散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

国葬を再考する(9月8日付記事に対して)~法的問題

2022年09月17日 | 国内政治

安倍元首相の「国葬」を考えると、先ずは首相期間が今までの首相のなかで「最長」が挙げられる。一方、唯一の国葬である吉田茂元首相の場合、「講和条約」、「高度経済成長の基盤作り」が挙げられる。亡くなられた時期(1967年9月20日)はその高度成長が終焉に至った頃だ。国葬は、時の佐藤栄作首相の思い入れの発想と言われており、その事情は岸田首相と変わりなさそうだ。その佐藤首相の期間を安倍元首相は更新したわけだ。
顧みて佐藤首相の場合、沖縄返還、ノーベル平和賞受賞があったが、国葬の話はなかった。「非核三原則」での密約も後に明らかになって、平和賞も含めてグシャグシャな話となったことも影響したのだろう。

そこで、吉田茂との比較が安倍国葬の唯一の比較になり、結局は「講和条約」、「高度経済成長の基盤作り」に対して政策では対抗できない。従って、「首相期間最長」が残されるだけだ。しかし、首相の業績はその寿命だけで図られるものではない。

吉田の場合、国民が国葬に納得したのはその政策(戦後日本の進むべき方向性を定めて実行したこと)を高く評価した故と考えるからだ。また、そうであれば、安倍元首相の場合は、改めて政策内容を議論する必要はなく、単に「法制化」されていないことを挙げるだけでその行事に反対すれば良いと思う。

今の時点においては!

 


安倍元首相の「国葬」~特段の業績は?

2022年09月08日 | 国内政治

安倍元首相の死は突然のテロによってもたらされた、参院選挙の遊説中に。それは辞任から余りにも早かった。即ち、辞任後も党内第一の派閥を率い、党内に睨みを利かし、場合によっては三度目の首相も狙おうか、とも思われる勢いも示していたからだ。

従って、歴代最長の在職日数を記録した首相に対するその業績への一定の評価は当然あるが、他の首相経験者との比較等、必ずしも定まっていなかった。そのような状況にあって、首相退任から約2年後の突発的なテロによる死であった。

以前のブログ(7/16付、安倍元首相の死(2)~社会の深淵で何が…)において、次のように述べた。
会田弘継氏(ツイッター:7/11)の言葉に「ズバリ」の衝撃を受けた。
『「民主主義の否定」とか「言論への暴力」に違和感を持ったのは、それよりもっと深刻なことが起きている気がしたからだ。』…『「政治制度ではなく、もっと奥深いところでなにかが壊れてしまっているような思いがしています。」

その言葉から、筆者は次のような「思い」が浮かんだ。
地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から四半世紀の後、社会秩序への集団性暴力が「個人」へと解体したような、そんな気がした。しかし、相模原、京都との違いは、個人の思いが)…政治指導者個人へと及んだことだ。

そんな状況の中で安倍元首相の「国葬」が決まった!

国葬としての前例、吉田茂氏は第一次46年9月―第1次吉田茂内閣は1946年5月に誕生、以後47年5月~48年10月の中断の後、第2次~第5次まで首相を務め、54年12月辞任した。計7年余り、その死は68年10月20日、辞任後、約14年である。また、その間に『回想十年』全四巻を執筆している。
本を読むまでもなく、吉田は「敗戦日本」を率い、マッカーサー率いる占領軍に対応しつつ、国の復興へ尽くした。それが高度経済成長へと結びつくことになる。その国葬は当時の佐藤首相の思い入れで実現されたのだが、吉田自身の政治的業績は疑う余地はない。

しかし、安倍元首相については以下の理由で国葬は不適切と筆者は考える。

1)業績の評価をしっかりできる時期には至っていない。
  ・経済:日本は世界全体からみれば追いつかれ、追越されている
  ・外交:「米、印、豪、日」連合の成果は今後の課題
2)統一教会問題が自民党全体を覆っており、当時の安倍氏の姿勢が不明
3)安倍氏個人の政治問題の関連で国家公務員に自殺者がいたこと