席の処を選ぶ。従って、日経に載っていたハーフタイムの15分間で全員が用を足せる「トイレ」のコンセプトを確かめられない。満員で初めて効果が判るから。3階の客席に対してトイレは2階、その数から万里の長城の様に連なる便器を想像していたが…数は場所毎に区切られ、一つの規模は大きくない。他のエリアではもっと長い処もある?

前半開始早々、川崎Fの逆襲で右サイドから大きく曲がるクロスを入れられ、GKが飛び出したが、ボールを取れず、その混戦からバー直撃のシュートを打たれる。鳥栖の課題がさらけ出された場面だ。

先取点もクロスを入れられた混戦から、杉本にフリーでボレーを許して入れられた。シュートそのものは、やや高いボールを瞬間待ってやや低い処で叩いた見事なものだ。しかし、サガンのゴール前、DFはゴールを守るとの意識から切り替えが出来ず、前に出て体でシュートを防ぐ動きを見せない。杉本にボールの高さをやや低くする余裕を与えしまった。
クロスに対するGKの予測、ゴール前での混戦でのDFの判断、課題を残す姿であった。

後半、サガンは早めに選手交代を行う。しかし、主力選手の疲れが徐々に表れる。前半の“出足・狙い・連携”を、交代選手が全体にトリガーを掛けるまでは至らない。川崎Fのボールさばきに、サガンの動きの遅れが目立つようになる。

結局試合は後半、川崎Fが大久保から杉本へトップを入れ替え、サイドを広く使って、特に左MFの突破からクロスを生かすやり方に切り換えた。川崎Fは活路を見出し、サガンは弱点を突かれ、こぼれ球から大久保に決められる。
その後、サガンは左からの突破で、川崎FのOGを導いて同点にしたが、FKから杉本にヘッドで合わされ、突き放された。

尹晶煥の韓国代表監督就任が噂されている。
かつての朴智星(パクチソン)に見られるように、韓国サッカーは激しい動きと忠実な守備から速攻に移る方式に適合するように思う。今はどうであろうか、これからのW-Cup予選が楽しみだ。

      
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川崎市簡易宿泊所の内実~議会での新設反対の請願審査を通して

2015年05月19日 | 地方自治
報道によれば、川崎市川崎区の簡易宿泊所火災の犠牲者は6名とのこと。宿泊客は高齢ひとり暮らしの生活保護者が多い…というよりはたまり場であった…。

3年前、市役所の裏側、堀之内本町あたりに、この手の宿泊所の建築計画があり、周辺住民から反対の請願が出された。「ホテル&リゾート 2012年09月15日発売号目次」に、「【宿泊施設】○福主美商事、川崎市堀之内町に23室の簡易宿泊所・ダイキン宮本町を新設」とある。建設を見越して川崎市議会は請願を健福委で審議の末、「趣旨採択」したのだろうか。

本稿は、当時のメルマガに掲載したもので、請願審議の中に、簡易宿泊所の内実を読み取ることができる。以下、本文。

探検!地方自治体へ ~川崎市政を中心に~ 第191号 2012/9/23
★『請願「民間の迷惑施設建設に反対」審議の分析・評価』★
  ~石田和子議員(共産党)の複合的アプローチ~
 はじめに
 1.全体概要
 2.複合的アプローチと単発的アプローチ
  2-1 現実と法との裂け目~宿泊施設は「生活の拠点」か?
  2-2 法解釈と運用の固定化~宿泊料の上乗せ
  2-3 関連施策を含めた複合的議論~自立支援をキー概念に
  2-4 法律に書いていないことの取扱~4名の議員の指摘から
  2-5 住環境維持とまちづくりは同じか
 3.残された課題
  3-1 行政のチャレンジに答えられない議会~条例の検討
  3―2 住民対住民 まちづくり・住環境・迷惑施設
  3-3 自立支援のあり方~方法と官のリソース
 おわりに

1.全体概要
題材 請願第42号
「川崎区堀之内町に建設予定の簡易宿泊所に反対する」
要旨1.
 簡易宿泊所ではなく、第二種社会福祉事業宿泊所へ運営を見直す
要旨2.
 本施設は届出制でなく、地域住民の納得のうえ、許可制にする
 注…現状の法律
   簡易宿泊所
   ・基本的に衛生状態を満足すればOKの「許可制」
   第二種社会福祉事業宿泊所
   ・地域住民との協定を締結したうえでの「届出制」
審議結果=全会一致・趣旨採択
 *コメント
  要旨1は事業者、要旨2は国の意思決定によるのではないか。
  これを趣旨採択するなら、議会として今後の行動が必須。

