散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

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納税の耐えられない軽さ~ふるさと税の“公金横流し”的性格

2016年05月23日 | 地方自治
ふるさと納税に対して、それを受けた自治体による返礼が、その納税額の6,7割にのぼる額に及ぶこともあり、節税行為、と批判され、法律による規制も議論されている。
 『政治的言語としての“ふるさと“考~虚実が織りなす二重性140812』

“ふるさと納税”の基本的発想は、育成期後に他地域へ転出して仕事をする人が、“育成期を過ごした地域へ”、掛かった税金を返す行為と理解できる。それは、世代間・地域間における贈与の経済学として成立する。だが、実際に制度として実施するのは難しいことは容易に理解できる。
 『成熟社会における「贈与の経済学」の役割~永井陽之助1974年 141229』

経済事象は等価物、即時の“交換”を基本とする。しかし、贈与は一方向であり、これを即時ではなく、例えば、世代から世代へと引き継ぐ間に等価性を有すると見なすことで経済性を成立させる行為にする。従って、贈与の経済学は例外事象として存在するのだ。

ふるさと納税もまた、本来の納税(地方税)の例外として位置づけられるはずだ。しかし、現行の法律では、個人版地方交付税になっている。国からの交付税は一定の基準があり、公的資金としてバランスをとった形態になっている。

ところが、ふるさと納税は、納税者が個人の価値観で選ぶことができる。ここに「返礼品」が蔓延る理由が隠されている。例外事象であり、贈与の見せかけを含むが、その要素を実は含んでいない。

何故なら、本来、居住地の地方公共団体Aに納められる税金が他の地方公共団体Bへ即時的に、横流しされるからだ。即ち、その納税者は単なる公金横流しの手配師なのだ。これを贈与と云うのであれば、「団体A」から「団体B」への贈与である。何も知らずに損をするのは、「団体A」の住民だ。

ここで、得をした住民の代表である「団体B」が公金の横流しを、法律に則って行ったその納税者個人へ、公金から「返礼品」を送るのは当然であろうか?税金全体から見れば、その納税者へ理由もなく返金したことになるだろう。「団体B」が返礼すべき相手は「団体A」及びその住民に対してだ。
返礼品をその納税者へ送ることは、明らかに税金の無駄遣いに等しい。

熊谷俊人・千葉市長は、「千葉市も返礼品を出している」との批判に対して次の様に応える。
1)ふるさと納税は否定しない。
2)千葉市の返礼は儀礼的な慣習の範囲内である。
3)返礼額の割合が納税額の6-7割に及ぶ場合がある。
4)多額の返礼額は、節税目的への利用を誘導する。
5)従って、返礼品の比率の規制をすべきだ。

しかし、筆者の考え方からは、納税行為から納税者への返礼は論理的に有り得ないとの結論になる。これは比率の問題でない。
また、法律のなかで、返礼に触れていれば、税金の法律としておかしいことになる。返礼などに触れないには当然であって、それは立法の趣旨として返礼を考えていないことを示すものだ。

図らずも、日本の地方公共団体は、金が絡めばたちまち、公的精神欠如症候群に陥ることが今回の「ふるさと納税の返礼」騒動に顕わされている。

      
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了解型意思決定の創出、川崎市議会・重冨議員~承認型と提案型の間に

2016年03月25日 | 地方自治
川崎市議会における教育委員任命の同意案件(市長提案)に、重冨議員は議員のなかで、ひとりだけ反対した。従来の地方議会での慣例である「特に問題がなければ同意する」を破って、“明確な理由を基に同意する”をあるべき姿と考えたからである。この考え方を「了解型意思決定」と呼ぼう(後述)。
 『審査・審議無の「教育委員同意案件」に反対有~川崎市議会の内部改革へ向けて160321』

何故、筆者が氏の考え方に共感するのか。その意思決定は川崎市民全体を代表するものになるからだ。
議員総体としての議会が意思決定を行うから、議会において意思決定が最重要な仕事となる。従って、議会が最高度の意思決定を行うように努力することが、議会の一員として各議員に課せられた第一優先の仕事になるはずである。

議会は人事の同意に関して、市長が任命する人物が適格であることを納得しなければならない。それは議場において確認すべきことである。
(1)市長の説明、(2)候補者の所信表明、(3)議員―候補者間の質疑応答、を実施することが本来の姿であろう。そうでなければ、議会は市民に充分な責任を果たしたことにはならない。

かつて、地方議会に関する或る「公開シンポジウム」において、片山元総務相が聴衆の中の地方議員に向けて、「意思決定を本当にやっています?」、「同意人事の案件では、ご本人から職務に関する取り組み方を聴いていますか?疑問点を質していますか?」、「少なくともその程度はやらないで、単に賛成するだけですか?」と話していたことが強烈な印象として、筆者の頭に残っている。

