散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

雇用二極化に対する「解雇規制緩和」~大竹文雄・経済学教授の政治学(2)

2013年10月16日 | 経済
本稿は一昨日の記事に続き、大竹文雄・阪大教授の経済事象に関する解説を政治学的な視点から捉えたものだ。最近、朝日新聞で「解雇しやすい特区」との表現で規制緩和反対の記事が掲載され、その後もキャンペーン記事を載せている。
 『消費者中心の視点からの「市場競争」~大竹文雄・経済学教授の政治学(1)』

しかし、常識ある人間であれば、直ぐに判るのだが、解雇しやすいということは雇用しやすいということ、そう読みとれば、朝日新聞記者の固定観念の強さに日本人の考え方が反映されているとも言えるのだ。

1990年代以降、急速に広がった「正社員と非正規社員の二極化」は、経団連と連合の利害が一致したためだ。経済成長によるインフレが続いた1980年代までは人件費コントロールのための雇用調整の必要はなかった。しかし、90年代以降の物価が上がらない時代は賃金カットが非常に難しい。そこで、非正規雇用を雇用の調整弁に正社員の既得権(整理解雇規制と賃金)を守ることになった。

規制緩和を掲げた小泉政権、その中枢機関・経済財政諮問会議は、学者と財界人で構成され、市場主義的な政策と財界の利益誘導の両方が混じった。「官から民へ」とのキャッチフレーズの下、官から剥奪した利権は市場ではなく、一部の財界へ流れるなど、利権の仕組の変更と見られる側面もあった。これに国民は反感を強め、反市場主義につながった、のではないか。

経団連は国内的には上手く立ち回ったかに見えるが、グローバリゼーション・ITを中心とした技術革新の中で、大企業は電機産業に象徴されるように、企業として十分に活動することが出来ず、結局、先に述べた正社員の既得権を守り、「正社員と非正規社員の二極化」に繋がった。

以上が、大竹氏の1990年代以降の時代認識である。単に経済的な行為だけでなく、これに対する社会の反応も冷静にみた政治的な見解であり、説得力がある。

 OECD調査では「日本は正規と非正規の処遇格差が大」と指摘されているが、この二極化は、社会の不満、閉塞感を増大させるだけではなく、将来に大きな禍根を残す。即ち、次の不況期の「非正規切り」は、高齢化・年金不払いにより、膨大な貧困層になる危険性を孕む。彼らの子どもたちもまた貧困となり、世代間の不公平が固定化させるのだ。

雇用の二極化という不合理な格差を解消するため、非正規雇用の規制ではなく、整理解雇規制の緩和、即ち、「正社員の既得権を剥ぐこと」を氏は提案する。これも社会全体を視野に入れた評価と態度であり、「自己認識の政治学」だ。

現状は不況という経済ショックを非正規社員だけが集中的に負担しているので、整理解雇規制の緩和が雇用の二極化の解消に役立つ。例えば、「非正規切り」が正社員の雇用調整や賃金カットに繋がる仕組みを考え、両者の雇用保障の差を小さくする。正社員が非正規社員の雇用や待遇を考えるメカニズムを導入する。

考えるべきはIT化・グローバリゼーションの進展の「光と影」で、日本は「自由な市場経済+政府によるセーフティネット」という先進国の経済政策の常識を理解しなければならない。

IT化、グローバリゼーションを避けることは出来ず、その中で日本の社会全体が豊かになる。若者の教育制度や職業訓練制度を工夫、貧困対策として社会保障制度の充実など社会全体で貧困層を助けることが必要だ。

しかし、先に例示した朝日新聞の記事にみられるように、固定観念の支配されたマスメディア、学者は多い。私たちは次の言葉を忘れないように気をつけよう。

『われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。』(永井陽之助)。
 『永井陽之助~自己認識の学としての政治学 序にかえてー追悼の辞110502』

         
コメント
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