散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

川崎市行政との「対話の精神」~問題認識の共有を求めて

2013年10月17日 | 地方自治
地方自治体行政へ課題を提起し、その克服を求める時に用いる方法は、市政参加形態としての“対話”である。原則とビジョンを基盤にして論理を構築、“分厚い壁”に向かう。プラトンが描く『ソクラテスの対話篇』のように、お互いの考え方を開示、議論を積み重ね、あるべき姿を求める。

川崎市政では以下の手法で対話が可能である。
 1)川崎市長への「手紙」他
 2)川崎市・市民オンブズマンへの「苦情申立」
 3)市議会への「陳情」
以下は筆者の体験であり、ほぼ7年前の話だ。

「手紙」で「少年野球と少年サッカーの施設数格差を是正すること」を提案した。平成年代で少年サッカー人口が急激に増加し、不公平の極端な拡大により、人口比施設数が「30倍の格差!」になってしまった。
 人口     サッカーが野球の1.5倍
 グラウンド数 サッカーが野球の1/19

川崎市政は旧態依然とした『便宜供与行政』による施策を維持、調査もせず、実態を十分把握できずに、不公平な状態を結果として拡大していた。これに対して是正を求め、その「手紙」は7回に及んだ(回答は5回)。
 (参照 川崎市政との対話(1)

行政当局からの回答は、官僚的な、言質をとられない国会答弁並であるのが普通だ。一回出して返事を貰って満足のいく回答ならば、たいした問題ではない。回答を読んでまともに答えていなければ同じ質問を繰り返す。回答に矛盾があればそこを突く。うわべを取り繕うことがあれば更に奥へ突き進む。このようにして繰り返して回答を引き出していく。

何故、対話なのか?と言えば、先ず相互の理解が進むことである。行政当局としても現在の施策はそれなりの理由があるはずだから、それを住民に理解して納得を得たい。理解断絶になれば、“政策の循環”は保証されないからだ。(政策の循環については、「行政へ課題を提起する」参照)

一方、住民にとって、その主張が原則的に自治体に受け入れられることであれば、行政当局に認識を共有するように働きかけることができる。但し、認識を共有することが即政策の実施には繋がらないが。しかし、認識の共有が先ず大切で、その後は政治的問題としての解決を図ることになる。上記の手紙シリーズにおいて、「どのように“問題認識”しているか」について対話を進め、以下のような共通認識が得られた。

1)何故、このような事態になったのか
☆「H18?08?04付」回答
少年野球専用施設と少年サッカー専用施設の数における、対競技人口比での不均衡拡大については、御指摘のとおり貴方からの申し立てを契機とした調査結果により明らかになったものと認識しています。
●筆者コメント
調査等による基本的な認識を欠いた状態での窓口的対処のため、不均衡拡大を認識できなかったことを“認識”したもので、当方との共通認識ができた。

2)川崎市民自治基本条例「施策の公正性及び公平性」の精神について
☆「H18?03?15付」回答
今後、公共施設の市民利用の公平性をさらに図っていきたいと考えています。
☆「H18?08?04付」回答
市民のスポーツ活動への参加に関わる機会の公平性の確保については、行政の立場として十分に考慮すべき課題として認識しています。
●筆者コメント
結果として、現状が公平性に欠けており、市民自治基本条例の精神に反するものであることを“認識”したもので、当方との共通認識ができた。

3)市民オンブズマンによる是正計画策定の提案について
☆「H18?03?15付」回答
市民オンブズマンからの指摘についても、川崎市では多くの子どもたちが野球、サッカーに親しんでおり、計画的な施設整備、施設更新が重要であると考えています。
●当方コメント
計画的な施設整備が重要であるとの“認識”で、市民オンブズマン及び当方との共通認識ができた。

      
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雇用二極化に対する「解雇規制緩和」~大竹文雄・経済学教授の政治学(2)

2013年10月16日 | 経済
本稿は一昨日の記事に続き、大竹文雄・阪大教授の経済事象に関する解説を政治学的な視点から捉えたものだ。最近、朝日新聞で「解雇しやすい特区」との表現で規制緩和反対の記事が掲載され、その後もキャンペーン記事を載せている。
 『消費者中心の視点からの「市場競争」~大竹文雄・経済学教授の政治学(1)』

しかし、常識ある人間であれば、直ぐに判るのだが、解雇しやすいということは雇用しやすいということ、そう読みとれば、朝日新聞記者の固定観念の強さに日本人の考え方が反映されているとも言えるのだ。

1990年代以降、急速に広がった「正社員と非正規社員の二極化」は、経団連と連合の利害が一致したためだ。経済成長によるインフレが続いた1980年代までは人件費コントロールのための雇用調整の必要はなかった。しかし、90年代以降の物価が上がらない時代は賃金カットが非常に難しい。そこで、非正規雇用を雇用の調整弁に正社員の既得権(整理解雇規制と賃金)を守ることになった。