日本全国では二千程度の地方自治体があるだろうから、どこかで、これらの同意人事案件に対して「真の意思決定を行っている自治体もあるだろう」。重冨議員は同意に値する情報を得るべく、市の行政機構に問いを発したことをブログで語る。しかし、得られなかった。行政側からみても、答はだせないはずだ。

では、委員会での審議は行われたのであろうか。人事案件は「委員会への付託を省略する案件」になるのが慣習なのだ。本会議においても、提案説明「市長の任命理由読上げ」、質疑「議員の申出がなく終結」、採択「総員起立で可決」、即ち、“判を押す”様に、形式的に意思決定したことになる。

地方議会が批判させる場合、最初に挙げられる理由は以下のことだ。
 (1)議案の圧倒的多くは首長提案であり、
 (2)審議の過程で圧倒的多くは修正もなく、
 (3)議決において、圧倒的多くは全会一致の可決である。

しかし、例えば川崎市議会の「議会基本条例」は、議会の役割として第一に“意思決定”を掲げる(第3条―1-(1))。
そこで筆者は「意思決定」の分類・整理を試みた。
 ()提案型意思決定…議会が新たな条例等を策定し、可決する
 ()承認型意思決定…首長提案を修正提案・附帯決議等もなく可決する
上記の(1)―(3)に示した過程は、()に該当する。

では、今回の重冨議員の考え方を川崎市議会が賛同して実施に移した場合はどうだろうか。ここで筆者は()「了解型意思決定」を追加すべきと考える。
単なる承認では無く、実質的な質疑を経て意思決定するものだ。例えば、通常の年次予算案審議はどこの議会でも質疑は行われるであろう。一方、それを議会が見直しに持ち込めば、マスメディアのニュース沙汰になる。

では、可決すれば、承認型になるか?それもおかしい。理解し、意見が違うところがあってもその地方行政全般を考量して納得すれば、それは議会の活動として正当な評価を与えなければいけない。問題は質疑の質になる。従って、承認型意思決定と了解型意思決定の違いは、議会活動を質的に評価する市民の姿勢が重要になるはずだ。

その意味で、議会の意思決定に一石を投じた重冨議員の態度は、今後の地方議会全体への提案として貴重なものになるのだ。従って、多くの議会・議員が先ずはこのことを良く知って、自らの活動にフィードバックするように、吟味して頂きたいと考える。

     
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審査・審議無の「教育委員同意案件」に反対有~川崎市議会の内部改革へ向けて

2016年03月20日 | 地方自治
川崎市議会における若手の無所属・重冨たつや議員(中原区選出)はブログで次の様に報告する。
「2名の教育委員を任命しようとする今回の議案に、60人の市議会議員のうち、私一人だけが同意しませんでした。
理由は簡単で、市長などが新しく教育委員に任命しようとした2名について、公の場で何の議論もなく、また、この2名が最適だと言える根拠があまり見当たらなかったからです。」
 「市長と議会の微妙な関係!?教育委員の選び方はこのままでいいのか」

続けて「人事案件に対する考え方として、“同意する明確な理由がなければ同意しない”が、基本的なあるべき姿」だとしている。市長には選任の責任があるが、議会には同意の責任があるからだ。特に、教育問題は昨今ことのほか注目されており、教育委員の任命は重要な案件と考え、これまでの流れとは異なって、あるべき姿を追求することにした、とのことだ。

重冨議員は昨年4月の統一地方選挙において、議会改革の推進を旗印に掲げ、弱冠26歳の無所属新人として大健闘し、組織の引継、親子の引継がある中、真正の新人ながら初当選(10名枠の第5位)を果たした。今回の同意人事での態度は、その公約を推進する立場に立っての判断と評価できる。
 『自共伸長、民維衰退、25歳の無所属新人が大健闘!~川崎市議会議員選挙150416』

川崎市議会では周知の如く、「反対する明確な理由がなければ同意する」が常態になっている。更にこれは、日本全国のほとんどの地方議会での慣習になっているはずだ。これに一石を投じたことは、地方議会のあり方に対して限りなく大きな問題提起になるはずだ。
更に重要な事は、川崎市議会において漸く議員から議会の審議に関する改革の動きが出てきたことだ。

同意人事は意思決定の一つであることは地方自治法を紐解かなくても判ることだ。では、議会における意思決定はどのように実施されるのか?川崎市議会基本条例を紐解いてみよう。
第3条 議会は、(1)議案等の審議及び審査により、市の意思決定を行うこと。
第4条 議員は、(1) 議案等の審議、審査等を行うこと。

審議、審査が必要なのだが、同意人事について真剣に審議、審査がなされた例を探し出すことは、恐らく、クローバー畑の中で”四つ葉のクローバー”を見つけ出すことに等しい稀少価値を持つことになりそうだ。