2.審議から見出せること~複合的アプローチと単発的アプローチ
 請願の主題である「住環境の維持」の質問を始め、法的問題、施設の内容・
運営、事業者説明会、行政の立場、生活保護者の状況、自立支援の施策等、多岐にわたる質問があった。
 審議概要は「第2回定例会 健福委員長報告資料」(P3-7)を参照。
 審議の中で、石田和子議員(共産党・高津区)は、法解釈、事業者施設の実態、行政の関連施策を複合的に捉えた質疑を展開、行政に具体的な課題を認知させた。すなわち、他の議員の質問は、単発な項目の羅列であり、要望で収束させるだけであったのと比較し、一段と光るものがあった。

石田議員の質疑は複合的アプローチ、以下3点の「特徴」を有する。
(1)質問項目を有機的に関連させ、問題点を抽出する(複合的アプローチ)
(2)自ら関連資料を探査し、本請願と結びつける(2-3参照)
(3)見過ごしがちな記載から、問題点を見出す(2-1参照)

2-1 現実と法との裂け目~宿泊施設は「生活の拠点」か?
 旅館業法によって規定される簡易宿泊所が、第二種社会福祉事業宿泊所に
限りなく近い運営を行うと、その間に何らかの矛盾が生じる。それが「生活
の拠点」に表現されていることを鋭く見抜いた処がポイントだ。生活保護者
を主対象とした運営は単に宿泊ではなく、宿泊所の生活拠点化を事業者が意
識していると感じさせる。

◆石田和子 資料2:法第2条、宿泊施設の意味
 ・旅館業法は生活本拠を置くことを宿泊営業に該当させているか?
*行政回答
 ・「生活の拠点を有さないこと」は旅館業に該当するか否かの判断基準。

◆石田和子 資料3:市内の生活保護者数と簡易宿所の利用状況
 ・当該事業者の既存4施設の定員及びその中の生活保護者数は。
*行政担当
 ・4施設の定員272、そのうち、生活保護者数257。

◆石田和子 住民提供・説明会議事録:副管理人の旅館業法上の意義と役割
 ・副管理人は入居者と契約。定住が前提ではないか(特徴(3)に該当)。
*行政回答
 ・管理人の設置は必須。副管理人は事業者独自、行政は関知しない。
 ・法の原則は宿泊者を拒否できない、定住してはいけないとは言えない。

◆石田和子 上記議論のまとめ
 ・事業者施設4カ所の入居者95%は生活保護者、本施設も同様な運営。
 ・入居者は副管理人と契約必要、事業者は本拠とする人を想定している。
 
 石田議員は、実質的に第二種社会福祉事業宿泊所の運営を行っていると判断でき、行政は住民説明会を地域住民との協定に近づけるように指導はできないか、との方向を目指したと考えられる。一方、行政側は苦しげであるが、「定住」とは認めず、両者を分ける一線は維持した。それにしても「現実と法との裂け目」を具体的に明らかにし、事業者及び行政側に強いインパクトを与えたはずである。

2-2 法解釈と運用の固定化~宿泊料の上乗せ
 法律がそのときの状況、特殊な事情によって「運用」され、法解釈として「固定化」する。あたかも最初からの規則であるように「ルーティン化」し、「追随」される。ここでは更に、それを前提としたビジネスモデルによる事業展開が民間で図られる。

◆石田和子 資料3:簡易宿所と第二種社会福祉事業宿泊所との違い
 ・生活保護者の住居費は1人世帯5万3,700円、簡易宿所6万9,800円の理由。
*行政担当
 ・委員の疑問は納得。簡易宿所は1泊2,000円程度で設定。
 ・生活保護法上の運用、国も認め、横浜市、台東区でも同じ取扱い。

◆石田和子
 ・その当時の社会状況の中で、特殊事情として運用を認められてきた。
  しかし、通常より1万6,000円高い額を前提としたビジネスは、おかしい。
*行政担当
 ・非常によく判る。住宅費の特別基準の認定を再検討する。
 ・5万3,700円以内のアパート生活が可能な状況か、調査する。