規制緩和を掲げた小泉政権、その中枢機関・経済財政諮問会議は、学者と財界人で構成され、市場主義的な政策と財界の利益誘導の両方が混じった。「官から民へ」とのキャッチフレーズの下、官から剥奪した利権は市場ではなく、一部の財界へ流れるなど、利権の仕組の変更と見られる側面もあった。これに国民は反感を強め、反市場主義につながった、のではないか。

経団連は国内的には上手く立ち回ったかに見えるが、グローバリゼーション・ITを中心とした技術革新の中で、大企業は電機産業に象徴されるように、企業として十分に活動することが出来ず、結局、先に述べた正社員の既得権を守り、「正社員と非正規社員の二極化」に繋がった。

以上が、大竹氏の1990年代以降の時代認識である。単に経済的な行為だけでなく、これに対する社会の反応も冷静にみた政治的な見解であり、説得力がある。

 OECD調査では「日本は正規と非正規の処遇格差が大」と指摘されているが、この二極化は、社会の不満、閉塞感を増大させるだけではなく、将来に大きな禍根を残す。即ち、次の不況期の「非正規切り」は、高齢化・年金不払いにより、膨大な貧困層になる危険性を孕む。彼らの子どもたちもまた貧困となり、世代間の不公平が固定化させるのだ。

雇用の二極化という不合理な格差を解消するため、非正規雇用の規制ではなく、整理解雇規制の緩和、即ち、「正社員の既得権を剥ぐこと」を氏は提案する。これも社会全体を視野に入れた評価と態度であり、「自己認識の政治学」だ。

現状は不況という経済ショックを非正規社員だけが集中的に負担しているので、整理解雇規制の緩和が雇用の二極化の解消に役立つ。例えば、「非正規切り」が正社員の雇用調整や賃金カットに繋がる仕組みを考え、両者の雇用保障の差を小さくする。正社員が非正規社員の雇用や待遇を考えるメカニズムを導入する。

考えるべきはIT化・グローバリゼーションの進展の「光と影」で、日本は「自由な市場経済+政府によるセーフティネット」という先進国の経済政策の常識を理解しなければならない。

IT化、グローバリゼーションを避けることは出来ず、その中で日本の社会全体が豊かになる。若者の教育制度や職業訓練制度を工夫、貧困対策として社会保障制度の充実など社会全体で貧困層を助けることが必要だ。

しかし、先に例示した朝日新聞の記事にみられるように、固定観念の支配されたマスメディア、学者は多い。私たちは次の言葉を忘れないように気をつけよう。

『われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。』(永井陽之助)。
 『永井陽之助~自己認識の学としての政治学 序にかえてー追悼の辞110502』

         
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顔の見えない立候補者たち~「後継・組織・浪人」による川崎市長選挙2013年

2013年10月15日 | 地方自治
先の記事で前回の選挙において、全体の投票率(36%)及び年代別の投票率(若い世代の相対的低さ)について述べた。民主党旋風が全国的に広がった中でも、川崎市は一地方であり、市民の関心は極度に低かった
 『20代「18%」と60代「53%」との間に~川崎市長選挙、前回投票率131003』

今回はそれ以上に全国的なトピックスはなく、では川崎市で争点になる話題を構成できるかと言えば、それもない。何よりも先ず、候補者が個人としての魅力を全くPRできていない。顔の見えない選挙なのだ。

立候補者はいずれも無所属の新人で、24年ぶりに新人同士の争いと言えば、新鮮なはずが、それを感じさせないのは「個人」の存在感が希薄だからだ。元川崎市財政局長・秀嶋善雄(自公民推薦)、女性団体役員・君嶋千佳子(共推薦)、元県議・福田紀彦の顔ぶれだが、次の様に呼ぶ方が判り易い。

 秀嶋氏=阿部市長「後継」
 君嶋氏=共産党「組織」候補
 福田氏=「浪人」再出馬

秀嶋氏は国家公務員時代に、出向で川崎市・財政局長を務め、阿部市長のテストを見事にクリアーした正真正銘の後継者である。これを自民党が音頭をとって、公民を巻き込み抱き込み、大連合を形成した。まさか、投票用紙に「阿部後継」と書くわけにはいかないから、最低限「阿部→秀嶋」をPRする必要がある。

最近の共産党は、党員かどうかは判らないが、一貫して組織内から候補者を立てる。一口で「共産党系の候補」と呼べば、イメージは湧くだろう。政策もその主張は一貫しているので、特に川崎市として聞かなくても、大凡わかる。従って、特に君島氏に関心を持つ必要もない、組織候補者なのだ。