重冨議員は、以下の理由で教育委員の任命について慎重に同意をする必要があると考えている。
1)教育委員は過去に選挙で選出されており、他の人事案件とは異なる
2)教育委員会の存在意義が議論になるほど教育への注目度が高い
3)川崎市では、教育(委員会)への信頼が揺らぐ事案が頻発している

更に今後の改善点では、市長側はより丁寧な説明を行い、議会側はそれを十分に吟味するだけの日程を確保すること、と提案する。また、教教育委員会は意思決定機関であり、教育委員は事務局と協力し、時にはぶつかり合う議論が必要なはず、としている。

重冨議員は、福嶋浩彦教授(中央学院大学)の言葉「ある案件について、議会の中で多数派となり変革を起こすのは容易ではない、しかし、その案件だけでも市民の中で多数派になれば、議会は動かざるを得ない」を引用して、広く市民にもチャレンジしている。
それと共に、「皆さんが応援している議員さん方にも問いかけを行って頂きたい」とのメッセージでブログを締め括っている。

      
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熊谷・千葉市長の実物政治教育~「年貢」から「共益費」への意識転換

2015年11月18日 | 地方自治
税の問題を民主主義の根幹と捉え、その全体の流れを理解し、表題にある「年貢から共益費へ」、意識を変えることをモチーフに熊谷・千葉市長がその促進を図るコメントをツイッタ上で11/17に展開している。
曰く、「行政から貰える補助等は多ければ多いほど、税率は低ければ低いほど善政、とは必ずしも限らない」。
 https://twitter.com/kumagai_chiba
一連のつぶやきの中で、熊谷氏は、前に話題となり議会解散にまで発展した河村・名古屋市長の市民税減税及び最近の消費税の軽減税率の問題を例にとって、政治にとって、政策の優先順位の判断が必要なこと、更に普通の人にとっても必要なことを判り易く説明している。

例えば、名古屋の河村市長の減税は「庶民減税」の印象があるが、高所得者により手厚い減税(収入300万の減税額1800円、1000万の減税額17500円)となり、低所得者は自らの減税額以上に、自分たちを対象とする福祉施策の財源が減るリスクがあることを指摘する。

昨今話題の消費税の軽減税率も、食料品への適用は高所得者が減税の恩恵を強く受けること、当初見込んでいた福祉施策の財源が減ることで、予定されていた施策が一部先送りになる可能性もある。従って、それらを理解した上で各自の立場から自らの優先順位を持ち、施策の判断をすることも指定する。

熊谷氏は、千葉市における「子ども医療費助成」について、「自己負担の金額の増減」と「助成する子どもの範囲(年齢)」を関連させて論点を整理して提起したと述べる。

1)自己負担300円を無料にすると市全体で「年間X億円」が必要
2)「年間X億円」を活用すると自己負担300円で小6まで拡大可能
3)自己負担500円にすると「年間X億円+Y円」で中3まで拡大可能
(但し、この時に補助される年齢範囲はツイッタ上では不明)
自己負担無料を望む層の多くが2)から更に3)の自己負担引き上げを望んだとのこと。千葉市はこの対話を通して対象を中3に拡大、とのことである。

見事な実物政治教育!
予算を家計に見立てる説明が地方自治体予算の説明としてよくある。その自治体で出すパンフ等資料よりも判り易いという声は聴く処である。更に加えて、例示の件が家庭の金の使い方と類似の部分があること、但し、家庭にはない多様な意見の交錯があり、それを一つの計画に収束するのが、特に、地方自治体の政治の役割であることも合わせて学ぶと良いと思う。

通常の「政治教育」とは、高校の授業にある様に、三権分立をベースに政治機構(国会、内閣、政党との組織体系とその動きの仕組み)及び裁判制度と憲法に代表される法体系の説明である。しかし、それには、実際に政治は如何に動かされているのか、あるいは政治家(議員)はどのような活動をしているのか、というような実際の政治過程は教えられていない。

そこで極端に純化された民主主義政治のイメージが流布されるから、現実のマスメディアの報道に毎日接していると、政治とは薄汚いイメージが醸成されるのだ。そこで政治は表と裏に真っ向から分離され、表はイデオロギーの対立による勝負であり、裏は利益の取引による既得権益の形成、とみられる様になる。

今回、熊谷氏が提示した事例は、行政の立場からの政策展開として、オプションを示したもので、実際の行政体系は「金と規則の網」であって、この様に、単純で判り易いものでもないであろう。しかし、選択の契機が、そのメリットーデメリットと共に、第三者的公平さで示されていれば、冷静な空気の中では、市民が方向付けを選択できることを示している。

これによって、「行政から貰える補助等は多ければ多いほど、税率は低ければ低いほど善政、とは必ずしも限らない」、との理解が得られると共に、市民の視野も開かれていくことが期待できる。

    
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前回決議(給食実施)と今回決議との矛盾~川崎市中学校給食施設契約議案(3)