◆石田和子 アパートに住んで自立する方向性を、行政は考えていくべき。
 簡易宿所の宿泊料金が高いことは「資料3」に出ているが、不思議に他の議員は聞かなかった石田議員の前に質疑した、竹田宣廣議員(みんな・宮前区)、木庭理香子議員(民主・麻生区)、松原成文議員(自民・中原区)は何も問題意識はなかったのか?松原議員は「宿泊費とは家賃か?」との質問の後、支払い方法の質問に逸れている。

 石田質問に対して行政側回答は「同感!」である。固定化した決定のなかで、おかしいとは感じても直すキッカケを掴めなかったと推定する。横浜市、台東区にも同じに感じた仲間がいたかも知れないが、ネットワークを組むことなど夢のまた夢であろう。「宿泊費」と「アパート」の具体的言質を得て、石田議員は次のステップへ進む。

2-3 関連施策を含めた複合的議論~自立支援をキー概念に
◆石田和子 ホームレス対応との整合
 ・シェルターの整備の考え方、就労自立支援センター等との関係は?
*行政担当
 ・自立支援施設は4カ所。ホームレスの窓口、シェルター的な対応。
 ・居住する施設ではなく、拠点として自立へ向け支援、形態は様々。

◆石田和子 複合的に捉えて議論の整理
 ・特殊な事情を当て込んだ事業がビジネスモデルになるのは問題。
 ・旅館業法が生活保護・自立支援室とリンクせずとの考え方は問題。
 ・ホームレスの自立に向けた事業と別ではなく、局内の連携が必要。
 ・ホームレスの収容人員も半減、定住に対する手だては更に必要。
*健康福祉局長
 ・生活保護者の経済・消費行動を対象に行う経済活動は当然である。
 ・不当に利益を得る、利用者に不利益を与えることがあれば問題。
 ・許容せずの場合、公正に配慮し、制度的に規制をかける必要。
 ・具体的には、住宅費の問題は、ぜひ検討していく必要がある。

 関連する施策である「自立支援計画」を事前に読み、就労自立支援センター機能を明らかにしたうえで、ホームレスの収容人員も半減と指摘、先の「アパート」を含めて、局内の縦割り行政を突き、「定住」問題へのアプローチを具体的に迫る。
 その結果、局長は住宅費の問題について検討を言明した。

◆石田和子 資料3:社会福祉法の住民との協定締結
 ・第二種社会福祉事業宿泊所と同等な内容のとき、
  地域住民と協定締結は可能か。
*行政担当
 ・簡易宿所は不特定多数が宿泊、規約を設けることは難をしい。

 施策間のリンクまで幅を広げた後、これまでは簡易宿所の「虚構性」を具体的に明らかにし、ここで本丸に辿り着いた感がある。複合的であると共に間接的アプローチだ。しかし、「定住」問題と同様に、「協定締結」問題も一線を画されてしまった。行政の立場としては当然であろう。
 一方、本請願に関わる状況に関し、全体として矛盾を孕むことを具体的に明らかにした意味は大きいと言える。
 以下は単発的アプローチの中から議員の盲点と感じられる質問を例示する。

2-4 法律に書いていないことの取扱~4名の議員の指摘から
 旅館業法第3条の営業許可に関し、施設周囲100m区域内にある学校、認可保育園等に対し、「清純な施設環境が害されないか」意見を聞く規定がある。ここでは認可外保育園があるが該当しないと行政側は説明する。これに対して質問・意見が集中する。

◆松原成文 資料2:法第3条第3項 意見を聞く施設
 ・認可の保育所であれば、それは申請を認めないということか。
*行政担当
 ・先の説明と同様、清純な環境を害するのか意見を伺う。
◆木庭理香子 同上
 ・認可外、認可、幼稚園、線引きで子どもをくくってよいか。
*行政担当
 ・保育所は認可が法律上の要件、意見を聞く必要がある。
◆竹田宣廣 同上
 ・法から飛び越える部分だが、認可外保育園に意見を聞けるか。
*行政担当
 ・意見を聞く施設ではないが、配慮するように事業者を指導。
◆石田和子 同上
 ・保育園の子どもにとって認可、認可外は関係なく、全く同じ。