マスメディアに倣って元県議と本記事で書いた福田氏は、その意味で「浪人」なのだ。落選後の4年間に何を仕事とし、どのように個人の成果を出し、腕を磨いたのか?「元」では、何とも理解しかねる。貫禄は付いたかも知れないが、その程度で42年間の役人出身市長を批判し、「市民」を表看板にしてもピンとくる人はいない。市民として大奮闘していれば、「浪人再出馬」にはならないからだ。

このように、「個」としての存在感を感じさせる候補者がいないことが、先ず、今回の選挙を低調のままにしている原因だ。もちろん、政策第一であるが、幅広い選択肢の中から優先順位を付けることが必要である以上、市民の利益が交錯する処で、議論し、説得力を発揮できる程度の個性は必要なのだ。それは、140万人レベルの政令市だけでなく、20万人レベルでの中核市あるいはそれ以下の規模の市町村でも求められるはずだ。

超高齢化社会へ突入する時代、高齢者を中心とした福祉政策に対して地域がコミットせざるを得ない状況において、地域を統率し、役割分担、リソースの配分等を巡る争点を仕切るには、調整だけでなく、リーダーシップをとれ、経営にも明るい政治家を必要とする。本来、その人たちを育成する場は議会なのだが、残念ながら、その兆候すら見られない。

おそらく、今回の選挙は低調の中で終わらざるを得ないだろう。しかし、その次を目指して議会の意識を変えていく必要がある。それ以外に優れた政治家を地域の中から輩出させる方法は、おそらくないのだ。

      
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消費者中心の視点からの「市場競争」~大竹文雄・経済学教授の政治学

2013年10月14日 | 経済
私たちはモノ・サービスの生産・提供者(生産者)であり、その消費・享受者(消費者)でもある。生産者は厳しい市場競争の中で市場の占有を目指し、勝者にも敗者にも成り得る。一方、消費者は「市場競争」のメリット(性能・価格)を受ける。

従って、消費者の立場から見れば、生産者は自分自身も含め、安価・良好のモノ・サービスを巡って競争するのが当然のことになる。それこそが消費者のメリットに繋がるからである。すると、生産者は次の様に括弧内に止まり、消費者(企業,役所,労組,農協等)の立場で政治的視点を定めることが重要になる。

大竹文雄教授の上記議論は、経済学を基盤にした「自己認識の政治学」である。
氏によれば、市場競争のメリットを誰が享受するのか、議論が整理されて行われず、日本社会全体が、生産者側に立って考えてきたことになる。そこで、
『競争→弱肉強食→敗者=弱者→「同情論」→競争規制』が成りたってしまう。しかし、これは弱者という既得権益者を守ることになる。ここが消費者視点に続く、現状認識の第2のポイントになる。

市場の外には敗者より更に弱い人々がいる。市場競争の外に置かれ、競争のチャンスはなく、指摘されることなく、無視されている人々だ。競争に負けそうな人々の脱落を防ぐために、規制や参入障壁を設けて市場競争を制限すれば、外からの参入機会も失われる。従って、規制は目に見えない格差を生む。更に問題は「規制が生み出す見えない格差」を計測するのは難しいことだ。

そこで氏は以下の規制を緩和し、市場機能を有効に活用させることが、経済社会を発展させるとし、後者に自らの立場を定める。
「弱者と呼ばれる既得権者を守り、結果として新規参入者を阻む」
「敗者は脱落の可能性はあるが、新規参入者が新たなモノ・サービスを生む」

これも、市場競争、格差問題に関する現状認識から、経済社会発展を評価基準とした、現在の社会に対する「政治的立場」の設定である。

この立場は「市場競争によって発生した格差の解決は、市場競争の否定ではなく、所得再配分政策で行なう」という欧米先進国の常識に対応するとのことだ。
具体的な政策は以下の二点になる。
 1)政府による社会保障を通じた再分配政策
 2)低所得の人々には技能、教育・訓練を充実

一方、先進国の中では日本だけが市場だけでなく、政府も信用していない。
それは戦後、血縁、地縁、職場等の協力によって暮らしを成り立たせる慣習が定着した。貧しい人を助ける役目も、家族、地域、会社といった共同体が背負うという意識が強い。これは市場経済未発達の国に共通する特性だ。

しかし、共同体は崩壊、会社は厳しい国際競争に晒され、社会保障機能は政府に求めるべきだが、現実と意識の間にずれが生じている。この現実を直視せず、血縁、地縁を無理に取り戻そうという動きが反市場主義と結びつく。

これまで紹介してきた論考は2010年4月に掲載されたのだが、反市場主義思考の例として、亀井静香氏の郵政改革、谷垣時代の政策理念「絆」を挙げる。一方、民主党政権に対して、最近「自由な市場経済+政府によるセーフィティネット」標準的な発想に変化してきているが、「市場競争の制限+再分配政策の強化」という経済学的には非常識な組合せを持続する懸念も表明している。