2015年11月14日 | 地方自治
前回の記事で内容を分析した決議の前に、川崎市議会は給食の実施を求める決議を全会一致で行っている(2011年3月議会)。当時、阿部市長は自身の経験を背景にして独特の“中学生自立弁当論”を持論にしていた。
 『川崎市議会の「決議」内容を分析する~中学校給食施設契約議案151112』

市議会では公明党、共産党が給食実施の立場で競ってその主張を展開していたが、自民党、民主党は、それぞれトーンは異なるが、特に積極的な姿勢を見せていなかった。ところが、統一地方選挙前での最終議会において、民主党が会派代表質問において、給食実施の立場を鮮明にする発言を行い、議会の給食推進派は多数になった。

その後の経緯は明らかではないが、自民党も含めて4会派共同で話がまとまったようで、議会の最終日に「中学校の給食実施」の決議案は可決成立した。これは画期的なことであった。阿部市長の意を受けて、教育委員会は“愛情弁当論”で議会質問を切り抜けていたからだ。

即ち、「川崎市の中学校の昼食は家庭からのお弁当を基本」にする。それは「思春期を迎える中学生にとって家族とのコミュニケーションの契機になり、また、自ら食べるものは自ら判断し、自らの力で選択していく力を養う」ことになる。更に、
「生徒が食材や献立について家族で一緒に考えることは、家庭での食育の契機」にもなると付け加えている。なお、「家庭からのお弁当を補完し、お弁当を持参できないときにも生徒が安心して学校生活が送れるように、ランチサービス事業を実施」している。

しかし、統一選挙の後の議会において、自民、民主両党は積極的な立場は取らず、結局、公明、共産の両党が選挙前と同様に、会派質問において、「中学校給食」の論陣を張るだけになり、それは上記の教育委員会の考え方に跳ね返されるだけであって、もとに戻った様にも見えた。次年度の予算策定時においても、中学校給食の検討はされず、決議は市長・行政を少しも動かせなかった。

ところが、2016/11の川崎市長選挙で大方の予想を裏切り、福田現市長が登場した。福田氏は「待機児童解消」「中学校給食実施」を公約の二枚看板にして、自公民三党推薦の阿部後継候補者、秀嶋氏を僅かに交わして当選したのだ。

これによって、「中学校給食」の実施は確実になり、教育委員会は即座に「愛情弁当論」を取り下げ、「給食実施論」を公表する無様な姿をさらけ出した。自公民の議員は、自らの決議を実現しようとする候補に対抗する候補を推進して負けた。それは二重の敗北で有り、無力感を味わったに違いない。
筆者は、この辺りに今回の市長批判決議の源泉があった様に感じる。

では、前回の決議は何をもたらしたのか。自公民三党が決議後の阿部市長の予算案に賛成し、阿部後継候補を推薦したことは、決議と特に矛盾しない。それは単なる一つの政策であるから、直ぐに実現に動き出さなくても、更に主張していけば良いだけだし、」逆に、主張を続けることを拘束されていると考えられる。議会として意思表示を続けることが決議に対する義務であるからだ。

では、前回の決議に対して今回の決議は何を意味するのか。
「中学校給食を推進する立場になって、行政に意見具申を行うこと」。これは当然であろう。しかし、一昨日の記事で指摘したように、今回決議の中の「他の行政サービス・事業の質を低下させない」、「減債基金に頼らない」は推進する立場とは矛盾する内容を含む。

一昨日の記事でも少し指摘しているが、財政が厳しいおりから、新たな事業を始めるには、すべての事業に関して、ムダを省き、優先順位の見直すことは必須であるからだ。「他の行政サービス・事業を積極的に見直す」ことが必要なのだ。

また、「減債基金に頼らない」ことが、ある程度まで「減債基金を借用する」ことを許すのであれば、その基準を明らかにする必要がある。議会として「安易な追認」は今後一切できないと覚悟を決めるべきなのだ。

議会が自らに厳しい立場を設定するのは悪くない。問題は、自覚的に取り組むつもりで準備することだ。
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川崎市議会の「決議」内容を分析する~中学校給食施設契約議案

2015年11月12日 | 地方自治
一昨日の記事では、本来もめるはずはない契約締結議案の委員会審議が4日間の審議の末、可決された背景について、報道記事の内容からまとめてみた。その中で、7項目の決議内容を紹介し、“考えられない軽さ”との感想を述べた。ここでは、決議を一昨日に続いて再度紹介して疑問点を指摘する。
 『川崎市議会、異例の「付帯決議」~給食センター契約議案の背景151110』

1.地域経済の活性化に資する
3.広く市民に利益を還元する事業を検討する
4.給食センターの相互連携を構築する
5.選定事業者の指導、モニタリングを実施する
6.社会的変化に対応した大規模修繕計画を策定する
7.PFI事業では地域経済に資する事業者を参入させる

