散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

生活世界は変わったか(2)~新しい異常から旧い正常へ

2020年05月24日 | 現代社会

先の投稿(20/5/14)、『生活は変わったか』において、
「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」との表現に違和感を示した。更に新しい活動から芽生えていくものが次の時代を牽引すると追記した。

その違和感の正確な表現をツイッター上で認める。問題意識に共通のものがあったと感じたからだ。以下の文章だ。

『コロナで「旧い正常」から「新しい正常」へ移行という解釈がもっぱらだけど、
コロナの前から「新しい異常」で「古い正常」に復するという方がずっと自然。
戦争とコロナを例えるなら、統制体制は、同時進行的には「新しい異常」、
戦後とは戦前の「旧い正常」という秩序に戻る意味合いがずっと強い。』
(齊藤 誠 @makotosaito0724 5月19日)

ナルホドと思う。戦争の例えは判り易く、「新しい異常」から「旧い正常」との表現が大局的に正しい。そこで、納得と共に、「但し、その旧い正常の中に新しい正常の芽のようなものも含まれると考えます」と応答、
「それが歴史の進歩ですね。」との回答を頂く。

『生活は変わったか』に関する筆者の発想を、これで自身として納得する。

齊藤誠・名大教授は経済学者、紫綬褒章受章(2014)。

成長信仰の桎梏 消費重視のマクロ経済学(勁草書房 2006)
競争の作法 いかに働き、投資するか(ちくま新書 2010)
経済学私小説<定常>の中の豊かさ(日経BP社 2016)
を読み、現代社会への経済学的視点を得る。

震災復興の政治経済学、原発危機の経済学(共に日本評論社)は力作(未読)。
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生活世界は変わったか~新型コロナウイルスの下で

2020年05月14日 | 現代社会
個人事業主の看板を掲げているが、それほど仕事をしているわけではない。そこで先ず変わったのは「実世界」というよりも「情報空間」だ。テレビニュースは何を置いてもコロナウイルスの話から始まる。

 専門家会議は新型コロナ対策として「新しい生活様式」と「徹底した行動変容」を掲げる。そこで得られる果実は「コロナに罹らない」ことだ。これだけをとれば、確かに新しい変化であっても、決して胸を躍らせるものではない。当然だ、「緊急事態」が宣言され、それと共に「その後のV字回復」などと政府首脳が言い訳を口走る。最近は「出口戦略」に変わってきたが。ならば、「暫定的生活様式・行動対応」等で良かったはずだ。

 その様式と変容のため、情報空間では「不要不急」との言葉が使われ、それを排除することで、あたかも達成できる雰囲気を醸し出す。しかし、「不要」なことをやる人はいない、通常は。「不急」とは云っても、それはタイミングだけの問題で必要なことに変わりがない。この状態が「緊急事態」を象徴する。
 しかし、単に情報空間だけでは済まない。その様式と変容によって実の生活世界で著しい負の影響を受ける人もいる。それは生活から生命の危機へと向かう可能性も含む。それこそが緊急(政策)を必要とする、強いられた“負”の「生活様式と行動変容」だ。

 この状況下で幾つもの新しい活動が報告されている。おそらく、その中から芽生えていくものが次の時代を牽引するようになるだろう。それは単なる既存のものが「V字回復」するだけでは済まない何かが含まれているはずだ。
 それは私たちに、この時期を耐え忍ぶ“積極的な気力”を与えるものとなるだろう。

 自らとって、最近書き上げたいわゆる自分史は、一般人の「社会史の中の個人史」と勝手に位置づけ、歴史資料を構成する一つと考えている。「私の履歴書」ではなく、「個人史」を積み重ねると、小さいことでも新たな歴史認識が得られるのではないか、そんな期待感を新たに持って、気力を沸かせている。


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「散歩から探検へ」、Ver.2(2020/05~)、副題「個人・住民・市民」

2020年05月10日 | 企画
Ver.1(2011/05~2018/04)、副題「政治を動かすもの」を結果的に約2年間休み、今月「個人・住民・市民」へと発展的に解消したものだ。

そのブランク期間で筆者は自分史「或るベビーブーマーの生活世界」の作成に集注、その過程で思い浮かんだ副題「個人・住民・市民」を本稿へ流用する。住民は地域住民であり、市民は世界市民を意味する。

いわゆる自分史だが、筆者は「社会史の中の個人史」と考えている。内容及び割愛したものを今後も折に触れて紹介するつもりだ。



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