これは結果として、非常に冷静に政治現象を視ていたことになる。即ち、現状の格差社会の問題は、益々喫緊の課題になっているからだ。

非正規雇用者数の年次推移は2012年統計では横這い、しかし、2013年には再上昇を示す。大企業中心の輸出企業では円安利益で従業員への報酬は上げられる。しかし、エネルギー関連の値上げを中心に悪性インフラの様相も見られ、生活費は圧迫される。所得格差が生活格差を広げるかに見える。

      
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安倍首相の国連演説は日本の方向性を示すのか(2)~女性の人権問題

2013年10月11日 | 政治
今日の話は昨日の続き、安倍首相の国連での一般演説を取り上げる。
首相は、国内の成長戦略の一環である「女性が輝く社会をつくる」を引用し、それは国内の課題だけではなく、開発途上国での問題でもあると指摘した。
 『安倍首相の国連演説は日本の方向性を示すのか(1)~核軍縮を巡って131009』

そこで、日本の援助の考え方を、地域の活動に尽くした3名の女性を紹介しつつ、その文脈の中で「35.6億ドル」供出を言明した。筆者は、その紹介と日本の考え方もさることながら、この金額が聴いた人たちに残った言葉のように思った。内訳は、難民対策6千万ドル、アフリカ地域の保健対策5億ドル、ODA30億ドルである。
 『安倍首相の国連演説~現実の力と発言の現実性20131007』

しかし、必ずしもそうではなく、冷泉彰彦氏は一昨日も引用した論考のなかで、安倍首相の演説そのものを、「当然のことを述べたに過ぎない」と言いながら、やや矛盾した表現で「紛争地域や貧困における女性の人権について非常に踏み込んだ発言」と高く評価する。

その評価の理由を以下の様に述べる。
(1)国連の「2015年ミレニアム目標」を忠実に実行する。
(2)更に、現在の「国のかたち」が戦後の国際連合に加盟している「新しい日本」に上に立っている。

何か奇妙な感じがする。(1)だけでは当たり前のことだが、(2)によって「高い評価」が与えられる、と言っているのだ。筆者は奇妙を通り越して、どう理解すれば良いのか判らない。(2)も当たり前のことだからだ。1956年、日本は国連に加盟した。それから60年弱経過している。日本の国連予算の分担率は11%弱で米国(22%)に続いて世界第2位だ。それに相応しいか?それが問題だ。

しかし、冷泉氏は「これによって「古い日本」と「新しい日本」の「国のかたち」の混乱が整理されるからです。」と続け、その延長線上に以下の二点があると言う。
(A)戦前の問題に関してこれまでの政府談話や条約を越えて、現政府が公式の謝罪をする必要はない。
(B)古い日本の行った非人道的行為に関して自身の延長として名誉回復に執着する必要もない。

いかなる意味でも(A)は当然だ。一方、(B)も慰安婦問題ではなく、冷泉氏の言葉を一般論として受け取れば、「非人道的行為に関して名誉回復に執着する」人がいるだろうか、と考える。非人道的行為に関しては、古い日本も、新しい日本も同じはずだ。少なくとも慰安婦問題は事実認識及び日本の対外的な主張の仕方に関することで、名誉回復されるものが含まれるとは思えない。

従って、冷泉氏の考え方((1)(2)+(A)(B))から理解不可能な(2)及び(B)を引けば、((1)+(A))が残り、安倍首相の演説は当然のことを言ったに過ぎないことになる。
そして、中味の感じられない演説から残されるのは、供出する資金になる。

なお、冷泉氏のコラムは非常に啓発されるのもが多く、いつも愛読している。米国に在住し、そこから日本を見る視点も、気づかない点を示すことが多く、認識を新たにする場合が多い。

ただ、新旧の日本を比較する手法には、アメリカ的な日本観が滲み出ているように感じる。アメリカ的な日本観は、日本人にとって啓発的な部分を含むことは認めるが、その一面性に関して修正を図る必要もあるのではないかと考える。

      
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安倍首相の国連演説は日本の方向性を示すのか(1)~核軍縮を巡って

2013年10月09日 | 政治
自民党政権時代の首相は、積極的に国連演説をせず、その内容も話題にならず、英訳も官邸HP上に記されていないことを一昨日の記事で述べた。演説した本人たちも既に忘れているかも知れない。
 『安倍首相の国連演説~現実の力と発言の現実性101007』

一方、今回の安倍首相の演説を重要として評価する論調もある。
冷泉彰彦氏は「首相の演説は政権の政策を決定づけるだけでなく、日本の方向性も内容と矛盾のないように進めるという宣言」「国際社会にはホンネとタテマエの区分は、ハイレベルではあり得ない」「この宣言に違反した行動は、安倍政権として不可能」と述べ、「演説は重要」だと言う。