以上が6項目であり、施設事業に関する一般論だ。特段、今回の給食施設事業に限られることでもなく、また、具体的な内容も含まれていない。

筆者が奇異に感じたのは「2」、その内容は以下だ。
「他の行政サービス・事業の質を低下させない」、「後年度負担への適切な対応」、
「減債基金に頼らない」、「健全かつ持続可能な市政運営を行う」

「後年度負担への適切な対応」及び「健全かつ持続可能な市政運営」は、どこの地方自治体であっても、首長と議会は考え方として基本的に合意しているはずだ。これを川崎市議会が決議するということは、余程、議会が市長の財政政策に不信感を持っているのか、あるいは他のことを含めて感情的な捻れがあるのか、そう思わざるを得ない。市民全体にとって、好ましくないことだ。

それも「契約締結議案」であって、かつ、債務負担行為は昨年12月に議決されている。この時、債務負担行為を含む補正予算案に反対したのは、共産党所属議員及び無所属・猪股議員である。

「後年度負担への適切な対応」及び「健全かつ持続可能な市政運営」に疑義があるなら、「総合計画」あるいは「財政計画」に関連して議論し、意見が異なるのであれば、それに対する修正案を提起するのが議会の本道のはずだ。

「他の行政サービス・事業の質を低下させない」及び「減債基金に頼らない」との内容も、“本気なのか”、と疑わしむる類である。

行政サービス・事業は常に監視されるべきものであって、不要であれば廃止するし、過剰であれば,質を落とすことは常に心掛けておくものだ。それは先ず、個々の事業で精査されるべきであって、既得権益として存在させるものではない。「事業仕分け」はその一つの手法であり、最近、河野行革相が国政において始めた「事業レビュー」も方向性は同じである。

また、“頼る”とは一時的にでも依存する意味を持つから、「減債基金に頼らない」とは、減債基金を利用しないことを意味するはずだ。そうであるなら、厳しい態度と褒めたい処、しかし、これまでの議会は「減債基金に頼る」ことを追認してきたのだ。過去の議決行為を反省しているとも思えず、かといって、新たな減債基金利用を拒否する覚悟もできていなと推察される。

以上が今回の決議を“考えられない軽さ”と筆者が感じた理由である。

巷の噂では、福田市長が公約に拘り、早期実施を強引に進めているとか、自らの地盤である宮前区での実施を早くするため、今回の南部地区のセンターから2時間かけて給食を運搬させるとか、問題にされているとのことだ。

しかし、議案に反対したのは月本議員ひとりだった。
結局、議会は「計画」も、「実行」もしない、「意思決定」機関なのだ。その意思決定も殆どが「承認型意思決定」であって、「提案型意思決定」は僅かなのだ。そこで、どうしても「監視」機関になってしまう。しかし、それは「法的」でもなく、「経営的」でもない。従って、「意見・要望」に集約される。

少しずつ、「提案型」への道へ進むことが議員として望まれる。それは行動型議員になることを意味している。

      
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川崎市議会、異例の「付帯決議」~給食センター契約議案の背景

2015年11月10日 | 地方自治
報道によれば、川崎市議会は審議4日間の末、10/14に給食センター契約議案を可決した。報道に接した筆者も何のことかと驚いたが、議会関係者、更には議員の中にもこの騒ぎに驚いた方もおられた様子だ。
ここでは神奈川新聞の記事(10/15)に沿って先ずは経緯を紹介する。

中学校完全給食実施に向けて新設する「(仮称)南部学校給食センター」(幸区)の整備・運営に関わる契約締結議案(154億円)。本来もめるはずはない。しかし、総務委員会審議は4日間にわたり、結局、本会議で月本議員を除いて賛成多数で可決する一方、7項目に及ぶ付帯決議を付けるという異例の展開になった。

附帯決議案の内容は以下である。
どれも議会としては、ごく当たり前の注文であって、あえて契約締結議案に付帯する必要があるとは思えない。結局、2.について、云いたかったらしい(従って、ここだけ全文を残す)。

1.地産地消を通じて食育の推進を図り、地域経済の活性化に資する

2.後年度負担について適切に対応するとともに、事業実施に伴い教育施策を始め他の行政サービス・事業の質が低下しないよう、減債基金に頼らず将来を見据えた適切な財政計画に基づく健全かつ持続可能な市政運営を行う

3.広く市民に利益が還元できるような事業についても検討する
4.給食センターにおける相互連携の仕組みを構築する
5.選定事業者に対し、適切な指導を実施、モニタリング結果を議会へ報告する
6.大規模修繕については社会的変化に対応し、計画を策定する
7.PFI事業に際し、地域経済に資する民間事業者の参入の仕組みを構築する

センター方式による給食実施に350億円近くの負担が生じるため、今後の市政全般の行財政運営まで議論の的となったのだ。

中学校完全給食は2013年に初当選した福田紀彦市長の主要な公約の一つ。
市は北部、中部、南部の3カ所に民間資金活用によるPFI方式で整備する給食センターから給食を配送し、17年度中に全市で実施する予定を公表している。