 おそらく法の規定は「代表」を指定したのであろう。そうでなければ、近隣の、子どものいる全家庭に意見を聞く必要があるはずだ。議員が認可と認可外に拘るのは、法律文言への道徳的アプローチに思える。しかし、ここでの問題は法解釈ではないか。

 認可保育園に「意見を聞く」規定では、認可外保育園については何も規定されておらず、聞くか、聞かないかは任意であろう。また、現状の川崎市において、認可、認可外を同等に扱うのは議員諸氏の議論にあるように、特に不思議ではない。従って、市として条例、規則、要綱、要領、いずれかに認可外から意見を聞くと規定して、法律違反であろうか。竹田議員「法から飛び越える部分」との発言が、この点に関する問題意識の無さを示している。他の議員も、職員も全く同じに見える。法律に書いていないことを、法律の趣旨を勘案しながら判断することは、私たち自身がなすべきことではないだろうか。

2-5 「住環境維持」と「まちづくり」は同じか
 請願は現在の住環境を維持することを主張している。すなわち、迷惑施設への反対であり、運用の変更である。「まちづくり」そのものは請願の要旨に含まれていない。「まちづくり」を考えるならば、この種のいわゆる迷惑施設をどうするのか、ある範囲内で考える必要が出てくるからだ。

すべての地域が「まちづくり」を理由にして反対すれば、行き場のなくなる施設が出てくるのは必然だ。

◆木庭理香子 請願書:住環境(安心・安全)の維持
 ・市はどちらの立場に立って物を考えているのか。
 ・現行法の中での対応が不可能ならば、今後はどうするのか。
*健康福祉局長
 ・基本的に法令の定めに従って、行政処理を行う。
 ・事業者と住民の対立に対し、法的に公正な立場に立つ。
 ・事業者と住民が話し合い、納得するのが一番望ましい。
 ・まちづくりに法、条例があり、それに従った処理を行う。
 ・将来的に目指すことには、新たな立法措置が必要だ。

◆松原成文 請願書:住環境(安心・安全)の維持
 ・事業者と住民のトラブルを回避する新条例の方向性は?
*健康福祉局長
 ・紛争状態に関して関係法令は多く有り、野放しではない。
 ・一方的規制は良くない、事業者の活動を許容するのは当然。
 ・まちの状況に応じて的確な制度化は常に念頭に置く。

 具体的な問題を指摘せず、どちらの立場か、と迫るのは「2-4」とじく、極めて直線的なアプローチである。この方法の欠点は、立場を外されると何も言えずに、議論の行方がなくなることだ。討論の広場である議会としては好ましくない。上記の両議員に対する局長の答弁をみると、抽象的かつ常識的に、ほとんど同じことを言っている。結局は何も言質を与えていないのだ。

3.残された課題
 大きく眼についた今後の課題を三点、以下に述べる。
 1)議会による「条例」の提案・制定
 2)住環境維持と迷惑施設の設置
 3)自立支援のあり方~方法と官のリソース

3-1 行政のチャレンジに答えられない議会~条例の検討
 木庭議員「市はどちらの立場に立って物を考えているのか」との問いに、局長は「将来的に目指すことについては、新たな立法措置が必要になる」と答えた。これは議会に対する行政のチャレンジだ!「立法措置は議会の役目、必要と思うなら自分たちで作れ」と言っている(「2-5」参照)。しかし、何を言われているのか、木庭議員は理解できていないようだ。次の句は「…全く納得はできない…」である。

 松原議員「事業者と住民のトラブルを回避する新たな条例」、坂本茂議員(自民、川崎区)「関係した条例を見直すことも行政の重要な仕事」との発言に示されるように、議員が行政職員に対して「新たな条例」あるいは「条例の見直し」を要求する倒錯した意見が、委員会審議の場において、疑問なく出され、それに局長が常識的に答えると「非常に前向きなご意見」と持ち上げるのが、現実の川崎市議会の姿なのだ。

3―2 住民対住民 まちづくり・住環境・迷惑施設
 地域住民の住環境維持と事業者との対立は、実は「住民対住民」の図式になる。簡易宿所を利用する人が住民と考えれば、の話になるが。ともあれ、住民が利用者に不信感を持つ限りは「住民対利用者」の関係になる。「定住」の問題が再燃するかもしれないのだ。