この議論に反論は特にないが、付け加えることがあるとすれば、ハイレベルになるほど、総論賛成でまとまり、各論はそれぞれの行動主体の利害関係でバラけるということ位だ。従って、宣言に違反することはあり得ないが、具体的な行動に対する評価はそれぞれの評価主体によってバラけるはずだ。

本記事では「核軍縮演説」を考えてみよう。
首相の「非核三原則堅持、軍縮・拡散防止」との言葉を通して、首相が国外では、石原慎太郎氏と同じく核武装論者に見られていることが払拭され、当面は日本国内で核武装論は実質的に封印される、と冷泉氏は高く評価する。筆者は上記の記事で“定番表現”と評して特に目新しいことを見出せなかったのだが。

首相が評価したオバマ・米大統領の戦略核の削減提案は、核保有国の相互信頼に基づく軍備コントロールの一環として捉えることができる。単なる数量の削減ではなく、核戦争のリスクを削減するコミュニケーションを促進することだ。とは言っても、日本は注文を付けることは出来るが、実際の力は特にない。

一方、世界での核問題の最優先課題はイラン、北朝鮮の核開発とゲリラ組織などによる小型核兵器の調達・使用を抑えることにある。これをクリアしないと現在の核非保有国も核保有の誘惑にかられるからだ。特に北朝鮮の動向によっては、日本国内において、危機感が増幅する可能性はある。但し、これに関しても米中に日本は依存するだけで、影響力を与える立場にはない。

以上の様に、核軍縮に関しては全般にわたって、日本は交渉の局外にあって、逆に、理想論を言える立場でもある。そこで、「非核三原則堅持、軍縮・拡散防止」は、核軍縮の会合、即ち軍縮を前提とする場では、日本として当然の発言になる。これ以外に発言の仕方もない。しかし、これが安倍首相のイメージを核武装論者から開放したとしても、首相は核武装の議論を否定したわけではない。

更に、非核三原則は米国の核の傘を前提として成り立っている。その前提は現在、少しも揺るぎはない。そうであれば、特に核武装について国家的なレベルで議論する必要性はないはずだ。石原氏などの議論は無視すれば良いのだから。

従って、安倍首相の発言は、上記の二つの前提条件、軍縮を前提とする場、米国の核の傘は不変、のもとに、精一杯ハイレベルに、言い換えれば、総論として作りあげたものだ。従って、従来の日本の考え方を踏襲しているだけで、特に目新しいものではない。また、国際的に注目されるような政策でも無い。

国連総会直後の9/30、「日英安全保障協力会議」における基調講演の中に安倍首相の関心事が述べられている。「私の政権では、国家安全保障会議の設置、国家安全保障戦略の策定、集団的自衛権、集団安全保障措置と憲法との関係…」。

おそらく、今後の安全保障の国内的議論は「集団的自衛権」にフォーカスされるはずで、取りあえず、軍縮問題は核武装も含めて、これまでに様に、日本では二次的な話題として続く様に思われる。

      
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消費税増税を決断した野田前首相~政治芝居という政治過程の前で

2013年10月08日 | 政治
消費税増税の安倍首相による“確認”は事前の大騒ぎに比べて、事後の静けさが目立っている。何故かと言えば、その騒ぎの主体は首相とそれを取り巻く人々の「確認を決断」に演出する芝居の色彩が強かったからだ。

先の記事で以下の様に述べた。
「増税分が福祉目的税として機能し、今後の社会保障費の全体的見直しに繋がり、日本の財政が安定方向へ向かうとすれば、あるいは外国から信認されれば、それは安倍現首相ではなく、野田前首相の功績になるのだ。安部首相は単なる露払いに過ぎないことになる(太刀持ちは山口公明党代表)。」
 『消費税増税の政治学~安倍対野田、どちらが歴史に残るか?130824』

知識人の中には権力者の提灯持ちを勤める人が必ずでてくるが、今回は真壁昭夫・信州大教授が務めているようだ。
「今回の消費税率の引き上げについても与党内に若干の異論はあるようだが、安倍首相が決断したことの意味は大きい。少なくとも現在の政治は、苦い政策でも決断できるとの仕組みを持っていることを、国内外に示したことは評価されるべきだ。」と述べる。

既に三党合意(民主、自民、公明)により立法化し、状況が大きく変わらなければ実行するだけの話を決断と評価するなら、閣議で署名をするだけで、決断になる。真鍋氏の言う様に、与党内に若干の異論を抑えるだけであれば、単なる確認に過ぎない。結論が判っていたから、事前の騒ぎに比べて、事後が静かなのだ。