今回の議案は、南部センターに関し、東洋食品グループが設立した特別目的会社と契約、2019/9に運営を開始する内容。中部、北部の契約は12月議会に提出し、15年間の3センター合計で約347億円を見込む。

当初は、市議会が昨年12月に3センター事業の限度額(356億円)を定める債務負担行為を議決している経緯もあり、「もめる類いの議案ではなかった」(ベテラン市議)。

ところが自民、公明、民主みらいは総務委員会で、市庁舎建て替えや羽田連絡道建設、国道357号延伸など大規模事業がこれから相次ぐことと絡め、「財政見通しや行政改革の方針が示されなければ、センター議案の賛否だけを判断できない」「市側は説明不足」と厳しい姿勢で臨んだ。

主要会派は、市が総合計画策定に伴い11月中旬に公表する将来の財政収支見通しを前倒しして示すよう要求。これに対し、市側は「作業上難しい」とし、現在の推計で理解を求めた。砂田副市長も出席、「給食は市の市民との約束。優先的、確実に財源を確保する」「現段階で予測できる財政見通しを資料で示している」と重ねて理解を求めた。しかし各会派は納得せず、連休を挟んで13日も審議した。

一方、議案を継続審査にして持ち越せば、工期短縮は困難とする事業者が契約に応じず、再入札で給食開始が大幅に遅れることも判明。市議会は2011年に早期の給食実施を求めて決議しており、「給食が遅れる事態は避けたい」という思いが大半だった。議案の裁決に対する選択肢は限られていった。

「多大な投資で他の事業に及ぼす影響も大きい。将来の不安が拭えたわけではないが、市民生活に与える影響を考慮し、条件つきで賛成する」(自民市議)。
13日の総務委員会では付帯決議を付けて全会一致で可決。
「4日間の厳しい審議から見ると議会側の後退感が拭えない決着」(ベテラン市議)だった。以上で一件落着。

筆者の第一の感想は「議会決議」の考えられない軽さである。例えて云うなら、イタチの最後っ屁みたいなものだ。議員ではなく議会は、市長と並ぶ代表機関だ。決議は代表機関としての“意思表示”であって、市の意思決定(予算案、条例案可決等)には及ばないが、重い意味があるはずだ。その軽さは執行責任を伴わない機関の実質的軽さを示して余りある。

      
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行政の事故処理と議会の監視責任~老人ホームでの度重なる転落死亡事故

2015年09月12日 | 地方自治
川崎市幸区の老人ホームで、去年、2か月の間に3人の入所者が相次いでベランダから転落していた問題で、9/11に初めて市議会で健康福祉局が経緯を説明し、議員からの質疑が行われた。

筆者はツイッター上で議会局のお知らせ「本日、本会議終了後に健康福祉委員会が開催…本日の開催内容はこちら」との記事、その添付ファイルを読み、そこで「行政側報告、老人ホームの転落事故」があることを偶々知った。そこで、「この程度の内容紹介は記事に書いて欲しい」とのコメントを付けてリツイートした。

勤務先に行く南武線の中でのことなので、気楽に呟いたのであるが、川崎駅の直ぐそばのビル内にあるオフィスに着いて、少し落ち着いて考えると、そう書いたからには傍聴に行ってみようとの考えになった。そこで、議会局に電話して開催時間を確か、午後3時半に着くようにした。

「マスコミの方ですか?」と問われて、「普通の市民の傍聴です」と応えたが、やっぱりね~、と感じた。形式的に傍聴許可があり、会議室の中に入ると、マスコミはビデオ/カメラ5台、マイク2本、取材記者20名程度、市民傍聴は筆者ひとりだけであった。

  
 
上記の資料(表紙及びB3紙2枚)が傍聴者にも配布される。これを読み上げる形で担当の課長が内容を説明する。説明後、議員による質疑が始まる。健福委は長・青木(自)、副・沼沢(公)以下、自3、公2、共3,民2,無1の構成だ。

資料は、表題関連以外、筆者のメモである。真ん中辺りに、以下の記述がある。
議員の最大の問題、最高責任者(局長)の責任の所在を追及していない。
局長の最大の問題、「しっかり!」を連発する形式的答弁。
筆者の感じたことはこれに尽きる。

議会基本条例は市の議事機関としての「議会の役割と活動原則」を第3条に規定、その第2項に、「市長等の事務の執行について監視と評価を行う」とある。当然、市にとって重要な事務の執行は、先ず市長、続いて副市長、次は局長となる。

今回の健福委には、健福局長が出席している。従って、局長が今回の問題に対して、どの様に報告を受け、それを如何に考え、部下に何を指示したのか?それが適切であったのか?そこが最大の論点になるはずだ。議会の市政に対する監視とは、上記のことだと筆者は理解している。