 更に、まちづくりを考えると、迷惑施設の近隣にいて迷惑を被る住民と遠くにいて利益を享受する住民の対立が想定される。この「住民対住民」の最初のケースが東京都のゴミ戦争である。これはゴミの処理が集中する江東区民とゴミ処理施設の建設に反対する杉並区民との紛争であった。これこそが住民自治の論点になるのだが、ゴミ戦争は未だ後遺症を残しているようだ。

3-3 自立支援のあり方~方法と官のリソース
 石田議員が提起したように、アパートに住んで自立する方向性を行政が考えたとしても、実際にアパートを貸すことには、障害があるように思える。簡易宿所に対して地域住民が警戒心を持ったが、アパートについても事情は変わらないことは、十分予測できるからだ。

 そうなると、官が必要な施設を準備することが順序として考えられる。そこでの問題はリソースである。配分する金が少なければ、自立の支援は地域に投げ返されるかもしれない。そこまで想定すると、自立支援のあり方も変わってくる可能性があるだろう。

おわりに
 本稿は『市民による議会活動の分析・評価』の試論である。ここでの狙いは「議会審議の質的向上」と「市民生活へのインパクト」にある。その点、この趣旨採択が次の議会活動へどのように結びつくかが問題である。行政からのチャレンジを正面から受け止め、市民との対話を進めながら条例制定等へ進んでいく姿を示して欲しいものだ。

      
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日米同盟における「ナルシシズム」の姿~安倍首相の米国議会演説2

2015年05月16日 | 国際政治
日本と米国との距離感に乏しい処が、筆者には、安倍演説の特徴と感じた。
しかし、逆に演説が好評であったのは、そのための様にも思える。米国にとって自らが信奉しているイデオロギーを真正面から持ち上げられるのは、悪い気がしなかったはずだ。殺し文句を次から次へと安倍首相が並べたことは、居並ぶ議員たちには、国際政治の中のエアポケットのように感じられたのではないか。

演説の始め、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、民主主義との遭遇…」と述べたのが、全体のトーンを象徴している。

しかし、その出会いは「丁髷・袴」姿が「散髪・洋服」姿と遭遇したことではないか。後に岩倉使節団が欧米で丁髷を嫌われ、時の政府が「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」との都々逸を使って、断髪令を世間に広めたとのことだ。
即ち、“文明”と日本が感じたことに対する遭遇なのだ。

更に、戦後が米国のパワーと、それを支える“民主主義”との遭遇だ。この二つの遭遇の間に、谷間としての日本の「帝国主義と軍国主義」の時代がある。こう考えると、「私の祖父、岸信介…」を持ち出した安倍首相の考え方が良く判る。

それも臆面も無く「日本と世界の自由主義国との提携は…民主主義の原則と理想を確信…」と岸首相が米国議会で述べたとの話だ。岸信介は、東條内閣の商工相を勤め、マッカーサーによってA級戦犯容疑者として拘束された。この発言は、当然、岸信介としてではなく、民主化日本の首相としてのことだ。岸信介個人としては、陸軍と革新官僚が支配した軍国日本を肯定しているはずだ。

この首相と個人の二つの態度に引き裂かれた中に、日本の政治的基盤の不安定性が示され、また、諸外国、特に東アジアから豪州まで、侵略された国々からの疑惑の眼が向けられる。演説の中で公人・岸を個人・岸として持ち出し、自らをそれに投影した処が、安倍首相の自立しえないナルシシズムなのだ。

「戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップによる…日本が選んだ明確な道は…祖父の言葉、米国と組み、西側世界の一員となる選択だ。日本は米国及び民主主義諸国と共に、最後には冷戦に勝利…この道が、日本を成長・繁栄させ…今も、この道しかない」。

しかし、永井陽之助が冷厳に指摘したように、「日本は、敗戦後、選択によってではなく、運命によって、米ソ対立の二極構造の中に編み込まれた。これは米国も同様である」(「日本外交における拘束と選択」『平和の代償』)。その運命を切り抜けたのは吉田ドクトリンであって、米国の核のカサの中での軽武装・経済成長の政策が日本の選択であった。

安倍演説では「…アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を徹頭徹尾支持…“国際協調主義にもとづく、積極的平和主義という旗”…日本の将来を導く旗印…」と述べているが、英文では、"proactive contribution to peace based on the principle of international cooperation"(国際協調の原則に基づく、平和への積極的貢献)になる。一言でいえば、「国際協調」なのだが…。