本来なら、海江田・民主党代表が、安倍首相の芝居に苦言を呈し、本当に決断力があったのは増税法案を成立させた「野田前首相」であること、それがマニフェストを覆した民主党の苦渋の成果であることを国民へ報告すべきことだ。

そのうえで、社会保障政策全般に対する民主党の考え方を説明し、今回の景気対策5兆円の批判を展開すれば良い。記者会見の記録を読むと、消費税増税を策定した主体ではなく、野党として政策を突きつけられた受け身の姿勢に終始している様に見える。主客転倒なのだ。海江田氏は、この政策は官僚機構が作ったと思っているのだろうか?他の野党の党首と同じ様に。

      

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安倍首相の国連演説~現実の力と発言の現実性

2013年10月07日 | 国際政治
日本の首相はこれまでどの程度、国連で発言し、その発言がどの程度の重みで実行へ移されたのだろうか。あるいは注目される発言はあったのだろうか。こう考えると、些か不安を感じて記録を調べてみた。話題になったことは、ほとんどないはずだから、誰も演説などはしていない?

首相官邸HP「総理の演説・記者会見など」に掲載されている。ところで、「首相」官邸と書いて「総理」の演説とは?という疑問が、先ず頭に浮かんだが、それはさておき、国連総会での首相の一般討論演説は次のようだ。

第68回 2013年 安倍首相  第63回 2008年 麻生首相 
第67回 2012年 野田首相  第59回 2004年 小泉首相 
第66回 2011年 野田首相  第57回 2002年 小泉首相 
第65回 2010年 菅 首相  第53回 1998年 小渕首相 
第64回 2009年 鳩山首相  第51回 1996年 橋本首相 

毎年出席して演説をしたのは、民主党政権なってからだ。それ以前の自民党政権では4年間欠席も珍しくない。安倍氏も前回の首相のときは出席していない。今後は民主党政権の築いた数少ない外交成果を引き継いで貰いたい。

また、上記10回の演説のなかで、テーマが書かれているのは2回だけだ。それは一つのテーマに限定されずに話した、ということだろうが、主題を毎回決めて数十年にわたって蓄積すれば、継続して日本が主張してきたことが明確になる。

更にその演説に沿って日本外交が世界平和に対して貢献した点を演説に取り入れる。これで、日本の国連演説も諸外国から注目される。そのためには、少なくとも英訳を上記のHP上に邦文と同時に掲載する程度のことは必要だ。

今回の安倍首相は先ず、「核軍縮に関するハイレベル会合」で演説した。
ここでは日本が唯一の被爆国であることを強調し、核兵器廃絶を訴えた。これは定番表現だろう。その中で筆者が驚いたのは、「1994年以来毎年核軍縮決議を提出し、圧倒的多数で採択されている」と述べたことだ。

毎年決議され、しかし、それに基づき軍縮が進展したとは述べていない。成果の出ない決議を毎年出していれば、それはマンネリである。これまで非核三原則を貫いた(これも定番表現)と述べたが、今後も継続との決意表明はなかった。大切なのは成果とそれに基づいた今後の方向づけだ。

続いて、一般演説も行った。
シリア情勢から始まり、「積極的」「平和主義」を語り、「骨惜しみせず」をことさら強調し、日本の「振る舞い」の「通奏低音」と述べた。しかし、この間の演説を聴いた国連関係者に日本の立場を印象づけることが出来ただろうか、疑問だ。

先ず、「平和主義」は政治的立場も含め幅広い意味があり、それに更に「積極的」を加えた処で明確な意思表示と受け捉えられるとは思えない。「骨惜しみせず」、この言葉はどんな思考回路で同時翻訳されたのか?「hard」程度で済むのだろうか?あるいは先ず邦訳が必要な言葉かも知れない。「振る舞い」は「活動=action」で良いと思うが…。「通奏低音」は音楽用語であり、この程度の教養は国連関係者にあったとしても、マスメディアを含めて広くPRするときに使う必要はない。

そして、経済成長率を高くする焦眉の課題に対して「ウーマノニクス」を位置づける。詳細に調べているわけではないが、これまで、安倍首相が使ったことがない言葉のように思える。随分、昔から使われているが、「アベノミクス」に引っ掛けて使ったように推察できる。ただ、そこで言いたかったのは、慰安婦問題を意識した「武力紛争における女性に対する性的暴力」への憤激だろう。

結局、首相自身が自らの言葉に酔い、美辞麗句を使って中味のないPRをしている様に聞こえる。それが「日本の成長は世界の利得、その衰退はすべての人にとっての損失」との表現にも顕れる。これは自己満足の世界だろうか。