しかし、局長が報告を何時、どんな形で受けたのかさえも聞く議員はいなかった。最後まで居なかったので、確定は出来ないが。議員の局長に対する質問は、今後に向けての決意表明であって、その形式的な答弁に満足していた。

報道では、議員(委員会の委員)は市の対応を相次いで追及し、市は認識の甘さを陳謝して再発防止策を検討していくと応えた、としている。確かに、3回の転落死亡事故、浴槽内死亡事故、虐待、施設内窃盗事件と続く、その老人ホームの異常性、対応の緊急性等を指摘して担当課長に答弁を求めていた。

担当者は個々の問題に対して適切に事務処理を行ったと言って不思議はない。しかし、その適否を最終的に判断するのは局長であり、不適切とすれば、自ら指示を出す責任がある。議員は議会の構成員として、局長を質さなければミッションを果たしたとは云えない。

しかし、局長からも積極的な発言はなく、相変わらずまとまりのない、議事とも云えない質疑を行っただけであった。改めて、議会とは何をする処なのか、長い時間を掛けて何を得たのか、疑問が残るだけであった。

      
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議会は自治体経営へ参加可能か~栗山町議会の先端的事例を巡って

2015年08月04日 | 地方自治
改めて木下斉氏の「地方議会は自治体経営の議論を深める存在、…しかし、有権者側もそのことを深く認識していない…」に戻る。しかし、議会改革といっても、僅かな例外を除いて、肝心の“自治体経営”に正面から取組み、首長と議論することによって、存在感を見せる地方議会は無い。
 従って、「議会改革」の僅かな例外として著名であり、初の議会基本条例を施行した栗山町議会に戻らざるを得ない。
 『“議会改革ゴッコ”が終わる時~住民の見方は変わらない150730』

先ず、栗山町議会は、議会を討論の広場として、自由かっ達な討議をとおして、自治体事務における論点、争点を発見、公開することが議会の第一の使命、と議会基本条例の前文で規定する。

従って、自治体における基本計画を重要視することになる。そこで「第4章 町長と議会の関係」において、地方自治法第96条第2項の議決事項に関して次の5項を定めている。
(1) 栗山町における基本構想及び総合計画
(2) 栗山町都市計画マスタープラン
(3) 栗山町住生活基本計画
(4) 栗山町高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画
(5) 栗山町子ども・子育て支援事業計画

この96条第2項の議決事項を具体的に定めることが、自治体の重要な事項を議論し、論点・争点を発見し、公開する上での大切な手段となるのだ。形式的な承認だけの議決であるならば、意味をなさないからだ。因みに、川崎市議会基本条例の規定では、具体的なものは何も書かれていない。

更に、栗山町議会は「総合計画」に関し、行政側案の対案として、地方自治法100条の2による「専門的知見の活用」を積極的に使い、総合計画議会案を作成した。その後、2008年2月に臨時会を開催にて総合計画を修正可決に至る。

総合計画は、その自治体の胆だ。それを議会において議論し、修正案を作成し、可決することは、自治体経営への積極的参加というよりは、経営者そのものとしての活動だ。

これを住民がどのように評価しているのか。基本条例には「全議員出席のもと、町民に対する議会報告会を少なくとも年1回開催」するとの規定がある。当然、議会報告会においても経過も含めて報告があったはずだ。住民が少なくとも、議員と同等の識見を持つならば、議論は沸騰したかもしれない。筆者は結果をフォローしていないので、何とも言えない。住民も自らの政治的資質を向上する機会を活用していることと想像したい。

さて、住民投票条例を制定する自治体が10年前位から多くなってきている。最近、住民側から積極的に住民投票を請求する例が増えている。卑近では、つくば市の「305億円の運動公園計画」が住民投票で8割反対の結果が出ている。つくば市長は計画撤回も含めて白紙に戻すとの見解を表明した。議会は一票差での予算採否を行っていたとのことだが、住民への説明は実施していたのだろうか。

栗山町に戻って、基本条例には次の様な住民投票の規定がある。
「議会は、議会の権限に属する重要な議決事項につき、必要があると認めるときは、当該事項に関する十分な情報公開のもとに、町民による投票を行い、その結果を尊重して議決することができる。この場合において、町民による投票に関する実施の要領は、別に条例で定める。」

別の条例とは、栗山町自治基本条例(H25/4/1施行)である。住民側の手段として、自治法の直接請求権(有権者の1/50)に基づく、個別の住民投票請求になる。但し、その条例を制定するのは議会の権限であるから、住民の署名で直接、住民投票を実施することはない。

住民自治の立場からは、上記の栗山町の住民投票規定は遅れているとも云える。一方、議会から云えば、自らのミッションを最大限に発揮することで、結果として住民自治に貢献できるとの考え方が読み取れる。