「太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にする。そのために日米同盟を強くする。しなくてはなりません。私たちには、その責任があります」。

しかし、国際間に法の支配の貫徹する平和とは、最終的に各国の行動が一つの国際法に規定され、世界秩序が確立される中で得られるものである。この段階では日米同盟は不要になるはずだ。

更に、これは日本国憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼…」の世界であり、
第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」をバナーとして掲げることを意味する。

しかし、日米同盟とは云っても、軍事的には日本が米国に依存する体制だ。その見返りとして対米協力は必須になる。リバランスは所詮、米中のバランスをとることが第一になるのであって、それを米主導の法支配に持ち込もうとすれば、中国との確執は免れない。

安倍首相は米国の意に沿って米国のアジア・太平洋政策を百パーセント支持して日米同盟を強化し、それを日本の選択と主張することで、独自性を主張した。しかし、実際は日米同盟に対等の幻影を見ているに過ぎない。これも一つのナルシシズムに過ぎない。


      


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緻密で整った「形式」と無難な「内容」~安倍首相の米国議会演説1

2015年05月10日 | 国際政治


ウイークデイも含めて本日まで16連休を過ごした。
とは言っても旅行に出ていたのではなく、これまでの様々なツケの整理に当たっていた。パソコンも古い一台を放出するようにし、ブログも復帰して平常なネット作業に戻る。

岸首相、米国経験、硫黄島等にナルシシズムを含ませながらの安倍首相米議会スピーチ「希望の同盟」は、無難な米国賛美と追随の表明であるが故に、米国で好評を博したようだ。それが日本のニュースの大部分を占め、日本でも評判が高かったと言えようか。

晩餐会でオバマ米大統領が披露した俳句、
「Spring, green and friendship
     United States and Japan
          Nagoyaka ni (Harmonious feeling)」は、
今回の安倍訪米の雰囲気と性格、
即ち「釈迦・オバマの手の上(枠組の内側)で暴れる(発言する)孫悟空・安倍」を良く表している。

試みに筆者の翻訳は「青葉風、海越ゆる絆、和やかに」。

最初の「春、緑」は直接的表現で使い難い。緑が葉をイメージするのなら「青葉」か?筆者は「繁れる桜井の…」を連想したが、手持ちの幾つかの俳句集を見ると、「青葉風…」が載っていたので、ここはパクリで、使ってみた。続く「日米」友情も直接的な漢語表現で使い難い。間接的に日米が判る様に「海越ゆる」としてみた。

何ともゆったりとして動きのない、あるいは動きを促すこともない表現の中に、特にオバマ政権側の新境と状況が顕れているようだ。
独、英を初めとした西欧諸国が「アジアインフラ投資銀行AIIB」への参加を決める中で、米国は「組織運営に不透明さ」を理由として申請を見送り、続いて日本も追随した。
 『AIIBを巡る日本の外交姿勢150412』

日本の行動によって、米国は面目を保つことができた。日本が参加すれば、アジア開発銀行はそのままで従来通りであるが、新たな枠組の中で米国は孤立し、著しく閉鎖的なイメージを残すはずであった。第一次大戦後に米国は、国際連盟への加盟をしなかったことを思い出させる。また、それは結局、その後に中国の催促に従っての参加になることは眼に見えている。

加えて、日米安全保障協議委員会開催による「2+2」合意が成立した。即ち、日本の安全並びに国際の平和及び安全の維持に対する同盟のコミットメントを再確認したことになる。勿論、これは日本側が同意したことに意味がある。

米国は既に次期大統領選挙モードにスイッチが切り替わっており、オバマ大統領は、それまでにできるだけ懸案に区切りをつけ、形を整えて8年間の成果をまとめなければならない段階だ。細かいことはさておき、これまでの歴史認識から今後の経済、軍事に渡っての同盟関係を確認することが対日本での懸案だ。

慰安婦問題などは、米国にとって、全く関係ない問題だ、というのがホンネであろう。その辺りは日米の担当者で呼吸を合わせた様に見える。

日本側も、自らのナショナリズムを安倍首相個人のナルシシズムの表出に抑え、米国を持ち上げることによって、内容よりも形式を整えることに終始していた様に、筆者は感じた。

      
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