結局、その場で聴いた人たちに残った言葉は、難民対策6千万ドル、アフリカ地域の保健対策5億ドル、ODA30億ドルの供出の三点のように思われる。

国内の消費税増税分の税金から5千億円を社会保障政策へ回すとの報道があるが、それと見合うような額になる上記の約3千5百億円が有効に使われるのか?安倍演説の尻ぬぐいで不要なバラマキを相当に含むのか?国会は是非、厳しく監査を実行して頂きたいものだ。

      


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2008年米国下院の金融安定化法否決/可決~新鮮なショックを感じたとき

2013年10月06日 | 政治
リーマン破綻から1ヶ月以上たって、世界の株式市場はようやく金融恐慌という言葉の縛りから体をほぐすことが出来るようになったかに見えた時期、米国大統領選挙戦も酣であった時期、表題の事案をメルマガに書いた(08/10/23)。

今、その米国で今度は「政府閉鎖」の事態に至った。では当時、何を考えただろうか。そのときの関心は「日本の地方自治体議会」であり、それへの教訓を強引に導いたのだが…今日、振り返って、出来映えはどうだろうか?以下。

米国の金融危機を救うための先ず一歩と全世界から注目されていた米金融安定化法案が下院で否決されてしまったのである!これにはびっくりした。有権者からの支持を得るために反対に回った議員が多くいるとの報道であった。何故?どんな感情が蠢いているのか?議員は何を感じ取っているのか?

米金融安定化法案成立の過程を先ず、述べるここは主として読売新聞に依存する。
『米金融安定化法案、週内成立へ…不良資産買い取りで正式合意』
『米政府と議会は28日、公的資金を使って金融機関から不良資産を買い取る枠組みについて正式に合意したと発表した。』

ここを読むと、『巨額の報酬を得てきた大手金融機関の経営者に対する国民感情に配慮し、経営者の報酬を制限するルールを作成する。』とある。これは誰でも抱く感情であろう。であるからその感情をある程度抑える施策は必要であろうが、妥協が成立したのであるから、それによってよもや議案が否定されるようなことはないと思っていた。

『下院共和党のベイナー院内総務は28日夜、「納税者のリスクは引き下げられた。法案を支持する」と述べた。』ここまでくれば、…ところが、である!
『米金融安定化法案、下院が否決…国民の反発で「造反」相次ぐ』
『米下院は29日、本会議を開き、米政府が金融機関からの不良資産を買い取ることを柱とした緊急経済安定化法案を賛成205、反対228で否決した。』

『金融危機拡大を食い止める狙いの法案が否決されたことで米ニューヨーク株式市場にはろうばい売りが殺到、ダウ平均株価の終値は前週末比777ドル安の1365ドルと過去最大の下げ幅を記録した。東京などアジアの株式市場も株価は急落し、
世界の金融市場は大きく動揺している。』

以下が当時のコメントだ。日本の地方自治体の制度、二元代表制について。

よくぞやってくれた!驚くと共にそんな感情が湧いた。議会リーダーによる大統領との調整結果は一般議員によって否定、議会の意思を示した。草の根の意識が国の決定へ反映される。今日の株式市場は混乱するが、それは構わないとの意思である。金融が実体経済とかけ離れた証左でもあろう。

党議拘束、会派拘束などは議員内閣制での話であって、二元代表制にあっては不要という議論もできる。“首長に対する地方議会”の対応方法として多くの教訓が含まれていることを主張したい。

最終的に『米金融安定化法が成立 大統領「信用収縮緩和に断固たる措置」』
『最大7000億ドルの公的資金で金融機関から不良資産を買い取ることを柱とする金融安定化法が3日、成立した。米下院が同日、上院を通過済みの法案を賛成多数で可決したのを受け、ブッシュ米大統領が即日署名した。米国発の金融危機の封じ込めへ、過去最大規模の税金を投入する金融対策が動き出す。』

 賛成205票 反対228票 否決を修正
 賛成263票 反対171票 可決

以下が当時のコメントだ。二元代表制における議会の役割について。

当然、法案は修正されている。従って、前回の反対者も含めて出来るだけ主張を盛り込んだことになる。本法案はブッシュ政権の提案にもかかわらず、共和党は保守派を中心に反対、今回賛成票が増えたものの、結局過半数は未だ反対という状況である。民主党も今回賛成に回る議員が増えて、相当な大差に逆転したとの印象であるが、懸命の説得工作の結果であろう。

それにしても草の根の感情、「家を失った人が救済されず」、「金持ちや銀行が救済される」が議会に表現されるところに凄さと恐ろしさを感じる。しかし、このダイナミズムによってのみ米国がバランスを取り戻すことが出来るのであれば、今回の経験が貴重なものであることは間違いない。