確かに、住民投票は住民を二分しての争点になり、それを巡って泥仕合になる可能性を持つ。様々な情報に晒され、忙しい生活の中で、定めるのに苦労する。結果として、棄権、無関心もある。単純に住民投票が良いとはならない。

以上の様に、栗山町議会の活動は、ある程度まで自治体経営に議会が経営者として臨むことが可能であることを示している。但し、稀有の、あるいは唯一の例かもしれない。

      
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省時間ビジネスとしての地方議員事業~職業としての「口利き」

2015年07月31日 | 地方自治
地方議員の仕事とは何だろうか。それは先ず対価を考える必要がある。所属する自治体から給与を支給されるわけでが、言うまでもなく、それは選挙で当選するからだ。では、住民からの得票と取引する中味は何か。一番広く言えば、住民への福祉施策になるが、非常に狭く言えば「口利き」になる。国会議員も似たようなものだと云われれば、そうかもしれない。

そこで口利きとはどんな仕事かと考えれば、多くの場合、口利きと云えば裏社会を想定するだろう。しかし、所謂、黒幕なり、フィクサーは社会的必要性があるからこそ存在できる。即ち、電話一本で問題を解決し、見通しの利かない状況を晴らしてくれるからだ。それは「省時間ビジネス」との言葉で表現できる。
(永井陽之助『他人の経験―省時間ビジネス』(「時間の政治学」所収1979))

ここでは、例えば、住民個人の「自分の子どもを保育園に入れて欲しい」との注文から、「費用が安いので認可保育園に入れたい」、「兄弟を同じ保育園に入れたい」、更に多くの住民の要求になるであろう、「保育園を増やして欲しい」、「空き地があるから、そこに保育園を建てて欲しい」との政策提案に至るまでの依頼に対する対応を広い意味での<口利き>と称すれば、地方議員の仕事は省時間ビジネスに収まってくる。

現代社会では情報の拡散は広く、また、早い。一方、競争は激しく、時間は短縮し、即決が求められる。行政的決定はその機構の中での計画、調整、審議などを経て行われるから時間が掛かるし、その内部はブラックスボックスであり、透明感に乏しい。従って、省時間ビジネスは益々求められ、その重要性は消えることはないであろう。比較的容易に解決できる問題に関しては、住民からの通報を受けた地方議員が、携帯一本で行政に連絡する形は依然、健在である。

一方、組織活動における透明性も求められる。従って、政策に関することは、「議会での質問」でこなす必要が出てくる。また、政策として行政が取り上げなければ、解決が難しい問題も増えてくる。そこで、先ず、具体的な政策に練り上げるまでの時間等を質問によって短縮しようとの発想になる。

更に、地方議員にとってみれば、議会での「個人質問」は、自らの存在意義を住民にアピールする大きなチャンスになる。ここで狭い意味での「口利き」から広く議会での「質問」までが、一つの「省時間ビジネス」として成立することになる。

住民からの要求に対応する議員の行動である以上、それは投票への見返りを計算してのことだから、職業としての「口利き」として成立する。ここに省時間ビジネスが地方議員事業という新たな事業を生み出す。

ここにおいて、狭い意味での「口利き」だけで、議会での質問は行ったこともないというベテラン議員も却って目立つようになる。住民にとって、質問の有無を調べることは容易だから、議会ウォッチャーと呼ばれる人たちが槍玉にあげるのは必然の成りゆきだ。

一方、先の記事で述べた様に、細かい地域単位の話に終始することが多く、自治体経営に対する論点・争点を設定する議論は首長・行政にお任せが実情だ。従って、省時間ビジネスを営む地方議員という個人事業主が増加することになる。議会改革を標榜する議員もこの個人事業主に分類される。あたかも、定年退職した団塊世代に個人事業主が増えるように、である。
 『議会報告会の現状とあり方~地方議員と住民の姿勢が試される150729』

しかし、議会改革は個人事業主によって行われるものではない。個人事業主の集合体である会派組織が関与する課題なのだ。特に地方議会の会派組織は、著しく保守的であるから、形式的な改革に応じても、実質的に意味のある改革を実行するわけではない。そこで、住民の顔色を窺うように、情報提供の施策を進めることになる。

ここで問題は個人事業主と会派組織によって運営される議会が、必然的に自治体経営に対応できないということだ。即ち、自治体経営のおける経営者、通常の株式会社における取締役、を輩出できないということだ。おそらく、現在の「二元代表性」と呼ばれるシステムでは無理なのだ。

既に旧聞に属するが、欧米諸国では様々なシステムが試みられ、その一つに、首長の配下に議員から経営幹部を引き上げる方法があるとのことだ。議会内閣制との呼び方だったと覚えている。
即ち、議会の中に、「経営幹部―個人事業主」の組織をつくるだ。これで解決がつくとは、必ずしも思わないが、検討の余地はあると考える。



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