何も議論せず、主張もせず、ただただ賛成する“賛成マシーン”としての日本の地方自治体議会は如何なる教訓を受けとったのであろうか。

コメントは更に「草の根デモクラシーと地域社会」に及ぶ。

今回の騒動はアメリカの「草の根」デモクラシーの力を改めて認識させられるものであった。しかし、反対の意思表示があったが故に、アメリカだけでなく、ヨーロッパも含めた金融政策にある種の歯止めを打ったと言えなくもない。

もし、下院が一発で「金融安定化法案」を通していたら、危機意識のうえで、今と同じようになっただろうか。ブッシュ大統領だけでなく、ヨーロッパ、日本、更に新興国の首脳も巻込んで意識改革を迫るところまでいったであろうか。

「草の根」の力が一旦は法案を否決し、その後に可決したことによって、今後も金融資本主義を抑止する方向に働くことは間違いないであろう。日本では「草の根」という言葉は余り使われない。

地方分権と言っても「地域」と言う言葉はよく使うが、それ以下の単位を表現する言葉はなさそうで「地域住民」にいきつく。しかし、「草の根」にように個々の力を表現するまでにいたっていない。あくまで集団としての住民である。

その「地域住民」の力を地域社会の議会が集結し表現できるようになれるのか、今回の事件を契機に、今後、問われ続けることになるであろう。

今回の「政府閉鎖」についても同じような感想を持つ。しかし、当時ほどには肯定的ではない、と自分自身は感じているようだ。正確にはわからないのだが。

      
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4-6月期GDP成長の主役は公共事業~第2の矢と将来の負担増

2013年10月05日 | 経済
「統計メールニュースNo.597(H250927)」の8月消費者物価指数をベースに経済の現状を考えた。前年同月比0.9%上昇であるが、電気代とガソリン代が10%前後値上りを示し、生活者の視点からは喜ぶことはできないと指摘した。
 『悪性インフラ状態のアベノミクス~統計を読む(3)・8月物価指数130928』

更に、9月初めに第二次速報値が公表され、上方修正が報告された。第二次速報値(第一次値)では、実質GDPは前期比0.9%増(0.6%増)、年率換算3.8%増(2.6%増)と、かなり高くなっている。

数値だけを見れば、「黒田異次元金融緩和」の2年後のインフレ目標2%に沿っているかもしれない。さあ、アベノミクス効果で実体経済が回り出したか?甘利経財相の良好発言もあった。

しかし、上記の記事にもある様に「物価上昇が良いこと?」である。この点について、元日銀審議委員・水野温クレディ・スイス証券副会長は次の様に言う。「家計にとって賃金上昇を伴わず物価が上がることは一番辛い。既に電気料金が10%上がっていて、生活費も上がっている。」生活者の感覚からは常識的な発言だが、高名なエコノミストの発言としては珍しく聞こえる。

更に「『デフレ脱却イコール2%の物価上昇という意味だったの?不況脱出のことだと思っていました。』という人がたくさん出てくるだろう」と述べる。これもまた、経済に関する素人の一般人の常識的な感想だろう。この感覚とそれを生活人の言葉で述べる表現力は類をみないものだ。

野口悠紀雄・早大教授による統計の具体的読みからも、「実質GDP増加=順調な経済成長」とは単純にいかない様だ。以下、その議論をフォローする。
今回の上方修正の原因は「公的固定資本形成(公共投資)」と「民間企業設備」である

公共投資は3.0%増(1.8%増)、民間設備は1.3%増(0.1%減)、とそれぞれ大幅に伸びている。しかし、公共投資はこの数値よりも大きな寄与をしている。それは民間設備の増加を支えているからだ。

更に公共投資の受注データから、対前年同月比(パーセンテージ)において、これまでの1桁台から今年4月以降は2桁台(10-20%)に伸び、7月まで続いている。なかでも、公共機関からの受注工事の伸びは著しく、5,6月は40-50%台になった。今年1月に編成された大型補正予算によって、公共事業が大拡張されたためだ。

これぞ第2の矢であるが、官需主導による経済成長であり、金融緩和による金利の下げ、それによる設備投資の増加」という本来の目論見までは至っていない。また、短期的なカンフル剤であって、長続きはしない。更に、当然ツケは若い世代ほど厳しく回されることになる。

更に野口教授は以下の図表を示して次の点を指摘する。


設備投資が伸びているのは建設業(26%)及び不動産業(20%)である。これも大型補正予算によるものだ。一方、全体をみると、全産業は横這い、非製造業は5.6%と伸びているが、製造業は19.1%と3四半期連続の減少になる。

安倍首相は設備投資を年63兆円から70兆円に拡大する目標を掲げている。政策として、投資減税、即時減価償却などの検討を始めている。しかし、製造業は今後も海外投資に活路を見出すことが多いと思われる。調査によってもそれは裏付けられている。製造業の設備投資に成長の牽引役を期待するのは無理があるだろう。

      


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